セイヤとスズミ(2)

「スズミちゃん、じゃあまたね」

「うん! バイバイ、あきちゃん! また明日!」


 そう言って隣の席に座っていた友人を見送る。彼女はリュックとともに体操着が入ったカバンを下げて、教室を出て行った。

 大きく背伸びをして、身体についたコリをほぐした。さて、私も行きますか。

 私、風馬ふうま鈴美すずみはこの八百中学校の二年生だ。放課後に向かった先は図書室。私も部活に入っているけど、図書委員も兼任している。今日は図書委員の当番日なので、部活はお休みだ。図書委員は図書室の掃除から本の貸出の受付やチェック、さらには購入された本の確認作業など、地味だが大事な仕事が多い。でも、図書委員の仕事のおかげで、生徒たちが図書室を快適に利用できるのもまた事実だった。


 どこの学校の図書室も、街の図書館もそうだろうけど、基本的にこのような空間はみんな静かに読書や勉強をするのがマナーである。そして、静かな空間は勉強や読書にうってつけだ。

 ただ、私にとってこの図書室という空間はあまり好きじゃない。じっとしているより体を動かしたいし、静かなところよりも友達とおしゃべりしたり、遊んだりするほうが好きだ。


 じゃあ、なんで図書委員になったかって? それはどうしても調べたいことがあったからだ。図書委員には実はある特権があった。

 八百中の図書室は基本的に一般的な学校の図書室と同じく、すべて開架書庫といって生徒や教師が自由に本や資料を手に取って閲覧することができる。しかし、一部鍵が掛けられた「閉架」と呼ばれる部屋があり、そこでは貴重な本や雑誌のほか、中学の歴史資料や校内紙のバックナンバーなどが所蔵されている。閉架の書籍は貸出できず、教師や生徒が利用する場合図書委員に申し出ることで、図書委員が書籍を取り出し利用者が閲覧できる、というシステムになっている。

 つまり、図書委員しか入れない部屋があるのだ。


 私は今重要な調べ事をしていた。他の人に話しても、絶対信じてもらえることじゃない。だけど、私はあり得ることだと考えている。

 今日も仕事の合間を縫って閉架書庫に入り、資料を読み漁る。重くて大きな百科辞書のような本を持ち出して、カウンターに腰掛ける。この中に、あの手掛かりがあるはず……。

 本を一ページ一ページめくりながら気になる項目を眺める。難しい漢字や国語で習っていないような単語や熟語の羅列に戸惑うけど、スマホの辞書機能を片手に意味を調べて項目の内容を自分の頭の中に落とし込む。


 肉、呪い、長寿、椿、豪族、娘――


 それらの項目に付箋をつけて、ノートに書き写す。わからない単語はスマホで調べる。たまに本を貸し出したい人が来るので、対応しながらも地道に調べる。

 図書室に入る時なんて、テスト前を除けばこの図書委員として活動しているときくらいのものだ。だけど、持ち出し禁止の書籍のほうが情報も多いし、図書委員でなければ閉架には入れない。そして、私はこんな日常をすでに三か月も続けている。二年に上がってから、週に二度図書室で調べ事をしている。

 この時間は本来私にとって苦痛だけど、それでも解き明かしたい謎がある。絶対この手で真実をつかんでやる! そう心に決めると、なぜか調べ事に熱が入った。とても重いまるで百科辞書のような分厚い本も軽く思えたし、時間が過ぎるのを忘れて、本を読み進める。


 調べ事に夢中になっていたためか、熱が冷めたのは誰かに肩を叩かれたときだ。

 肩への衝撃が意外に強かったためか、私の意識は一気に現実に引き戻された。はっと振り向くと、後ろで同級生で同じ図書委員のキヨコちゃんが心配そうに私の顔をのぞき込んでいた。


「スズミちゃん、大丈夫? もう下校時間だよ?」

「え? 大丈夫だよ?」


 いきなりだったので、私は目をきょろきょろさせた。私の返答に女の子は不思議そうな顔をする。話も噛み合わない。


「そう? なんか、いつものスズミちゃんじゃないからさ……。怖そうな顔で本眺めてたし」


 私は苦笑いしながら、頭を触った。


「そうだった? ごめんごめん。宿題で調べたいことがあったんだ」


 適当に話を作った。キヨコちゃんは別クラスなので、バレないはず……。


「そうなんだ……。でも、すごいね。そんな難しそうな本を読むなんて」

「これが無いとわかんないことだからね。ちょっとくらい無理して調べないと」


 私と友人は笑い合った。

 キヨコちゃんは腕時計を見る。


「そうだ、ごめん。ちょっと悪いんだけど、私、用事があるから先に帰るね」

「りょーかいっ! また明日ね、キヨコちゃん。おつかれ!」

「おつかれー」


 手を振ってキヨコちゃんが帰るのを見届けると、私は閉架書庫に本を戻すため、鍵と本を手に立ち上がる。


 閉架書庫は図書室の一番奥にある。すでに図書室にいた人は帰ったようだ。

 閉架の部屋に向かおうとすると、自然と私の足が止まった。私の視界に一人本を読んでいるぼさぼさの髪の男子生徒。真剣に目の前の本に集中している。そういえばこの子、ほぼ毎日この図書室にいると聞いていた。確か、名前は卯花うのはな清弥せいやくん。よく図書室に置いてある小説を借りていくので、貸出ノートに彼の名前が出てくる。

 よく見ると、彼はクラスで話題になっている異世界ファンタジーの小説を読んでいる。


 でも、もう間もなく下校時間になる。小説に夢中になっているなか悪いけど、残っている生徒は帰さないといけない。私はそっと卯花君の肩を叩いた。


「ふーん。異世界ものかあ……。でも熟読中失礼だけど、もう下校時間なんだよねえ」

「えっ」


 一声上げたと思うと、卯花くんは一瞬硬直した。同時に彼の前に会った小説が倒れた。

 多分、卯花くんも我に返ったんだろう。まるで、さっき私がキヨコちゃんに現実に引き戻されたように。

 私と卯花くんの間に沈黙が流れた。やがて彼は振り返る。


「え!? そ、そんな、時間な、なんですか?」


 卯花くんは突然のことだったのか、目をきょろきょろさせる。言葉も途切れ途切れになっている。


「もう六時半だよ? 学校閉まっちゃうし、帰らないと」


 少しばかりの沈黙の後、卯花くんが口を開く。


「あ、わかりました」


 そう言って急いで帰る支度をする卯花くん。でも、私だって早く下校したかった。友人と合流したいし、人の手も借りたかった。


「ちょっと待って!」

「なんですか?」


 振り向いた卯花くんは眉間にしわを寄せ、眉が逆八の字になっていた。私は思わず自分の後頭部を触った。


「悪いんだけどさあ、ちょっと戸締り手伝ってくれない? すぐに終わるからさ。友達も帰っちゃったし」

「わかりました」


 卯花くんに悪いことをしてしまったと思う。自分のわがままのために、彼を呼び止めて仕事を手伝わせたのだから。

 しかし、彼は始めこそ嫌な顔をしていたが、淡々と仕事をこなしてくれた。戸締りと掃除をして終わったのは十五分後。いつもより早く終わった。


「よし、これでオッケー。手伝ってくれてありがとうね、卯花うのはなくん」


 初めて卯花くんの前で彼の名前を口から出す。しかし、卯花くんは驚いた様子で、私の顔を見ていた。


「え、ええ……」

「どうしたのよ?」

「え、いや。何で僕のことを……」


 思わずため息が出た。


「本の貸出ノートにキミの名前があったからよ。キミ、毎日ここに来てるみたいだけど本当に本読むの好きなんだね。図書委員の間じゃちょっとした評判よ?」

「ホントなんですか?」


 読書のために図書室を利用する人はほとんどいない。大体が私みたいに調べ事をするか、勉強のために利用する人が大半だった。しかも、卯花くんは気に入った本があると、借りていくことがあった。今時そんな生徒は珍しく、図書委員の間でも感心する人もいたほどだ。

 卯花くんは私のことを知らない。だけど、何で卯花くんはここまで改まってるんだろう。挙動もなんか、びくびくしてるし……。


「そうそう。さっきから気になってたんだけど、キミ、私に敬語使ってるけど一応二年生だからね。クラスは違うけど」

「そ、そうだったんですか……」

「うん。これ見て?」


 私は自分の生徒手帳を見せた。私も卯花くんと同じ二年生。同級生だし、普通に接してくれたらいいのに。


「私は風馬鈴美。私も図書館よく使うから、また会うかもしれないね。その時はよろしくね」

「よ、よろしくお願いします……」


 卯花くんは恥ずかしいのかわからないけど、私と目を合わせようとせず、下を向いた。まあ、このまま居残っても意味がないので、


「ま、とりあえず帰ろっか。鍵閉めるから、先出てて?」

「あ、はい……」


 卯花くんが図書室から出ると、私は手を振った。卯花くんもゆっくりと手を振る。そして、まるで逃げるように階段を下りて行った。恥ずかしがり屋なのだろうか。

 彼がいなくなったあと、私も閉架に借りていた本を戻し、図書室に鍵をかけるとその場をあとにした。

 バレー部の練習は終わっているはず。私は職員室に鍵を返した後、校舎の右隣にある体育館に向かった。すでに着替えを終えた部員たちが更衣室からまばらながら出てくる。そして、出てきた女子部員の中にわたしの友人がいた。


「あ、スズミ!」

「ゆかちゃん!」


 眼鏡をかけた黒髪ショートヘアで、つり目女子生徒。彼女は海堂かいどうゆか。童顔のその子は私と同年齢のはずなのだが、白い夏用のセーラー服が妙に大きな胸のふくらみを引き立たせていた。下着もうっすら見えている。


「練習おつかれ。明日は部活行けるからね」

「絶対来てよね? スズミがいないと練習にならないんだから」

「ええっ。でも、私よりもうまい子いっぱいいるじゃん」

「スズミじゃないとだめなの。あたしのアタックをブロックできるの、あんたしかいないんだから」

「まあ、今のところはそうみたいだね……」

「他の奴は弱いし、一緒にやってたらレベルが下がっちゃうわ」

「それは言いすぎかと……」


 思わず苦笑いした。ゆかちゃんは八百中の女子バレー部の中ではだれにも止められない威力を誇るアタックを仕掛ける。もちろん、ほかの部員の手助けがあってこそのものだけど、彼女のアタックを止められるのは今のところ、私だけだった。

 そのせいか、ゆかちゃんのアタック練習を敬遠する部員が多く、由香ちゃんはそれを不満に思っていた。


「これまでも、これからもあんたしかいないわよ」


 ゆかちゃんは両腕を組んで、私にウインクする。

 あんたしかいないって、ゆかちゃん……。

 ゆかちゃんのまるで上からものを見るような目。彼女にとって私は同じ土俵にいるようだけど、他の子は下にいるんだろうか。

 いろいろ喋りながら私たちは最寄りの駅に向かった。七時前だけれどまだまだ外は明るい。途中で他の友人とも合流し、たわいもない話で盛り上がった。

 いつもの日常だけど、友達と過ごす時間が私にとって一番の居場所なのだ。

 だって、自分には帰るべき場所が――

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