第190話

「俺は、今度こそ一人旅だと思ってたんだけどな……。もしかして、団長は俺のこと信用してないのか……?」


 神殿騎士マキアスは、馬上でしきりに首をひねっていた。そんな彼を見て、馬を横に並べてきた娘が、明るい声で聞いた。


「何ぶつぶつ言ってるんですか、隊長」

「何でもない」

「久しぶりの一緒の任務なんだから、もっと喜んで下さいよ!」

「うるさいって」


 今のマキアスは、上官であるヴォルクスの命令で、ある極秘任務に就いていた。

 その任務とは、神殿騎士団総長カール・リンデンブルムに命を狙われている少女を、秘密裏に護衛する事である。

 総長カールが狙っているのは、冒険者を生業としているアルフェという銀髪の少女だ。総長は、パラディン筆頭のヴォルクスですら全容を把握していない騎士団内の暗殺部隊を使って、アルフェの命を奪おうと画策している。

 これは、万が一外に漏れればとんでもない醜聞である。マキアスにも、教会の権威が不安定な今、この件を身内で処理してしまおうというヴォルクスの判断は、至極当然だと思われた。

 だからこそ、ヴォルクスから秘密を伝えられた自分は、彼から相当信頼されている事になる。そう思っていたマキアスなのだが、同行者として付けられた人間を見て驚いた。


「カタリナ、お前、この任務がどんなものだか分かってるのか?」


 今回マキアスに同行しているのは、一応は彼の副官という事になっている、女従騎士のカタリナ・ダルマイア―だ。短く切られた赤毛を揺らして、カタリナは勢いよく頷いた。


「もちろん。誰か重要な人を護衛する任務だって聞いてます」

「それだけか?」

「はい」


 カタリナはもう一度、自信満々に頷いた。マキアスはその顔を見て、頭が痛くなった。

 確かに、マキアス単独では連絡すらままならないというのは分かる。しかしヴォルクスは、この気の抜けた顔をしている娘を連れて行って、一体何の役に立てろというのか。


 ――竜窟に行くときだって、メルヴィナさんとクラウスと一緒だったし。やっぱり団長は、俺の力を信用して無いのかなあ。


 しかもあの二人と違い、カタリナに戦闘能力は期待できない。並のオークと渡り合うくらいの事はするが、ちょっと強力な魔物が相手だと、途端に腰が引けてしまう。これでよく騎士団の厳しい訓練を生き残って、女だてらに従騎士になれたものだと思う。


「私、訓練所では優秀だったんですよ。訓練所では」


 いつか、カタリナ自身はマキアスにそう語っていたが、眉唾ものだと彼は常日頃から考えていた。

 カタリナはきょとんとした表情で、マキアスに尋ねた。


「それで、私たちが守る相手って誰なんですか?」

「それも聞いてないのか……!? マジかよ……」

「マジです」

「ふう。頼むから、俺の足を引っ張らないでくれよ? ……俺たちが護衛するのは、アルフェっていう娘だ」

「え」


 マキアスが歯切れ悪く口にした名前を聞いて、カタリナは目を丸くした。カタリナは、当然この名前を知っている。一時期マキアスが任務を放棄して探し回っていたのが、この名前の少女だったからだ。


「アルフェって……、あの? 隊長が探してたアルフェちゃんですよね。ヴォルクス様が、その子を守れって?」


 どういう表情をして良いか分からず、マキアスは少しむっとした顔で頷いた。


「そっか」


 カタリナは、一体どんな反応をするだろうと思ったが、意外にも彼女は、何か腑に落ちたような顔で頷いている。


「何で隊長が、あの子にあんなにこだわるのか分かんなかったんですけど……。そういう事だったんですね」

「え?」

「ヴォルクス様が守れって言うくらいだから、実は凄い重要人物だったんですね。やだなぁ隊長。そうならそうってあの時に教えて下さいよ。私てっきり、隊長が任務を放り出して、自分の好きな子を追いかけ回してるんだって思ってました!」

「あ? お、おう。……え?」


 カタリナがどういう風に理解したのかは不明である。しかし、確かにアルフェは重要人物だった。マキアスがヴォルクスに聞かされた彼女の正体は、何とあのラトリア大公の娘だというのだから。今思い返せば、ベルダンに居た頃も、アルフェはラトリアの話題に敏感な部分があった。


「何だ、ちゃんと騎士団のために行動してたんですね、隊長は」

「あ、そ、そうさ。当然だろ」


 誤解混じりでも、カタリナは納得してくれたようだ。ならばこれ以上混ぜっ返す必要は無いだろうと、マキアスは都合良く考えた。彼にとって今優先すべき問題は、何よりもそのアルフェの事である。

 だが、いくら団長の命令とは言え、こいつをこんな危険な任務に連れて行っていいのか。カタリナ自身に対する心配も、マキアスの頭をちらりとかすめた。


「おい、カタリナ」

「何ですか隊長。怖い顔して」

「団長には、俺から上手く言うからさ、お前はここで引き返せ」


 既に二人の馬は帝都の郊外を出て、田園地帯へと入っていた。ここならば、偶然他の騎士に見とがめられる事はないだろう。カタリナだけこっそりと帝都に引き返して、後はマキアスが一人で頑張ればいい話だ。


「何なら、俺の実家に隠れててもいい。この任務は俺一人でやるよ」

「……何言ってるんですか? 隊長」


 カタリナが怒りを含んだ声を出した事に気付かず、マキアスは言葉を続けた。


「良く知らないで付いて来たんだろうけど、今回の任務はそんな安全なものじゃない。多分、命がけだ。お前がそんな事をする必要なんて――、うわっ、危なっ! 何するんだ! 落ちたらどうする!」


 突然カタリナが、彼女が乗る馬の馬体をマキアスの馬にぶつけてきたので、マキアスは怒鳴った。それに怯んだ様子も見せず、カタリナは言う。


「前も思ったんですけど、隊長は基本、私の事を馬鹿にしてますよね」

「そんな――」


 馬鹿を馬鹿と言って何が悪い。いや、違う。馬鹿にしているつもりは無い。しかし、本当にそうかとマキアスは思い、反論に困った。


「まあ、確かに私は馬鹿ですけども。私も、神殿騎士ですよ。まあ、正騎士じゃなくて従騎士なんですけども。――だから、神殿騎士が任務に命をかけるのは、当然です」

「う……、……悪かったよ」

「許してあげます」

「調子に乗んな」


 突っ込みつつも、マキアスは思った。

 確かに、こいつも神殿騎士団の一員なのだ。それをまるで部外者の娘に対するように扱ったのは不味かった。自分はどうにも、人に対して良くない思い込みをする質のようだ。

 もしかしたら、こいつが気の抜けた振る舞いをする事が多いのも、周囲を励まそうと、わざとやっているのかもしれない。何にしても、団長がこいつを同行者に選んだ以上、自分もそのようにこいつを扱うべきだ、と。


「カタリナ」

「はい?」

「よろしく頼む」

「了解、隊長」


 そして、彼らは馬の歩調を少し上げた。



 マキアスたちが最初に向かったのは、帝都を中心とする皇帝直轄領の南端にあるポロンという都市だ。この都市を越えると、帝都の大聖堂が司る結界の効果範囲を外れる。そこからレニ川をさかのぼれば都市バルトムンクがあり、その先にはハノーゼスやゼスラントなどの高地諸領があった。

 マキアスは、アルフェやそれを狙う暗殺者の居場所を、闇雲に探していたのではない。彼にはヴォルクスから、ある手がかりが与えられていた。


 ――アルフェという娘の居場所は分からない。だが、総長の直命を受けて動いている騎士の名前は、何人か判明している。


 総長の手足となっている暗殺部隊は、正式に騎士団に所属している者たちと、表向きは市井に紛れている者たちの二種類いる。その内、正式な騎士の名前は、ヴォルクスの手元にある程度のリストがあったようだ。そこからたどれというのが、ヴォルクスの考えだった。

 つまり場合によっては、マキアスたちは騎士団員同士で戦う事になる。しかしそんな事は、この任務を引き受けた時点で承知していた。


「まず、この都市にリューディガーっていう駐在騎士が住んでる。そいつに会うぞ」

「会ってどうするんですか? その人にも付いて来てもらうんですか?」

「いや」


 逆だと言いかけて、マキアスはちょっと迷った。だが、ここで任務の内容を知ってためらうようなら、どの道カタリナは置いて行くしかない。彼女を対等な同行者として扱うと決めたマキアスは、正直に口にした。


「逆だ。最悪、その騎士とは戦いになるかもしれない」


 真剣な顔になったカタリナに、マキアスは任務の詳細を話した。


「総長が……? そんな……」


 衝撃は受けたようだが、カタリナは取り乱してはいない。マキアスもそうだが、そもそも騎士団の頂点にいるはずの総長に対し、彼らはそこまでの信頼感を持っていない。そこには、神殿騎士団の中のちょっとした事情があった。

 マキアスとカタリナは、パラディン筆頭であるヴォルクスの部下にあたる。パラディンは騎士団内でも特別な扱いを受けており、騎士団の序列はパラディン内の序列とは無関係であった。教会の権威は衰え気味だとしても、パラディンに対する民衆の人気は未だに根強い。

 そうした訳で、マキアスたちも総長に対する忠誠心を抱いてはいるが、彼らにとっては、ヴォルクスの部下であるという意識がそれに勝る。

 それに、現在の総長はパラディンではなく、第一軍団長とパラディン筆頭を兼務するヴォルクスと、何かと比較される事が多い人物だった。政治的なやり取りを好むという、騎士として、どちらかと言えば良くない評価もある。


「リューディガーはこの都市の駐在騎士のはずだが、頻繁に都市外に出かける事があるそうだ。その時に、どこから命令を受けているのかも分からない」


 マキアスは、帝都を出る前にヴォルクスに渡された資料を頭にたたき込んだ。それを思い出しながら、彼は喋っている。


「話して、何も無ければそれでいい。だが、もしもの時のために備えておくんだ」


 カタリナはこくりと頷いた。

 その駐在騎士の家も、資料には書いてあった。マキアスはその家を見つけると、扉を叩いた。


「はいはい、誰だい?」


 出て来たのは、平服を着た若い男だ。緩い服装ではあるが、腰のベルトには長剣がぶら下がっていた。


「……誰だい?」


 家の入り口にいる見知らぬ男女を目にして、その男は首を傾げた。

 マキアスたちも、騎士服ではなく普段着を身に着けている。しかし一瞬だが、男の視線も、マキアスとカタリナの腰にある長剣の鞘を捉えた。


「リューディガーさん?」

「ああ、そうだよ」

「ここの駐在騎士の。初めまして、俺たちも神殿騎士です」

「何だ、ご同業か」


 見ない顔だが、帝都の本部の者か。わざわざ人の家まで何の用だと、リューディガーは気さくな調子で尋ねた。


「この間の任務はどうなったんです」

「は?」

「あなたはつい先日、この都市を留守にしたそうだな。その時には、どんな任務があったんだ?」

「何だこれ。何かの査問かい?」

「そう取ってくれてもいい。俺の担当は教会の査察だ」

「……まあ、往来で立ち話も何だし、上がってくれよ」


 教会査察と神殿騎士の尋問は直接結びつかないが、はったりのつもりでマキアスは口にした。

 リューディガーは、マキアスたちに家の中に入るように言った。マキアスは、一人だけでその招きに応じ、カタリナには入り口で待つように目で指示した。話している最中に、誰か、他の者が訪ねて来ても困る。


「それで、教会査察班が俺に何を聞きに来たんだ?」

「この前に家を留守にした時、どこで何をしていたのかを知りたい」

「なんで一々そんな事を……」

「答えろ」

「……。任務……じゃないな。正直に言うと観光だよ。まあ、勝手に街を離れたのはまずかったかもしれないが、たまにはいいじゃないか。ちょっと息抜きに東の方まで――」

「総長の命令で?」

「…………」


 ヴォルクスの資料によれば、この男には、アルフェではなく、アルフェと間違えられた銀髪の娘を襲った疑いがあった。

 アルフェ以外の、狙われた娘は全て死んだ。この嫌疑が何かの間違いであれば、この男に対して非常に申し訳ないという話になるが、もし真実ならば。

 マキアスは、騎士の誓いの一節を口にした。


「神殿騎士は、民の信仰と暮らしの平穏を守るために存在する。それが、俺たちの義務だ」

「そうだな」

「何も知らない娘を殺すのも、その義務の中に含まれているのか?」


 まるで、殺されたのがアルフェ本人だったかのような口調で、マキアスは問い詰めた。

 それでリューディガーとの問答が終わったのを、マキアスは感じた。今まで会話していた時と表情を変えないまま、リューディガーは剣の柄に手をかけた。リューディガーが抜いたのを確認してから、マキアスも剣を抜く。攻撃を仕掛けたのは、リューディガーの方が先だった。


「……ぐ」


 相手の剣先をこめかみすれすれにかわし、マキアスの剣はリューディガーの首を四分の一ほど断っていた。

 リューディガーの剣筋は鋭かったが、それで言うなら、マキアスに特訓を付けたヴォルクスの方が何十倍も速い。木剣を使うヴォルクスと、三合までは打ち合えるようになったマキアスが、この程度の相手に負けるはずが無かった。

 首からおびただしい血を流して、リューディガーの身体は木の床に沈んだ。


 ――ヴォルクス団長の言っていた事は、本当だった。


 骸を見下ろしながら、マキアスは思った。

 総長の命令を口にした時点で、リューディガーの目はマキアスを敵と認識していた。そして、否定する事も無駄だと考えたか、マキアスの口を躊躇無く塞ぎにかかった。騎士団内の暗殺部隊について、マキアスの中で半信半疑だった部分もこれで消えた。

 アルフェに危機が迫っている。自分は騎士として、例え側には居られなくとも、彼女のために戦う事が出来る。だからマキアスは、これでいいと思っていた。


 それでも、マキアスの剣身を濡らしているのは、同じ神殿騎士の血である事は間違い無い。マキアスは無言で、鮮やかな赤に光る己の長剣を見つめた。






一方で、少女によって騎士の誓いを取り戻した男がいて、

一方で、少女のために己の手を汚そうと決めた男がいる。

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