第188話

「グラム、あなたはあれからずっと、あそこで暮らしていたのですか?」

「はい、アルフェ様」

「やっぱり、その呼び方は止めてくれないのですね……」


 翌朝、アルフェたちはオークのグラムを伴って、廃都市への道行きを再開していた。

 丸一日以上寝ていた事になるが、アルフェの体調は、もうすっかり良いようだった。意識が混濁するとも、頭が痛いとも言い出さない。無理をした事を、アルフェはフロイドとゲートルードに詫びた。


「しかし、もう心の整理が付きました。そろそろ、別の部族を探しに移動しようかと思っていた所です」


 相変わらず、グラムはオークらしくない口を利いた。彼は都市バルトムンクの近くに集落を作っていたオークの部族長、いわゆるハイオークだが、数年前に冒険者の大部隊に集落が滅ぼされ、以来ずっと地下闘技場で見世物として飼われていた。

 色々あって脱走したグラムを、冒険者として討伐依頼を受けたアルフェが追った。だが、アルフェは発見したグラムを殺さなかった。アルフェに恩義を感じたグラムは、彼女に命の借りを返すと誓ったのだ。

 アルフェがバルトムンクを去る際、グラムは滅びた集落跡で、気が済むまで一人で生活したいと言っていた。そのグラムとアルフェたちが、昨夜偶然再会したという訳だ。昨日の夜、グラムは森に居る人間の気配を察知して、住居から出てその様子を探りに来た。てっきり、またバルトムンクの冒険者か何かが、魔物狩りにでも来たのかと思ったのだそうだ。


「アルフェ様たちは、またあの遺跡に向かわれて、何をなさるつもりですか」

「あの時には見つけられなかったものを、見つけに行くのです」

「……? そうですか。とにかく、そういうことなら私もお供させて下さい」


 そしてアルフェはグラムの同行の申し出を受け入れ、彼らは四人で旧街道を移動している。


「フロイド、私が居ない間、しっかりアルフェ様をお守りできたようだな」


 グラムは馬車の荷台に乗らず、馬車の隣を歩いている。彼は魔物の皮をなめして作ったような着物を、灰色の素肌の上に身に着け、アルフェが買い与えた鋼の斧を、武器として持っていた。


「何だよ、その言い方は……」


 グラムからまるで上官のような口を聞かれ、フロイドは閉口している。アルフェは笑った。


「私に臣従を申し入れてきたのは、グラムが先です。という事は、あなたは私にとって、二人目の臣下という事ですね。先輩は立てなければいけませんよ、フロイド」

「な――」

「ほほう。では、この男も改めて、アルフェ様に忠誠を誓ったという事ですか?」

「ええ」


 アルフェは嬉しそうに微笑んでいる。フロイドは怒る気にもなれず、御者台の上で肩をすくめた。

 三人はこうやって喋っているが、ゲートルードは無言だった。オークが喋るのが珍しいから……ではないようだ。ゲートルードは情報屋組合の長である。その情報屋組合の幹部には、グラムを捕えて見世物にしていたバルトムンクの商人、ゲイツ・メリダがいる。ゲートルードがグラムの事を知らないはずが無い。


「お前も、アルフェ様の臣下か?」


 かなり歩いたところで、グラムがついにゲートルードに話しかけた。ゲートルードは一瞬ためらったようだが、グラムの問いかけに答えた。


「臣下……ですか。そのようなものかもしれません」


 そうだったろうかと、内心でアルフェは首を傾げたが、ゲートルードは彼女の予想以上に、アルフェに対して精神的な敗北感を覚えていたようだ。フロイドは、気持ちは分かると頷いていた。


「あなたは、地下闘技場に居たオークですね」

「居たのではなく、居させられたのだ」

「……そうですね」

「どうした。喋るオークが珍しいか?」

「いや、オークが言語を扱えるという事は知っています。あなたのように流暢に帝国語を喋るオークは、私も初めてですが」

「そうか」


 ゲートルードは戸惑っているようだが、彼にグラムの存在について割り切ってもらおうとまでは、アルフェは考えていなかった。都市に戻った時、グラムの居場所を誰かに報告するような事さえしなければそれで良い。そして多分、アルフェが要求すれば、ゲートルードはそれに従うだろう。

 グラムの方は、例えゲートルードがどういう立場の人間か知ったとしても、彼を恨みに思ったりはするまい。オークがそういうものなのか、それともグラム自身の個性なのかは分からないが、グラムは人間との抗争に敗れた事も、その後に長い監禁生活を送った事も、弱肉強食の理の延長にあると考えている節があった。


「見えてきましたね」


 一度野営を挟んで、アルフェたちは廃都市ダルマキアの城壁へとたどり着いた。

 およそ七百年前に結界を失い、人間に放棄された都市。かつて八大諸侯の一角を占めていたバルトムンクの領地は、この都市を中心に広がっていたという。古代の遺跡を利用した背の高い城壁には、縦横に緑の蔦がはい回っている。アルフェたちが去ってから、この地は何も変わっていないようだ。

 城壁を見上げながら、アルフェはゲートルードに話しかけた。


「博士、あなたはここを詳しく調査したのですよね」

「はい」

「以前に来た時、我々は壊れた城壁の隙間からこの都市に入りました。それ以外に都合の良い出入り口はありますか? 出来れば、馬車が通れる道が良いです」

「都市の北側に回れば、開け放たれた脇門があります」

「なら、そこまで行きましょうか」


 あの時と、何が一番変わったかと問われれば、それはきっと、アルフェの心の余裕だった。再会したマキアスを手ひどく追い返したりした直後で、あの時のアルフェは酷く不安定だった。だが今は、急がば回ろうくらいに思うゆとりがあった。

 城壁を横に眺めながら、アルフェ一行はぐるりと弧を描くように都市の北に回った。恐らくかつては、数万、数十万もの人々が生活していた街である。それだけで数時間かかった。


「特に、危険なものは居ない」


 城壁内に足を踏み入れると、グラムがそう言った。

 魔物の気配は都市内部にふんだんに有るが、アルフェたちに敵うようなものは居ないという意味だ。ゲートルードの占星術にも、大きな魔獣のような反応は映らない。アルフェがここに住み着いていた翼を持つ魔獣を倒してから、新しい主は現れなかったようだ。


「ここは、歴史的資料の宝庫です」


 大通りを大聖堂に向かって歩いていると、ゲートルードが感慨深そうな声を出した。


「並んでいる廃墟の全てに、人間の過去の営みの証が詰まっている。本来ならば、もっと大規模な調査を行うべきなのでしょうが……。帝都の学術院も、ここにはあまり関心が無いようなのです。彼らは、教会や貴族の権威付けのための研究ばかりに終始している」


 魔物が出没する結界の外で、歴史に思いを馳せるような変わり者は、そう多くはないという事だろう。アルフェはともかく、フロイドが明らかに興味が無いという顔をしていたので、「歴史は重要ですよ」と、ゲートルードは彼を諭した。


「結界が失われたという事は、ある意味で教会の教えが敗北したというです。そこから目を逸らしたい気持ちは分かりますが、何が起きたのかを見つめる事は、今後の人類のために必要です」

「人類のためと来たが――」


 フロイドは皮肉な笑いを浮かべた。


「結局、単にお前が知りたいだけじゃないのか?」

「……否定はしません」


 ゲートルードの、過去の知識に対する妄執。それがあるからこそ、彼はアルフェに付いて来た。何を引き換えにしてでも、彼は大聖堂の奥に隠された真実を知りたがった。図星を突かれて、ゲートルードは沈黙した。

 遮る魔物も出現せず、アルフェたちは大聖堂の扉の前まで来た。入り口が開け放たれているのも、アルフェが以前に訪れた時のままだ。

 扉の前に立って、アルフェはゲートルードに顔を向けた。


「では博士、私と一緒に、秘蹟の間まで参りましょう」


 アルフェに誘われると、ゲートルードは、緊張した面持ちで頷いた。





「何も……無いな」


 中央礼拝堂を通過して、秘蹟の間の扉までたどり着き、中に入るとフロイドがつぶやいた。


「何も無い。あの時と同じだ」


 フロイドと同じような事を言ったのはグラムだ。

 秘蹟の間はがらんどうで、分厚い石壁に囲まれている。中には何も無い。無いように見える。


「だが、何も無いはずは無い」

「その通りです、フロイド。――ゲートルード博士」

「はい」

「ここは、大聖堂の最奥ではありません」


 秘蹟の間の中央に立って、アルフェは喋った。ゲートルードは、最早悲壮感すら漂わせる顔で、アルフェの言葉に耳を傾けている。


「この部屋こそ、結界の秘蹟を司っている。結界の秘蹟が、ここで行われる……。いいえ、違う。断じて違います。教会が人々に教えている事は、偽りです。この部屋は、今も私たちに、偽りの風景を見せている」


 まるで、いつかのライムント・ディヒラーのような口調で、アルフェはゲートルードに語りかけた。


「博士、ここは大聖堂の最奥ではない。それに気付いた上で、あなたに見えるものはありますか?」

「偽り……」

「この秘蹟の間、いえ、恐らくこの都市の城壁を含め、この周囲に作られた古代の遺跡は、一つの巨大な装置なのです。ただ、我々に偽りを見せるための」

「城壁が?」


 そこでゲートルードは、はっと何かに気付いた表情をした。

 この廃都市の城壁は、古代の遺跡を利用している。他の遺跡と同じように、城壁の建材には、そこかしこに紋様が描かれていた。

 紋様は魔法陣の一部であり、それは、遙かな時を経た今も稼働している。


「この奥に進むには、“鍵”が必要です」


 そう言ったアルフェの顔が曇った。キルケル大聖堂の秘蹟の間で、無惨に事切れていた少年の遺骸。間に合わなかった自分を、アルフェは責めた。

 あの時にディヒラーが用いたのは、偽りの鍵だった。ディヒラーほどの魔術士だからこそ、偽りの鍵でも扉は開いた。


「そして、“鍵”はきっと、ここにあります」


 鍵とは何だったのか。アルフェは既に、その答えを得ていた。

 そう、答えは他ならぬ、アルフェの記憶の中にあった。


「博士。私があなたをここに連れてきたのは、ひょっとしたら、あなたなら可能なのではと考えたからです」


 ディヒラーには及ばなくとも、古代の知識を持つ魔術士がいる。

 そして偽りの鍵ではなく、本物の鍵を使えば、きっと扉は開く。


「私が“鍵”です。――ゲートルード博士、あなたなら出来る。私を使って、この扉を開けなさい」


 確信を持って、アルフェは堂々と言った。

 隠されていた結界の真実に近づいている事に慄いたのか、それとも、目の前の少女の眼の光に圧されたのか。

 ゲートルードは息を呑んだ。

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