第182話
宿屋側がアルフェのために用意した服は、確かに上質な生地を使用してはいたが、特にゴテゴテと飾り物が付いていた訳でも、デザインが奇抜だった訳でもない。上着もスカートも、すっきりとした、どちらかと言えば地味な意匠の服だった。
しかしそれに着替えたアルフェは、本当に、非の打ち所のない完璧な貴族令嬢にしか見えなくなった。冗談ではなく、そのままどこかの国の玉座に座っていても、全く違和感が無い程に。実際、宿付きのメイドや衛兵たちは、そんなアルフェを、まるで王女か何かのように丁重に扱っていた。
宣言した通り、宿の屋根の下に居る間だけは、アルフェはいつものような冒険者としての振る舞いを抑えて、麗しいお嬢様として振る舞っていた。食堂における午餐や晩餐の作法も素晴らしく、彼女を目撃した他の客には、とてもこれが素手で魔物と戦い、時には捕えて食うのが趣味の娘だなどとは、想像すら出来なかっただろう。
「案外、この宿にしたのは正解だったのかもしれませんね」
「? それは……なぜ?」
「私の命を狙う者にとって、逆にこういうところの方が、潜伏場所として意外性があると思われるからです。盲点でした」
「そう、か?」
それでも、やはりアルフェはアルフェであり、格好は変わっても中身は変わっていないようだった。宿の人間も他の客も、アルフェと護衛の騎士がそのような物騒な話をしているとは、誰も思っていない。
フロイドを無理矢理着替えさせ、アルフェに服を贈った例の従業員は、アルフェとフロイドを見る度に、得意げな勝ち誇った表情をしている。着替えた二人が完全に宿の風景に馴染んでいる事に、彼は大層満足しているようだった。
「お嬢様、お出かけでございますか?」
その日も宿のフロントで、その従業員――デカムという名前らしい――が、外出しようとしていたアルフェに声をかけた。「ええ」と、フロイドに言わせると白々しい微笑みを浮かべ、アルフェは頷いた。
「お乗り物が必要であれば、すぐにご用意いたしますが」
「歩きます。今日は日差しが気持ちいいですから」
アルフェはアルフェで、「御令嬢」の演技を少し楽しんでいると思われるふしが有る。いや、実際に彼女は本物の大公令嬢だから、厳密には演技ではないのだろうが、微妙なところだ。
「はい。では、どうぞこちらを」
「あら」
デカムがどこからか差し出したのは日傘だった。帝都の職人がレースを編み、一本一本特注して作られる代物で、アルフェ風に言うならば、この小さな日傘が金貨五枚はする。
この日傘を売り払った場合、その金で何日食いつなげるか。きっとそんな事を考えているに違いないのに、アルフェはにっこりと笑って、それを受け取った。
「お借りします。ありがとうございます」
「とんでもございません。お嬢様、お気を付けて行ってらっしゃいませ」
デカムがちらりと、アルフェの後ろに控えているフロイドに鋭い視線を向けたのは、漏れの無いようしっかり警護しろと釘を刺したかったからなのだろう。この男は相変わらず、フロイドだけには厳しい。
うんざりした表情で、フロイドはアルフェの前に立ち、玄関の大扉を開いた。
「今日は、この町を一回りしてみましょうか。この格好なら、怪しまれる事は無いでしょうし」
太陽の光の下に出ると、アルフェは言った。この町というのは、レニ川東岸の、バルトムンクの富裕層が集まる町だ。
以前にこの都市に滞在していた時、アルフェたちが主な行動範囲にしていたのは、西岸の冒険者街と、地下闘技場を始めとする施設がそろった、中州にある歓楽街だ。今回泊まっている宿がある、東岸の町にはほとんど足を踏み入れていなかった。
せっかく非の打ち所の無い御令嬢と護衛騎士に仮装したのだから、実利の面でもそれを活かすべきだ。アルフェはちゃっかりとしていて、散歩を装ってこの町周辺の知識を得るつもりのようである。
「あの時は雨ばかりでしたから、違った風景に見えますね」
川のほとりを歩きながら、アルフェは感慨深そうにつぶやいた。ほとりと言っても、水面はアルフェたちが立っている地面から、崖のずっと下にあるように見える。流れの音すらほとんど聞こえず、水の気配がほんのり伝わってくるだけだ。
借りた日傘を差して、ゆっくりとした歩調でアルフェは歩いている。彼女が履いている踵の高い靴は、これも宿が服と一緒に用意したものだ。
「確かに、ずっと雨でした、あの時は。空気も冷たかった」
フロイドはそう言いながら、対岸の町を眺めた。
前に彼らがバルトムンクに来た時は、賞金首や魔物を狩ったり、魔女ネレイアと、彼女の師の仇であるルサールカを倒したり、地下闘技場でパラディンと戦ったりした。
その時は、後ろで歩く男の事も、全く信用してはいなかった。少なくとも、こんな風に隙だらけの背中を見せて歩こうとは考えもしなかった。それらを思い出して、アルフェは言った。
「ネレイアさんは、無事に故郷に帰れたでしょうか」
「あの魔女の故郷は、確か東方のキルギスです。順当に風が吹けば、とっくに帰り着いているはずでしょうね」
「……帰れる場所があるのは、良い事です」
「酒が好きな女だったから、案外どこかで道草を食って、酔い潰れているかもしれない」
フロイドが冗談を言うと、背中越しに、アルフェが少し笑ったのが聞こえた。
「あれは……」
のんびりとした会話はすぐに終わった。十五分ほど歩いて見晴らしの良い公園まで来ると、都市を見下ろす高い場所に築かれた、要塞のような建物をアルフェは見上げた。
「あれが、ゲオ・バルトムンクの城……」
その声は低く、目は険しい。
ゲオ・バルトムンクはこの都市の領主だ。アルフェはその男と、これまで全く無関係だったという訳ではない。地下闘技場の賭け試合で、アルフェの対戦相手になったパラディンのロザリンデ・アイゼンシュタインは、その男が闘技者として選んだのだという。
アルフェと同じように城を見上げながら、フロイドは言った。
「元々、ここは城塞都市と呼ばれている。レニ川と川沿いの街道を塞ぐ、歴とした軍事拠点です。ハノーゼスやゼスラントなどの高地領邦に対する、帝都側の反乱抑止の役割も有る。多少厳ついのは、仕方が無いでしょうね」
「ふむ……」
確かに、白塗りの住居が建ち並ぶこの界隈で、分厚い灰色の石壁に囲まれたあの城だけが、奇妙に浮いている。
あそこに住むのはどんな男だろうと、アルフェは想像力を働かせた。パラディンを自分の闘技者として地下闘技場に送り込めるくらいだから、教会や神殿騎士団との繋がりが深いのだろうか。
――……マキアスさん。
神殿騎士の一人だったと判明したマキアスは、この町に居た。アルフェを探すためだけに……ではないと思う。ならば神殿騎士団は、この町で何をしていたのだろうか。
「ゲオ・バルトムンクは、もうかなりの老齢のはずです。それでも俺が十代の頃は、歴戦の勇士として名前が聞こえたものだが」
「……次に行きましょうか」
次にアルフェは、ある商店に寄った。金持ち連中を相手にしているだけあって、質も値段も高い商品が置いてある雑貨屋だった。
「この町には向こう岸から入って来たんだが……、柄の悪い連中が多かったな。何かあったのか?」
ここでは、フロイドが店主に話しかけた。「お嬢様の付き添いで都市に来たが、治安の悪さに辟易した護衛騎士」という装いで、彼はそれとなく、町に傭兵や冒険者たちが増えていた理由を質問した。
店主は向こう岸に家を持つ平民で、この店は間借りしているのだという。フロイドの問いに対し、店主は警戒する様子も無く答えた。
「それなんですけど、御領主様があの連中を集めているって話なんです。住んでる私たちも、連中にはちょっと迷惑しています」
アルフェが予想した通り、傭兵を町に留めているのは、先ほど見た城に住むゲオ・バルトムンクだった。
「外に危険な魔物でも出たのか?」
「別に、そういう事じゃ無いみたいですが。傭兵たちが路上で喧嘩するから、前より一層、夜道が危なくなりました。うちの娘にも、あんまり出歩くなって言ってあります」
「大変だな」
「ええ、傭兵はうちのお客にはなりませんし。騎士様も気を付けて下さい」
「ああ、そうするよ。……そうだ、これを貰えるか?」
「毎度ありがとうございます。またよろしくお願いします」
アルフェたちは商店から出ると、今度は川沿いの階段を降りた。崖の壁面に貼り付いたような階段をしばらく降りていくと、交易船や釣り船が係留されている河川港地区にたどり着く。似たような地区は、この川の両岸にあった。
幅が広く、底も深いレニ川を往還する船は、海に浮かべてある大型商船と同じくらい巨大なものある。そして交易船は、品物だけでなく、人も乗せる。旅人の乗船を受け付けている窓口で、アルフェはどんな船が、どんな頻度で行き交っているのかを質問した。
「い、一時期よりも帝都行きの船は増えています。おおお、お嬢様たちも、て帝都に行くなら船をお勧めしますよ」
窓口にいたのは珍しく若い女だった。窓口の娘はアルフェを前にして、全く緊張を隠せていない。
「お、お嬢様はどちらからおいでですか」
「ゼスラントの領地から参りました。観光です」
「あの、あの騎士様は、お嬢様の御家来ですか?」
「ええ」
「う、うああ、ほ、本物のお嬢様だ……」
娘は逆に、アルフェに質問を浴びせた。アルフェはすまし顔で、その質問に対する偽りの答えを返した。娘は顔を真っ赤にして、手をわたわたと動かしている。
「あの、あ、握手してもらえませんか?」
「え?」
娘の奇妙な要求にアルフェは戸惑ったが、それでも聞きたい事は聞けた。
帝都行きの船の本数が、明らかに増えている。積まれている物資は色々だが、食糧や武器の割合が多いという。この都市に寄らず、船で帝都まで下っていく傭兵も相当数いるようだ。
そして河川港での調査が終わると、その日の最後に、アルフェは冒険者組合の施設に向かった。
冒険者の町バルトムンクには、冒険者組合が所有し、依頼を受け付けている建物が四つある。こちら側の岸にある建物は、冒険者組合ですら落ち着いた外観を持っていた。中の雰囲気も、他の建物のような荒くれたちの酒場――という感じではない。
床は清潔な石のタイル張りで、内装にも金がかかっている。職員の対応も洗練されていた。冒険者の姿が一人も見あたらないところを見ると、どうやらここは、ほとんど都市の富裕層からの仕事依頼を受け付けるためだけの窓口のようだ。
「いらっしゃいませ、何かご依頼ですか?」
白手袋をはめた職員は、目の前にいる二人が、この都市で一時期騒がれた二つ名持ちの冒険者だとは思ってもいない様子だ。仕方が無い。例えその時にフロイドかアルフェを見た者がいても、同一人物だと判別するのは難しいだろう。そのくらい、服装も雰囲気も、二人はその時とは違っていた。
「ええと……、冒険者の方にお仕事を頼む場合は、どうしたらよろしいのでしょう?」
ここでもアルフェは、興味本位で冒険者に依頼しに来た世間知らずのお嬢様、という風を装ったが、実際彼女は、冒険者の仕事を引き受ける方はプロでも、仕事を依頼した経験は皆無だった。冒険者組合でどうやって仕事依頼が成立しているのか、その仕組みをそもそも知らない。
職員は、すらすらと必要な手続きを説明しはじめた。
「難しい手順はございません。まずは仕事の内容、期限を教えていただきます。その後に見積もりを行いますので、冒険者に対する報酬を、組合でお預かりいたします。後は適切な実力を持った冒険者が、その依頼を期限までに完遂いたしますので」
冒険者的視点から職員の話を聞いているアルフェは、かなりの宣伝文句が混じっていると思った。特に、「適切な実力を持った冒険者」という辺りが怪しい。
明らかに仕事内容に見合っていない冒険者は、依頼を引き受けようとしても受付の段階ではじかれるが、基本的には挑戦したい者が挑戦しろというのがこの都市の冒険者組合のスタンスのはずだ。もしも引き受けた者が仕事の最中に死んだ場合は、次の冒険者を送り込む。成功者が出るまで、それは繰り返されるのだ。
だがまあ、確かに依頼した方にしてみれば、その仕事を達成するために何人死んだかなど、知りたくも無い情報だろうが。
ものは試しと、アルフェは今まで自分が見た事のある、最も馬鹿げた依頼の内容を口にした。
「私、お部屋に魔獣の剥製を飾りたいのですが」
「はい、剥製ですね。どのような魔獣がよろしいですか?」
しかし、職員は笑顔で頷いた。ここで働く彼にとって、こういう事は日常茶飯事だという事なのだろうか。金持ち連中の闇を見た気がして、アルフェは心の中で少し引いた。
「え、と。出来るだけ大きな魔獣が良いのです」
「この辺りに生息する大きな魔物ですと、ワイバーンなどがおりますが、どうでしょうか。剥製としても見栄えが良いですしね。期間と報酬をこの程度見ていただければ――」
アルフェは職員が差し出したメモに目を落とし、目を険しくした。冒険者が受け取る額は、これよりもずっと少ないはずだ。その分の差額は組合が手数料として抜いているのか。それは仕方無いのかもしれないが、ちょっと抜きすぎな気がする。では、他の種類の依頼の元報酬はどのくらいなのだろう。
「じゃあ、こういう依頼だったら――」
「お嬢様」
「え?」
「目的を忘れないで下さい」
「……ん」
フロイドにたしなめられて、アルフェは本題を思い出した。彼女は職員に対する質問を変えた。
「こほん。……この仕事は、出来るだけ信頼できる、強い人にお願いしたいのですけれど」
アルフェがそう言うと、職員はすぐに彼女の言わんとするところを察した。
「はい、冒険者をご指名なさりたいのですね」
「そうです。どんな人がいらっしゃるのですか?」
「主立った者はこちらに」
職員はリストを見せた。相手の身元も確認せず、意外と簡単に見せるものだとアルフェは思った。ここの組合にとって、冒険者とはその程度の扱いなのだ。しかしとにかく、アルフェが見たかったのはそのリストだ。
冒険者の面子は、前にアルフェたちが居た頃とはほとんど入れ替わっているようである。その中にはいくつか、アルフェも他の町で耳にした事があるような、二つ名付きの冒険者の名前があった。
――……冒険者の数も増えている。
傭兵と同じく、冒険者の数が増えたというのも、単なるアルフェたちの印象という訳では無いようだ。
「……参考にさせていただきますね」
確認したい事が確認できたアルフェは、適当に話を切り上げて、冒険者組合を出た。
「誰かが、戦の準備でもしている……のか?」
「かも、しれません」
宿への帰り道、アルフェたちは今日の調査結果について話し合った。
特別に手強い魔物も出現していないのに、都市に増えた冒険者と傭兵。帝都に運ばれていく、大量の食糧と武器。半日かけて色々と聞いて廻った結果、二人の推測はそんなところに落ち着いた。つい先頃トリールとノイマルクの短い戦争が終着したばかりだというのに、この都市で見たものは、平時とは思えないものばかりだった。
「例の、選帝会議の噂のせいだろうか。確かに、皇帝を選ぶとなれば、もしもの用意をしておこうと考える奴らが出てくるのは自然だ。ここの領主も、そういう一人という事か」
「……かも、しれません」
「そして、テオドールという貴女の友人も、それに巻き込まれるかもしれないと、貴女は考えている」
「…………はい」
「分かりました」
一体、何を理解したというのか。フロイドの言葉の真意を、アルフェは尋ねなかった。
ただきっと、もしも仮に、万が一、アルフェが帝都に行きたいとわがままを言い出したら。後ろの男は、多分アルフェに付いて来るのだろう。例えばそこに、どんな危険が有ったとしても。主がそこに、行くというのならば。それが、この男が憧れる騎士という生き方なのだ。
アルフェには、それが何となく分かっていた。
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