相応しい服装、相応しい髪型、相応しい態度

第180話

 結界の外に人間が作った最大の都市。常に魔物と戦う、冒険者の聖地。アルフェたちにとって久しぶりの都市バルトムンクは、彼女らが以前に訪れた時と、若干様子が異なっていた。

 通りを行く冒険者の数が、前よりも明らかに多い。いや、冒険者ではなく傭兵なのかもしれない。どちらにしても、都市には武装した剣呑な雰囲気の男たちがひしめき、腰の鞘が触れ合いそうな距離を行き交っていた。


「フロイド、どう思いますか?」

「妙な空気です。前に来た時より、傭兵の数が明らかに多い」


 この町の異様な気配に対して、フロイドもアルフェと同じ感想を抱いていたようだ。それだけでなくフロイドは、増えているのは傭兵だと断言した。


「町の中に、戦場の空気がある。これは傭兵特有の空気です。冒険者の空気とは違う」

「ふむ……。しかし、トリールとノイマルクの戦争は終息したはずですが……」

「はい。それに……どちらにしても、この町に傭兵が集まるのはおかしい」


 フロイドが指摘したように、都市バルトムンクは、トリールやノイマルクからはかなり離れた位置にある。

 この都市は、レニ川という帝国で最も長大な河川が作りだした、巨大な渓谷の底に築かれている。レニ川の上流には、八大諸侯ハノーゼス伯領とゼスラント伯領をはじめとする高地地方の諸領邦が存在する。そしてレニ川の下流には、皇帝直轄領と帝都があった。

 それらの地域を目指すのならともかく、トリール・ノイマルク地方に赴くには、ここからだと山を越えるか、一度川を下り、帝都を経由して行く必要がある。だから、トリールかノイマルクに加勢して戦働きをしたいと思う傭兵は、別の場所に向かうはずである。なのに、この都市にこれだけの数の傭兵が集まるというのは、どこか違和感があった。

 アルフェたちが立ち話をしている間にも、傭兵と冒険者の群れは、道を活発に往来している。彼らの武器や糧食を積んだ馬車も居て、大通りがかなり手狭に感じる程だ。アルフェはその様子を眺めながら言った。


「……宿にイコを預けたら、要塞島に向かいましょう」


 都市バルトムンクは、レニ川の両岸に築かれており、川の中州に、要塞島と呼ばれる市場や歓楽施設の集合地がある。今回アルフェが会いに来た人間は、そこに暮らしている。

 アルフェがここを再び訪れたのは、要塞島に住む、情報屋組合の長である歴史学者ゲートルードに会い、前回は聞き出せなかった色々な話を聞くためである。


「悪いけど、部屋は一杯だよ」


 だが、泊まれるかどうかを尋ねたアルフェたちに、宿屋の主人はそういう言葉を返してきた。


「一杯?」


 アルフェは眉をひそめて聞き返した。すると主人は、当然だという風に頷いた。


「そう、一杯。外を見たろ、お嬢ちゃん。近頃、傭兵や冒険者の数が増えてね。どの部屋も満杯なのさ」


 主人は受付の奥の方をあごでしゃくって見せた。それに釣られて、アルフェが奥に目を向けると、部屋が満杯どころか、廊下の端にも毛布にくるまって寝ている者がいる。そう言えば、通りの軒下にも同じような男たちがいたと、アルフェは思い出した。浮浪者か何かだと思ったが、あれは宿にあぶれた傭兵だったのか。


「では、他の宿は……?」

「ここ一、二ヶ月は、どこもうちと同じようなもんだと思うよ。空き家ですら全部、大きい所帯の傭兵団に借りられちまってるくらいだから」

「それは……」


 少し困った事になった。

 ゲートルードが留守で無く、すんなり会うことが出来ればまだ良いが、それでも今日の内に町を出る事は無理だろう。

 では、今日寝る場所をどうやって確保したら良いのか。うつむき加減になったアルフェは、自分のあごに指を添え、沈思した。


「ああ、言っとくけど、市壁の外にテントを張るのは禁止されてるからな。ここは結界の外だから、その辺の決まりには厳しいんだ。衛兵にどやされて、牢にぶち込まれても知らないぞ?」


 アルフェが市壁の外で野営しようと考えたのを察したのか、主人はそう言った。アルフェは小さく舌打ちをし、ならばその辺りの宿にあぶれた傭兵たちに習って、大通りの石畳の上で寝るしか無いだろうと思った。


「それは止めてください」


 すると、間髪入れず、フロイドがアルフェを止めた。アルフェは若干、眉をひそめた。


「私はまだ、何も言っていません」

「言わなくても分かる。その辺の道で野宿でもすれば良いと考えたでしょう」

「…………違います」

「やはりか」


 フロイドは呆れた声を出した。宿の主人も、うんうんと頷いている。


「お嬢ちゃん、あんたは知らないだろうけど、このバルトムンクの町は危ない奴らばっかりなんだ。お嬢ちゃんみたいな綺麗な娘が外で寝てたら、あっという間に玩具にされちまう」

「その場合、玩具になるのはどっちか分からんが……。俺も、そういう真似は出来るだけ慎んで欲しいと思いますね。悪目立ちするのは嫌なんでしょう」


 フロイドは余計な事を付け足しつつ、宿の主人の警告に同意した。

 なら、お前はどうしろと言うのだ。代わりの良い案はあるのかと、アルフェは腕を組んで頬を膨らませている。それを半ば無視して、フロイドは宿の主人に尋ねた。


「親父、対岸の宿はどうだ?」

「対岸……? ああ、まあ、あそこなら空いてると思うけどねぇ」

「分かった」


 男二人が対岸と言ったのは、橋を通って、レニ川を渡った先にある町の事だ。

 その町もバルトムンクの一部である事は間違い無いのだが、川を境にして、この町の様子は大きく変わる。今、アルフェたちがいる方は、まさに冒険者の町と言うべき殺伐とした風情だが、向こう岸に住んでいるのは、城主ゲオ・バルトムンクを始めとする、都市の富裕層たちだった。


「分かったって……、あんたら、あそこの宿代が払えるのか? 一泊いくらすると思ってるんだ。一番古い宿の、一番狭い部屋でも金貨一枚だぞ」


 そちら側の町にも、宿泊施設はある。だが、当然宿代は、このような冒険者向けの安宿とは比較にならない。少なくとも、平民や一般的な冒険者に払える額ではない。宿の主人が心配するのは、当然の事だった。


「それは気にしなくていい」


 何でもないような顔で答えたフロイドの後ろで、それをこそ気にするべきだとアルフェが憤慨している。しかし、天下の往来で野宿したくなければ、他に選択肢は無さそうだった。


「たまの贅沢くらいは良いでしょう。別に、金に困っている訳では無いんですから」


 イコのくつわを取って歩きながら、フロイドが言った。もう対岸の宿に部屋を取る事に決め、そちらに向かうために石橋を渡っている最中だというのに、アルフェの怒りはまだ持続していた。


「良くありません。今は困っていなくても、お金はいつも有るとは限らないのです」

「それはまあ、確かに。同意します。だが、野宿と多少の金を使う方なら、普通は金を使う方を選ぶと思う」

「たしょう? 多少と言いましたか?」


 臣下の軽率な発言に、アルフェは目をむいた。


「フロイド、金貨一枚は多少とは言いません。金貨一枚ですよ? 金貨一枚を稼ぐためには、薬草なら籠に百杯は摘まないといけないのです」

「なぜ、薬草で例える……? 前から思っていたんだが、どうして貴女はそんなに金に拘るんだ。貴女の生まれなら、金に不自由した事は無いだろうに」


 今のフロイドの発言は、アルフェがラトリアの公女であったという、彼女の過去の核心に触れる知識を前提とした疑問だった。だが、その発言自体に対しては、アルフェは怒りも動揺も見せなかった。


「城を出てすぐの私は、少し世間知らずでした。それは認めます」


 それどころか、アルフェは普通の調子で、そんな事を言った。


「お金というものも、城から出た時に初めて目にしましたし」

「それは……筋金入りだな。深窓の令嬢という奴ですか」

「買い物という行為も、自分でした経験は有りませんでした」

「大公の娘となるとそんなものなのか……? いや、待てよ。俺が仕えていたハノーゼス伯の親類にも若い娘は居たが、それなりに常識は有った」

「まるで、人に常識が無いかのような言い方は止めなさい」


 他に人の見当たらない橋の中央で、誰にも聞かれる心配が無いとはいえ、二人は普通にお互いの過去の事を、警戒する様子も無く相手に語っている。


「とにかく、私は城を出てからの生活で初めて、お金の大切さを、骨身に染みる程に理解したのです」

「ご苦労なさったという訳だ」

「その通りです。そこで得た感覚からすると、フロイドのお金に対する無頓着さは許せません」

「はいはい」

「一泊に金貨一枚なんて……」


 アルフェはそれからもしばらく、ぶちぶちと愚痴を言った。

 荷車を引く黒馬のイコを間に挟み、二人は並んで歩いている。イコはたまにフロイドの頭の臭いを嗅いだりしながら、かっぽかっぽと蹄を鳴らしていた。

 対岸の町は、冒険者街よりも幾らかこぢんまりとしていたが、この荒くれた都市にこんな一角が存在したのかと思うほど、瀟洒な建物が建ち並んでいた。さもありなん、バルトムンクは冒険者の町であると同時に、レニ川を利用した河川交易の要衝でもある。金を持っている住人は持っているのだ。


「申し訳ありません、お客様。失礼ですが、ご予約を確認させていただいてもよろしいでしょうか」

「予約?」


 そこでフロイドが適当に見つけた宿屋は、対岸にある宿の中でも一、二を争う格式を持っていた。目立たない地味な外観の建物だったのでフロイドは誤解したが、言い換えればそれは、目立つのを嫌う金持ちのための、一見お断りの宿だった。


「予約だって?」

「はい」


 だから当然、宿泊には事前の予約が求められる。さもなくば、予約が不要な程の常連であるか。フロイドが足を踏み入れた途端に、姿勢の良い宿の従業員は、フロイドの前につかつかと歩み寄ってきて、予約はしたのかと聞いてきた。

 しているはずがない。従業員も、それはよく分かっている。従業員の前に居るのは、どこからどう見ても柄の悪い、品の無い埃まみれの剣士だ。従業員が即座に衛兵を呼んで、剣士をつまみ出そうとしなかったのは、剣士が血迷って暴れ、他の客に被害が及ぶのを危惧したためであった。


「失礼ですが、道をお間違えになったのでは無いでしょうか」


 しかし宿の誇りに賭けて、貴様が暴れるようならば、実力行使でたたき出す。そうなる前に、さっさと出て行け。言葉の丁寧さとは裏腹に、従業員の目がそう語っている。フロイドのような戦士では無いが、従業員もその道のプロだった。その目には、ある種の威圧感が存在した。


「予約は無いが、泊めてもらいたいんだ」

「宿ならば、向こう岸にもございます」


 お前が相応しいのはそっちだ。薄汚れた冒険者や傭兵と一緒に、大人しく安宿で寝ていろ。


「向こうはもう一杯だった」

「生憎、当方もご予約で一杯でして」


 少なくとも、お前を泊める部屋は無い。


「金は払う」

「そういう問題ではありません」


 問答をしている二人の近くには、いつの間にか宿専属の衛兵が寄ってきている。フロイドなら一瞬で切り払える相手だが、流石にここは領主の法が支配する都市の中だ。そんな事をすれば、逮捕投獄されるのはフロイドで間違い無い。


「何をしているのですか、フロイド」

「うッ!?」


 と、そこにアルフェが顔を出した。彼女は外で、フロイドが宿側との交渉を終えるのを、イコと共に待っていた。だが、臣下が中々戻ってこないので、しびれを切らして入ってきたのだ。

 アルフェが現れた瞬間、従業員の口から奇妙な驚きの声が漏れた。


「部屋一つ取るのに、どれだけ時間をかけているのです」

「いや、俺じゃ無く、この従業員が――」

「いらっしゃいませ、お嬢様」


 この従業員が頑固だからいけないのだ。言い訳をしようとしたフロイドを遮って、従業員は深々と、アルフェに向かって辞儀をした。


「本日は、お泊まりでございますか?」


 従業員の態度は一変していた。フロイドは口をあんぐりと開けて、彼を見ている。

 ここまでのやり取りを承知していないアルフェは、従業員の問いかけに自然な調子で答えた。


「はい。部屋は空いていますか?」

「もちろんでございます、お嬢様。当方でも最も景色の良いお部屋を、すぐにご用意できます」


 このへりくだりようは何なのか。フロイドは口を開けたままだが、つまり筋金入りのプロである従業員の眼力は、アルフェを一目見ただけで、彼女が非常に高貴な身分の令嬢であると判断したのだ。この品の無い剣士は、彼女には相応しくないが、令嬢の護衛なのだろうと。


「そうですか。では、それでお願いします。フロイド、行きますよ。……フロイド?」


 こんな簡単な交渉も満足に出来なかったのかと、アルフェはフロイドに厳しい視線を向けたが、当のフロイドはまだ固まっていた。

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