第161話

 ヨハンにメモを渡されたその日のうちに、アルフェは港町パッサウを出発した。

 単に何かの素材を収集する仕事というのは、久しくやっていなかった。今回は自分の身につける防具の材料集めで、冒険者組合に依頼された仕事とは違うけれども、それでも何となく懐かしさを感じる。

 そもそも、アルフェの冒険者としての初仕事は、シムの花という薬草を摘んで集める事だった。あの時のアルフェは、ゴブリンとすらまともに戦えず、襲われて、尻尾を巻いて命からがら森から逃げ帰ってきたのだ。

 そしてその直後に、アルフェはコンラッドと出会った。


「付与術というのは、色々な触媒が必要なのですね……」


 アルフェはヨハンのメモを見ながら、荷車を引いている黒馬のイコに話しかけた。アルフェは徒歩で、イコの横に立って手綱を握っている。馬である彼には、当然返事が出来ない。イコはつぶらな瞳を、アルフェに向けているだけだ。

 付与術は、武具などに魔術を刻み込み、特別な力を与える魔術だ。錬金術や変性術の体系と近い要素があるらしい。一時的ではなく半永久的に力を付与するためには、武具の場合は素材になっている金属などに術式を刻み付けて、魔力を持った触媒を利用し、様々な加工を行う必要がある。

 魔術のかかった武具が、簡単な品でも、非常に高価になる理由だ。


「ん……」


 アルフェは急に立ち止まって、パッサウの方角を振り向いた。自分がうっかりしていた事に気が付いたのだ。完成した品をいくらで引き渡してもらうのか、それをヨハンと交渉するのを忘れていた。アルフェは、片手で己の頬をつねった。

 盗品であるトリール伯の懐剣を、ヨハンに代金の代わりに引き渡すのは、流石にはばかられる話だ。材料の調達は自分で行うのだから、その分は割引してもらって、残りは今ある資金で何とかするしかないだろう。そこまで考えてから、アルフェはイコの馬体を撫でて、前を向いた。

 都市パッサウから東にずっと行くと、結界の切れ目がある。そこからさらに東に向かうと、トリール伯領を中心とする帝国中部の領邦に達するが、そこに至るまでの平原や、海沿いの崖上に広がる林には、各種の魔物が出現する。

 そして今回のアルフェは、その崖上の林を目指していた。

 狙う獲物は、グリーブの地金の材料になる鉱石と、胸当てなどに使う革、それらが採れそうな魔物だ。後は付与術の触媒に使う、魔力を含んだ植物類をいくつか。

 イコから荷車を外して、その場所に野営地を作ると、アルフェはイコと一緒に魔物を探した。無論、離れ離れになって、イコが魔物に襲われるのを防ぐためだ。イコはアルフェと行動を重ねた結果、最近はあまり魔物に怯えなくなってきた。賢い馬なので、本当に逃げなければならない時は逃げると思うが、一応だ。


 ――……いた。


 しばらく探索すると、アルフェは目当ての獲物の一つを見つけた。

 アルフェの身長くらいの小さなエレメンタルだが、色が珍しい。ありふれたアイアンエレメンタルのような錆っぽい黒ではなく、ほんのりと青味がかっている。アルフェがぽんぽんと首を叩くと、イコはいななきを押さえ、その場に待機する姿勢をとった。

 アルフェは一見無造作な感じで、敵に近寄っていく。ただ歩いているように見えるのに、その速度は異様に速い。エレメンタルが、背後に迫る気配に気が付いた。そして振り向こうとする前に、腰に当たる部分にアルフェが両腕を回した。


「――ふッ!」


 自分から背後に倒れこむような形で、アルフェはエレメンタルを持ち上げ、脳天から地面の岩に叩きつけた。

 魔物が頭から垂直に地面に突き立っている。それでも抵抗を試みようと、エレメンタルがピクリと身体を動かした瞬間、既に起き上がっていたアルフェが、力任せにその四肢をもいでいった。

 一瞬の出来事だ。それだけで、物言わぬ塊になった、ただの鉱石が出来上がった。手軽に貴重な素材を手に入れているように見えるが、これをやれる人間は多くない。今のエレメンタルも、並みの冒険者の数人なら返り討ちにできる、手強い魔物だ。

 アルフェはイコに括り付けた自身の背嚢に、手早く青い鉱石を放り込んでいく。イコは少し重たがったように、ぶるりと馬体を震わせた。


「次は……」


 アルフェは息を乱した様子もなく、ヨハンのリストにある、この近辺で採れる植物を探し始めた。

 植物図鑑の類は、これまでの旅の途中で、既に何度も嘗め回すように読み込んだ。どういう場所で何が採取できるかは、概ね暗記している。アルフェは木の根元や大岩の陰を探し、淀みなく目標物を集めていく。

 魔物がいれば素早く倒し、アルフェは二時間もしないうちに、リストにある植物の八割方を採取し終えてしまった。

 駆け出しの頃とは、比較にならない手際の良さだ。これも一種の成長というのだろうか。町では色々と悩んでいた様子のアルフェだったが、ここに来て魔物を仕留める彼女の技には、一片の躊躇も見られない。結界の外に出た瞬間、アルフェの思考は仕事用に完全に切り替わっている。


 ――あれは……?


 木に登り、樹上にしか生えない苔の採取を行っていると、アルフェは林の奥に、大きな物体が動く影を見つけた。

 息を殺し気配をうかがうと、肌にひりつくような感覚が伝わってくる。この気配は、恐らく間違いない。あれはこの一帯に大きな縄張りを持つ、主の様な強力な魔物だ。

 アルフェと魔物の距離は二里ほど離れている。近寄らなければ、見つかる心配は無いだろう。現にその魔物は、アルフェに敵意を向けていない。

 しかしアルフェは、ふわりと地面に降り立つと、風下から回り込むように、その魔物がいる方角に向かって歩き始めた。



 首のやや長い亜竜が地面に降りて、翼の先にある手で、四つん這いになるような姿勢になり、巨大な魚の肉をがつがつと喰らっている。

 亜竜、すなわちワイバーンの一種とみられるが、まれに南の山の方で飛んでいるのとは、若干翼の形や皮膚の模様が異なる個体だった。その眼球は紫の宝石のように輝いていて、遠目からでは、どこが瞳でどこがそれ以外なのか判然としない。獲物に喰らい付く口からは、鋭い牙と赤く細長い舌が見えていた。


 亜竜とは言え、通常、竜種の討伐は、単独では決して行わない。数十人単位の冒険者や傭兵が、計画的に罠に追い込み、狩猟する。それでも相当の被害を覚悟しなければならないような種族が、竜種である。単騎で挑むのは無謀と言えた。

 だがアルフェはこの機会に、一人で亜竜を倒してみるつもりだった。この亜竜は当然のことながら、かつてコンラッドが打倒した伝説の竜には遠く及ばない。しかし、だからこそ、この程度の相手に尻込みをしているようでは、何もならない。

 アルフェがイコの鼻面を撫でると、その気持ちを読み取ったように、彼は彼女の目の届く後方に離れた。


 丁度そのタイミングで、亜竜は外敵の接近を察知したようだ。食事を中断し、首を長くして周囲を伺い始めた。亜竜の背中から尾にかけては、波打った刃のような突起が生えている。亜竜は尾を地面に打ち付け、太い鈴のような独特の鳴き声で、見えない敵を威嚇し始めた。

 しかし敵は、上手く気配を殺し、姿を隠している。亜竜はより首を高く伸ばし、遠くを眺めようとした。

 と、その時、亜竜の頭上からアルフェの体が降ってきた。地上から近づき、空に退避されては面倒になる。アルフェは木の上によじ登り、そこから更に高く跳ね、上からの奇襲を仕掛けたのだ。

 アルフェは両腕を、しゅるりと亜竜の首に巻き付けた。そして速効で敵の息を止めようと、渾身の力を腕に込める。


「――くッ!」


 アルフェの口から、憎らしげな呻きが漏れた。

 亜竜は竜というだけあって、その鱗は下手な金属よりも堅く、皮はしなやかな強靭さを持っている。絞めることはできているが、即座にのどを潰し、呼吸を塞ぐまでには至らない。

 そして当然、奇襲を受けた亜竜は滅茶苦茶に暴れ始めた。耳をつんざく咆哮が響き、林の中の鳥や虫たちが一斉に逃げ去る。アルフェの巻き付いた首を、亜竜は幹が折れる勢いで、近場の木に叩きつけた。

 木は凄まじい音を立てながら、他の数本を巻き込みつつ倒れていく。木片が散乱し、アルフェの顔や髪にもまとわりついた。


 アルフェに動じた様子は無い。苦痛は感じているだろうが、この程度なら、もはや彼女は慣れたものだ。奥歯を噛み締め、敵の首に巻き付けた、己の右腕の手首を左手でつかみ、ぎりぎりと絞っていく。

 亜竜はその間も、アルフェを振り落とそうと必死にもがいた。その巻き添えを食らい、更に数本の木が無残な姿をさらす。

 しかし、彼の首に取りついた少女は、それくらいでは振り落とせない。しかも首に巻き付いた腕は、確実に鱗に食い込んでいく。すると、亜竜は次の行動に出た。


「――ッ!?」


 手ごたえを感じていたアルフェは、突然ふわりと身体が持ち上がり、景色が下方に置き去られていくのを感じた。亜竜が羽ばたき、アルフェごと空に舞い上がっていく。

 二つ羽ばたいただけで、亜竜は木の高さを追い越し、十秒後には、今までいた林の全容が見える程の上空に居た。そして林が途切れた先に広がっているのは、アルフェが夜の港で見たものとは違う、輝く碧玉のような海原だった。

 その美しい海に感動を覚えるより先に、アルフェは嫌な予感に心を捕らわれた。高度を上げた亜竜は羽ばたきを変え、海の方向に進路を転じたのだ。

 さっきこの亜竜は、崖上の林の中にも関わらず、大きな魚を食料にしていた。

 つまりそれが意味するところは――


「――このッ!」


 亜竜と共に海中に沈む、自分の姿を想像し、アルフェはこの戦闘で初めて焦りを覚えた。彼女はあまり泳ぎが得手ではない。海中に引き込まれたら、溺れ死ぬか、敵に嬲り殺されるしかなくなる。

 速度が上がり、感じる風がより強くなる。細かい判断をしている猶予は無かった。

 脚の力なら、もっと早く窒息させられるかもしれない。アルフェは腕だけでなく、両脚も敵の首に巻き付け、足首を交差するように絞め上げた。だが、間に合いそうにない。


 ――なら!


 アルフェの体内で、凄まじい勢いで魔力が循環する。彼女の碧い瞳の中に、一点だけ血のような赤色が宿った。

 体内魔力を特殊に操作することによって、アルフェは自分の体重を見かけの何倍にも増幅させていく。この技の初めての実戦使用がこのような場面になるとは、彼女自身も考えていなかった。

 首元に突如出現した鉄塊の様な重みは、ただでさえ呼吸を阻害されて雑になっていた亜竜の飛行を、更に乱す事になった。

 そして、失速した亜竜は、海面ではなく、その手前にある崖の淵めがけて墜落した。

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