第162話
亜竜と共に地面に激突し、その勢いのまま危うく崖下に放り出されるところで、アルフェは崖から横に伸びた木につかまって停止した。はるか下に見える海面に、大小の石や土くれがばらばらと落ちていく。
「……ふう」
そうやって息をついたのも束の間、アルフェは表情を引き締め、木をしならせて反動をつけ、崖の上に戻った。
亜竜は既に体勢を立て直していた。アルフェに対する怒りをあらわにして、細長い尾を周囲の木や岩に叩きつけている。墜落の衝撃は亜竜にもある程度の損傷を与えたようだが、戦闘に支障をきたすほどではなさそうだ。
アルフェは、今度は正攻法で行く事を決め、亜竜と向かい合って拳を構えた。
亜竜は警戒しているのか、威嚇音を発しながらアルフェの周りを回るように動き出す。
「――!」
そして亜竜は、己の尻尾を鞭のようにして、アルフェの胴めがけて横に薙いできた。
「ふん!」
大木を薙ぎ倒す竜の尾撃だ。並みの人間ならひとたまりも無いところだが、アルフェの防御を完全に貫く事はできない。服を裂き、多少は鱗が肉に食い込んだものの、アルフェは亜竜の尾を、脇に抱えるように受け止めてしまった。
それどころか、衝撃で体が飛ばされるような事もなく、アルフェの足はその場の地面にめり込んで、根が生えたように動かなかった。
「ぐうううううう!」
次に始まったのは、人間の少女と亜竜の壮絶な綱引きだ。アルフェは捕まえた尻尾を持ち上げて、相手の本体を投げ飛ばそうとしている。亜竜は亜竜で、四つん這いになって地面に深く爪を立て、アルフェの引く力に精一杯抵抗していた。
「ふぬううううう!」
アルフェが歯を食いしばると、亜竜が痛々しい声を上げる。一体どんな握力をしているのか、アルフェの細い指は、亜竜の鱗を貫いて表皮に食い込んだ。
アルフェの引く力が、徐々に相手に勝り始めた。亜竜は耐えることに全力を注いでいる。もう少しでいけるとアルフェが感じた時、場に異変が起こった。
「え――!?」
山羊の頭と狒々の手を持つ大型の魔獣が、綱引きをするアルフェと亜竜の横合いから、突如として割り込んできた。亜竜が滅茶苦茶に飛行したせいで、アルフェはいつの間にか、この魔獣の縄張りに侵入してしまったらしい。
新たに出現した魔獣は、縦に割れた瞳孔を真っ赤に怒らせて、山羊のようにしか聞こえない鳴き声で威嚇を始めた。もとより亜竜の方も、アルフェに対して甲高い咆哮を上げ続けている。
「うるさい!!」
アルフェもまた、魔物たちに負けない大音声を上げ、その両手に一層の力を込めた。やがて亜竜の意思とは反対に、その足は地面から浮き上がった。
「ぬあああああ!」
アルフェは、自身の何倍もの体長を持つ亜竜を、まるで背負い投げるようにして、山羊頭の魔獣めがけて投げつけた。二頭の怪物が木々を巻き込んで吹き飛んだ事で、竜の咆哮と山羊の鳴き声に加えて、木の折れる音が交じり合い、よりけたたましい騒音が周囲に響く。
一見、腹立ちまぎれに行った行動に見えたが、アルフェはもちろん緻密な計算の上で、亜竜を魔獣に投げつけたのだ。これで二種類の魔物が相争えば、残った方を始末して、自分はさほど労せずして戦利品を手に入れることが可能だという、非常に合理的な――
「――え?」
合理的な計画のはずだったのだが、起き上がった亜竜と山羊頭の魔獣は、アルフェの思惑からは外れた行動をとった。二頭は互いに争おうとはせず、並んで共通の敵をにらみつけている。その敵が誰かとは、もちろん言うまでもない。
「………………?」
どうしてこうなるのか。アルフェは腕を組んで訝しんでいるが、三つ巴の乱戦になった場合、最も強力な一人を残る二人が協力して打倒しようと考えるのは、人間世界でもよくある事ではないだろうか。
とにかくそういう訳で、亜竜と魔獣はアルフェという強敵を倒すため、異種間での共闘を選んだのだ。
「きゃあ!」
前足に鋭い爪をむき出して飛びかかって来た山羊頭の攻撃を、アルフェは横っ飛びに交わした。彼女の着地点を狙って叩きつけられてきた亜竜の尾撃を、今度は転がって避ける。即席のコンビとは思えぬほど、魔物たちの連携は取れていた。
山羊頭がアルフェを角で貫こうとすると、亜竜は低く飛んで、空から山羊頭を援護する。この連続攻撃に、アルフェはしばし防戦一方になった。
だが、それもあくまで「しばし」である。
「いつまで、調子に――!」
何度目かに打ちかかって来た山羊頭の角を、アルフェが両手で抑え込んだ。転がりまわって攻撃を避けていた彼女の全身は、既に土と砂で汚れ切っている。
頭を固定された山羊頭を、亜竜が尾撃で救い出そうとする。アルフェは右脚を高く上げて、足の裏でその一撃を止めた。グリーブが無いため代わりに履いていた革の靴が、見るも無残にはじけ飛ぶ。
「ふんッ!」
気合と共に、アルフェは角をつかんだ腕を勢い良くひねった。首があらぬ方向にねじれ、山羊頭が断末魔の声を上げる。
それを見て、慌てて退避しようとした亜竜の尾の先を、アルフェは改めて掴み直した。
◇
「…………」
散々に地面に叩き付けられた亜竜が、口からだらりと赤い舌を垂らして死んでいる。アルフェはそれを見下ろすように立ち、さらに彼女の背後では、首を折られた山羊頭の魔獣が息絶えていた。
一対二の戦いに勝利したアルフェは、しばらく無表情で二つの死骸を眺めた後――
「…………――あはっ」
何かをやり遂げたように、晴れやかに、嬉しそうに笑った。
「――ッ!?」
そしてすぐ、死骸の前で笑みを浮かべた自分に気付いて、アルフェはぶんぶんと、首を激しく横に振るう。自分は決して戦いを喜んでいないと、己の心に言い訳をするように。
少なくとも、必要だから戦い、やむを得ないから殺しているだけだ。なのにこれでは、まるで殺す事そのものを楽しんでいるように見えてしまう。違う、自分はそんな事を思っていないと唱えながら、アルフェは両手で己の顔を覆った。
「イコ……」
どれくらいそうしていただろうか。アルフェは己の首筋に、ふんふんと温かい息がかかるのを感じた。遠巻きから戦闘を眺めていたイコが、安全を悟って彼女に近寄り、鼻面をこすりつけてきたのだ。
なぜか慰められたような気がして、アルフェはイコの顔に頬を寄せた。イコは満足そうに、小さくいなないている。
「……私は、大丈夫です。あなたは、怪我はありませんか?」
イコは一際大きく鳴いた。アルフェは頷き、言葉を続けた。
「帰るまでがお仕事です。まだ、気を抜いてはいけません。もうちょっと待っていてくださいね」
イコの顔を両手で挟み込んで、そのつぶらな黒い瞳を見つめながら、アルフェは言った。イコは返事をするように、再びいなないた。
アルフェは改めて、二つの小山の様な死骸を眺めた。
斃した魔物の死骸は、せめて無駄にするべきではないだろう。当初の予定通り、素材として持ち帰れる部分は持ち帰る。亜竜の鱗と皮を剥ぐのは大変そうだが、今のアルフェはトリール伯の懐剣を持っている。戦闘に使用するつもりは無いものの、こんな時には役立つだろう。鱗と皮の他に、宝石のような瞳も役立つはずだ。血もいくらかは持って帰りたい。山羊頭の方はどうしようか。この魔獣の角と毛皮まで剥いだら、荷車には乗り切らない量になる。しかし、持って運べる分は運ぼう。
腰に差した鞘から懐剣を引き抜くと、イコをその場に待たせて、アルフェは魔物の解体を始めた。
◇
「あ、お帰りアルフェちゃん――って! 何それ、その格好!?」
港町パッサウの冒険者組合まで帰ってくると、受付のイルゼはまず、ボロボロになったアルフェの衣服を見咎めた。
「うわわわ……な、何があったの……?」
所々大きく破れて、下着の一部や肌が露出している。片方の靴は完全に粉砕したので、アルフェは裸足にならないように、そこに破った上着の袖を巻き付けていた。
大人の男の冒険者がそんな格好をしていても、イルゼは取り乱さなかっただろう。だが、うら若い娘のアルフェが、そのような姿で急に現れたものだから、彼女はすっかり泡を食ってしまった。
「フロイドは戻っていますか?」
「ええ、ここに」
イルゼの反応を無視してアルフェが尋ねると、既に帰還していたフロイドが、奥から出てきた。
「そちらの首尾は?」
「言われた物は、全て。ヨハンに預けてある」
流石にフロイドは慣れている。惨憺たるアルフェのありさまを見ても、彼は当たり前のように受け答えした。
しかりイルゼはそうはいかない。
「そ、そんな、アルフェちゃん」
「イルゼ、着替えを用意してくれないか」
「え、お、お兄さん、そんな落ち着いてる場合じゃ」
「問題ないさ」
何が何だかよく分からないまま、イルゼは服を取って来るため、ほうぼうにぶつかる勢いで、慌てて二階に上がっていった。
アルフェと二人きりになると、フロイドはため息をついた。
「……あまり、良くないと思う」
「何がですか?」
「その格好が、ですよ。……わざわざあの娘を驚かせて、何がしたい?」
「わざわざ?」
何を言っているのか分からないという表情をしたアルフェを見て、フロイドは怒ったように顔をしかめた。自然と、語気も強くなる。
「そんな姿をこれ見よがしに晒して、嫌われたかったのか? わざわざ、あの娘に」
フロイドは、イルゼが去った方向をチラリと見た。
「そういうのは、止めた方がいい。乱暴で無神経な振りも、他人を思いやれない振りも、無闇に自分を傷付けようとするのも。……あの娘ではなく、貴女のために。自暴自棄になって、得るものは無い」
「…………は?」
わざと嫌われるなど、自分にそういうつもりは無い。なのにどうして、自分の事を理解しているかのように、お前がそんな事を言うのか。そもそも何の義理があって、お前にそういう余計な事を言われなければならないのか。
苛立ちを覚えたアルフェがフロイドをにらみつけると、フロイドもまた、ひるまずに強い視線で、アルフェを見下ろしてきた。
「そんな目をしても無駄だ。主を諫めるのは俺の――貴女の臣下である俺の役目だ。そうだろう? ベレンとルゾルフの事を忘れたのか。主が破滅に突き進むのを見過ごせば、不幸な結末を招くだけだ。貴女の臣下として、それは出来ない」
「…………」
フロイドが言葉を重ねるたび、アルフェの苛立ちは募った。
どうしてこの男は怒っているのか。一体何を怒っているのか。そして、どうして自分も、この男の言葉に苛立つのだろう。
――臣下臣下と言うが、何時からお前は私の臣下になったのか。お前はただ、私に金で雇われているだけの同行人に過ぎないのに。勝手な事を言うなと思い、アルフェは拳を握りしめた。
「わ――」
「あったよ! これ! 私のお古だけど着られるかな!?」
しかし、アルフェが大声を出そうと口を開いた瞬間、イルゼがどたばたと、階段から転がり落ちるような勢いで戻って来た。
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