第160話

「おはよう! じゃあ、今日も元気にお仕事しましょうか」

「元気だな、朝っぱらから」

「この町の人間は早起きが自慢なのよ」


 次の日の朝食も、イルゼがアルフェたちのために用意してくれた。組合は今日も閑散としている。朝食と呼ぶには多過ぎる皿を、イルゼは次々と並べていく。


「……ごちそうさまでした」

「え? もういいの?」


 アルフェが早々に食事を終えたので、イルゼが驚いた声を出した。昨晩の食べっぷりを見て、アルフェのために用意したのにと、残された料理を見て残念がっている。


「失礼します」

「あれ、アルフェちゃん」


 アルフェは席を立った。その後ろから、イルゼが声をかける。


「いいさ、放っておけ」

「じゃあ、残りはお兄さんが食べてね」

「俺が? この量をか? 馬でも食い切れんぞ」

「もったいないじゃん。ほら、食べて食べて」

「おい、勝手に盛るな!」


 そんなやり取りをしているフロイドとイルゼを残し、アルフェは表に出た。

 今日は曇っている。明るくなったからもう一度海を見ようとは、アルフェは考えなかった。またあんな幻覚を見たのでは、たまらないからだ。それより、昨日イルゼが言っていた、彼女の幼馴染の鍛冶屋でも覗いてみようと、アルフェは冒険者組合の隣にある建物に入った。

 建物の内部は、床も壁も石造りだ。そしてそこには、青年が一人いた。青年は鍛冶屋が良く使う生地の厚いエプロンを着て、炉の前に座っている。これがイルゼの幼馴染だというヨハンだろうか。


「――あ、いらっしゃい」


 青年は炉の炎の様子をじっと眺めていたが、やがてアルフェに気が付いた。


「え……と、お客さん、かな?」


 青年は戸惑っている。アルフェの外見は、どうしてもこういう場所にそぐわない。この反応は仕方ないだろう。


「隣の、イルゼさんの紹介で来ました。ヨハンさんですね」

「あ、ああ、イルゼね。うん、僕がヨハンだよ」


 柔らかい感じの口調、幼く見える線の細い顔立ちだが、腕の筋肉は鍛冶屋らしく盛り上がっていて、それがどこかアンバランスに感じられる。それがヨハンという青年だった。


「防具を見せてもらいたいのですが」

「……? 誰が使う防具? お父さん?」

「私です」


 今日のアルフェは取り繕うのも億劫だったか、誤魔化さずに言った。


「君が? ああ、君は冒険者なんだね」


 青年はやはり驚いたようだったが、その後の反応が今までの人間と違った。彼は少しアルフェの体を眺めまわすと、納得したように頷き、アルフェを中に招き入れた。


「どうぞ、そんな入り口に居ないで。……でも、君に合った物があるかなぁ」


 その言葉はアルフェを侮って言ったのではなく、防具の方がアルフェに見合うかどうか不安だという響きが込められていた。


「すぐに気付かなくてごめん。最近、全然お客さんが来ないから、炉の火を落とさないようにするくらいしか、やる事が無くって。トリールの戦争も終わったっていうし、じきに皆戻ってくると思うんだけど」


 ヨハンはイルゼと似たような事を言うと、鍛冶場の奥に引っ込んだ。そして戻ってきた時には、その両手にいくつかの防具を抱えていた。


「まず、君の体格に合うもの少なくて……。この辺はどうかな」


 アルフェがヨハンに求めたのは、胸当てと、ブレーサーと、グリーブの三種類だ。防御力を底上げし、なおかつ動きを妨げない程度の装備というと、やはりそのくらいになる。

 大きさは全く問題なかった。質も、エアハルトなどで見てきた物より良いくらいだ。

 ただ――


「やっぱり、普通の防具じゃだめそうだね」


 無言のアルフェ以上に、そう言ったヨハンの方が不満そうな顔をしていた。


「それには、付与魔術の類は何もかかっていないから」

「……良い物だと思いますよ」

「いや、駄目だよ」


 いずれは壊れるのだから、安価な品を使い捨てにするのもいいだろうか。そう考えて適当に褒めたアルフェの言葉を、気弱そうな顔に似合わない頑固な調子で、ヨハンが否定した。


「君は、かなり強い魔物とも戦うだろう」

「はい、まあ」

「やっぱり。じゃあ駄目だ。……う~ん」


 一つ唸ると、ヨハンはアルフェの許可も得ずに、その手を取って腕を触った。そして腕の長さを測ったり、筋肉を揉んだりしてくる。あまりに邪気が無く、当然のようにそうされたので、アルフェは抵抗する事を忘れてしまった。


「良く鍛えてある。でも、剣じゃないね」

「あの……」

「脚も測ろうか」

「ちょ、ちょっと」

「いいから」


 ヨハンはアルフェの足元にしゃがみ込み、あれよという間に彼女の寸法を測り終えた。

 そしてまた奥に引っ込んで、何かをガチャガチャと漁るような音が響いたかと思うと、再び戻ってきた。


「――僕に十日くれないかな」

「え?」

「作るよ、それまでに。魔術の付与も、僕がする」


 意外な成り行きに、アルフェはちょっと目を見張った。

 さっきアルフェが試着した防具がヨハンの手製なのだとしたら、それだけでもかなりの腕前という事になる。その上さらに専門的な知識を必要とする付与魔術さえ扱えるとなれば、彼はこんな片田舎の港町に居ていい鍛冶師ではない。イルゼは彼について、帝都で十年修行を積んだと説明していた。その修行は本物だったようだ。


「でも、材料が無かった。どこで手に入れるか――」

「あ……、材料なら、私が自分で調達します。冒険者ですから」


 思わずアルフェは、そう言っていた。それじゃあ頼むよと、ヨハンもあっさり頷いた。


「必要な物のリストを作るから、ちょっと待ってて」


 ヨハンはまた奥に引っ込んでいく。呆然と、アルフェはそれを見送った。かなりマイペースな人物のようだ。


「あ~あ、初対面の女の子相手に、あいつも少しは遠慮しなさいよねぇ」

「イルゼさん」


 いつの間にか、イルゼがアルフェの隣まで来ていた。この鍛冶屋は冒険者組合とドア一枚で繋がっている。そこを通って来たのだろう。

 イルゼの気配に気付かず、ここまで接近を許したのは己の不覚である。アルフェがそう考えているとも知らず、イルゼはアルフェのすぐ横で、同意を求める目を、彼女に向けていた。


「うちの幼馴染はあんな感じの奴なんだけど、役に立ちそう?」

「はい」

「それにしても、あなたが作ってもらうのね。お兄さんじゃなくて。でもやっぱり町の外は物騒だから、あなたみたいな女の子にも防具が必要なのかな。お肌に傷が付いたらやだもんね。――あ、お兄さんなら、まだ食べてる途中だから」


 滔々とイルゼがまくしたてる。アルフェが口をはさむ隙は見当たらない。曖昧に相槌をうっていると、メモを持ったヨハンが戻ってきた。


「これがリストだから。よろし――」


 アルフェの隣にいるイルゼの姿を見たヨハンが硬直し、メモを取り落としそうになった。そんな彼に向け、イルゼは快活に挨拶をする。


「よ! 元気?」

「あ、ああ、うん」


 すると、ヨハンは急に顔を赤くして、首の後ろに手を当てて、気弱にうつむいてしまった。


「…………?」


 この一連のやり取りの意味が分からず、アルフェは不可解な視線を二人に向けた。



「それは……まあ、分かりやすい話だと思うが」


 ヨハンに防具をあつらえてもらうために、材料の収集に行く事になった。アルフェはそれを伝えるために、フロイドに鍛冶屋での流れを説明した。その中で、ヨハンとイルゼの不可解なやり取りの事を話すと、フロイドはあっさりそう言った。


「あなたには分かるのですか?」


 見ていた自分が分からなかったのに、伝え聞いただけのこの男には分かるのか。アルフェは釈然としない気分で尋ねた。

 逆にフロイドは、どうして分からないのか、そしてなぜわざわざ自分に聞くのかという顔をしている。彼は小さくため息をつくと、説明を始めた。


「そのヨハンという男は、帝都から帰ってきたという話だ」

「はい」

「向こうで十年も修行しておいて、しかもかなりの腕前だというのに。帝都に残れば、ずっと稼げるはずなのに」

「そうです」

「理由は一つだ。帝都では手に入らないものが、この町にある」

「そんなものが? この町に?」

「ある。帰ってきたら、幼馴染がいる」

「イルゼさんですね」

「じゃあ、それが理由では?」

「……?」

「なぜそこで首を傾げるんだ……? ――単に、そのヨハンという男が、あの受付の娘に惚れているという話でしょう?」

「……惚れ? ………………ああ」

「理解できましたか?」


 アルフェは頷いた。フロイドは、ヨハンがイルゼに恋愛感情を抱いていると言いたいのだ。そのために、帝都で得られる名声や、豊かな暮らしを捨ててまで、彼女の側に帰ってきたのだと。


「分かりました。いえ、それくらい分かっています。ヨハンさんは、イルゼさんに恋をしているのですね?」

「言い直す必要は別に無いと思うが……。で、それがそんなに気になりますか?」

「いいえ、特に」


 アルフェは早口で否定した。その顔が、少し暗くなっている。

 恋というのは、アルフェにはあまり、と言うよりも全く縁の無い感情だ。

 本でも読んだし、演劇の筋書きにも、恋を主題にしているものは多い。だから言葉としては知っているが、実感した事は無い。

 自分には不似合いだし、不必要だとも思う。しかし、不必要だと思っていても、いずれは否応なく経験したりするものなのだろうか。それとも要不要以前に、そもそも自分の心には、そういう事を感じる部分は欠落しているのだろうか。ぽっかりと抜け落ちている記憶や、他の感覚と同じように。

 アルフェは恋に憧れていないが、憧れていない自分は、やはりどこかおかしいのではないかと不安に思っていた。


「……イルゼさんは、ヨハンさんの好意に気が付いていないようでした」

「気にならないんじゃなかったのか? ……まあ、こういうのは、他ならぬ当人自身が最も気づきにくいと言うし……。いずれにしても、本人の前でそんな話をするものではないと思う」

「当然です。私はそんな事はしません」

「どうでしょうね」

「なになに、二人でなぁに? 面白い話?」


 丁度そこでイルゼが割り込んできたので、アルフェは話題を変えた。


「防具の材料調達に行くという話です」


 アルフェとフロイドが座っているテーブルの真ん中には、ヨハンから渡された材料のメモが置かれている。買い集めようとすればそれなりに高価な鉱石や付与魔術の触媒などが含まれているが、自力で集めれば無料だ。

 当然、アルフェは自分で集めに行くつもりである。


「別行動にしましょう。あなたはこれと、これをお願いします」


 時間短縮のため、アルフェはフロイドにそういう指示を出した。承知しましたと、フロイドは丁寧に頷いた。


「お兄さんさ、お兄さんなのに、妹ちゃんの言いなりになってて良いの?」

「世の中には、そういう兄妹もいるとでも思ってくれ」

「二人が出かけちゃうと、あたしはまた暇になるなぁ」


 イルゼはテーブルに頬杖を突き、唇を尖らせている。フロイドは、そんなイルゼと、どことなく暗い表情をしているアルフェの顔を見比べてから、わざとらしく言った。


「暇なら、ヨハンの手伝いでもしてやったらどうだ?」

「え~、あたしは鍛冶屋の仕事は分っかんないしなぁ」

「弁当でも作ってやればいい」

「お客さんでもないのに?」

「じゃあ、見てるだけでもいいさ。それであいつはやる気を出すかもしれない」

「なにそれ。お兄さん、なんでそんなにあいつに優しいの?」


 フロイドは肩をすくめた。

 どうやら、恋というものに関して、自分だけが特別鈍感な訳ではなさそうだ。アルフェはイルゼの様子を見て、少しだけ安心した。

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