第139話
方針を変更し、実力行使する事を決めたアルフェは、その瞬間に二人の兵を昏倒させた。
残りの敵は七人。ルゾルフと、宮宰と、兵卒が五人だ。「ルゾルフに怖い思いをさせてやってくれ」という、ベレンに提示された副条件から言えば、ルゾルフは最後に残すべきである。そう判断したアルフェは、瞬く間に兵たちを失神させていった。
「わ、うわあ! ――ぐふッ」
侍女のお仕着せのスカートを翻して、アルフェは最大限に手加減した突きや蹴りを繰り出した。抵抗どころか、まともに動く暇も与えずに、全ての兵卒が地に沈んだ。
これで残るは、ルゾルフと宮宰だけになった。
「ひいい!」
「何を、何をしている! 馬鹿者!」
宮宰は、主君であるルゾルフを盾にするように、彼の背中に隠れようとしている。その様子を見て、流石のアルフェの中にも哀れに思う気持ちが働いた。何しろ宮宰は、白髪の老人である。それを訓練された兵と同じように殴ったら、ひょっとしたら弾みで死んでしまうかもしれない。
ベレンが聞いたら、ぜひやってくれと言ったかもしれない。だがそんな理由で、アルフェは宮宰を後回しにするつもりになった。最後に優しく、寝かしつけてやればいいと。
「ルゾルフ様」
「う」
アルフェに名を呼ばれて、宮宰ともみ合っていたルゾルフは、妙な声を出して固まった。
「私と戦いませんか? ルゾルフ様」
「な――」
「あなたは、戦場に出たがっていたとお聞きしました。ならば、戦いましょう。ここは戦場ではありませんが、戦うだけなら、私でもお相手できます」
そう言いながら、アルフェはばきばきと両手の指を鳴らす。
「な、な――」
ルゾルフの口は震えて、まともに言葉を発することすら出来ていない。
アルフェは無造作に歩き、そんな彼の懐に入り込むと、その腹に固めた右拳を撃ち込んだ。
「――!?」
しかしそこで、アルフェの顔色が変わった。
ルゾルフの腹に打ち込んだ打撃は、何の手応えもアルフェにもたらさなかった。ぼわんと、まるで雲を殴ったように、標的の腹に衝撃が吸収されてしまったのだ。
これ程見事に攻撃をいなされるとは、全く予想していなかった。今までのルゾルフの醜態は、それこそ演技であり、やはり彼も伯として、相応の実力を備えていたのかもしれない。にわかに警戒を高めたアルフェは、後ろに跳んで間隔を開け、ルゾルフの様子を観察した。
「なななんだ、き、貴様は……!」
しかし、相変わらずルゾルフは震えたままで、アルフェの殴打をいなしたあと、反撃する気配すら見せてこない。
――……偶然? まさか。
アルフェはもう一度隙だらけの相手に近寄り、今度はさっきよりも強く、突きを繰り出した。
――……! そういうこと、ですか。
彼女の攻撃の威力は、またしても吸収されてしまったが、何が起こったのかを、アルフェは理解した。
アルフェの攻撃を逸らしたのは、ルゾルフではない。ルゾルフが身に付けている鎧だ。黒い金属に彫金が施された、重厚な板金鎧。これには、間違い無く何らかの魔術が付与されている。
実際、これはノイマルク伯家に伝わる秘宝であり、あらゆる攻撃を遮ると謳われる伝説の鎧だ。ここ数代のノイマルク伯が前線で戦うような機会は無く、この鎧が実戦で試されるのは実に百年ぶりだったのだが、今日めでたく、鎧は持ち主の危機を防いだというわけだ。
――……ふむ。
アルフェはルゾルフの前に立って、まじまじと鎧を見た。
町の武具屋に置いてあるはずもない、古代の遺産級のマジックアイテム。売れば十や二十は城が建つ。いや、その前に高価すぎて買い手が付かないだろう。この手の品は、国家間の外交で、戦時の賠償や同盟の証として贈られたりする以外は、滅多に所有者から移動することがない。
「ちょっと失礼します」
「え? ぬわあああ!?」
前置きして、アルフェは思い切りルゾルフの脇腹を蹴り飛ばした。ほとんど全力でだ。彼女の軸足が置かれた地面が、浅く陥没した。
「…………あ?」
しかしその蹴りも、ルゾルフ本人には、なんの害も与えていない。身に付ける者の技量に関係なく、鎧にかけられた魔術は効果を発揮する。ルゾルフはぺたぺたと自分の身体をまさぐり、無事を確認すると、急にふんぞり返った。
「どうした? 娘」
「……え?」
相手の攻撃が自身になんの痛苦も与えないのを悟り、ルゾルフはさっきまでの己の醜態を忘れ、威勢を蘇らせたのだ。
「私が、そこに倒れている雑魚共と同じだと考えていたのか?」
ルゾルフはほくそ笑んでいる。
アルフェはむっとした。言われるまでも無く、アルフェも一般兵とこの男が同じだとは思っていなかった。むしろ兵以下だと思っていたのだ。
「貴様のへなちょこな蹴りなど、こそばゆさすら感じんな」
そう言ってルゾルフは、片手でアルフェの右肩をどんと押した。
「…………は?」
アルフェは押された自分の肩を見、それからルゾルフに視線を戻してつぶやいた。
アルフェの感情の変化を読み取れないルゾルフは、すらりと剣を引き抜いた。その剣も、おそらく名だたる宝剣である。
「貴様が魔物か、女狐の使いか……、そんな事はどうでもいい。このノイマルク伯ルゾルフに手を出したことを、後悔させてやろう。私が直々に成敗してくれる」
「…………」
「まあ、泣きわめいて命乞いでもすれば、救ってやらんこともないがな」
ルゾルフは、アルフェの侍女姿をなめ回すように見て、ぐふぐふと下卑た笑いを浮かべた。
その刹那、鬼気迫る勢いで、アルフェの後ろ回し蹴りがルゾルフの胸に飛んだ。
命中の瞬間、ルゾルフは怯えた表情で目をつぶっていたが、やはりアルフェの攻撃は彼に通じない。
「……ふふん。小娘の力など、所詮こんなものだな」
ルゾルフに見下されたアルフェの周辺の空気に、びしりと亀裂が入った気がした。それにも気付かないルゾルフは、調子に乗って言葉を続けた。
「妙ちきりんな技を使うが、お前は曲芸師か? 道化師か? しかしこれなら、踊りでも踊った方が、まだ目に良い。今からでも転職したらどうだ?」
ルゾルフは、アルフェの顔のすぐ横に剣を差し出して、彼女を威嚇している。どんよりとした表情のアルフェは、無言で、ルゾルフが剣を握る右手首を掴んだ。
「ん~? まだ抵抗する気か……。しかし、無意味だな」
確かに、アルフェが渾身の力で手首の骨を握り砕こうとしているのに、それもルゾルフには効いていない。籠手にも鎧本体と似たような効果が宿っているのだ。
これはあくまで鎧の力であり、ルゾルフがそれを誇るのは誤りな気もするが、アルフェにとって重要なことは、そんな話ではない。
「そこにひざまずけ。大人しく降伏するがいい」
ただ、この男にこうやって見下され、こうやって馬鹿にされるのは、たまらなく腹が立つ。自分の力量が笑われてる以上に、亡き師の技を嘲られているような気がする。
アルフェは空いている手で、ルゾルフの剣を掴んだ。
「あん? ……お?」
ルゾルフは、剣を動かせないことに気が付いた。当然である。鎧は外敵からの攻撃を防いでくれても、彼の筋力を上げてくれるわけではない。
アルフェは、刀身も握り砕いてやれと力を込めたが、それも出来ない。だから余計に、腹立たしさが募る。
「お、お、おおお!?」
アルフェの引く力に、ルゾルフの握力は抵抗できなくなって、彼は剣を離してしまった。アルフェは取り上げた剣を、地面にへたり込んでいる宮宰の股の間に投げ捨てた。魂消た宮宰が、鶏のような悲鳴を上げた。
次にアルフェは、ルゾルフの胸ぐらを掴み挙げた。鎧は体重も変えない。普通の人間一人と金属鎧の重さなら、アルフェが持ち上げることに、なんの支障があるだろうか。
「な――が!」
そして、アルフェはそのままルゾルフを背負い投げる。木の幹にぶつかって、彼の身体は地面に落ちた。
「ぬぅ――貴様……!」
ルゾルフは地面に這いつくばって、その顔は泥を舐めていた。
そうなのだ。顔に泥が付着しているという事は、彼の家宝の鎧には、肝心なものが欠けている。
「ぶ――!?」
残念ながら、ノイマルク家の秘宝には、兜は付いてなかった。伝承される過程で失われたのか、元々存在しなかったのか、そんな事はどうでも良い。むき出しのルゾルフの後頭部を、アルフェは己の靴で踏みつけた。
「な――ぐぶッ!」
ルゾルフが何か喋ろうとすると、アルフェは足に力を込め、彼の顔を泥に埋めた。
「……どうしましょうか」
形勢は完全に逆転した。
アルフェは氷のような顔でルゾルフを見下ろしながら、徐々に足に体重をかけていく。
「このままでは、死んでしまいますよ?」
「ぶ、ぐぐ……!」
自分は、あくまでベレンに頼まれたことをやっている。彼女自身はそう思っているが、その中には、若干の嗜虐心が芽生えていたことは否定できない。
「ほら、頑張りなさい」
「ぬあああ!」
ルゾルフは地面に両手を突き、何とか上半身を起こそうとしている。しかし彼の頭の上にある足は、まるで銅像のように重く、びくともしない。
「ほら」
「がぁ……!」
既に宮宰は腰を抜かして、侍女の格好をした娘が、伯を踏みつけにする様子を眺めるしか出来ていなかった。
アルフェはルゾルフに尋ねた。
「怖いですか?」
「な……!?」
「怖いなら、怖いと仰いなさい」
「こ、怖くなどあるものか!」
ルゾルフが虚勢を張ると、アルフェは乱暴にかかとをひねった。
「――ぎゃあ! こ、怖い! 恐ろしいです!」
「うん、それでいいのです。良く出来ました」
アルフェは満足した。これで、ルゾルフに存分に恐怖を味合わせろという、ベレンからの依頼は完遂したわけだ。ベレンは、軍を退かせる「ついでに」怖がらせてくれと言っていたはずだが、アルフェの内部で、若干の優先順位の変更があったようだ。
許してくれ、見逃してくれと、アルフェの足の下でルゾルフが泣き叫んでいる。この調子なら、戻っても、そのまま進軍するとは言い出さないだろう。
「何だよ、台無しじゃないか」
と、そこに兵卒の姿をしたフロイドが現れた。
「打ち合わせ通りにやってくれよ。あんたが作った脚本だろう?」
姿を見せるなり、フロイドはアルフェに文句を言った。アルフェは平然と言い返す。
「問題ありません。目的は達成されました。大体、あなたがしくじるから、こんな面倒なことになったのです」
「痛たたた! もう勘弁してくれぇ!」
「いい加減、その哀れな奴を放してやれよ……。……ん? 俺が何をしくじったって? 言われた通り、誰にも見られずに敵の数を減らしただろうが」
「何を言っているんです。一人逃がしたでしょう。そこから仕掛けがばれました」
「あんたこそ、何を言ってる。俺はそんなヘマをしてない」
なぜか、アルフェとフロイドの会話がかみ合わない。なぜだと思った瞬間、二人は同時に振り向いた。
「儂の他に、奇妙な奴らが入り込んでいると思えば……。お前たちは、何者だ?」
その言葉を発したのは、アルフェでもフロイドでもなく、ましてルゾルフでも、宮宰でもなかった。
「儂の脚本が、台無しではないか」
昏倒していたはずの兵が一人、いつの間にか起き上がっている。鎧に付いた泥の汚れ。これは、森の中にフロイドが潜んでいることを報告してきた、あの兵だ。
「これは、幻術――!?」
違和感も何も無い。だが、アルフェは直感した。この兵は、アルフェが見ているとおりの存在ではない。
「まさか――」
「お初にお目にかかる」
儂は、トリールのライムント・ディヒラーという者だ。兵の姿をしている“それ”は、自らをそう名乗った。
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