第137話

「動いている兵の数は一万、そのうち六千が北から、四千はブレッツェンの方角から進軍中です」

「六千も……。それだけ抜いたら、北の守りには大きな穴が空く。前線も混乱しているだろうな。第一、その六千を誰が指揮しているんだ。ロズウェンハイムか?」

「ボルマン将軍であると」

「ボルマンか……。命令に忠実な男だ。ルゾルフ様の直命に、逆らえなかったか」

「聞き流すということも、あの方の性格では出来なかったでしょう。その代わり、将軍も悩み抜いておられます。ボルマン将軍は、自ら私に書簡で知らせてこられたのです」

「分かっている」


 数十分前、文官がノイマルク軍の移動を知らせに駆け込んできてから、ベレンの居るテントの中は、にわかに軍議の様相を呈していた。アルフェ以外の侍女はテントから追い出され、ベレン麾下の主立った者やフロイドが、軍営内から呼び集められてきた。

 文官が持ち込んだ報告の概要はこうだ。最高指揮官のベレン不在のノイマルク軍が、突如移動を開始した。移動している兵の数は、ノイマルク全軍の十分の一にあたる一万。内訳は、北の領境を守っていた軍の中から六千と、南の首都ブレッツェンの守備にあたっていた四千。移動目標は、現在ベレンたちの居るこの村。二つの軍は南北の街道から、この村を挟み込むように進軍している。

 出動を命じたのは言わずもがな、ノイマルク伯ルゾルフである。

 進軍の目的は、パラディン、エドガー・トーレスがノイマルク領内にいる間に彼を討ち取り、闇に葬ること。


「早晩、ベレン将軍のもとにも、ルゾルフ様からの使者が来るでしょう……。指揮下に入り、パラディンを討ち取るようにと」

「参ったな。お怒りを鎮められたように見えたのは、表向きだけだったというわけか。俺もまだまだ、あの方のことを理解していない」


 文官の知らせに対して一通り驚いたあと、ベレンの頭は逆に冷めたようだ。受け答えをしている彼は、冷静に見えた。

 対照的に、これまでエドガーとの折衝のために走り回り、ベレンの苦闘も知っている文官は、地面を見て、こらえきれない涙を流している。


「ルゾルフ様は、どうしてこんな、教会との関係を台無しにするような真似を。将軍の苦労を無にするような真似を。まさか、こんな。こんな、愚かな」

「言うな」


 ベレンは文官を慰めるように微笑んだ。他の麾下たちは、一様に沈鬱な表情でうつむいている。


「で、だからどうするんだ? 話を前に進めよう」


 乱暴な言葉を発したのはフロイドである。刺すような視線が、彼に集まった。だが、確かにそうだ。この状況にどう対処するのかを考える方が、自らの主人の愚かさを嘆くよりもはるかに重要だ。文官をはじめ、テント内の人間はうつむいていた顔を上げた。

 ベレンは頷いて、明瞭な声で喋った。


「ルゾルフ様がどうお考えでも、トーレス卿とここで争うわけにはいかない。彼を討ち取れるか取れないかは別問題だ。戦った時点で、帝国内におけるノイマルクの立場は、限り無く不利になる」


 不審死を遂げたイジウスというパラディンの件もある。ノイマルク領内で死んだパラディンが二人目となれば、騎士団は今度こそ問答無用で怒り狂う。彼ら面子にかけてノイマルクを潰しに来るだろう。他の領邦からの支持も完全に失い、ノイマルクは孤立する。


「だからルゾルフ様には、兵を退いてもらわなければならん」


 ルゾルフがこのような暴挙に出た背景には、彼自身の直情的な性格に加えて、トリール女伯ヨハンナによる何らかの工作があったのかもしれない。それを防ぐことが出来なかったは己の不明だ。しかし、それを恥じるのも後にしようと、ベレンは思っていた。

 だが、自分たちの主君が、こうと決めたら退かない人間であるということを、ベレン以外の家臣たちも等しく知っていた。ルゾルフに思い直してもらうために、一体どういう手段を取れば良いのか、具体的な方法を挙げられる者はいない。


「私に、一つ案がある」


 それでも、ベレンの言葉には力強い響きがあった。

 彼は文官に尋ねた。


「ブレッツェンからの兵は、近衛の連中が中心だな。率いているのは誰だ?」

「まだ、そこまでは……。しかし、順当に考えれば近衛兵長です」

「……ですが、近衛兵長は気骨のある男です。私は同年ですから、よく知っています。あいつなら、そんな命令に従うよりも、投獄を選ぶかもしれない」


 そう言ったのはベレンの副官だ。ベレンは頷いた。


「そうだとすると、宮宰殿が指揮を執るか……。あるいはルゾルフ様が、直接兵を率いるか」


 言いながら、ベレンはブレッツェンの城で見た、ルゾルフの肖像画を思い出した。戦場を背景にした、伯を英雄のように描いた油絵。そんなものを描かせていたルゾルフのことだから、自分で軍を率いて来る可能性の方が高いように思われた。

 よし、とベレンは言った。


「北のボルマンの軍の方には、俺が単騎で向かう。あの男なら、腹を割って話せば、きっと分かってくれる」

「そんな、危険です。ならば、俺に行かせて下さい」

「お前たちは、このままトーレス卿と調査を進めてくれ。くれぐれも、何が起こっているのか、彼らには感づかれないように」


 己を止めた副官の目を、ベレンはじっと見た。

 北方の軍を指揮する将軍のボルマンは、伯の命令と、それが引き起こすと思われる結果の間で、板挟みになっているはずだ。そこから解放してやるには、彼よりも高位の将軍であるベレンが行ってやらなければならない。副官は、ぐっと堪えた表情をして頷いた。


「それで、南の方だが――。兵を率いているのがルゾルフ様にしろ宮宰にしろ、つまりは自ら引き返して下されば良いのだ。そうすれば、何も問題は起こらない」

「引き返してもらう……。どうやって、ですか?」

「少し前に、領境で起こったことを覚えているか?」


 ベレンの話は、突拍子も無い方向に飛んだ。副官たちは、意味が分からず首を傾げた。

 先ほど発言してからずっと沈黙していたフロイドだけが、テントの隅に立って瞑目しているアルフェにちらりと目を向けた。


「我が軍とトリールの小競り合いが、魔獣の乱入で停止し、両軍共に撤退した。訓練された部隊とは言え、想定から大きく外れた――何が何だか分からない混乱が起きれば、そうせざるを得なくなるということだ。まして、戦場慣れしていないルゾルフ様や宮宰なら」

「それは、そうかもしれません。しかし……、すみません、私には意味が分かりません。実際に、どんな手を打つと仰るのですか?」


 副官の言葉に、文官も同意する目をした。


「例えば……」


 フロイドが、久しぶりに口を出した。彼の顔はベレンたちに向いているが、視線は相変わらずアルフェの方に向けられている。


「例えば、進軍する軍勢の前に、いきなり年端もいかない娘が一人、現れたとする」


 副官と文官が、同時に「は?」と声を出す。ベレンだけが、我が意を得たりと頷いた。


「そうだ。そしてその娘は、あるいは侍女の格好をしているかもしれない」

「何でそんな場所に侍女がいるのか? ……道に迷ったか、何かだと思うだろうな」

「思うだろう」

「ところがだ」

「そうだ。ところが、その娘が突然、もの凄い勢いで暴れ出すんだ。結界の中だ。なんだかんだ兵たちは、目的地までは魔物も出ないと思っている。油断している彼らにとって、驚きは倍増だろう」

「どっちみち、その娘が暴れれば、普通の兵じゃ手が付けられないだろうしな。混乱すること請け合いだ。で、混乱した軍は、何が何だか分からないまま撤退を選ぶ……、と。ノイマルク軍を使わなくて済むというのも、この作戦の利点か。仮に乱入してきた娘の正体がバレたとしても、ある程度は言い訳がきく」

「都合良く使うようで、心苦しいが……」

「いや、そのための冒険者だと、“その娘”なら言うだろう」

「できれば、兵たちは傷つけないで欲しいというのが本音だ。だがこの際だ。できるだけ殺さないでくれれば、文句は言わない。あとは、ルゾルフ様がいらっしゃったら、ついでに多少、恐ろしい目を見せてやってくれ」


 あの方は、戦場を体験したがっておられたからな、良い機会だとベレンは言った。


「しかし、そんなにうまく行くか?」

「私は行くと思っている」

「保証できないぞ」

「もちろんだ」

「なら……」

「あとは……」


 そこまで言って、二人で息の合ったやり取りをしていたフロイドとベレンが、同時にアルフェの方を向いた。

 アルフェは、私を何だと思っているのかと言いたげに、頬を膨らませて鼻息を漏らした。



 春が近づき、ずいぶん暖かくなってきたものの、その日はどこか陰気な曇り空で、空気もじっとりと、不快な湿り気を帯びている気がした。そんな天気の中、森を貫くように走っている街道を、ノイマルク兵四千は行軍していた。

 この四千は、ノイマルク首都ブレッツェンから出発した隊だ。トリールとの戦争のさなか、首都の守りとして、また予備兵力として残されていたはずのこの兵団が、なぜ急に北上を始める必要があったのか、兵のほとんどは理解していない。


「もう少し速度を上げられんのか?」


 縦に伸びた軍勢の中程で、四頭立ての馬車の上からそう聞いたのは、ノイマルク伯のルゾルフだった。彼は伯家の秘宝である黒鉄の鎧を着込んで、緋色のマントを背中ではためかせていた。乗っているのは馬車というより、まるで古代の戦車のようだ。立派に手入れされた本人の髭も手伝って、少なくとも見た目だけは、まさに威風堂々という外観である。


「申し訳ありませんルゾルフ様。何分この辺りの街道は、整備が行き届いていないので……」


 そう言って詫びたのは、宮宰のイマヌエルだ。彼の言う通り、街道の石畳は穴だらけで、雑草も生え放題である。これでは馬車も兵量を運ぶ輜重も、満足に速度を出せないだろう。全く不便なことだなと、ルゾルフは鼻息を荒くして苛立った。

 しかし、ノイマルク領内の街道の整備を司る行政の最高責任者は、まさに伯や宮宰のはずであるから、二人のやり取りを聞いていた御者は、これは何かの洒落か皮肉なのだろうかと首を傾げた。

 ルゾルフはその後も、最前列の指揮をとっている将校をしきりに呼びつけて、行軍の速度を上げろと叱りつけた。

 しかしその将校にしてみれば、目的の分からない出動の上、彼の上司である近衛兵長が、この出動の直前にいきなり任を解かれて謹慎処分を受けたのだ。兵の士気を上げろと言っても無理な話だし、なぜ俺が、どうして兵長がという彼自身の不満もあった。


「最善を尽くします!」


 それでも、臣下の辛いところだ。将校は敬礼してそう返すしかなかった。

 そんなわけで、いつもの指揮者の元であれば、とっくに通り抜けていてもおかしくない森の中を、彼らはのろのろと進んでいた。

 それどころか、正午を回ったころ、行軍は突然停止した。


「どうした! 何をぐうたらしておるか!」


 ルゾルフは、当然そうやって怒り狂う。


「前方で何かあったようですな」


 宮宰はそう言うが、彼らのいる場所からその様子を確認することはできない。業を煮やして、ルゾルフは自ら最前列を見に行くと言い、宮宰はそれに従った。

 軍勢の最前列は、森と森に挟まれた狭い谷に入り込んでいた。その谷を、大きな岩と、根本から引き抜かれた大木が塞いでいた。


「何だこれは!」

「落石と倒木です」

「そんなことは見れば分かる! 早くどうにかせんか!」

「そう言われましてもね……、どかしてみますが、ちょっと時間がかかりそうです」


 最前列でルゾルフの相手をした兵は、飄々と肩をすくめた。

 その態度に、こめかみに青筋を立ててルゾルフは怒鳴った。


「ちょっとだと? 何がちょっとだ、この愚か者が!」

「いつまでかかるのだ。はっきり答えろ!」


 ルゾルフの横から宮宰が聞いた。


「ちょっとはちょっとですけどねぇ……。ま、半月もあれば」


 兵が面白そうに笑うのを見て、ルゾルフの顔が、茹で蛸のように赤くなった。

 誰かこの無礼者を打ち首にしろと伯が叫びそうになったのを、さっきの将校が必死に押しとどめた。


「申し訳ありませんルゾルフ様! 私から強く言い聞かせます! おい、貴様も早く謝罪しろ!」


 申し訳ありませんと、どこか軽い調子で兵は言った。そしてその兵は、他の兵の中に紛れていく。将校はふと、あんな男がこの部隊にいたかと訝ったが、今は主君の怒りを鎮める方が先だった。


「お鎮まりくださいルゾルフ様。ですがご覧の通り、自然のやることです。お怒りになられてもどうしようもありません」


 将校の言う通りだった。

 道に迷ったとかいうのならともかく、これは純粋な自然災害だ。誰かを責めても始まらない。それよりは、さっさとこれらを片付けて、軍が通れるように整備し直すべきだった。ルゾルフも、どうにか冷静になりそれを認めた。


「だが、本当に半月かかると言うのではあるまいな」

「そんなことはありません。この規模なら、一週間……いえ、三日で片付けます」

「半日でやれ!」


 ルゾルフの飛ばしたつばが、将校の顔にかかる。こいつが伯でなければぶん殴ってやるのにと、彼は内心で拳を振り上げた。

 作業を始めた将校たちを、ルゾルフと宮宰はそのまま最前列で見張るつもりのようだった。後方から素早くテーブルと椅子が運ばれてきて、二人はそこに腰掛ける。大きな日よけの傘まで差し出された。

 将校と兵たちは途方に暮れた。半日でやれと言われても、“てこ”を使っても動きそうにない巨石と、大人二人分の胴回りほどの太さの巨木が、見事に谷を塞いでいるのだ。別に近頃大雨が降ったわけでもないのに、何という最悪のタイミングで落石が起こったのか。人間一人が通れそうな隙間すらなく、従って、馬や輜重の通行は完全に不可能だ。これが自然のいたずらなのだとしたら、何とも念の入ったことである。

 それでも、伯の直命なのだ。なんとかしなければならない。かけ声を出して押したり引いたり、つるはしで削ってみたりしながら、彼らは汗みどろになって作業をした。


「全く腹立たしい。このままではいつになったら、あの不届きなパラディンの元に着けるのか分からんな」

「仰るとおりです」


 兵たちが悪戦苦闘しているのを見物しながら、ルゾルフと宮宰は語り合っている。


「しかしあのパラディンめ、トリールの女狐に味方するばかりでなく、あのように悪し様に伯を罵る書簡を送ってくるとは……。何と忌々しいことでありましょうか」

「今思い出しても腸が煮えくりかえる! やはり教会の奴らは鼻持ちならん!」

「全くです」


 どうやらルゾルフは、エドガー・トーレスからの書簡を受け取り、その内容に腹を立て、軍に移動を命じたようだ。

 しかし、彼らが話題にしているパラディンの書簡というものが、本物であるのか、あるいはそもそも現実に存在していたのか、それは分からない。彼らが何かに“のせられている”のだとしても、それを確かめる術はなかった。


「女狐といい、教会といい、エアハルトの若造といい、鼻持ちならん連中ばかりだ!」


 ルゾルフは地団駄を踏んだ。とにかくルゾルフにとって、ここ最近は腹の立つことばかりだったのだ。

 トリールとの領土紛争は、筆頭将軍のベレンが尻込みをするばかりで、一向に埒があく気配が無い。教会と神殿騎士団は、やれ寄進の要請だの、やれ領内を調査させろなどと、無遠慮な要求ばかりしてくる。今ほど話題になったパラディンからの侮辱には、わざわざルゾルフ直筆で、総主教と神殿騎士団総長宛に、反論の手紙を送り返してやったくらいだ。

 そしてもう一つ腹が立つと言えば、ノイマルクの東にある、同じ八大諸侯のエアハルトのことだった。

 先代が死に、新しいエアハルト伯となったユリアンは、三十にもならない若造のくせに、伯としての先輩である自分に挨拶の一つもしてこない。それもルゾルフには十分腹立たしいことだったが、それだけではない。


「ユリアン・エアハルト。あの若造のやっていることは、人さらいと同じだ!」


 ルゾルフはテーブルに拳を打ち付けた。その音と、人さらいという物騒な単語を聞きつけて、兵の何人かが様子をうかがうように目を向ける。宮宰はまたもや、仰るとおりですと頷いた。

 ユリアンは、まだ先代の喪が完全に明け切らないというのに、やたらと派手な政策を打ち出して民草の人気取りをしていた。だが、新しいエアハルト伯が、自分の領内で何をやろうと、それはルゾルフには関係ない。勝手にやれという感じだった。

 しかしあろうことか、ユリアンの影響力は、いつの間にかノイマルク近隣の諸領邦にまで広がっていた。これまでノイマルクに媚びへつらう態度を取っていた中小の領主共が、どいつもこいつも、こぞってユリアンのご機嫌を伺うようになったのだ。

 それどころか、既に幾つかの領邦は、実質的にエアハルトの属領と化していた。有り得ないほどに素早い勢力拡大ぶりだ。ユリアンはきっと、伯に就任するずっと前から、この事態を想定して根回しを続けていたに違いない。

 さらにその影響力は、ついにノイマルク内部にまで及び始めている。どんな場面でかと言うと、今のノイマルクでは、北東部からの流民の流出が止まらない。そしてその流民たちは、一様にエアハルトを目指しているのだ。


「そのことですが、やはり、エアハルト軍がわざわざ辺境まで出て、我が領からの流民を迎え入れていることが分かりました。指揮しているのは、エアハルト伯の秘書のオスカー・フライケルです」


 宮宰の報告を聞いて、忌々しいとルゾルフは怒鳴り散らした。

 流民とは、生まれた土地を無責任に投げ出して、主君である領主の下から逃げ出そうとする者たちのことである。そんな下民たちなど、どこへなりと行き、いっそ結界の外で魔物に喰われてしまえと思うルゾルフであったが、それをユリアンが保護して連れて行くとなれば話は別だ。これは立派な人さらいである。さっき彼が叫んだのは、そういう事情だった。


「見ておれ! 女狐をひざまずかせたら、次はあの若造だ!」


 気ばかり逸るものの、現実の彼らは、落石程度に足止めを食らっている。そのことがまた、ルゾルフの苛立ちを倍加させた。ルゾルフはまたテーブルを殴りつけた。


「まだ終わらんのか……」


 昼過ぎに始まった落石の撤去作業は、夕方近くになっても終わらなかった。その頃にはルゾルフは怒鳴り疲れて、ぐったりと椅子に腰掛けていた。

 この街道を諦めて迂回しようにも、別の道がある地点まで引き返すには時がかかりすぎる。作業は明日までもつれ込むのか。そう思われた頃合いに、奇妙な人間が現れた。


「……あの、もしや、街道を通れずにお困りですか?」


 娘である。そして妙なことに、いわゆる侍女が着るような黒い服とエプロンをしている。その娘は、森の中から出て来たように見えた。


 なぜ侍女が? なぜ森から?


 兵たちはざわめいたが、娘の余りの美しさに、一瞬で目を奪われてしまったルゾルフの耳には、その声は入らなかった。

 娘はルゾルフを見つめながら、潤んだ瞳、清楚な声で、ささやくように言った。


「私、抜け道を知っているのですが。地元の者しか使わない、森の中を抜ける道です。……よろしければ、ご案内いたしましょうか?」

「おお、これは渡りに船だ! ありがたい!」


 ルゾルフが否やと言うはずはない。彼は一も二もなく娘の申し出を了承した。

 娘は微笑みを浮かべ、どうぞこちらへと、街道脇の森を指し示した。


 ところでこの娘とは、当然のごとくアルフェであり、街道を塞いでいる落石は、当然彼女の仕業であった。

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