第136話
「私がエドガー・トーレスです。パラディンの第九席を務めさせていただいております。わざわざご丁寧にお迎えまでいただいて……、恐縮です、将軍」
本当に恐縮であるという風に、冴えない中年男がベレンに向かって辞儀をした。男は見るからに人の良さそうな、悪く言えば押しの弱そうな顔をしており、威圧感というものはまるで無い。男の身に付けている、法服と一体化した、白を基調とする板金鎧の方が、中身よりも明らかに立派そうに見えた。
男の腰の低い態度は、演技や擬態には思えなかった。するとこれが本当に、大陸中に音に聞こえたパラディンの一人なのだろうか。そう思ったのは、侍女の格好をして何食わぬ顔で立っているアルフェ以外にも、大勢いただろう。
「い、いえ、トーレス卿。そんなに畏まられる必要など。では、こちらに……」
ノイマルク側の代表者であるベレンも、そんな一人なのかもしれない。さっきまでのピリピリとした緊張感はどこへやら、兵の間にも心なしか弛緩した空気が漂っている。
一体何が起こるのかと思われていた、神殿騎士団パラディンのエドガー・トーレスと、ノイマルク筆頭将軍ベレン・ガリオとの最初の邂逅は、おおむねそんな様子だった。
今現在、ベレン率いる二百の精兵は、ノイマルク領の北限ぎりぎりの地域にいる。エドガー・トーレスは事前の打合せ通り、十騎の部下を率いて、キルケル大聖堂からこの地点まで、街道を使わずに南下してきた。トリール側からの何らかの妨害が入ると思われていたパラディンのノイマルク領入りだが、見た通りここまでは、拍子抜けするほど順調に進行している。トリール軍はおろか、女伯の手の者は、誰も姿を見せていない。
しかし、パラディンが予想外に友好的だからと言って、決して油断をしてはならない。トリールには、かの幻術士ライムント・ディヒラーがいるのだ。いつでも、何を仕掛けてきてもおかしくない。ベレンはエドガーとの一通りのやり取りが済むと、兵にそう戒めた。
ベレンの言葉を受けて、随行してきた魔術士の一隊が防御魔術を張り直し、占星術によって隠れた存在を暴こうとした。
が、何もいなかった。
ならばさっさと移動してしまおうと、ベレン率いる二百騎は、神殿騎士を囲むような陣形を作って、目的地へと向かった。そうして彼らが到着したのが、ノイマルク中北部にある、一つの村だ。
そこは数十戸ほどの、比較的大きい規模の村だった。
この村は近隣の森から木を切り出し、ブレッツェンや北東の鉱山地域へと送ることで収入を得ているのだそうだ。村の何か所かにある空き地には、太い丸太が積み上げられていて、切り倒されたばかりの木特有の、むせるような匂いを放っていた。
結界の切れ目は、ここよりもずっと北だ。したがって魔物の害に遭う危険性も無い。あらゆる意味で、この村は村としては豊かな部類に入るように見えた。
そしてこの村が、例のパラディンが殺害された現場から、一番近い位置にある村なのだという。
「村の者には、トーレス卿のご身分などは伏せてあります。現場はここからすぐの場所ですから、明日、明るくなってから案内させましょう」
「お願いします、将軍。イジウスの亡骸を発見したという娘さんとは、話ができるのでしょうか?」
「もちろんです。別のテントに呼んでありますから、すぐにでも話せます」
ベレンは、この村を拠点にしたエドガーの調査ができる限り円滑に進むよう、協力を惜しまないつもりのようだ。神殿騎士団と対立して良いことは何もない。主君ルゾルフの気まぐれに振り回されたものの、ベレンの主張はそれで一貫している。
それに、パラディンであるエドガー個人も、至極まっとうな男だった。エドガーは、教会や騎士団の権威を笠に着る様子もなく、あくまでも礼儀にのっとって、純粋に同僚の死の原因を確かめようとしている。というのは、ベレンによるエドガーに対する評価だった。
「――とまあ、ベレンはエドガー・トーレスのことを気に入ったようだな。鬼か魔が来るかと身構えていたら、あの冴えない風体だ。それで気が抜けたかな」
「見た目がどうでも、あれは紛れもなくパラディンです」
「分かっている。……嫌でも分かるさ。ベレンとどっちが上か、微妙な所だ」
「はい。しかし、ベレン将軍がエドガー・トーレスを気に入ったというのはその通りです。夜は同じテーブルで、向かい合っての晩餐でした。会話もそれなりに弾んでいました」
夜、アルフェとフロイドは、物置にされているテントの中に潜んで、エドガーを見た印象について話し合っていた。
「晩餐か……。あんたはまさか、パラディンの前で給仕をしたのか?」
「ずっと厨房に居ました。ですが、次は食事を運ばせてもらおうと思っています。そうすればもっと接近できるでしょう」
「やめておいた方がいいと思うがな……」
相変わらずフロイドは一兵卒の姿で、アルフェは侍女のお仕着せを身につけている。誰かがこの暗がりの中に、そんな格好の男女が二人きりでいるのを見たら、十中八九は逢引きだと勘違いするだろう。しかしこの二人の間に、そういう色気のある空気は微塵も漂っていなかった。
「正直、私も意外でした。あの女の事があったので、パラディンというのは、もっと異常な人間が集まっているものだと思っていました」
「あの女?」
「アイゼンシュタインです」
「ああ……、あれか」
暗闇で表情は見えないが、フロイドは納得だという声を出した。
基本、誰に対しても馬鹿丁寧、慇懃な言葉遣いを崩さないアルフェが、“あの女”と、随分辛辣な口調で呼んだのは、都市バルトムンクで彼女が戦ったパラディン、ロザリンデ・アイゼンシュタインのことだ。
様々な経緯から、アルフェとロザリンデは地下闘技場で戦って、勝利したロザリンデは、アルフェに“何か”をしていた。何をしていたかを具体的に言語化するには、フロイドのような常人の語彙力ではちょっと難しい。
とにかくあのロザリンデというパラディンは、何が何だかよくわからなかった。なるほど、確かにあれと比べれば、まともに会話が成り立つだけ、エドガーは常識人だ。
「だが、あれを基準に考えるのは酷じゃないか?」
「ですね。あんな人間が世の中に何人もいるとは、あまり考えたくありません。……話が横道に逸れました。仕事の話をしましょう。兵や村人の中に、不審な人間は居ましたか?」
「強いて言えば、あんただ」
「私も、あなた以外には見つけられませんでした」
アルフェたちは、トリール伯の手勢による妨害工作に遭う可能性について、ベレンとは違った視点で話し合うようにした。
しかし、トリール伯が動くとしたら、領境付近だと思っていたのはアルフェたちもベレンと同じだ。そういう意味で、最も危険な地帯は抜けてしまったと言えなくも無い。ここはもう既に、ノイマルク領の奥地である。軍による奇襲をかけるといったことは、流石に不可能だ。
なので、密偵の類いがいつの間にか紛れていないか。アルフェたちはそれを探していた。ノイマルクの魔術士隊の防御を抜けて、ライムント・ディヒラーの弟子や、あるいはディヒラー本人が入り込んでくることも、当然考えておかなければならない。
ベレンがエドガーに対する警戒を緩める気になったとしても、雇われた冒険者として、アルフェたちがやる仕事は変わりはなかった。
「身のこなしを見るに、私の他の侍女も、戦える者が選ばれているようです。将軍は、可能な限りの、細心の注意を払っていると感じます。……フロイド、あなたの経験から言って、外からここに入り込んだ人間が、将軍ないしエドガー・トーレスに危害を加えるということは可能ですか?」
アルフェは聞いた。以前、これと似たような状況で、フロイドは軍営の外部から侵入し、大量のアンデッドをかき分けてアルフェを殺そうとした。フロイドはさほど考えることもなく、無理だなと否定した。
「きっと侵入は可能だ。精鋭と言っても、兵の数は少ないからな。が、そんなのは重要じゃない。狙う標的がベレンとエドガーだというのが問題だ。例えユリアン・エアハルトでも、あの二人を同時に相手にするのは、二の足を踏むだろう」
「やはり、そう思いますか……」
「だが、幾つか考えられることはある」
「それは?」
「例えば、エドガーの態度が擬態で、猫を被っているとする。で、ここにライムント・ディヒラーがやって来る。そうなれば二人がかりだ。少なくとも、ベレンを討ち取ることは出来るかもしれん」
「しかし、ここは紛れもないノイマルク領です。帰り道の危険もあるでしょうし、もしそれをすれば、トリールと騎士団が他の諸侯から批難されることになりませんか?」
「だが、ベレンは殺せる。そこに価値を見出すかどうかだな」
「ん……」
「微妙なところだが」
そういう修羅場になった場合、当然アルフェたちは、ベレンを守ってパラディンやディヒラーと戦う必要がある。その際の勝敗は見えないが、二百の兵の命も捨てさせれば、ベレンを逃がすことくらいは高い確率で可能かもしれない。
「他には?」
アルフェが聞くと、フロイドの声は若干重々しくなった。
「他にあるのは、俺たちやベレンも知らない切り札を、トリールが持っている可能性だ。いざとなればベレンとエドガーを、同時に相手にできるような。……あの時の、“あいつ”のような」
あの時とは、アルフェとフロイドが建設中の聖堂で殺し合った時で、あいつとは、死霊術士を引き連れていた、あの魔術士。あの時と今は、どこか状況が似ていると、フロイドもアルフェと同じ事を感じているのかもしれない。
「それは気にし過ぎだと思いたいですが」
「まあな。本当にそういうのが手駒にいるなら、そんな周りくどい事はそもそも必要無いわけだしな。……おっと、そろそろ戻らないと不味い。俺は行くぞ」
「……? 何かあるのですか?」
「歩哨の交代の時間だ。もうすぐ俺の番が来る」
何しろ、今の俺はノイマルク兵だからなと言い、ごそごそとフロイドが兜を被り直す音がする。
「そのまま、本当にノイマルクに仕官してはどうですか?」
「それはいいな、考えておこう」
フロイドがアルフェの皮肉に切り返すと、ぴくりとアルフェが身じろぎする気配がした。
「――なんてな。冗談だ、冗談」
「別に本気だからと――。…………いえ」
アルフェは反論しかけたようだが、しばらく間を開けてから言った。
「私のも、冗談です」
そしてさらに間が空いて、やはり今のは忘れてくださいと、小さくつぶやいた。
◇
エドガーによる調査は、明くる日から始まった。
エドガーは、村の近くにあるパラディン殺害の現場だという野原と、村とを何度も往復し、何か痕跡が残されていないか、誰か新しい証言者は出ないかと、熱心に調べているようだった。
アルフェもフロイドと手分けをして、村人や軍営内の人間にそれとなく聞き込みを行った。収集した断片的な情報をつなぎ合わせると、次のような話になる。
この地でパラディンの死体が見つかったのは、およそ一年と半年前の話だ。死んだイジウスというパラディンは、その頃何らかの任務を帯びて、単独で各地の領邦を廻っていた。その途中で、この村にも短期間滞在している。
「神殿騎士様が村に来られるなんて、あまり無いことでしたから」
だから、その時のことは良く覚えている。イジウスを泊めた宿の女将は、元は帝都で暮らしていたこともあるとかで、訛りの無い丁寧な言葉で話した。
イジウスは女将に対し、神殿騎士として、この村でやらなければならないことがあると言い、だから宿泊が何日になるか不明であると告げた。
「と言っても、ずっと部屋にいらっしゃったんじゃありません。日中はほとんど出かけていらして、たまに、夜にも戻られない時がありました。ですから、あの時も大丈夫だろうと思ったんです。でも、荷物を置かれたまま、流石に何日もお戻りにならないので――」
不安になった女将は、村の男衆に頼んで周辺を捜索した。そしてその捜索とは全く関係無い場所で、たまたま散歩をしていた村娘によって、イジウスの亡骸が発見されたのだ。その村娘は、死体を見つけてその場で泣いてしまったという。
「傷だらけで、びっくりしました。始めは、ひょっとしたら魔物に襲われたのかもって。でも、ここは結界の中なんですから、そんなのおかしいですよね?」
イジウスの死体の傍らには、彼の武器が落ちており、明らかに何かと戦った形跡があった。
戦闘は激しかったようだ。野原はそこだけ、焼け焦げや地面が削られたような跡が残っていた。それらの多くは、魔術によって残されたものだと考えられる。
「野原は完全に元通りになってた。ちょっとへこみがあるような気もしたが」
その野原を実際に見てきたフロイドは、そう語った。
「寝首を掻いたんじゃ無く、正面から戦ってパラディンを倒したのなら、自然とそいつはパラディン並みの化け物って話になる。そんなのは八大諸侯領にも一人か二人……、あとは、パラディン自身ってことになるか。……冒険者? そうだな、冒険者や傭兵にも一人か二人はいるんじゃないか? しかしそいつらだって、どの領邦にいるかはすぐ噂になるような奴らだ。その時のノイマルクにそんな人間がいたなら、とっくに神殿騎士団が調べているだろ」
それはフロイドの言う通りだった。
アルフェは、やはりベレンを疑ってかかるべきなのかとも考えたが、ベレンを見ていると、そんな風には思えない。
「もしかして、トーレス卿には、何か心当たりがあるのか……?」
ベレンがそう言って首を傾げているのも、アルフェは聞いた。心当たりが出来たからこそ、エドガーは再調査を求めてきた。そう思わせる何かが、二人のやりとりの中で有ったのかもしれない。
しかし結局、数日かけても、エドガーたちはこれと言って新しい証拠を見つけられなかったようだ。アルフェが給仕をしている晩餐の席でも、日に日にエドガーは口数が少なくなり、考え込む時間が増えていった。
トリールの女伯が何かをしかけてくるということも無く、このまま何も変わらないまま、空しく調査が終わるのかもしれない。グロスガウ砦でも見かけた文官が、息も絶え絶えに駆け込んできたのは、アルフェがそんな風に思いかけていた時だった。
「将軍! 大変です!」
文官はテントにいたベレンを見つけると、驚くべきことを叫んだ。アルフェも丁度、その近くに居て、彼らの会話を聞いていた。
「軍が……、軍が動いています!」
「何だと!?」
ベレンが血相を変えて叫んだ。ベレンが砦に不在である所を突いて、ついにトリール軍が南下してきたのか。だが、それはベレンの想定の内にあった。これから引き返し、迎え撃つ体制を取る事は十分に可能だ。
「違います!」
しかし文官は、つばを飛ばしながら否定した。
「動いているのは、我が軍です!」
動いているのは、ベレン不在のノイマルク軍の方だ。そして、目指しているのはトリールではなく、ベレンたちの居るこの場所だという。
ベレンは最初、まさかと言って本気にはしなかった。
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