第135話

「で、この格好か……」


 フロイドは腕組みをして唸った。彼は鎧から兜、ブーツに至るまで、ノイマルクの兵卒とそっくり同じ姿をしている。

 今回アルフェがベレンから引き受けた仕事は、神殿騎士団によるノイマルク領の調査が済むまで、トリール側の妨害を排除することである。そのために彼らは、兵やその他の随行員に、目立たないよう紛れることになった。それで、フロイドもこの仮装をする羽目になったわけだ。

 いつもはだらしなくシャツの胸元を開けたりしているが、今のフロイドはきっちりと鎧を着こなしていた。ご丁寧に無精髭にも剃刀を当ててあった。


「何年ぶりだ……?」


 改めてしげしげと自分の姿を眺め、フロイドはつぶやいた。

 どの領邦でも、兵卒の装備などは似たようなものだ。そしてフロイドにとって、この格好はある種の懐かしさを感じさせるものだった。


「やあ、フロイド君。なかなか似合ってるじゃないか」

「将軍」


 そのフロイドがいるテントに、ベレンが訪ねてきた。ベレンが入り口の幕を上げた一瞬だけ、軍営内から聞こえる、ガチャガチャという騒音が大きくなった。進発の準備は進んでいるようだ。

 ベレンはフロイドの格好を見て、愉快そうに笑みを浮かべた。


「これなら、いつでも軍でやっていけるぞ。実際、今回の仕事が落ち着いても、君たちには我が軍に残って欲しいくらいだが」

「光栄です。ですがそれは、あのお姫様が“うん”とは言わないでしょうね」


 ベレンに対し、フロイドは丁寧な物言いをした。いつもの通りの口調で構わないとベレンは言ったが、それだとわざわざこの格好をしている意味がなくなる。


「で、そのアルフェはどこに居ますか?」


 フロイドは兵卒らしく姿勢を正し、彼にこんなことを命じた雇い主の居場所を尋ねた。まさか自分と同じように、兵の仮装をするわけにはいかないだろうし、一体あの娘は、この軍営のどこに、どうやって隠れているのだろう。


「さあ」

「さあ?」

「どこに居るか、君には秘密にしておけと、彼女が言っていた」


 しれっとした調子で、ベレンが言った。

 あの突拍子もない娘は、また何か妙なことを考えているのか。ちょっと眉をひそめたフロイドだったが、ベレンに対する敬った態度は崩さなかった。


「そうですか。将軍には、主がご迷惑をおかけします」

「主、か」

「ええ」


 フロイドの返事は恬淡としていた。

 フロイドにとって、主君とは特別な意味を持っていた。そしてフロイドは、あの娘を主君と仰いでみると決めたのだ。己でそう決めたのだから、彼が恥じるようなことは何も無い。

 最も、あの娘はフロイドのことを、金で雇って、金で繋がった存在だと考えている。だが、フロイドにとっては違う。

 男同士、ベレンには、フロイドの考えが何となく伝わっているようだ。ベレンは呆れたように、しかし、親しみを込めて笑った。


「彼女ほどではないが、君も変わった男だな」

「かもしれません」


 フロイドもまた、ベレンと同じように白い歯を見せた。

 リーネルンにいる、ベレンの妻子の手紙を届けて以来、フロイドとベレンは、アルフェの居ない所でこうして何気ない会話をすることがあった。似ていない二人に思えるが、どこかに通じ合うものが有ったのだろうか。


「あの馬は良い馬だな。君の馬術が見事なのもあるが、うちの精騎兵と並んでも遜色ない」

「バルトムンクの馬市で手に入れた馬です」

「冒険者の町か。いいな、君たちはどこにでも行けて」


 そんな風に、この軍営でも、彼らは馬のことなど、とりとめも無い話をした。

 軍営と言っても、規模はそう大きくない。兵は合わせて二百程度だ。これから彼らは、トリールとの領境ぎりぎりまで隠密裏に北上し、エドガー・トーレスたち神殿騎士団の面々が来るのを待つ。騎士団も、トリール側にはできるだけ知られないようにというベレンの要求を呑んでくれた。来るのはエドガーと、その部下が十人程度だ。

 ただし、トリール女伯ヨハンナがこの動きを察知できないわけがない。黙って見過ごすということはあり得ず、どこかで何かを仕掛けてくるはずだ。

 そもそも今回の件全体が、神殿騎士団と組んだトリールの罠で、いきなり戦闘になる可能性もある。その場合には、応じずにノイマルク領深くに逃げる予定だが、その辺の判断も難しいところだった。

 しかし何を言おうが、結局、不利や不測の事態を恐れるばかりでは、何も行動できないのだ。ベレンはこれによって、神殿騎士団にまつわる問題が一挙に解決する方に賭けた。そして賭けるからには、応分の用意はした。ベレンをはじめ、この軍営にいる二百騎はノイマルク軍の精鋭中の精鋭である。アルフェやフロイドをそれに紛れて同行させているのも、その用意の一つだった。


「ヴァイスハイト卿を始め、パラディンの方々には何度かお会いしたことがあるんだが、トーレス卿とはこれが初めてだ。穏当な性格の方だと聞いてはいるが」


 彼らの話題は移り変わって、エドガー・トーレス個人の話になった。


「比類ない戦士であり、神聖術の使い手でもあるそうですね。俺も話だけは伺ったことがあります。ベレン将軍に、パラディンのエドガー・トーレス。この大陸に何人もいない実力者を同時に目にできるのは、剣を修める者としては喜ばしいことです」

「お世辞を言ってくれるな、フロイド君」

「本心ですよ」

「余計に面はゆいな。だが、それなら君だって大したものだ」

「それこそ、お世辞にもなりません」


 謙遜でも何でもなく、今のフロイドとベレンには、比較にならない力の差がある。

 フロイドは最近、こういうことを素直に認められるようになった自分に気が付いた。彼がユリアン・エアハルトの前に膝を折った時は、あれ程情けないと思い、それ故に一層、あらゆるものに、むやみに牙を剥いていたはずなのに。

 自分はまだまだでも、アルフェなら、ベレンやパラディンに近づくのも、そう遠くあるまい。そう思えるからだろうか。だとすれば不思議なことだ。

 フロイドは、彼自身が強くなることを諦めたわけではなかった。

 だが言うなれば、アルフェに会う前と比べて、強くなりたいという思いが、彼の中でより前向きになった。剣を磨くこと自体が目的なのではなく、他の何かのために剣を磨くという道がある。

 何となくそのことが分かりそうな――、思い出せそうな気がするのだ。


「一つ聞いていいか?」


 ベレンに尋ねられて、フロイドは、何かという顔をした。わざわざ前置きをして、ベレンはフロイドに質問を投げかけた。


「私は、君に会ったことが無いか?」

「……あるかもしれませんね」

「そうか」


 今の問いに対するフロイドの答えは、流石に歯切れが悪くなった。

 フロイドは昔、八大諸侯の一人の側近くに仕えていた。本当のことを言うと、その際にベレンを遠くから見かけたこともある。しかしそれは、今やただの過去である。


「すまないな。妙な事を聞いたよ」

「いいえ」


 フロイドは首を横に振った。彼は己の過去に触れたついて、先日はアルフェにも謝られた。

 この前のアルフェは、フロイドの過去に無闇に触れてしまったことに、大層な後ろめたさを感じたようだ。そのあたり、冷酷無情なのか繊細なのか分からないのがあの娘である。

 しかしあれは、やはり自分に出過ぎた部分があったせいだ。フロイドはそう割り切っていた。


「全て、終わったことですから」


 少なくともそう言えるくらいには、フロイドにとって、過去は過去だった。あの時は、唐突に触れられたから慌ててしまっただけだ。それもやはり、アルフェに会ってから変わったのかもしれない。

 出発は一時間後だと言って、ベレンはテントを出て行った。兵の一人として、準備を手伝う必要があるだろう。兜のひもを結びなおして、フロイドもテントを出た。

 精鋭なだけあって、軍営はみるみるうちに片づけられていく。誰も無駄な動きをしていない。一々命じられなくとも、それぞれがそれぞれの仕事を理解しているのだ。こういう空気は好ましい。

 パラディンという賓客をもてなす必要があるからか、数名だけ、侍女の格好をした女も同行している。その侍女たちも手際よく、それぞれの準備を整えていた。最低限の武芸の心得がある者を選んでいるようで、侍女の動きも淀み無かった。


「……ん?」


 だが、その数名の侍女の中に、明らかに一人、目立つのが混じっている。遠目からでも、フロイドには判別できた。


「……やれやれ」


 フロイドは大げさに、困りものだという表情を作った。

 きっと、エドガー・トーレスを可能な限り近くで見るために、志願したのだろう。侍女のお仕着せを着て、すました顔で食器を運んでいるのは、どう見てもアルフェだった。


「妙な事をしているな」

「お勤めご苦労様です」


 近寄って声をかけたフロイドに、アルフェは深々とお辞儀をして、作業を再開した。私は普通の侍女ですから、話しかけるなと言わんばかりだ。


「慣れないことをして、ボロを出すなよ」

「お気遣いありがとうございます。ご心配なく」


 フロイドが皮肉を言うと、また深々とお辞儀をし、手当たり次第に荷物を馬車に積んでいく。そういう事なら、一つ助言をしてやろうと、フロイドはわざと紳士的に声をかけた。


「知らないお嬢さん、少々よろしいですか?」


 アルフェは、露骨に気味悪がっていると分かるしかめっ面を、フロイドに向けた。こういうのを、馬脚を現すとか、語るに落ちるとか言うのだ。そう思いながら、フロイドは言葉を続けた。


「“それ”は、できれば一人で運ばない方がいいでしょうね。仮にあなたが、普通のかよわいご令嬢なら」


 フロイドが指さしたのは、アルフェが両手に抱えた荷物だ。

 男一人と言わず、三、四人がかりでも持ち上げるのに苦労しそうな鉄の大鍋を、アルフェは軽々と運んでいる。

 しばらく真顔で考えてから、アルフェはそれを、地面にそっと優しく下ろした。そして近くにいた手頃な兵に、重くて運べそうにないので、手伝っていただけませんかと、白々しく声をかけた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る