第107話
――私は、行かなければなりません。お許し願えますか? しばらくお一人で、ここに暮らしていただくことになりますが。
ベルダンという、この新しい町に住み着いてから数日。青年は、銀髪の少女を前にしてそう言った。お許し願えるかと、少女に許可を求めているようでいて、青年は既に完全に旅支度を整えている。
――え?
今日まで食器の上げ下げも何もかもを青年に任せていた少女は、リビングの粗末な椅子に座ったまま、青年に顔を向けた。彼女には、青年の言っていることが理解できていない様子だ。
――必ず、戻ります。大公妃様と……姉姫様の無事が確認できましたら、必ず。
そう言ったが、自分がここに戻ることはあるだろうかと、青年は思った。
そもそも自分がこの少女を助けることになったのは、完全なる計画違いだ。それを修正するために、これから大きな労力を強いられることになる。
――私がいない間は、これで十分に生活できるはずです。
青年は、小さな袋を少女の前に置いた。
小さくても、その袋には金貨と銀貨が詰まっている。一人なら、数年暮らすには十分な量だ。それは、城から持ち出した宝飾品や、少女の着ていたドレスを換金して得た金の残り。大分足元を見られたが、これだけの額になった。
きょとんとした表情で、少女は袋と青年の顔を、交互に見比べた。
――何を言っているのですか? クラウス。
金はあっても、この少女にはそれを使って生活する能力は無い。分かり切っている事実から、青年は意図的に目をそらしている。
――……お許しください。アルフィミア様。
――違います。私はアルフェですよ、クラウス。
いたずらっぽい顔で、少女が訂正してくる。自分で考えたにもかかわらず、青年はまだ、アルフェという新しい少女の名前に慣れていなかった。苛立ったような、哀れむような笑みを浮かべ、青年は、「そうでしたね」と言った。
――失礼します。アルフェ様。
いってらっしゃいと、少女は彼の背中に声を掛けた。
何も知らない、愚かな娘を一人見捨てた。
青年の中にあるのは、そういう気持ちだった。
●
「使えそうな物はありますか?」
小さな家の中にいるフロイドに向かって、入り口をのぞき込むようにしてアルフェが声をかけた
「食料は全部あさられてるな……。道具もだいぶ傷ついてる。使える物があるかどうか……。おいグラム! 運び出すから手を貸せ!」
中からは、そんな声が聞こえてくる。グラムが大きな身体を縮めて、家の中に入っていった。
先刻アルフェたちは、廃都市ダルマキアの城壁にたどり着いた。ここは前回この都市から撤退した時に、アルフェたちが放棄した荷車が置いてある家だ。
フロイドとグラムが、まだ使えそうな道具を運び出してくる。食料は小動物か何かにあさられて完全に無くなっているが、魔術のかかったテントなどの品は無事だった。高価な道具が駄目にならなくて良かったと、アルフェは内心胸をなで下ろした。
「ネレイア、お前も雇われだろうが。ちょっとは手伝え」
「女の子にそんなことをさせるの?」
「……女の子? っと! 魔術はやめろ!」
笑顔のネレイアが無詠唱で放った水銃を、フロイドがかわした。それを無視して城壁を眺めているアルフェの横に、グラムが並んだ。
「確かに、この町の中に強力な魔獣がおります。アルフェ様」
「分かるのですか?」
「はい、我々の感覚は、人間よりは鋭敏です」
アルフェでは感じ取ることのできない距離から、グラムは魔獣の正確な位置を把握している。聖堂跡の方角を指して、「あちらです」と言った。
「これほどの気配は、部族にいたころも感じたことがありません。昨日今日生まれた魔獣ではないでしょうが、この五年の間に、どこからかやって来たものでしょうか」
「翼がありました。もしかしたら、大山脈の方からかも」
「あり得ますね」
平地とは比較にならない強力な魔物が群生し、かつてアルフェの師コンラッドがたどり着いた大山脈は、ここから遥か南、ハノーゼスとゼスラントの、二つの八大諸侯領を越えた先にある。
「ふん。そんなことより、さっさと野営地を作るぞ。今度はもうちょっとまともな家を探そう」
ネレイアとじゃれるのをやめたフロイドが、そう言った。この男の言う通り、魔獣の素性を詮索するのは、後からでもできる。それから、男二人は雑用に従事し始めた。荷物を運び入れられそうな倒壊してない家を探して、そこに一時的なキャンプを作る。今回は、馬のイコを城壁外に置いて行く。その関係で、魔物が簡単に侵入できないように、石や枝などで入り口を補強する必要がある。
「すごい大きさの遺跡ね」
作業に加わっていないネレイアが、アルフェに声をかけた。最初はオークのグラムに戸惑っていた彼女も、ここまで共に行動する中で、かなり違和感は薄れたようだ。
ネレイアは城壁をしげしげと見上げてから言った。
「この廃都の話は聞いたことがあるけど、実際に来たのは初めてだわ」
「昔はここが、バルトムンクの結界の中心だったということです」
「そうらしいわね」
ネレイアは、そのあたりの事情に詳しかった。魔術士である分、結界の仕組み等についても通じているということだろうか。アルフェが結界について聞くと、ネレイアは首を振った。
「結界の構造は教会以外には門外不出よ。もしかしたら、八大諸侯クラスの貴族家には、伝承として伝わっているのかもしれないけど……」
「どうしてバルトムンクの結界は消失したのでしょうか?」
「教会に行けば、いくらでも説明してくれるでしょ。『この町の人たちが、神様の教えを忘れて堕落したからだ』って。……本当かしら?」
ネレイアは帝国外の出身らしく、神聖教会の教えに対して、どこか距離を置いた発言をした。
「当然、私の国にも結界はあったわ。一般市民が関わることができないのは帝国と同じだけど、管理しているのは教会じゃなくて、王家だったわね。だからこの国みたいに教会の力が強いのには、少し違和感があるの」
「ネレイアさんの故郷は……」
「キギニスよ、ここから東の」
アルフェは地図の右端にある小国の事を思い浮かべた。そこまで行けば、帝国とは色々と文化習俗も異なるのだろう。
二人がそんな話をしていると、フロイドとグラムが戻ってきた。
「終わったぞ」
「ご苦労様です」
「礼を申されるには及びません、アルフェ様」
グラムが拳で胸を叩く。アルフェが手かせと足かせを外してから、彼の言葉と態度はいよいよアルフェを敬ったものになっている。グラム曰く、オーク社会は上下関係に厳しいらしい。アルフェのような少女に使われることを、オークとして疑問に思わないのかとフロイドに問われていたが、女であれ男であれ、強い者が上に来るのは彼らにとって自然なことなのだそうだ。
――お前も、アルフェ様に忠誠を誓っているという点では同じだ。しかし、言葉遣いがなっていない。
それどころか、フロイドをつかまえてそのような駄目出しまでする始末である。
まさかオークに礼儀を指南される日が来るとは思わなかったと、フロイドは憮然とした表情をしていた。
「では行きましょう。あの魔獣は大聖堂の巣を守っていたようでしたから、そこに入るまでは攻撃してこないとは思います。ですが、油断はしないように」
少々の休息をとってから、パーティーは城壁内部に足を踏み入れ得た。前回と同様に、城壁の内側からは、途端に魔物の気配が薄くなる。これは強力な魔獣の縄張りに入ったということであり、本当に魔物がいなくなった訳ではない。
現にグラムは、強烈な気配が、肌にぴりぴりと感じられると言った。
「これは、お前たち人間の結界に入った時の感覚とよく似ている。とても嫌な感覚だ」
「前の戦いのせいで、魔獣も気が立ってるのかもしれないな」
ネレイアの魔術による探知も行いつつ、一行は慎重に歩を進めた。
そんな中で、はじめに異変に気がついたのは、そのネレイアだった。
「……待って」
「どうしました、ネレイアさん」
「……自信が無いけれど、この遺跡の中に、誰か人間がいるわ」
「人間だと?」
フロイドが鋭い声で聞き返し、グラムが周囲を見回している。
「どちらの方向に? 何人ほどですか?」
「私の力だとそこまでは……。漠然と、“いる”っていうくらいにしか分からない。グラム、あなたはどう?」
「……分からない。人間は魔物と違って、気配が薄い」
大通りの中央を歩いていた一行は、警戒するように道の端に寄った。誰からともなく、声も小さくひそめるようになっている。
「冒険者が探索に来るってことはあるだろう。それじゃないのか?」
「確かに有り得ますが……」
フロイドの言う通り、遺跡探索と調査も冒険者の仕事の一つである。無くは無い。しかし可能性は低い。
遺跡調査の報酬は少ない。それにアルフェたちが前に見たように、この町にはめぼしい宝物などは残されていなかった。一番近いバルトムンクから遠征するにしても、割に合う仕事になるとは思えない。
アルフェのように、特殊な事情が無い限りは。
「人間がいるのが事実だとして、鉢合わせたらどうする」
既に鞘を握り締めているフロイドが、アルフェに指示を求める。
あごに指を当てて、アルフェはそれに答えた。
「誰が、何のために来ているのかによります。ただの冒険者なら、敢えて敵対する必要は無いでしょう。無視できるなら無視します。それ以外は……」
「出くわしてから考えると?」
「はい」
「了解した」
問題は、ただの冒険者では無かった場合だ。ここをわざわざ訪れる。そういう人間が、アルフェと同じ目的を持っているということだってあり得るだろう。
――まさか、また、あの男が。
アルフェはエアハルトの聖堂で起こった事を思い出して、わずかに身震いした。
大聖堂に近づくにつれ、魔獣の気配はアルフェにも読み取れるようになっていく。しかしネレイアの言う人間とは、彼らが大聖堂の扉の前まで来ても、まだ遭遇していなかった。
「他の人間っていうのは、お前の気のせいじゃないのか?」
「いえ、いるわ。それは間違いないし……、それどころか、近づいてる。…………この中?」
大聖堂を見つめるネレイアの視線を、他の三人が追う。
フロイドが剣を抜き、グラムが片手斧を両手にぶら下げた。
アルフェを先頭にして、四人は大聖堂に入った。何も言わなくとも、非力な魔術士のネレイアを保護するように、フロイドとグラムは左右に展開している。
そして聖堂に入ってからしばらく歩いた所で、その音は聞こえてきた。
「――この音は!?」
聖堂全体を震わせるような高音が、礼拝堂の方角から響く。それはあの魔獣が発していたものと、全く同じだ。それに気付いたアルフェは思わず大きな声を出し、フロイドも動揺した様子でアルフェに言った。
「アルフェ! まさかこれは!?」
誰かが、あの魔獣と戦っている。
おそらくはネレイアの言う“他の人間”が、アルフェたちに先んじてあの魔獣と遭遇したのだ。高音のあとに響く、巨大なものが岩にぶつかったような振動。これはもう間違い無い。
「急ぎましょう!」
アルフェたちは走り出した。魔獣の巣である中央の礼拝堂に向かって、朽ちた通路を全速で進む。
彼らが礼拝堂にたどり着いたちょうどその時も、魔獣は音によって侵入者に対する攻撃を行っていた。
「ぬうッ!?」
「大丈夫よ!」
グラムが耳を塞ぎ、ネレイアが防御魔術を展開する。魔力の薄い膜が四人を覆い、鼓膜を破りそうなほどの騒音が段違いに弱められた。
アルフェはすばやく礼拝所の中を確認する。空を飛ぶ人面の魔獣、そこら中に散らばった瓦礫、そして、魔獣の攻撃を受けている人間の男。
人間の、男。
「誰だあれは!?」
フロイドが叫び、アルフェは目を見張った。
――あれは!?
陥落するラトリアの城からアルフェを連れ出し、ベルダンまで連れてきた男。
アルフェの姉の従者で、いつも姉の後ろに控えていた青年。
「クラウス!?」
その男が、たった独りで魔獣と戦っていた。
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