第106話

 馬車が川沿いの道を曲がり、山を越える旧街道に入ったころ、荷台の縁に手をかけてネレイアが言った。


「ねえフロイド。もう一人はどこにいるの? あなた、四人で行くって言ったわよね」

「ここにはいない。山の向こうで合流だ」

「山の向こう……。そんなところで?」


 フロイドはネレイアに、グラムのことまでは教えていないようだ。

 アルフェはマントにくるまり横になったまま、耳だけで二人の会話を聞いている。


「どんな人? あなたたちがわざわざ連れて行くくらいなんだから、強いんでしょう?」

「ああ、強いとも。ちょいと“人間離れ”してるがな。我らの姫様が味方に付けた、忠実なる臣下だ」

「何それ? ふうん…………、男よね?」

「何だその目は。確かに男だが、手を出すのはあまり勧めんぞ。どうしてもって言うなら、無理は言わんが」


 ネレイアの声には、ルサールカを追っていた時のような陰が無い。恩師の敵討ちがあのような結末になっても、彼女の中の何かには、決着が付いたのだろうか。

 フロイドの言葉に含まれているのは、アルフェに対する皮肉が半分、ネレイアに対するからかいの気持ちが半分というところだ。アルフェは、より強くマントにくるまった。


「いいじゃない。私、強い男が好きなの。一族の復興だってしなきゃならないし、帰る前にあたりをつけておかないと」

「なら、なおのこと止めておけ。それでどんな一族が復興されるのかは、ちょっと興味深いがな」

「何言ってるのよ」

「ま、そいつに会えば分かるさ」


 山を越えて森に入り、先日あのオークと会った丘を目指す。この三人が苦戦するような魔物が、道中にいる訳もない。路面が悪いことを除けば、結界内を旅しているのとさほど変わりなかった。

 あとは、あのグラムというオークが、本当に約束を守るかどうかが問題だった。もしかしたら、恩を返すというのは言葉だけで、既にいなくなっていてもおかしくない。というより、そちらの可能性の方がはるかに高い。

 だが、アルフェたちが丘に到着すると、グラムは相変わらずそこにいた。


「早かったな。もう少しかかると思っていたぞ」


 そう言ったグラムは、肩に太い丸太を担いでいる。彼は丘の上に、木組みの小屋を作っている最中だったようだ。下ろした丸太を地面に突き刺すと、グラムはアルフェたちの方に向かって歩いてきた。


「あなたも、いつまでも借りっぱなしは嫌でしょう」

「確かにそうだ」

「死ぬかもしれませんが」

「構わない。そうでなければ、命を見逃してもらった恩は返せん」


 ではと言って、グラムはがに股になって腰を落とすと、拳で胸を、力強く三度叩いた。


「たった今から、私はあなたの命令に従い、あなたのために戦います。アルフェ様」


 突然の宣言に、アルフェは目を丸くした。離れた場所からそれを見ているネレイアは、さっきから口を開けて固まったままだ。フロイドは、ネレイアの隣にある適当な石に腰を下ろして、頬杖をついている。


「何ですか、それは……」

「オークの作法です。新しい部族の長に仕えることを誓う――」


 グラムの顔は大真面目だ。何と言っていいか分からなかったアルフェは、一つだけ注文を付けた。


「せめて、“様”は止めて下さい……」

「それは聞けません。私はあなたの配下に入ろうとしているのですから。これはけじめというものです」


 グラムは言葉遣いすら丁寧になって、あくまでアルフェを立てる姿勢を取っている。意思の疎通ができないから今まで知らなかったものの、オークというのは実は皆、このように律儀なのだろうか。

 オークを従えて戻ってくるアルフェを見て、ネレイアが口を動かした。


「ねえフロイド……」

「なんだ」

「お酒ある……?」

「馬車に二本だけならな」


 フロイドは目の前を飛んでいた羽虫を、息でふっと追い払った。


「だが、酔っても多分、あいつは消えんぞ」


 そう言ってから、尻を手で払いながら立ち上がったフロイドは、グラムに声をかけた。


「お前も妙な魔物だ」

「私は魔物ではない」

「分かった分かった」


 フロイドは苦笑し、拳で軽くグラムの胸板を叩いた。


「妙なオークだよ、お前は」

「うむ。お前は、フロイドだったな。よろしく頼む」

「ああ、グラム。厄介な主に仕えることになった者同士、せいぜい仲良くしよう」


 グラムはうなずき、次にネレイアに顔を向けた。

 灰色の肌に、むき出した牙。よく見ればつぶらな瞳をしているのだが、オークはオークだ。


「私はグラムだ。お前の名前は?」

「ひっ、く」


 初めてオークに話しかけられた魔女は、しゃっくりをしたように可愛らしい声を出した。


「ヒック? オーク風の名だな……。お前は人間だろう」

「違う違う、こいつは魔術士のネレイアだ。直接話しかけるのはもうちょっと待ってやれ。お前の顔は、女が慣れるのに時間がかかる。人間ていうのは皆が皆、この娘みたいに図太くないんだ」

「あなたのように厚かましくもありません」

「とにかく、さっさと降りよう。ここは虫が多い」


 一行が馬車に戻ると、ネレイアは早速酒瓶の栓を開け、中のワインをあおり始めた。

 グラムはアルフェから受け取った鋼の手斧を持って、その重さを確かめたりしている。


「斧で良かったですか?」


 オークが斧を使うというのは、アルフェの中にあった勝手なイメージだ。これまで彼女が戦ってきたオーク、特にハイオークは、斧を持っている事が多かった。

 グラムは二、三度斧を振って風を切ると、満足そうにうなずいた。


「うむ、問題ありません。金属の武器は不慣れですが」

「防具は持ってこれませんでしたが……」

「そもそも人間の町に、私が着られるような鎧は無いでしょう」


 そう言ったグラムは、バルトムンクの地下闘技場にいた時と同じ姿をしている。すなわち、腰を覆うぼろ布一枚という格好だ。ごつごつした岩のような筋肉と灰色の肌が、惜しげもなく外気に晒されていた。鎖のちぎれた手かせと足かせも、まだ彼の両手両脚に残っている。


「一応、服は用意しました」


 裸に近いその格好は何だからという理由で、アルフェは布のシャツとズボンを持ってきていた。既製品では最も大きな丈を用意したのだが、それでもグラムの巨躯には小さすぎる。実際着替えてみた所、ズボンはぱつんぱつんだし、止めたシャツのボタンが、今にもはち切れそうだ。

 それを見て、フロイドが彼なりの言葉で簡潔に評した。


「悪い冗談のような見た目だな」

「ん……。その手枷を取りましょうか。別にもう、付けている理由は無いでしょうし」


 アルフェの言う通り、グラムの手足に付いている金属の金輪は、シャツを着る時にも引っかかり邪魔になっていた。

 その指摘を受けて、グラムは人間の様に困った表情をする代わり、小さく唸り声を発した。


「そうは言われますが、アルフェ様」


 この金輪は、彼のように強力なオークを拘束するためにあつらえられた特注品だ。魔術的な鍵もかかっていて、岩に叩き付ける程度では壊せなかった。


「取ろうと思って簡単に取れる物なら、苦労はしません。忌々しいことです」

「貸して下さい」


 そう言いながら、アルフェが手かせの輪に手をかけた。


「ふんっ」


 アルフェが小さい気合いを入れる。そして次の瞬間には、太い金属の輪は、ばぎんと音を立てて外れてしまった。


「……なんと」

「足も取りましょう」


 彼を五年間拘束して苦しめてきた枷が、少女の細い手によって簡単に取り払われていくのを見て、さすがにグラムも言葉と表情を失っている。

 酒をあおるネレイアの横に立ちながら、その光景を眺めていたフロイドは、さも愉快そうにくつくつと笑った。


「一応これで、今回のパーティーは全員集合だな」


 諸々のやり取りが落ち着くと、仕切り直すようにフロイドが言った。

 改めて、この集団の目的を共有しなければならない。リーダーであるアルフェが、他の三人を見回しながら切り出した。


「我々はこの森を西に向かい、旧バルトムンク首都の、廃都市ダルマキアを目指します。目標は、そこの大聖堂に棲む魔獣の討伐です。その魔獣は、他に似た種が思い浮かびません。固有種のようでした。人間のような頭に翼が生えていて――」


 魔獣の特徴やその住み処の状況について、アルフェは淡々と述べていく。三人は黙ってその言葉を聞いていた。


「音を鳴らして攻撃する……。空気のマナを操る魔術かしら」


 説明が一段落すると、ネレイアが首を傾げた。


「防御魔術は専門じゃないけど、一応対策してみましょう」

「その魔獣に通じるかは分からんが、投げ斧は得意だ」


 空飛ぶ魔物にも、大体は命中させられるとグラムが胸を張り、シャツのボタンが一つはじけた。馬のイコは、グラムの灰色の肌の匂いを興味深そうに嗅いでいる。

 確かにあの大聖堂の魔獣は強力だが、これだけの戦力があれば勝算は高い。アルフェにしても、フロイドにしてもそう思っている。


「行きましょう」


 アルフェが号令をかけると、他の三人は同時にうなずいた。

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