一緒に帰ろう
第100話
「あのパラディンは一体何だったんだ?」
「知りません……」
「最後のあれは、一体何をしてたんだ?」
「分かりません……」
「何だかあんたの名前を連呼していたみたいだが――」
「フロイド……」
「ん?」
「黙りなさい……。思い出させないで……」
「分かった分かった」
数分前、戦いを終えて貴賓室に戻ってきたアルフェは、疲労困憊した様子でテーブルの前の椅子に腰を下ろすと、そのまま両手で顔を覆って固まった。
質問攻めをしたフロイドに対しても、首を振りながら今のように呻くばかりだ。
「すまんなゲイツ。姫様はご機嫌斜めのようだ」
「負けたからって、気を落とす必要はねぇよ。相手はパラディンだ」
ゲイツが慰めても、アルフェは両肘をテーブルについたまま身じろぎしない。男二人は顔を見合わせると、同時に肩をすくめた。
アルフェを放置して、フロイドはアリーナの様子を眺めた。天井から観客席にかけて、半円状に大きな亀裂が入っている。
「よくあんなものと戦ったな……。……凄まじい技だ」
「ああ、人間の仕業と思えねぇ」
「ゲイツ、お前としては大損だな。酷いことになった」
「別に問題無い。元々廃品利用みたいな建物だ。穴を塞ぐくらいなら、いくらもかからないさ。賭けに負けたのは、残念だけどなぁ。……で、報酬の件だが」
そこでアルフェがぴくりと身じろぎし、頭を上げた。ゲイツが仕切る情報屋組合の持つ情報が、この試合の報酬だった。
ちょっと気の毒そうな顔をしつつ、ゲイツは言った。
「成功が支払いの条件だしな」
「……仕方ありません」
「だが、俺たちも情報を売るのが商売だ。逆に払ってくれるなら色々と話すぜ。あんたらは信用できそうだ」
うちのマスターもそう言うだろう。ゲイツの言葉に、アルフェとフロイドの目が同時に険しくなった。
「お前が情報屋組合の元締めじゃ無かったのか」
「いつ俺がそんなこと言った」
「では誰が?」
「マスターは、あんたらに会ったことがあるって言ってたぞ」
「何?」
フロイドは厳しい声を出したが、ゲイツは愉快そうだ。
「あとの詳しい話はマスターに聞いてくれ。住所は教える。ここの帰りにでも寄れるさ」
「おい」
「俺はここの後片付けで忙しくなるからな。今日は楽しかったよ」
そして、じゃあまたなとゲイツは笑った。
◇
アルフェたちがそんな話をしていた頃、マキアスはゲオ・バルトムンクと共に彼の居城へと向かっていた。しかも、バルトムンク侯の馬車に同乗してという破格の待遇である。
――せっかくあいつを見つけたのに……。
こんなことをしている暇は無いのだと思いつつも、パラディンとバルトムンク領主の板挟みになっている以上、勝手には動けない。ここで彼らの機嫌を損ねれば、自分だけでなく家にまで累が及び、従って妹のステラにまで迷惑をかける。
さりとて折角見つけた“探し物”を手放すことはできない。マキアスは口を開いた。
「バルトムンク様、一つお聞きしてもよろしいでしょうか」
「何だ」
「本日アイゼンシュタインと戦ったのは、一体どういう人物なのでしょうか」
マキアスはまず、この男から情報を得ようとする。
「うむ。お前もそれが気になるか」
ゲオ・バルトムンクは案外素直に話に乗ってきた。もしかしたらマキアスを馬車に同乗させたのも、彼自身その話をしたかったからなのかもしれない。
「互角とは言えぬでも、あそこまでパラディンと戦える。世の中には思わぬ人間がいるものだ」
「バルトムンク様の相手方が雇った人間なのですね?」
「そうだ。メリダ商会のゲイツ・メリダが手配したのだろう。商人風情が、中々面白いものを見つけてくる」
――ゲイツ・メリダ……。
そこからたぐればアルフェに会うのは難しくなさそうだ。あの娘はまだ冒険者稼業を続けていて、それでその男に雇われたのだろう。何より、この町にいるという事が分かったのだ。きっと会える。
「ああいう技を使う男を、儂は昔見たことがある」
「え?」
「その男の動きと、あの娘の動きはうり二つだった。あれもまたパラディンに匹敵すると思ったのだが……、いつの間にかこの町から消えたな」
遠い目をしていきなり昔語りを始めたゲオ・バルトムンクだったが、マキアスはその話の内容に心当たりがあった。
――アルフェと同じ技を使う男……。それって、あいつの師匠じゃないのか?
アルフェの師匠であるコンラッドもまた、アルフェと同じく突然に姿を消した。
しかし彼らの道場に残されていたおびただしい血、あれはアルフェとコンラッド、どちらかのものとしか考えられない。アルフェが生きている以上、コンラッドがどうなったのかはマキアスにも想像が付いていた。
「バルトムンク様、私にもその男の話を聞かせていただけませんか?」
「いいだろう。と言っても、それ以上の事はあまり覚えていない。昔の事だ」
それでもゲオ・バルトムンクが語った所によると、やはりそれはアルフェの師匠、コンラッドの事で間違いなさそうだった。
コンラッドらしき男は十数年前にこの町に現れ、冒険者として生計を立てていたらしい。いや、盗賊狩りなどを中心に行っていたそうだから、冒険者というよりも賞金稼ぎと言った方がいいのか。
「あれほど傍若無人な男は見たことが無かった」
地下闘技場にも出場するようになった彼は、当時の強者たちを全く寄せ付けぬ強さでひねり潰した。相手を殺してしまうこともままあったという。
その頃のバルトムンクは今よりもさらに荒々しい気風があり、闘技場の試合もより血なまぐさいものだったが、あまりに強い彼に恐れをなしたか、すっかり大人しくなってしまったのだそうだ。
「あの娘の動きと同じだった」
老人は馬車の揺れに身を任せながら目を閉じて、昔を懐かしんでいる。
人の入れ替わりの激しいこのバルトムンクにおいて、その頃のことを覚えているのは、もうわずかしかいないだろう。
◇
再びアルフェたちに目を戻すと、地下闘技場を出たアルフェとフロイドは、連れ立って夜の要塞島を歩いていた。
彼らが訪ねた家は、前にも来たことがある。娼館や居酒屋が並ぶ歓楽街の隅に、こんな静閑な場所があるのかと感じる雰囲気の家だ。
「今晩は。こんな遅くにどうしました」
アルフェが戸を叩くと、出てきたのは総白髪の老人だ。老人と言っても足腰はしっかりしているから、見た目よりも若いのかもしれない。
「今晩は、ゲートルード博士。メリダ商会のゲイツさんから話を聞いてきました」
歴史学者のゲートルードは、アルフェの言葉を受けて柔和に微笑んだ。
用件も聞かず、彼は二人を家の中に招き入れる。
「どうぞ入って下さい。何もおもてなしできませんが……」
「お邪魔します」
以前に訪れた時と同じ片付いた室内に、アルフェたちは通された。ゲートルードはニコニコと笑い、二人に椅子を勧める。アルフェは座り、フロイドは固辞して壁にもたれかかった。
「それで、今日は何を聞きに来られたのですか?」
「あなたが情報屋組合のギルドマスターなのですね」
「ええ、そうですよ」
前置きもせずに放たれたアルフェの質問を、ゲートルードは即座に肯定した。
「歴史学者か。良い隠れ蓑だな」
フロイドの言葉にゲートルードはゆっくりと首を横に振る。
「それは違いますよ。私は歴史学者です。でも、歴史を知るということは、あらゆる史料を集めなければなりません。そこで気がついたら、こういうことになっていました」
「ふん……」
「お金を取るのは、知識には対価が必要だと思うからです。何の苦労も無く与えられた知識は、その人の身になりません」
フロイドは壁にもたれかかったまま舌打ちした。
「それで、今日は何を? 歴史の話だと嬉しいのですが。それなら対価無しでお話ししてもいい。私も楽しいですからね」
あくまで自然体で、ゲートルードはアルフェたちに接している。テーブルを挟んで彼の体面に座ったアルフェは、単刀直入に聞いた。
「ラトリア大公領の現在について教えて下さい」
「ああ……」
ゲートルードはアルフェの顔を見つめ、顎の下に手をやった後、口を開いた。
「ラトリア大公領はドニエステ王国に征服されて以来、今は王国の統治を受けていますね。大公領への主な街道も封鎖されています」
「それは知っています。他には何かありますか。その……、統治下でどのような政治が行われているとか」
「統治は安定しているようです。“王国の”と言いましたが、実際の政治はほとんどガルシュタット伯が行っているということです」
そこまでゲートルードが話したところで、フロイドが口を挟んだ。
「ガルシュタット? それはラトリア大公の縁戚じゃ無かったか? 帝国諸侯のはずだ。それが王国と?」
「はい。ドニエステ王国の侵攻を手引きしたのが、そのガルシュタット伯のようですね。十中八九間違いありません」
結構な重大事項を、当然のことのようにゲートルードは述べた。
ガルシュタット伯。アルフェは会った事が無いと思う。部屋に閉じこもっていたアルフェは、親戚の顔もほとんど知らない。――いや、全く知らない。
「……大公妃はどうなりました?」
アルフェの母だ。
「監禁されているようです」
監禁、ということは生きているということだ。良かったと思うべきなのだろうか。
監禁。嫌な言葉だ。
「主立った人物で、侵攻の際に亡くなられた方はあまりいないようです。学園もそのままのようですし」
「学園……?」
ラトリア大公領には有名な教育機関である魔術学園がある。アルフェの姉もそこに通っていた。ユリアン・エアハルトも遊学したことがあると言っていた。いずれアルフェも通うはずだったが、年齢が達していなかったので、まだ行ったことがない。
だが改めて思うと、アルフェの姉はアルフェよりも小さい頃から学園に通っていた。ではアルフェは、何歳から通うことになっていたのか。
――きっと、来年には行けるさ。
そう、来年になったら行けると言われた。来年……とは、どこから見て来年なのか。
分からない。来年は来年だ。
「はい。同じ学究の徒として、それは喜ばしいことです。あそこにある史料が失われることになれば、それは私にとってだけではない、人類にとって大きな損失ですので。あの学園は素晴らしい施設ですから、王国も破壊をためらったのでしょう」
もっとも、と言ってゲートルードは付け加えた。
彼はいつの間にか笑いを消して、アルフェの表情をじっと見ている。
「学長の力も大きかったのでしょうが」
「学長……」
「そうです、学長です。……聞いたことがありませんか?」
聞いたことがある?
私が、聞いたことがある?
学長。学園の長。魔術学園、そしてラトリアで最高の魔術士。
――考えなければ、楽になれる。
「あ――」
そうだ、聞いたことがある。会ったことがある。
考えなければ楽になれると、あの人は言った。部屋から出たくても出られないアルフェに向かって。ここから出られないのは、仕方のないことなのだと。この外の世界には、何も無いと。ここにいるのが、お前の幸せなのだと。
あの人が、あの人が、あの男が言った。あの魔術士が。あの、蔑むような、憐れむような眼。
魔術士。あの男。あの男。あの男が。あの、
あの男は、私に――
――【やめろ】
「う、ぐ……」
頭を抱えてうめき声を上げたアルフェに驚き、フロイドが剣の柄に手をかけた。
「アルフェ!? 貴様、何をした……!?」
「私は何もしていません。“私は”」
「何……!?」
アルフェは頭を抑えたまま、目をつぶって辛そうにしている。フロイドは柄を握ったままで、ゲートルードは興味深そうにアルフェを見つめている。
「……大丈夫です。ちょっと、めまいがしました」
「本当か……? ただ事じゃなかったぞ」
数分後、アルフェの顔色が元に戻っても、フロイドは警戒を緩めようとしていなかった。再びゲートルードが口を開いた時、剣を鞘から払いかけたほどだ。
「アルフェさんでしたね」
ゲートルードの声は、相変わらず静かで落ち着いていた。その背後から秋の虫の声が外から聞こえるのは、この家の庭の植え込みの中に住み着いているのだろうか。
「……」
「私などに聞かなくとも、あなたは知っていますよ。おそらくは全て」
「私が、知っている……?」
「あなたは、自分自身を知る努力をすべきです」
「私は……」
「あなたは、誰ですか?」
「私……、私は……」
「もういい! 止めろ!」
アルフェの身体が小刻みに震え出すのを見て、フロイドが大声を出した。
「この娘に何をしている!? 何を――」
「ですから、私ではありません。……心術ですね。……非常に強力なものです」
「な……に?」
「心と記憶に枷がかかっている。これを行使できる魔術士は、何人もいません」
フロイドはゲートルードとアルフェを交互に見た。
アルフェは自分の身体を抱きかかえ、震えている。
「解除する方法はあるのでしょうか。……いや、そんなものを考慮しないで、この術はかけられていますね。あるいは術士本人ですら、これを解除できないのかも」
自分の言葉にうなずいた後、ゲートルードは言った。
「アルフェさん。大丈夫ですか?」
「……はい」
「あなたにかけられた魔術を解く方法は、私には分かりません」
「魔術……、私に……?」
「ですが、あなたの知りたい事は、全てあなたの中にあると、私は思います」
ゲートルードの顔に、笑みが戻った。
「あなたは……何を知って……」
「今お話した以上のことはあまり。あなたがラトリアから来たということは知っていますが、それ以降は全て推論です」
「……お姉様は」
「あなたのお姉様。その行方も私は知りません。こんな仕事をしていても、残念ながら、全てを見通すということはできないのです。……今日はこれくらいにしておきましょうか。大分お疲れのようですから」
それきりゲートルードは口を閉じ、沈黙する。
青ざめた顔でうつむいたアルフェは、自分の中に見えた思い出に、言い知れない不安を感じていた。
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