第101話

「待って下さい隊長、速いですよ!」


 ガチャガチャと剣の鞘を鳴らして足早に歩くマキアスの後ろに、少し駆け足のカタリナが付いている。町が動き出したばかりのこんな早い時刻から、自分たちはどこに向かっているのか。副官の問いかけに、マキアスは前を向いたまま答えた。


「メリダ商会だ。昨日のアイゼンシュタインの対戦相手について、問いただしに行く」

「ロザリンデ様の? あれって、隊長が探してた子なんですよね?」

「何で知ってる!?」


 マキアスが立ち止まり振り向くと、追いついたカタリナが息をついた。


「呼んでたじゃないですか、隊長が。“アルフェ!”って」

「う……、そうだったか?」

「そうだったかって……思いっきり声に出てましたよ。気付いてなかったんですか?」

「む……」


 マキアスは歩くのを再開した。今度はカタリナに配慮してか、少しだけ歩調を緩めている。


「あれがアルフェちゃんなんですねぇ」

「……そうだよ。何が言いたい」

「めっちゃくっちゃ可愛い子だったじゃないですか! 『さあ、どうかな』とか格好つけて言ってたくせに!」

「うるさい、一々声真似するなよ。……それよりどうして付いてくる。アイゼンシュタインと一緒にいなくていいのか?」

「ロザリンデ様は、お部屋に閉じこもって出てきません」


 昨日の試合後、闘技場から宿に戻ると、ロザリンデは宣言通りカタリナと自分の部屋を分けた。あの高級な宿のだだっ広い部屋を一人で使うことになったカタリナは、恐縮を通り超えて困惑すら感じていたが、今は役得だと思って満喫することにしていた。

 それはそれとして、昨日の試合におけるロザリンデは、いつも以上におかしかった。あらゆる意味でだ。しかし試合中に見せた狂態はどこへやら、試合が終わった後は無表情に口をつぐみ、カタリナが話しかけてもほとんど反応を示さなかった。


「一応朝も声をかけたんです。でも、全然返事が無くて……」


 本当を言うと、扉に耳を当てたカタリナには、何か異様な、くぐもった悲鳴のようなものが聞こえたのだが、それは他言すべきではないと彼女は思っていた。


「隊長こそ、バルトムンク様のお城でどうだったんですか」

「あ? 別に俺は何も無いさ。爺さんの昔話にさんざん付き合わされて、親書の返事すらもらえなかった」


 マキアスはゲオ・バルトムンクから、剣術談義や何やらに加えて、バルトムンク家の過去の栄光について耳にたこができるくらい聞かされた。あの老貴族の中には、かつては広大な領土を支配していたバルトムンクが、今は一つの都市に過ぎないことに対する、非常に強いわだかまりのようなものがあると、マキアスは感じた。


「ロザリンデ様は怒りませんか?」

「う~ん。まあ、アイゼンシュタインがその調子なら、二、三日くらい返事をもらうのが遅れたっていいだろ」


 メリダ商会が経営する商館に到着すると、マキアスは神殿騎士としてゲイツ・メリダに用件があると告げた。こう言えば、大抵の人間とは会うことができる。

 まれに居留守を使われることもあるが、普通の人間は、神殿騎士団ににらまれて厄介なことになる方が面倒だと思うはずだ。


「少々お待ちを」


 ここでも神殿騎士の肩書は効力を発揮して、二人はすんなりと奥に通された。奥で待っていたのは、一目見てカタギでないと分かる派手な格好の男だった。


「俺がゲイツだ。神殿騎士が何の用だい?」

「神殿騎士団のマキアス・サンドライトだ。俺は騎士団の命令である調査を行っているんだが……、ゲイツ・メリダ、あんたに聞きたいことがある」

「俺に?」


 自己紹介を済ませると、マキアスは早速用件を切り出した。


「面倒は勘弁してくれよ。今日は忙しいんだ」

「すまない。短い用件だから勘弁してくれ。答えてくれればすぐに帰る。昨日、うちのロザリンデ・アイゼンシュタインと戦った娘についてなんだが――」

「あ~、なるほど。アルフェの事を聞きにきたのか」


 ゲイツは得心がいった顔でうなずいている。

 パラディンと同等に戦う娘を見て、神殿騎士団が興味を抱いた。そんな風に解釈した表情だ。


「そうだ。その、アルフェという娘の話だ」


 自分の見間違いでは無かった。マキアスは前のめりになる自分を感じた。


「あいつのことを聞いてどうするんだ? 騎士団にスカウトでもするのかい?」

「そんなところだ。で、彼女はどこにいる」

「今すぐ会いたかったなら、一足遅かったなぁ」

「何?」

「俺が今日忙しいのも、それと無関係じゃないんだ」


 ゲイツはさっきも忙しいと言った。それはマキアスたちに対する方便で言ったのでなく、本心からのようだ。そう言えば、階下にいる商館の事務員たちも、どことなく慌ただしかった。ゲイツは困ったように眉をひそめた。


「そうだよ、あんたらの親玉とも無関係じゃない。アイゼンシュタインだっけか? 元はと言えば、あのパラディンのせいなんだからな」

「何を言ってる。話が見えないんだが」

「うちの闘技場で飼ってた魔物が、一匹逃げ出したんだ」

「は?」

「だから、あんたらの親玉のせいだって」


 ゲイツの説明によると、昨日の戦いでロザリンデが闘技場を破壊した事で、思わぬ二次被害が起こったそうだ。具体的には、魔物を閉じ込めていた牢のいくつかが破損した。そこから一体の魔物が逃走したのだという。


「抜かってたなぁ。よりによって、あいつが逃げるなんてよ。まあそういうことだから、今朝のうちに賞金をかけたのさ。飼い主としちゃ、始末を付けなきゃならんからねぇ」

「魔物に賞金……? つまり、それをアルフェが……」

「あいつは優秀で、仕事熱心な冒険者だからな。特別に人をやって知らせた。もう町の外だろ」

「くっ!」


 ――空振りか……!


 マキアスは見るから悔しそうに歯がみした。


「た、隊長……」

「そんなに会いたかったのか? まあ、すぐ戻ってくるさ。何しろあいつは優秀だ」

「ちっ」


 そうだ、すぐ戻ってくる。俺は一年待ったんだ。それくらい待てる。戻ってきたら、すかさずそこで捕まえればいい。気持ちを切り替えたマキアスは顔を上げた。


「……話は分かった。一応その娘の、連絡先か何かを教えてもらえないか。後は――、そうだ、逃げた魔物ってなんなんだ?」

「それなんだよ……、俺が困ってるのは。でもまあ、仕方ないな。手堅い見世物が一つ無くなるのは残念だが、放っておいたら示しがつかない」

「一人で納得してないで、さっさと教えてくれないか。あんただって忙しいんだろ?」

「ふん……。オークだよ。ハイオーク」

「ハイオーク? あの灰色の?」

「あん、闘技場で見たのか? そうそう、あれだよ。厄介っちゃ厄介だろうが、あの娘のことだしなぁ。すぐに仕留めるだろ」


 用が済んだら帰ってくれというゲイツに逆らわず、マキアスたちは商館を出た。アルフェが地下闘技場から脱走したオークを追跡しているという情報は、マキアスの予定を数日遅らせるものではあっても、行動の指針を変えるものではない。


 ――結局、あのフロイドってやつと一緒にいるって女の子が、アルフェだったのか。


 前にあの男と別の女が話しているのを見て、マキアスはすっかり勘違いをしていた。アルフェと会うには、あの男と連絡を取る必要があるとゲイツは言った。


 ――でも、なんであいつはあんな男と? 見るからにヤバそうな……。


 一言で言えば、人殺しの目をした男。それがマキアスによるフロイドの評価だった。ベルダンを出てから今まで、何がどうなって、アルフェはあんな男と共に行動するに至ったのだろうか。


「隊長、これからどうしますか?」

「アルフェを待つ」


 カタリナの問いを受けて、分かりきった事を聞くなと言わんばかりにマキアスは即答した。


「え……、待って、どうするんですか?」

「会うに決まってんだろ」

「え、でも……」


 マキアスはとりあえず、アルフェが追ったというオークについてどのような反応が起きているのかを確かめるために、冒険者組合を目指して歩いていた。

 相変わらずついてくるカタリナは、やけに言葉を濁している。


「何を言いたいんだ。俺はあいつを探してここまで来たんだ。会わないわけないだろ」

「そ、そうなんですけど……」

「だからなんだよ。言いたいことがあるならはっきり言え」

「あ、じゃあ……。あの、会ってどうするんですか?」

「決まってるだろ! あいつに会ったら――」


 マキアスの台詞は、そこで途切れた。


「あいつに、会ったら……」


 会ったら、どうするのか。その後に続く言葉が、思い浮かばなかったからだ。

 マキアスは今更ながら、アルフェと再会した時、自分がどういう行動を取るべきか、それを具体的に考えていなかったことに気がついた。

 アルフェに会ったらどうするか。連れ帰るのか。


 ――そう、そうだ。連れ帰る。俺はリアナたちと約束した。連れ帰るんだ。ベルダンに。


 それが自分の目的だったはずだ。アルフェをあの町に連れ帰って、あの姉弟の元に、アルフェが開いた、ささやかさな店の元に戻す。それが目的だったはずなのだが……。


 ――……そう言ったとして、あいつは、俺の言うことを聞くか?


 そもそも、アルフェはどうしてあの町から姿を消したのか。

 今さらな疑問が、改めてマキアスの頭を占めた。


 あの娘は、そもそもが正体不明だった。出身はどこなのか、親兄弟は何をしているのか。彼女について、自分は何も知らない。いや、自分だけではなく、テオドールも、ローラ・ハルコムも、タルボットや冒険者たちも、それ以外にアルフェと面識があった人間の誰も、アルフェがいつ、どこからベルダンにやってきた人間なのかすら知らなかった。

 テオドールが一度、アルフェにその素性を訪ねたことがある。「何もしていなかった」と、彼女は答えた。何も。その時は妙な答えだと思ったが、今にして、腑に落ちる部分があった。


 何も無いのだ。彼女が何なのかを示すものが。


 あの娘は、一体誰だったのだろう。


「痛っ」


 マキアスは急に立ち止まり、その背中にカタリナが顔をぶつけた。


「痛いじゃないですか!」


 違う。そんなことは問題じゃないと、マキアスは首を振る。重要なのは、あの娘の素性なんかじゃない。アルフェはアルフェだ。俺は、それを知っている。あの娘はあの町を、あの店を、あの兄妹を、そしてあの師匠という男を、とても大切に思っていた。

 しかし、アルフェは突如、忽然と姿を消した。

 何が起こったか分からない。だが、あの破壊されつくした道場と、おびただしい血痕。あの娘は、何か大きな理不尽に襲われた。だから全てを捨てて消えたのだ。きっと、リアナやリオンに害が及ばぬように。逃げたのではない。彼女はそんな無責任な娘ではない。

 では、そんな彼女と自分が会って、自分は何をしてやればいいのだろうか。何ができるのだろうか。


「……とにかく、まずは会う。あいつから直接話を聞かなきゃ、何もできない」


 マキアスは己に言い聞かせるようにつぶやいた。

 アルフェが抱える困難に対して、友人として、騎士として、何かをしてやらなければならない。その思いに間違いは無いはずだからと。

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