第99話
「……あの娘は、確かにパラディンのようだな」
バルコニーの座席に腰掛けたゲオ・バルトムンクが、忌々しそうに言った。
戦うロザリンデの動きを見れば、そう認めざるを得ない。前線を退いて久しいが、彼自身もかつては戦士として知られた身なのだ。
「だが、それと戦える娘など……、相手は一体何者だ? メリダ商会はどこからあんなものを発掘してきた」
「は、それは俺、私には分かりませんが……」
老人の話し相手をさせられているマキアスの心中はそれどころではない。本当ならば今すぐ闘場に駆け下りていって乱入したいくらいなのだが、それを思いとどまる自制心も、彼は持っている。
カタリナもバルコニーの脇で直立しながら、どこかそわそわとしている。マキアスが叫んだアルフェという名前を聞き、あれがマキアスの探していた少女なのだと気がついたからだ。
「冒険者か? 銀髪の……。体術だけで戦うなど珍しい」
女性全般を見下しているこの老人すら感嘆する異質さを持っている。あの頃のままだとマキアスは思った。マキアスもあの時に彼女が戦う姿を見て、一目で興味を引かれたのだ。
目まぐるしい攻防を行ったあと、闘場の二人は膠着状態に入った。今はアルフェがジリジリとロザリンデの周囲を回り、その隙をうかがっている。
ロザリンデの様子がいつもよりも妙なのは置いておいても、パラディンとあそこまで“まともに”戦えるというのは、アルフェがマキアスやテオドールと共にベルダンに居た時よりも、はるかに強くなっているということだ。
「意外に危ういのではないか? パラディン殿は」
皺の多い顔に意地の悪い笑みを浮かべているゲオ・バルトムンクだが、マキアスには既にこの戦いの勝者が見えていた。
「いえ、アイゼンシュタインが勝つでしょう」
「ほう」
「間違いありません。アルフェ……、相手はまだ、パラディンの域には届いていません」
「さすがに神殿騎士。パラディンの肩を持つな」
「事実です」
「なるほど。では、その予想が当たるか、見てみるとするか」
ゲオ・バルトムンクは、深く椅子に身体を沈めた。
◇
さっきは奇襲で懐に入ることができたが、その先が硬かった。
アルフェはもう一度相手の制空権内に入る機会をうかがっているが、ロザリンデの構えは更に隙の無いものになっている。斧が触れる範囲に近づけば、一瞬で輪切りにされてもおかしくない。
――この場所はマナが薄いけれど……。
集気で魔力を集めつつ、様子を見る。
後ろに回ってみても、まるで背中に目が付いているようだ。
――もう一度フェイントで――!
移動速度に緩急を付けて、アルフェは前に出た。
さっきと同じように間合いに入る直前で停止し、即座に再発進すれば――
「……ふぅ」
アルフェの口から思わず安堵の息が漏れる。
今度は先ほどとは違い、ロザリンデに寸止めするつもりは無かったようだ。空気を裂いて、ハルバードはアルフェの首の前を通り過ぎていった。止まらなければ、首をはねられていたかもしれない。急停止したお陰で、髪を少し切られただけで済んだのだが……。
「あ……、あ……、ああ…………」
その時、アルフェは相手の異常に気がついた。
ロザリンデがアルフェの方を凝視して、奇妙な声で呻いている。
「何て、何てことを……。こんな、こんな……」
何が起こったのだろう。
今のやり取りで変化した事など何も無い。ロザリンデはもちろん、アルフェもかすり傷一つ負っていない。ただ、“アルフェが髪を切られただけ”だ。
「私は、何てことを……」
戦場で誤って恋人を刺せば、今のロザリンデのような声を出せるのかもしれない。完全に絶望した表情で、ロザリンデは全身をわなわなと震わせている。
かと思うと、敵意をむき出した顔でロザリンデは叫んだ。
「――あなたが悪いんです!!」
「は?」
「あなたが、あなたが無茶をするから! 難しいのに! 傷つけないように止めるのは難しいのに!」
「傷つけないでくれなどと、私が頼みましたか」
そろそろアルフェの反応も、かなり冷たくなっていた。
「そんな――、そんな目で見ないで! 私をどうするつもりなの!?」
アルフェに冷ややかな瞳を向けられたロザリンデは、頬を染めながら己を抱きしめ、がちがちと歯を鳴らした。なるほど、パラディンというのはもしかしたら異常者の集団なのかもしれないと、アルフェの中の認識は変わりつつある。
「訳の分からないことを言っていないで――」
「もう終わらせます!! これ以上私を惑わせるなら――、消えてもらいます!!」
その宣言と共に、闘技場中にロザリンデの闘気が吹き荒れた。振りかぶったハルバードの刃が光を帯びて、まるで数倍に伸びているようにも見えた。
質は違えどこの娘もアルフェと同じ、先天的に異常な量の魔力を有している。それを全開にして、ロザリンデは必殺の一撃を繰り出そうとしている。
「や、ヤバいんじゃないか!?」
「おい、逃げろ! 巻き添えを食うぞ!」
聡い観客は、自分たちに被害が及ぶかもしれない事を察知したらしい。彼らは我先にと逃げ出し始めた。
離れた観客席にいてさえ、そうなのだ。まさにロザリンデの攻撃目標になっているアルフェは、息を呑んだ。
素直に恐ろしい。極めれば、人間はここまでの事ができるのかと。
ぶるりと全身に震えが走り抜け、そしてアルフェは牙をむいた。
「はあああああああ!!」
外から魔力を集め、内側でも魔力を高める。ロザリンデがこぼした魔力すら拾い集めて、少しでも力を増幅する。
「消えなさい!!」
そう叫んでロザリンデがハルバードを振り下ろした速度は、光を超えていたかもしれない。
衝撃が走り、刃の軌跡の延長線が、一瞬で全て両断される。観客席にも深い亀裂が走り、闘技場の屋根が割れた。
しかし、その時のアルフェの瞬発もまた、彼女自身かつて出せたことの無い速度だった。
文字通り紙一重でロザリンデの攻撃をかいくぐり前に出る。そして懐に潜り込めば、ロザリンデの姿は消える。また側面を取られた。が、その動きはさっき見た。
――届く!
あらかじめ相手の移動先を予測して繰り出したアルフェの掌底が、ロザリンデの顎に向かって行く。これが直撃すれば、パラディンといえども立ってはいられないはずだ。
あと少しで届く、アルフェの拳はそこまで来た。
「ぶっ――!?」
だが、ロザリンデの技と速度は、アルフェのそれを上回った。ハルバードの柄が横面を殴りつけ、アルフェは横に大きくはじかれた。
「――まだ! ――ぐっ!?」
まだ終わっていない。アルフェはそう思い身を起こそうとしたが、もう終わっていた。
ロザリンデは、アルフェを地面に倒し馬乗りになると、その首元をハルバードの柄で押さえつけた。
「…………参りました」
腕も何も、完全に封じられている。これを敗北と認めない訳にはいかなかった。これ以上は見苦しい悪あがきだ。悔しいが、認める時は認めないといけない。これがただの試合なら尚更だ。そう思ったアルフェは力を抜いた。
傷つけないように、アルフェを制圧する。ロザリンデがさっき言った通りになった。そう考えて彼女が戦っていたのなら、自分はやはり手加減されていたのだ。それでも負けた。
――まだまだ、ですね。
まだ道は遠い。そうアルフェは思った。
「……」
「ありがとうございました」
試合の終わりには礼をしろとは、アルフェが師匠に教わったことだ。
「……」
しかしアルフェに馬乗りになったロザリンデは、何も答えない。
「……めんなさい」
いや、違う。彼女は何かをつぶやいている。
「ごめんなさい……。ごめんなさい……。ごめんなさい! うあああああ!!」
ロザリンデは、アルフェに謝罪しているのだ。その目には、狂気に近い色が宿っていた。
「許して下さい! お許し下さい! お許し下さい! 本心じゃ無いんです! 嘘です! 消えろなんて思っていません! どうか、どうか!」
「ロザリンデ、さん?」
「――!! 呼んでいただけるのですか!? 私を! 私を名前で――!! 許していただけるのですか!? ………………違う!! 違います!! そんな、私は、あなたのことなど――!! 私は、私はどうしたら――!?」
髪を振り乱し、ロザリンデは支離滅裂なことをわめく。
何なのだ。どうしたら良いのだ。叫びたいのはこっちの方だ。この相手が、アルフェには理解できない。すると、ロザリンデはぴたりと静止し、自分が殴りつけたアルフェの頬を見つめた。
「ああ……。こんなに赤くなって……」
ロザリンデは涙を流しながら、片手でアルフェの頬を愛おしそうに撫でた。そうしながらも彼女は、アルフェに対する拘束を、一片も緩めようとしていない。
「な――!?」
かつて女性に感じた事のない身の危険を覚えたアルフェは、ハルバードの柄の下で身をよじった。
「暴れないで!! そういうことをするから!! あなたが、あなたがいけないんです!!」
鼻息荒く、ロザリンデが叫んだ。
ロザリンデの感情は、怒りなのか何なのか。色々なものがない交ぜになった複雑な感情が、ロザリンデの中に渦巻いている。
「――!?」
それを感じて身を竦ませたアルフェは、ロザリンデの激情が鎮まるのをじっと待った。
「アルフェさん……」
そしてまた頬を撫で、恍惚とした表情でアルフェの名を呼んだロザリンデは、それから思わぬ行動に出た。
彼女は段々と、アルフェの上に覆い被さるように身体を密着させ、その顔をアルフェの鎖骨のあたりに埋めた。
「やめ、何を――!?」
はねのけようとするものの、凄まじい膂力で押さえつけられていて動けない。
アルフェの口元に、ロザリンデの桃灰色の髪がかかる。
「アルフェさん……!」
「きゃっ!?」
ロザリンデは甘えるようにアルフェの肌にすり付くと、そのまま深く深く呼吸をした。
「すうううううううううううううううううう」
感じた事の無い悪寒が、アルフェの背中に走る。彼女は目を閉じ唇を噛んで、早く時が経つよう、ひたすらに祈った。
「…………」
ややあって、ロザリンデは無言で上体を起こした。
その目は虚ろで、表情からは何も読み取れない。
アルフェの拘束を解いてふらふらと立ち上がったロザリンデは、近くに落ちていた何かを拾い上げ、ハルバードを引きずるようにしながら、闘場の外に消えていく。
「なん、なの……?」
そのあとには、仰向けに倒れたままのアルフェが独り残されていた。
◇
「妙な終わり方だったが、確かに貴公の勝利だ。アイゼンシュタイン殿」
貴賓室に戻ってきたロザリンデに対し、ゲオ・バルトムンクがそう言った。
不可思議な決着だったとは言え、馬乗りになって完全に敵を制圧した時点で、ロザリンデの勝利は疑いようが無い。
「……ありがとうございます」
小声で、しかも非常に早口に、ロザリンデはゲオ・バルトムンクの称賛に応えた。
「約束は守ろう。親書への返事は、すぐにしたためて貴公に渡す」
「……ありがとうございます。……マキアスさん!」
「は、はい!」
ロザリンデに初めて名前を呼ばれたマキアスは、驚きながらも直立して返事をする。
「バルトムンク侯、返事は彼にお願いします。私は、少し手傷を負ったので――」
「ふむ? そうは見えなかったが。……まあよかろう。では、マキアス君に私の館まで付いて来てもらおうか」
「いや、俺は――!」
「はい、それでお願いします」
マキアスの意向を無視し、ひどく適当な調子で、ロザリンデは重要な会話を打ち切った。
「失礼ですが、私は宿に戻らせていただきます。……カタリナさん」
「は、はい」
「すみません。少し一人になりたいので……。今日で部屋を移って下さい。あなたのために、もう一部屋取りますから」
「はい!」
あれだけ気に入っていたカタリナに対しても、どこか投げやりな口調だ。この豹変ぶりは、一体何が起こったのか。
「失礼します」
「あ、馬車を準備します!」
幽鬼のようにふらついて、ロザリンデは貴賓室を出て行った。
唖然とした表情でそれ見送ったマキアスの目には、ロザリンデの右手に、銀色の髪のようなものが握られているのが見えた。
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