第37話

 クルツは最後に到着した客のようだった。次の間に出てきた館の主人らしい男が、両手を広げて彼を歓迎する。肥満体の、きらびやかな服を着た男だ。


「これはこれはクルツ様、ようこそおいで下さいました」

「やあヘルムート。……少し時間に遅れてしまったかな? 他の客人にお詫びをしなければ」


 流石にクルツは場慣れしている。貴公子然とした立ち居振る舞いで握手をしながら、主人に遅参を詫びた。


「いえいえ、クルツ様がそのような事を気になさる必要は決して――」


 そこまで言って、彼はようやくクルツの陰に立つ少女に気がついたようだ。


「おや、これはなんと……。クルツ様、美しい恋人をお連れですな」


 従士という名目でついてきたリグスは、アルフェたちと別れて別の部屋に案内されていた。もしこの場に彼がいたら、冷や汗をかいたに違いない。

 主人の何気無い言葉を受けて、月夜の花のような少女から大量の冷気が吹き出した。しかしそれは一瞬のことで、その場にいた人間に気づいた者はいない。アルフェの顔に張り付けられた微笑も、全く崩れていなかった。


「ああ、ありがとう」

「初めてお目にかかりますが、お嬢様のお名前は?」

「……アルフェと申します」

「アルフェ様ですか。私はヘルムート・モーリッツと申します。お見知りおきを。……しかし、はて」


 自分はこの領邦の貴族の名前を大体頭に入れているが、あなたはどこの家の令嬢なのか。満面の笑みの中で、目には油断ならないものを光らせて、ヘルムートはそう聞いた。


「わけあって、それは明かせないのだ。身元は私が保証しよう。……それでは不服かい?」

「まさかまさか、不服などとは全くもって……。――それでは、奥へどうぞ」


 ヘルムートが先に立って、アルフェとクルツは会場に入った。今夜の主賓はクルツである。彼が現れるなり、他の出席者は立って出迎えた。同時に、室内にわずかなどよめきが起きる。

 居並ぶ客の目は、席に向かって歩くクルツではなく、その隣に侍る銀髪の少女に向けられていた。


(誰だ? 初めて見る顔だが――)

(私も知らん。しかし――)


 彼らが少女に注目した理由は一つ。


(しかし――、何と美しい……)


 その儚げな少女の美貌に、目を奪われたからだ。


 恐ろしく整った顔立ちに、白磁のような肌。結い上げられた髪の下に見える首筋は、歳不相応の色香を放っている。

 余計な装飾の一切が取り払われた、簡素な白いドレスは、まさに彼女自身の、素のままの美しさを引き立てるために誂えられたようだ。宝飾品も最低限の物しか身につけていないが、それもそのはず、下手な宝石で飾り立てたところで、身につける者の魅力に負けてしまうに違いない。


(……あれはどこかの姫君か?)

(いや、違うだろうよ……。大方、金に物を言わせたのだろう。少し幼いが、このように上等な愛人を見つけてくるとは、中々どうして)

(ただの御輿かと思っていたが、案外この坊ちゃんの人脈は大したものらしい)


 会の参加者たちは、顔に浮かんだ驚きをどうにかしまい込み、ひそひそとささやきかわしていた。


 自身がそんな風に見られているとは知らず、アルフェはクルツの腕に手を添えたまま進んだ。

 晩餐会の会場である広間は、通ってきた他の部屋にも増して美々しく飾り立てられている。そこら中に金銀が使われていて、アルフェにとっては、むしろあまりのくどさに胸やけがしてしまうほどだ。

 ヘルムートはアルフェたちを、広間の最も奥まった席に案内した。中央にクルツが座り、その両隣にヘルムートとアルフェが座る。


「では諸兄、お待たせして申し訳なかった。さあ、頂戴するとしよう」


 そして、ヘルムートを始めとした何人かの長々とした挨拶の後、クルツがそう締めて、晩餐は始まった。


 さすがに、用意された食事の内容は豪勢だった。街の食堂では目にすることができない珍しい料理や果実が、大きなテーブルの上に所狭しと並んでいる。

 食物に毒を盛られた様子も、会食者の中に刺客が紛れ込んでいる様子も無い。ならばしばらくは、お飾りでいられる。そう考えて、アルフェはありがたく食事に取りかかることにした。


「ところでヘルムート、最近の“奴”の動きはどうだ?」

「は、ユリアン様は、相変わらず軍の調練でお忙しいご様子ですな。今日も郊外で演習を行われたとの事です」

「最近は民政にも盛んに口出しをされておりますぞ。書記官の中には、それで辟易している者もいるとか」


 出席者たちは、贅を尽くした晩餐よりも、密談の方に関心があるようだ。食事もそこそこに、そんなくだらない権力争いの話をしている。

 きっとユリアンというのが、クルツの兄なのだろう。アルフェは口の中に料理を放り込みながら、彼らの話を聞くともなしに聞いていた


「ユリアン様は、年始めの典礼の費用も削られてしまった。これでは満足に近隣諸領にエアハルトの威を示すこともできません」


 密談と言ったが、特に聞かれて困る話ではないようだった。その内容は、ほとんどがクルツの兄に対する不満である。まあそもそも、本当に部外者に聞かせてはならない話題なら、アルフェがこの席に着くことはなかっただろうが。


 それはそうと、自分が考えていたより、クルツはずっと人望があるのかもしれない。アルフェはそう思った。

 席についている人間を見回すと、予想していたよりも数が多いのだ。ほとんどがクルツと同じように、アルフェの様なパートナーを連れてきている。会話の端々から想像するに、身分もそう低くはない。


「とにかく、ユリアン様は慣例というものを、余りにも軽視なされる。このまま我ら地方領主をないがしろにされては、立ち行くものも立ち行かなくなってしまいます」

「諸兄らの憤りは伝わっているとも。私が伯を継いだ暁には、悪いようにはしない」


 盃を掲げながら放たれたクルツの言葉に、男たちが称賛の声を上げる。


 ――……ふうん。


 この会の出席者は、エアハルト領内の地方貴族がほとんどのようだ。彼らの話を総合すると、クルツの兄のユリアンは、地方領主から領地と権力を取り上げて、伯の権限を広げようとしている。

 ここにいる人間は、クルツに次期エアハルト伯になってもらわなければ、いずれはユリアンに、己の家を潰されかねないという危機感を抱いているのだ。


 それでこの会の盛況も納得がいった。

 優秀でも、自分たちの立場を危うくする長男より、多少劣っても、操りやすい次男を次代の伯に据えようというのは、当然の心理かもしれない。クルツの人望というのは、早合点だったようだ。

 白けた様子のアルフェを見て、はす向かいに座っていた初老の男が笑い声をあげた。


「ははは、お嬢様が退屈していらっしゃる。ご婦人には興味の無い話題でしたな」

「ええ、お話が難しくて……」


 意味がさっぱりわかりません。取りあえず、そう言って笑っておけば問題ないと、リグスに指示されている。


「ユリアン様とは、どのようなお方なのですか?」


 しかし退屈しているのは事実だった。クルツも他の人間との話に夢中になって、こちらに注意を払っていない。アルフェはその男に、そんな当たり障りのない質問を投げかけた。


「どのようなお方……とは、さて」


 しかし男は回答に窮している。確かに、あまりにも漠然とした質問だったかもしれない。


「いえ、例えば……、そうですね。お強いのですか? ユリアン様は。剣がおできになるとか、魔術が使えるとか……」

「強い? そんなことに関心がおありですか?」

「はい。……え?」


 単純に一番興味のある話題を選んだつもりだったが、変だったろうか。男の付き添いの女性も、妙な顔をしている。アルフェは少し戸惑った。


「いやいや、やはりご婦人は、強い男に惹かれるものなのですよ」


 そんな彼女に助け舟を出したのは、短髪の壮年の男だ。がっしりとした体格から推測するに軍人だろうか。


「ユリアン様は、領内では並ぶ者の無い使い手ですよ。まあ、そういう私も、剣を使わせれば中々のものだと、人によく言われますが」

「それほどですか……」

「ええ、恐らくは、帝国でも五指に入る強さでしょうな。神殿騎士団のパラディンにも、ユリアン様にかなう者がいるかどうか」

「本当ですか。それは……、素晴らしいですね」


 得意な話題に、年若い少女が意外な食い付きを見せているので、男は気をよくしているらしい。口が滑らかになり、結果としてユリアンを称賛する台詞を口にしている。その言葉に苦い顔をしている者もいるが、気が付いていない。


「――ぜひ、お会いしたいです」

「おやおや、お嬢さん、そんなことを仰ってはなりませんぞ。私がクルツ様に恨まれてしまいますからなぁ! はっはっは!」


 女性は強い男に惹かれる。彼の言い分は、正しい部分もあるだろう。しかし、目の前の少女が、本当に彼の言う意味でユリアンに関心を持ったのかは、定かではない。



「確かにユリアン様は剣才がおありかも知れぬ。だが、伯として必要な素養は、それだけではあるまい」


 ユリアンを持ち上げる空気に業を煮やしたのか、別の会席者が、釘を刺すようにそう言った。


「血筋という点では、クルツ様の方が、はるかに優れていらっしゃる」

「左様ですな。嫡男とは言え、母親がどこの馬の骨とも分からぬ者では……」


 すかさず他の者が、迎合する姿勢を見せた。ユリアンをそしり、クルツを持ち上げる言葉が後に続く。

 その様子を見て、アルフェと話していた軍人風の男も、この会における自分の失言を悟ったようだ。


「も、もちろん、もちろんそうです。剣のことと、伯としてふさわしいかはまた別の事。当然です」


 とっさにそうやって言い繕うが、彼の周囲の男たちは、その顔に、明らかに彼を侮る笑みを浮かべていた。


 アルフェには、いまいち良く分からなかった。彼らは一体、何がそんなに嬉しいのだろうか。自分の話し相手になってくれた男に対する、若干の申し訳なさと共に、彼女は考える。

 こういうのを、“派閥”というのだ。目にするのは初めてだが、本で読んだことがある。

 派閥の仲間とは言え、他人の失点は、彼らにとってきっと喜ばしいことなのだろう。理屈としては分かる。だがそれでも、ここに集まっているのは、アルフェにはあまり理解できない人種のようだ。


 貴族というのは、皆こうなのだろうか。自分自身も貴族だということは忘れて、アルフェはそんな感想を抱いた。


 その後はさして特筆すべきこともなく、時間が流れていった。

 事が起こったのは会の終わり、クルツが締めくくりの演説を行っていた時だ。


「であるからして、我々はこの領内の秩序を維持するためにも――! ……ん? ぬぉ!」


 小さく窓ガラスが割れる音が響いたのと、人々が囲んでいたテーブルが宙に浮き上がったのは、ほとんど同時だった。


「きゃああ!」

「うおおお!?」


 女たちの高い悲鳴が響き、男たちの口からも、驚きの声が漏れた。

 重厚な木製のテーブルが傾き、上に残っていた料理が全て、テーブルクロスと共に床に滑り落ちる。けたたましい騒音にかき消されて、テーブルに何かが刺さった音は、会席者の耳には聞こえなかった。


 割れた窓から飛び込んできたのは、一本の石弓のボルトだ。それが放たれる直前に、アルフェは窓の外にちらつく怪しい気配を感じていた。

 隣に座っていたクルツの襟首をつかんで引き倒しつつ、アルフェはテーブルを蹴り上げた。いつの間にか彼女の手に握られていたフォークは、ボルトが発射されたと思しき地点に向かって、一直線に飛んで行ったが、何かに命中した様子はなかった。


 奇襲の失敗を悟った賊は、瞬時に撤退を選んだか。


「敵か!?」


 混乱の極致にある会場の中に、隣室に控えていたリグスが、物音を聞きつけて飛び込んできた。


「リグスさん、外です! ここを頼みます!」

「分かった!」


 リグスが床に倒れていたクルツを拾い上げて、次の間に下がっていく。同時にアルフェは窓の側に走り寄っていた。


「お、お嬢様、何を――!?」


 窓を開いたアルフェを、給仕の一人が怪訝な顔で見やる。


「――あああ! やめてください! ここは三階で――!」


 その後に続いた制止も聞かず、アルフェは窓枠を乗り越え、階下に飛び降りた。


 中庭の芝生の上に、アルフェは両手をついて着地する。上にある窓からは、広間からの光の他に、突然窓から身を投げた令嬢を目撃した、哀れな給仕の魂消るような悲鳴が漏れていた。


 ――敵は……!?


 アルフェは闇の中に目を凝らした。豪華な屋敷だけあって庭も相応に広く、大きな木が何本も植わっている。方角的に、襲撃者は樹上から狙撃を行ったと思われるが、中庭には警備の兵もいたはずだ。


「アルフェさん」


 暗闇から、アルフェに呼びかける声がした。少女の身体に一瞬緊張が走るが、すぐに緩める。この声はリグスの副官、グレンのものだ。


「グレンさん。敵は?」

「あの木から、標的を狙ったようです。衛兵が三人、殺られていました。不覚です。気付くのが遅れました」


 グレンが冷静に状況を説明する。


「では、逃げられましたか」

「いえ、ウェッジたちが追っています」


 どこまでも落ち着いた声で、グレンが答える。感情をすぐ表に出す団長のリグスとは、対照的な人物だ。彼が言ったウェッジというのは、確かリグスの傭兵団の、斥候の名前だ。


「……分かりました。私も行きます」


 グレンの指した方向を見て、アルフェは言った。夜会用の靴を脱ぎ棄て裸足になると、動きやすいようにドレスの裾を引き裂いた。


「はい、ここが落ち着いたら、私も向かいます。お気をつけて」


 その言葉を背に受けて、アルフェは夜の闇を走り出した。



「旦那、大丈夫ですか?」


 その頃、リグスは屋敷の客間の一つでクルツを介抱していた。クルツに怪我は無かったが、荒っぽく引きずり回されたせいで、整えられた髪は乱れ、上着もはだけたままである。

 今、彼らがいるのは窓の無い部屋で、ここならば襲撃の心配もないだろう。広間はまだ混乱しているようだが、リグスにとっては、雇い主が無事ならそれで問題ない。混乱を収めるのは、他の人間の役目だ。


「あ、ああ。何が起こった?」


 額に手を当てたまま頭を振って、クルツが聞く。雇い主は状況が把握できていないようだ。面倒だが、説明しないわけにもいくまいと、リグスが口を開いた。


「襲撃です。多分、今うちの部下が――」


 そう言いかけたところに、規則的なノックが響いた。


「ちょっと失礼」


 クルツを残して、リグスは廊下に出た。そこには男が一人立っている。リグスの配下だ。


「団長」

「おう、どうだ」


 男はリグスの耳に顔を寄せて囁く。


「ウェッジたちが敵を追っていきました。それから、アルフェも。副団長によると、敵は衛兵を刺して、庭から侵入してきたようです」

「そうか、団員に負傷者は?」

「いません」

「ならいい」


 この会に参加している貴族どもの子飼いが何人死のうと、自分には関係ない。普段は陽気な顔をしているが、リグスにもやはり、傭兵らしい酷薄な一面があった。


「それと、敵の射ち込んできた矢ですが、毒が塗ってありました」

「……ほう」


 ということは、刺客は完全に、殺すつもりでクルツを狙ったということだ。


「本当に、あの坊やに死んでほしいと思う奴がいるってか」


 命じたのは誰なのか。クルツの言う通り、彼の兄のユリアンか、その関係者か。案外この会の出席者かもしれない。気になるが、今はそれを考える時ではない。


「分かった。お前らは周囲を警戒しろ。それから、この部屋にも四人くらい連れてこい。坊やのお守りだ」


 リグスが指示を出すと、男はうなずいて去っていく。それを見届けてから、彼は再び部屋に入った。


「どうもすいませんね、旦那。襲撃はアルフェが防ぎました。おそらく、今夜はもう襲ってこないでしょうから、ご心配なく。逃げた野郎は、部下とアルフェが追っていますよ」

「……彼女が? まさか、本当に?」


 彼女というのは、もちろんアルフェの事だ。リグスからアルフェが冒険者だということは聞かされていても、クルツは半信半疑だったようだ。今もまだ、その声からは信じられないという感情が伝わってくる。

 それも無理はないと思う。リグスとて、実際に戦うあの娘を見たことが無ければ、一笑に伏すだけだろう。


 だが、リグスは知っている。あれは、見かけ通りの娘ではない。


「ええ、あいつの腕は確かです。もちろん、うちの部下も。ですから大丈夫ですよ。賊はあいつらに任せておきましょう。旦那は私が、家までお送りしますよ」


 言葉通り、アルフェの実力をリグスは疑っていない。こと戦闘能力においては、部下の誰よりも、もしかしたら彼自身よりも、あの娘は優れている。敵がどんな手練れでも、アルフェが返り討ちに遭う危険は、そうそうないはずだ。


 ただ、心配ごとがあるとすれば、一つだけ。


 ――……あいつが、殺さずに賊を捕まえてくれるかは、分からんがなぁ。


 リグスは知っている。あの娘は一見正常なように見えて、どこかが決定的に壊れている。

 できれば襲撃者を生け捕りにして、雇い主を吐かせたいところだが、あの娘もそう考えてくれるかは、リグスには読めなかった。

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