第24話

 その夜、不覚にもアルフェは、城で生活していたころの夢を見てしまった。城には母と姉が居て、アルフェは二人と会話をしていた。会話の内容は覚えていない。何の変哲も無い、取り留めの無い会話だったように思う。しかしなぜか妙に、自分と話す母と姉の笑顔が印象に残っている。


 三人で一つのテーブルを囲み、太陽の下で茶を飲む。これはいつの記憶だろう。こんな思い出が、自分にはあっただろうか。


 ――お姉様に――。


「……会いたいな」


 朝目覚めた時、そんな言葉がアルフェの口をついて出た。言ってから、彼女はそんなことを言った自分に驚いた。城から逃げ延びてから今日まで、そんなことを考えた時があっただろうか。


 そもそも自分は、姉とはあまり肌が合わなかった。いや、というよりも、剣ができて活動的な姉に対して、自分はずっと劣等感を抱いていた。だから城を放り出されてからも、特に会いたいなどとは思わなかった。それどころか、一人で生きていけることに、アルフェは喜びさえ感じていたのだ。


 でもなぜだろう。一度会いたいと思うと、その気持ちが止められなくなった。目から涙が湧き上がってくる。アルフェは野営地の中で膝を抱えて、声を上げて泣いた。


「ふぅ……、すっきりした」


 こんなに声を上げて泣いたのは、いつ以来だろう。しかし、しばらく大声で泣くと、妙に気分が晴れやかになった。

 思っていたよりも、心が弱っていたのかもしれない。だが、これでまだ動くことができる。アルフェは大きく息を吸い込んで、吐いた。


 ――この仕事が終わったら……。


 自分から、姉を探してみるのもいいかもしれない。どうしてかアルフェは、そんな気分になっていた。


 その日の川の上流に、あの魔獣の姿は無かった。もう一頭との争いに敗れたのだろうか。それは分からないが、これでさらに奥を探索することができる。もしかしたら、奥に進んでいる間にあの魔獣が戻ってくるだろうか、だが、それを考えていては進めない。いっそ開き直って、少女は前に出ることにした。


 そしてさらに川をさかのぼること数時間、アルフェはついに目的の薬草を発見した。


 ――あれが……、マンドレイク?


 想像していたよりも、ずっと異形だ。前方に見えるマンドレイクは、薬草というよりも、魔物と表現したほうがいい。

 まずそれは、通常の薬草のように引き抜くまでも無く、自ら地面の上に出ていた。


 マンドレイクは確かに人型をしていた。人の手足の位置に、ねじれた根が生えている。しかもマンドレイクはその根を使って、人間のように歩いていた。

 手にあたる部分の根は、地面に引きずるほど長い。良く見れば、顔の位置には苦しげな人間の表情のような模様が浮かんでいる。そして何より、その身体はアルフェよりも大きかった。

 人の形をした根に、人間の顔。確かに字面だけならば、薬草辞典に記載されていた特徴と一致している。


 ――声を聞いたら死ぬというのは……、どういうことでしょうか。


 そう思っていると、マンドレイクと思われる植物の魔物は、突如奇怪な叫びを上げ、前を走る小型の魔物に、自身の根を叩き付けた。根は鞭の様にしなり、標的の身体に巻きつく。小型の魔物はしばらくもがいていたが、やがて糸が切れたように息絶えた。


 ――そういうことですか。


 なるほど、伝説の薬草は、想像していた以上に奇怪で攻撃的な生態を持っていたようだ。しかし――


 ――そういうことなら、話は早いのです。


 アルフェは両手の指を鳴らす。

 要はあれを殴り倒して、持って帰ればいいだけだ。それなら非常に分かりやすい。そう理解したとき、アルフェの心に迷いは無かった。


 マンドレイクは、倒した獲物を根で締め上げたまま動かなくなった。遠目からも、捕らえられた獲物の体が生気を失って干からびていくのがわかる。これがあの魔物なりの捕食方法だろうか。という事は、マンドレイクは今まさに食事中ということになる。であれば、相手は油断していると見るべきか。


 考えても仕方ない、敵を監視していた崖上から飛び降りたアルフェは、マンドレイクの懐に一息で飛び込んだ。


「しぃッ!」


 先手必勝、アルフェは渾身の掌打をマンドレイクの腹部にねじ込んだ。相手に触れた瞬間、ありったけの魔力を注入する。しかしマンドレイクの内部から、奇妙に弾かれるような感覚がして、攻撃が無効化された。

 師であるコンラッドの編み出した技は、敵の体内に己の魔力を浸透させることで、相手を内部から破壊する絶技だが 、敵の魔力が大きい場合、思うように効果を発揮しない場合がある。さすがに伝説の薬草、内包する魔力は伊達ではないということか。今のアルフェの練度では、この敵の内部に攻撃を浸透させることは困難だろう。


「だったらッ!」


 物理的に破壊する方法に切り替える。鋼のグリーブを付けた右足で、勢いを込めて中段の蹴りを放った。しかしこの攻撃も、マンドレイクに通じた様子が無い。文字通り木の繊維を束ねたようなその身体は、アルフェの蹴りの衝撃を、ほとんど受け流したように見えた。単純な打撃でも、効果が薄いか。


 マンドレイクが反撃に転じた。鞭のようにしなる根が、アルフェに対して振り下ろされる。何とか見切ったアルフェは、大きく後ろに跳んでその攻撃をかわした。根の先端の速度は恐ろしい勢いに達し、そのままアルフェの立っていた地面を深くえぐる。


 敵との距離が大きく開き、同時にアルフェは己の失敗を悟った。マンドレイクの根は、アルフェの腕の優に数倍の長さを持っている。この間合いは相手の方に利がある。

 そのような考えに気をとられた一瞬の隙に、魔物の触手が大きく伸び、アルフェの左足首を捉えた。植物とは思えない力が根に込められ、軽い体重の少女を引きずり倒した。


「しまっ――あっ!」


 しまったと言う間もなく、次の瞬間、アルフェの身体が宙に浮いた。マンドレイクはその腕を大きく振り回し、空中で少女を回転させる。そしてその勢いのまま、彼女の身体を大木の幹に叩き付けた。


「ぐぅッ!」


 頭だけは両手で防御したが、全身にひびが入るような衝撃が走った。

 マンドレイクの拘束は緩まない。アルフェも戒めを解こうと試みるが、根が巻きついた左足首から生命力を吸われているようだ。全身が微妙に脱力し、思うようにならない。マンドレイクは無慈悲に、二度三度とアルフェを地面に打ち据える。


「う……、ぐぁ……」


 少女の肉体から力が抜け、ぐったりとする。アルフェを逆さ吊りにした魔物は、獲物を品定めするかのように、その顔の近くに少女の身体を引き寄せた。

 さらにマンドレイクは、獲物からより効率よく生命力を奪おうと考えたのか、残る片方の触手を伸ばしアルフェの首筋に巻きつけようとした。


 だがその時、少女の瞳に再び生気が宿り、その腕を渾身の力で振るった。


 アルフェが手刀を一閃し、マンドレイクの腕が根元から斬り飛ばされる。硬体術によって強化され、皮膚の周りに薄く魔力をまとった彼女の手刀は、すでに魔化されていない鋼の剣よりも、鋭い切れ味を誇っていた。

 左の触腕を失ったマンドレイクは、大きく身体の平衡を欠き、少女を捉えたまま地面に膝をつく。しかしそれでもう、彼女にとっては拘束から逃れるには十分だった。自分の足首に巻きつく根を両手で引きちぎったアルフェは、空中で一回転すると、久しぶりに両足で地面に立った。


 植物でも痛みを感じるのだろうか。片腕の無いマンドレイクは、傷口をかばう様にしながらじたじたともがいている。


「手こずらせてくれましたね……」


 この戦いでも、これを発見するまでの道程でもだ。


 マンドレイクにとっては理不尽かも知れないが、アルフェの半ば八つ当たりのような暴力が彼を襲った。残った右の触腕も、彼女の手によってはね飛ばされる。


 ――いったい“これ”は、どうやったら大人しくなるんでしょう。


 攻撃手段である両腕の根を失ったことで、マンドレイクの戦闘能力は半ば無効化したように思う。しかしそれでも、目の前の相手の生命力は、いささかも衰えたように見えない。

 必死に助かろうともがく姿は、魔物とは言え、いささか哀れを誘う光景だ。だが、この程度で躊躇するくらいであれば、始めからこんな所にはやってこない。


「……さようなら」


 そうつぶやいて、アルフェはマンドレイクの頭部を首から斬り落とした。


 それで終わるかと思っていたのだが、マンドレイクの身体は、いまだに元気に動いている。他の魔物の様に、頭を落とせば息絶えると考えたのが間違いだったか。いや、そもそも根本的な問題として、この生物に死という概念はあるのだろうか。


 ――さすがに燃やせば死ぬかしら。


 過激なことを考えるアルフェだったが、それで薬草としての効き目が変質しても問題だ。

 しばらく思案してから、アルフェは斬り飛ばした根を拾って、それでマンドレイクをがんじがらめに縛った。簀巻きにされたマンドレイクは、さすがに諦めた様子で大人しくなった。


 ――これを持って帰るのは大変ですけど……。


 アルフェの身長よりも大きなマンドレイクは、一人で運ぶには骨が折れそうだ。だが、これだけあればきっとローラの病気もよくなるだろう。

 アルフェは背中にマンドレイクを背負って、野営地へと引き返した。


「後はここで、師匠を待つだけですね」


 巨大マンドレイクを運び入れたアルフェは、野営地で篭城する構えを作った。こちらの目的は達成したのだ。後は下手に動かず、コンラッドの帰還を待てばいい。

 コンラッドがヒュドラを討ち果たすということに関しては、アルフェはまったく疑っていなかった。彼よりも強い人間など、絶対にいない。あの人が勝てない相手など、想像も出来ない。それは例え伝説の魔獣が相手でも、同じことだ。


 だから今は、ここで自分が生き延びることに集中する。人外魔境、魔物の跋扈する大森林に、自分はまだ独りでいるのだから。


 ずっと森の中にいるせいか、時間の感覚が曖昧になっている。しかし今日までで、森に入ってから十日以上は経過した。来た時と同じ日数を要するとして、町に帰還するために必要なのは五日か六日。ここまで順調にこれているのかは分からないが、依頼の期限――ローラの命の期限である一か月が過ぎるまでには、まだ余裕はある。


 コンラッドが現在どのような状況に置かれているかを知る術は無い。ここから大山脈までは、到達するだけでも数日は掛かるはずだが、常人の感覚で彼を考えてはいけないだろう。あるいは既にヒュドラを倒し、こちらへと向かっている最中かもしれないのだ。


 とにかく後何日待つことになるかは不明だ。アルフェは一日かけて、燃料となる枯れ木や食料など、野営地に引き篭もるために必要な物を集めた。

 食料は例によって弱い魔物を狩った。大ハリネズミは棘の処理が厄介だが、肉は以外に癖が無くて美味しい。


 ――改めて考えてみると……、魔物っていったい何なんでしょう。


 かつては無条件に恐れる対象だったが、こうして狩る側に回ることもある今では、魔物というものが一体何を指すのか分からなくなる。これらに動物との明確な線引きはあるのだろうか。

 今の彼女には、そんなどうでいいことを考える余裕すらあった。


 魔物の肉だけでは身体を壊してしまいそうなので、食べられる野草も集めた。小川から汲めるだけの水を汲み、食料も運び込んでしまうと、ちょっとした冬眠気分だ。

 全ての用意を終えたアルフェは、コンラッドの指定した集合地点に書置きを残した。毎日見に来るつもりではあるが、念のためだ。


 ――……御武運を。


 改めて、師の去った方角に向かってアルフェは祈った。



 この地の果て、あらゆる魔物の巣窟である大山脈の上を、一人の男が歩いている。おそらく今まで、人間が生きてこの地を踏んだことなど無いであろう。

 男の衣服は所々が黒く焼け焦げ、背中のマントの裾はボロボロに裂かれている。その巌の様な肉体には、打たれ、斬られ、突かれ、焼かれた傷が、あちらこちらに見えていた。

 しかしそれでも、男の足取りは確かだ。風にマントをはためかせながら、一歩一歩大地を踏みしめて、着実に前へと進んでいる。


 ――こっちだ。


 自然と足が導かれるように、ある方向に向かう。

 コンラッドの野生は、ここに来て最大限に研ぎ澄まされていた。長い町暮らしで鈍っていた闘争心が、ふつふつと沸き起こってくるのを感じる。

 彼にとって、この凶暴な感覚は久しぶりだった。まるで、無力感に苛まれ、己の身体を苛め抜いた修行時代に戻ったかのようだ。


 辺りの岩場の色が変わった。ここには一面に、黄味がかった苔のようなものが付着している。

 腐った卵の様な臭気がする。先ほどコンラッドは、岩間を流れる清水を見つけ喉を潤そうとしたが、近寄ってみるとそれは水ではなく、熱湯だった。


 ――黄色い岩に、泡を吹く水……。――近い。


 コンラッドはここまで、ただ闇雲に山を突き進んできたわけではない。商会長が金に飽かせて探してきた情報と、この町の冒険者組合に残されていたヒュドラの記録。どちらも百年以上前の、ただの目撃例に過ぎなかったが、その情報と符合する場所を探してきた。


 そしてもう一つ、コンラッドの勘を刺激することがある。この付近に入ってから、あれだけコンラッドを悩ませていた魔物の出現が、ぱったりと途絶えたのだ。一応は、遠くに何匹かのルフ鳥が旋回しているのが見えるが、寄ってくる気配すらない。

 安全な場所に来たのだろうか。――いや、逆だ。この近くに、何か大きな、強力な魔物がいる。この山の怪物たち、それを全く寄せ付けぬ力を有した、桁違いの魔物が。ここはそいつの縄張りだ。


 ――目当ての奴ならいいが……。


「――ふっ」


 一瞬そんな風に考えた自分を、コンラッドは嘲笑う。それは弱気な考えだ。

 もちろん、その魔物の正体が、ヒュドラではないということは十分あり得た。だが、今それを言ってどうなる。ここが外れなら、ぶちのめして次に行けばいいだけの事。


 ――さあ、来い。


 お前も気付いているだろう。ここにお前の敵がいる。


 戦いやすそうな開けた岩場に出ると、縄張りの主を刺激するように、コンラッドは練り上げた闘気を発散する。

 ぴんと張り詰めた空気が漂う。徐々に強くなる憤怒の気配と、地面を揺らす振動。


「……来たな!」


 複数の首から発せられる咆哮が、耳をつんざく。周囲の岩を蹴散らして、その魔物が姿を現した。多頭の怪物――ヒュドラ。さながら森の様に、細長い首が生い茂る、異形の竜。その牙は鎧を木っ端の様に噛み砕き、その尾の一撃は、あらゆる獲物を肉塊に変える。

 ヒュドラは縄張りに侵入してきた外敵に対して、明白な不快感を示している。一斉にコンラッドをにらんだ琥珀色の瞳が、怒りの色に燃えている。


 ――ぬぅ……!


 コンラッドの総身に汗が噴き出す。身体を走る震えは、武者震いとは限らなかった。伝説の魔獣の威圧感は、彼を以てしても、気圧されるに十分なものがある。

 だが、コンラッドは背中のマントを投げ捨てると、拳を構え、牙をむき出し、その声の限りに吠えた。


「我が名はコンラッド! コンラッド・ヴァイスハイト! 武神流の創始者にして、総師範だ!」


 名乗りなど、魔物相手には不必要だ。しかしそれでも、コンラッドは名乗った。遥か昔に捨てたはずの家名と共に、己の名を、己の流派を、精一杯の誇りと意地を込めて。

 そう、まるで英雄譚の主人公の様に。彼が少年の日に憧れた、おとぎ話の勇者の様に。


 ――囚われの姫の役が大家では、いささか不満があるが――!


 この山の中だ、聞く者もあるまい。ならばせめて、男の本懐だ。精々、格好つけさせてもおうではないか。


「お前に恨みは無い――! だが、救うべき人のため。そして我が弟子のためだ! その命、もらい受ける!」


 言い終わるか終わらぬかの内に、コンラッドの身体がかき消える。そして次の瞬間には、ヒュドラの首元に出現した。

 長引かせるつもりは無い。温存してきた魔力を使い、渾身の力で双掌打を放つ。


「ちぃッ!」


 しかし完全には通らなかった。まるで金属の塊を叩いたかのような硬質な手ごたえ。竜鱗は金剛石に勝る――。まさに伝説の通りだ。

 伝説の聖剣を携えている訳でもない、ただの素手の人間が、それと戦おうとしたことなど、人類の歴史の中にあっただろうか。


「――!」


 頭上に落ちた影に気付き、後方に飛び退る。コンラッドが元いた場所に、竜の首の二本が突き刺さった。

 距離を開けたコンラッドに対しても、ヒュドラの首が次々と襲い掛かる。それぞれが、独立した意思を持っているかのような縦横無尽の攻撃。さすがにあの頭は伊達ではない。


 そしてヒュドラの攻撃一つ一つが、恐るべき強靭さを持っている。避けまわるコンラッドを追って、まるで岩場を平らにならすように、辺りの岩が砕かれていく。


「おらぁッ!」


 攻撃をかわしながらも、コンラッドは着実に反撃を繰り出している。噛みついてくる頭のこめかみ、あご、眉間に、完全なタイミングでカウンターの突きを放つ。

 それで昏倒させられれば楽なのだが、一つ一つの頭を怯ませることはできても、全体の動きには影響がない。実に面倒な相手だ。


 ――ならばッ!


 動き回るのを止め、腰を落として待ち構える。襲い来る首の一つを、コンラッドは両の手で抱え込んだ。


「――墳ッ!」


 ぶちりと、あり得ぬ音を立てて、ヒュドラの首が引きちぎれる。根元から流れ出た赤い血が、周囲の岩を染める。しかしそれでも魔物の動きは止まらない。たかが首一つと言わんばかりに、他の頭が三本、立て続けにコンラッドの腹に激突した。


「ごぉッッ!?」


 コンラッドの体が、ヒュドラの頭に押されて岩肌にめり込む。残った頭も、それに続いて突撃していった。

 砂塵が収まったころ、ヒュドラが岩肌から首を引き抜く。めり込んだ男の体は、その両足だけが見えている。間違いなく死んだ。魔物もそう思ったのだろう。だが――


 ヒュドラの頭の一つ、いや、二つが、突如ぶるぶると震えだす。他の頭はいぶかし気にそれを見る。やがて、二つの頭は鱗の隙間から鮮血を噴き出し、力なくだらりと垂れ下がった。


「……トカゲ風情が、調子に、乗るなよ……!」


 声がする方を見れば、ヒュドラが死んだと確信した敵が立ち上がっている。しかも、五体満足の状態で。


「――ゲフッ」


 それでも人間があの攻撃を食らって、無傷でいられるはずがない。コンラッドの口の端から赤い線が流れる。

 しかしその眼は、いささかも闘志を失っていない。彼を支えているのは、何の想いだったのだろうか。


 ――次の一撃で、決める。


 コンラッドは腹をくくる。相手の怪物の方が、自分よりも図体で遥かにまさっている。戦いが長期化すれば、どちらに利があるのかは明白だ。

 このままあの首と戯れていては、己の体力と魔力が先に尽きる。そうなる前に、もう一度本体への突撃を敢行する。


「はあああああ!」


 硬体術を解除し、全身の魔力を掌の一点に集束させる。大気中の魔力すらも取り込んで、コンラッドの闘気が際限なく膨れ上がっていく。


 コンラッドの手に集まった魔力に干渉されて、周囲の大地が鳴動している。

 ヒュドラもまた、敵が決戦の態勢に入ったことを悟った。しかし、魔力を高めることに集中力を裂いている相手は、先ほどよりも隙がある。そこを狙って、残った頭の全てがコンラッドに向かって殺到した。


 魔物がコンラッドに喰らい付こうとしたまさにその刹那、彼の姿が掻き消え、ヒュドラの牙が空を切る。

 またしても懐に入られたか。そう思った魔物は、自分の胸元をのぞき込む。――しかし、誰も居ない。


 ヒュドラが敵の位置を悟った時には、もう既に手遅れだった。ヒュドラの上、中空に出現したコンラッドは、凄まじい速度で降下すると、その勢いのままに拳をヒュドラの背中に突き立てた。


 空から星が降ってきたかのような、轟音と衝撃。ヒュドラの背中の竜鱗に、亀裂が入る。


「ぬん!」


 コンラッドは気合を発して、さらにその拳をひねりこむ。わずかに空いた隙間から、敵の体内に、集束したありったけの魔力を送りこんだ。

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