第22話

「実は、大家が病気になってな」


 ある日の道場で、コンラッドが何気なくそう漏らした。


「ローラさんが? この間お邪魔した時は、お元気そうに見えましたが」


 その言葉通り、アルフェはつい先日もローラの家を訪問している。一度、コンラッドとの逢引きの現場を尾行して以来、たまにアルフェの方から訪ねては、ローラに色々な話を聞いていた。


「ん? 何だお前、あいつと会ってるのか」

「はい」

「何を話すことがあるというんだ」

「色々、です」

「何だそりゃ」


 アルフェははぐらかしたが、実際にローラの口から出るのは、コンラッドとの昔話が多かった。


「ふん、どうせ俺の悪口で盛り上がっとるんだろ」

「まあそんな感じですね――ぐ」


 憎まれ口を叩いた弟子の髪を、コンラッドがわしわしとかき回した。最近のコンラッドは、よくアルフェにこれをやる。その度にアルフェは子供っぽくむくれるが、やめてくれとは言わなかった。


「それよりも、ローラさんのご容体はいかがなのですか?」


 乱れた髪を手で撫でつけながら、アルフェが聞く。それに対し、ただの風邪だとコンラッドが答えた。


「だから心配ないとさ。しかし、あいつが風邪を引くなど信じられん。風邪のほうが逃げていくと思っていた」

「お師匠様、不謹慎ですよ。……すっかり寒くなりましたからね。大したことが無ければ良いですね」


 アルフェはそう言ったが、本当に大したことになると思っていたわけではない。冬になって、ベルダンでは実際に風邪が流行していたし、ただの風邪ならやがて回復する。それにローラは商会のお嬢様なのだ、薬に困ることもないだろうと。


「お見舞いに行った方がいいでしょうか。お土産でも持って」

「好きにすればいい。――あ、土産を持って行くなら、縫いぐるみがいいぞ。あいつはキツい性格をしているくせに、意外とそういうのが好きなんだ。笑えるだろ」

「……お詳しいんですねぇ」


 アルフェの家でも、リオンが一度風邪を引いている。その時には大騒ぎしたが、治癒院でもらった薬を飲ませると、三日で跳ね回れるようになった。


「お師匠様も、風邪には気を付けてくださいね。まず大丈夫だとは思いますが」

「声に棘があるぞ。この阿呆は風邪をひくまい、程度に思っているな」

「そんなことはないです」


 それでその話題は打ち切られ、二人はいつもの修行に戻った。だがアルフェは一週間後に、今度は冒険者組合で同じ話を耳にすることになったのだ。しかもそこで聞いた話は、コンラッドに聞いた話とは多少様子が違っていた。


「商会長の娘が病気なんだってよ」

「俺も聞いたぞ、何でもスゲェ重病らしい」


 ――あれ? 商会長の娘って……。


 それはまさにローラのことだ。ただの風邪ではなかったのだろうか。


「その話、聞かせていただいていいですか?」

「うわっ、アルフェさんじゃないっすか。こんちわっす」

「お疲れさまでっす」


 アルフェに話しかけられた二人が、直立して挨拶を返した。

 二人はアルフェよりも新米の冒険者である。入れ替わりが激しい業界なので、アルフェの後に冒険者になった者もそれなりにいた。最近ではベテランの冒険者たちが面白がって、新入りにアルフェのことを先輩扱いするように教え込んでいるのだ。

 そのせいで、この二人もアルフェより年上であるにも関わらず、丁寧な言葉遣いをする。やめるように言っても聞かないので、彼女はもう諦めている。


「……こんにちは。商会長の娘さんが御病気って、本当ですか?」

「ええ。最初は風邪かなんかだと思ってたらしいんスけどね、どうやら違うらしいっす」

「違う?」

「何かえらい面倒くせぇ病気らしくって、商会長が慌ててるみたいっす。じきにこっちにも依頼が出されるんじゃないかって、噂になってるんすよ」


 この二人の説明では、いまひとつ要領を得ない。しかしタルボットに聞いても、それ以上の情報は得られなかった。このことをお師匠様は知っているのだろうか。そう思ったアルフェは道場に行き、組合で聞いた話を伝えてみた。


「……知らんな。初耳だ」


 腕組みをしているコンラッドの目は真剣だ。


「大丈夫なんでしょうか。どういう御病気なんでしょうか」

「俺が知ってるわけないだろう」

「……気になりませんか?」

「病気を治すのは治癒士の仕事だ。我々が気にしても仕方ない」


 そうかもしれないが、少し薄情ではないか。アルフェがそう思っていると、それを察したかコンラッドが付け加えた。


「あの親父は娘を溺愛している。手は尽くしているさ。心配することは無い」

「……早く良くなられるといいですね」


 そう言うくらいしか、アルフェにはできなかった。


 それからさらに二週間が過ぎたが、その後もローラの病が快復したという話は聞かなかった。たまりかねて、アルフェも見舞いに行ってみたが、使用人から門前払いを食らった。面会謝絶だそうだ。それほどに容体が悪化しているのか。


「娘の病を癒す、霊薬の材料を求む……」


 そしてついに、商会長から冒険者組合に、このことに関する依頼が寄せられてきたのだ。


「商会長の娘の病気は、先天性の魔力障害が絡んだ、酷く厄介なものだそうだ。通常の治癒術も、薬の類もまるで効かなかったらしい」


 アルフェは今、その詳細をタルボットから聞いている。


「……ヒュドラの肝と、マンドレイクの根?」

「商会長が別の町から呼び寄んだ高位の治癒術士によれば、霊薬を作るのにその材料が足りないそうだ。他は商会長が、金で何とかすると言っていた」

「どちらも余り耳にしない、材料ですが」

「……マンドレイクは、南の大森林の最奥に生えていると言われる希少な薬草。ヒュドラに至っては、そのさらに奥の大山脈で、遥か昔に目撃された事例があるだけだ。当然、べらぼうに強い、らしい」


 ここ百年くらい、人間がヒュドラを倒した記録は存在しない。そうタルボットは締めくくった。


「……期限が一ヶ月と区切られているのは?」

「……娘の命が、そこまでしか持たない、ということだ」


 アルフェもタルボットも重苦しい表情をしている。

 ヒュドラ――。細長い首が森の様に生い茂った、強力な魔獣。竜種の中でも特別な力を持った、伝説級の怪物。おとぎ話で勇者の相手に選ばれるほど有名な魔物だが、実際に見たことがある者はいないだろう。

 人外の魔境である魔の森のさらに奥、大山脈にしか存在しないと言われる魔物。その肝が必要ということは――


「可哀そうだが、これは助かる方法が無いって言ってるのと同じだ。……治癒術士もそれをわかってて、責任逃れをしようとしてるんじゃないか、と言う奴もいるくらいだ」

「その二つがあれば……、商会長の娘さんは助かりますか?」

「分からん。何せ、その霊薬を作ったことがある奴はいないんだ。――まさかお前、この依頼を受ける気か? いくらお前でも、それは――」


 タルボットは難色を示す。アルフェは確かに、ベルダンの冒険者組合で頭角をあらわし始めているが、それでもこのような魔物を相手にするには力量がまるで足りていない。そもそも、魔物がいるという、大山脈にたどり着くことができるかどうかすら怪しい。

 だが、少女の顔には決然とした色が浮かんでいる。


 ――お師匠様なら……。


 自分以外に、それが可能な者がいることを、彼女は知っているからだ。



「なぜ、俺が行かなければならん」


 しかしアルフェの予想に反して、事情を聞いたコンラッドはすげなくそう言い返した。


「なぜって……、ローラさんですよ? このままではローラさんが死んでしまうんですよ? お師匠様はそれでいいんですか?」


 まさか断られるとは思ってもいなかったので、アルフェは驚いた。


「借金は返し終わったからな。俺はもう、あの女に借りは無い。……そのために、居るか居ないかも分からないような魔物を倒しに行く義理は無い」

「お師匠様も、ずっとお世話になって来たんでしょう?」

「知らん」

「そんな……」


 表情を固めたままアルフェが動かないのを見て、コンラッドがため息をついた。彼はそれから居住まいをただし、言い聞かせるようにアルフェに伝えた。


「……無理なのだ」

「……何がですか」

「一ヶ月で、それだけの材料を持って帰るなど、人間には無理なのだ。――残念だが、あいつは助けられない。辛いかもしれんが、事実だ」

「なっ」


 アルフェには、彼の言葉が信じられなかった。そのような弱気が、師の口から出るとは信じたくなかった。アルフェは説得を続けたが、最後にはコンラッドはそっぽを向いてしまった。


「……見損ないました」

「……何とでも言うがいい」

「コンラッドさん、あなたは」

「……ん? コンラッドさん……?」

「あなたは、他人の苦難を見捨てることができない人だと思っていました……。でも、私が間違っていたようです」


 怒りというよりも、口惜しさの方が勝る。


「お、おい、アルフェ、ちょっと待て。『お師匠様』ではないのか?」

「そのような方とは、私の方から師弟の縁を切らせていただきます! コンラッドさんは、どうぞお好きになさってください!」


 そう言い放ったアルフェは立ち上がり、コンラッドに背を向けて歩き出した。


「わ、わかった! 冗談だ! 冗談! 本気じゃない! 俺が悪かった!」


 たまらずコンラッドは謝り、離れる弟子を必死で引き留めた。


「俺が行く! ヒュドラなんぞ、俺の敵ではない! 悪かったって!」

「さすがは師匠です。信じておりました」


 アルフェはけろりとして言う。何事も無かったかのように、彼女は再びコンラッドの前に座った。


「『師匠』って……。一段格を落とされた気がするんだが」

「気のせいでしょう」

「本当に可愛くなくなったな、お前も……。まあいいさ、男に二言は無い。ヒュドラの一匹や二匹、俺が仕留めてきてやる。……しかし、魔獣はともかく、俺には薬草の違いなんざ判らんぞ」 


 違う物を採ってきてしまったら、どうするつもりだとコンラッドが問いかける。


「それならば、心配はいりません」

「どうしてだ」

「マンドレイクは、私が探します」

「……本気か。……本気だな、その目は」

「はい」


 コンラッドは腕を組み、むむむと唸る。


「……置いていくと言ったら?」

「一人で参ります」


 アルフェの決意は固い。それでもコンラッドはしばらく逡巡していたが、やがて観念したように言った。


「……分かった。連れて行こう。足を、引っ張るなよ?」

「もちろんです」


 それから師弟は、霊薬の材料を採りに行く計画を立てた。

 マンドレイクが自生しているとされる、魔の森の最奥部まではコンラッドがアルフェに同行し、そこで分かれる。

 コンラッドはそこから大山脈まで突っ切り、ヒュドラを倒す。戻ってきたコンラッドが大森林でアルフェに合流し、全速で帰還する。


「これが最もシンプルでいい。とにかく時間が無いんだ。森の深部まで、往復で十日以上か? 残り時間で目的のものを探さなければならない。しかも人外魔境の地で、一人でだ。しかし、手分けすることができるなら、大家を救える確率は、わずかだが上がる」


 道場の中央で顔を突き合わせる二人は、お互いに真剣な表情をしている。一旦連れていくと決めてからは、コンラッドはアルフェを、対等な同行者として扱って話していた。


「この計画だと、俺がお前を手伝ってやれるのは行き帰りだけだ。当然、魔物も襲ってくるだろうが……、面倒は見れない。俺が戻るまで、死に物狂いで生き残れ」

「……わかりました。師匠の方は大丈夫ですか?」

「それこそ余計な心配というものだ。お前は、自分が生き延びることだけを考えていればいい。時間が惜しい。明日、早朝に出発だ」


 そしてうなずき合い、それぞれの用意をするために二人は分かれた。



 翌朝、アルフェはまだ薄暗いうちにコンラッドと合流し、森に入った。


「はじめから体力を消耗しても仕方が無い。魔物が出たら、俺が対処する。焦らずについて来い」


 そう言うコンラッドの後について、アルフェは森の中を歩く。彼女にとっては、もうなじみの場所になった南の森だが、これから行こうとしているのは、まだ見たこともない奥地だ。

 期限は一か月。長ければ、それだけの間森にいなければならない。食料や道具類は持てるだけ持ってきた。アルフェの背負っている背嚢も普段より大きいが、コンラッドのそれは、さらに巨大だ。それでも彼は、事も無げに足場の悪い森の中を進んでいる。野生の勘でも働いているのだろうか。


 一日目は、結局何も出てこなかった。


 雪こそ降っていないが、冬の森は相当に寒い。夜になると、吐く息が白くなった。

 アルフェは厚手の防寒着をまとっている。それでも震えが来そうになるのだ。騎士服の上からマントを羽織っているだけのコンラッドが、どうして平気な顔をしているのか、彼女には分からなかった。

 そう言えば、なぜコンラッドは騎士風の服を身に着けているのだろう。このマントは、以前にも身に着けていたことがあるが、気に入っているのだろうか。


「魔物……、出ませんでしたね」

「俺を恐れているのだろう」

「……冗談、ではないんですね」


 コンラッドの顔はいつに無く大真面目だ。

 少しでも寒さをしのげる場所を見つけ、野営の準備をしながら、二人は会話をしている。


「ああ。まだこの辺りでは、積極的に俺に喧嘩を売れるような魔物はいないだろう。外とは言え、結界の影響力が少しは残っているのだ」

「……」

「……しかし、明日もそうとは限らん。奥地に行けば行くほど、魔物は手強くなる。何か出てくるかもしれんが……、全てを相手にしている時間は無い。進路を塞いだものだけを排除していく」

「はい」


 二日目も何も出なかった。

 森の木々がますます大きく、周囲を覆う魔力の気配が、だんだんと濃くなっていくのがわかる。空一面が枝葉で覆われ、日の光が、地面にまで届きにくくなっている。

 その日も二人は淡々と歩き、夜は野営をした。移動中は、町で購入してきた保存食を食べる。食料は持てるだけ持ってきたが、足りなくなれば、森の中で調達するしかない。


 三日目は魔物が出現した。犬に似た魔物が十数匹、二人の周りを囲むように姿を見せた。しかしその魔物たちは、コンラッドが少しにらみを利かせただけで、一目散に逃げていった。


「かなり、奥地まで来たでしょうか」

「そう思うがな。……もっと怖がると思ったが、案外に平気そうではないか」

「私も、森が初めてなわけではありませんし」

「頼もしいことだ」


 四日目。ここまで奥地に来ると、光はほとんど地面まで届かない。下草が無くなり、一面が苔の絨毯になった。

 その日も、特に何事も無く夜を迎えた。巨大な木のうろの中、毛布に包まりながら、アルフェが口を開いた。


「この前の方は、師匠のお兄様なのですよね?」

「……ああ。……『様』は要らんぞ。あんな奴に」


 俺だって、様付けではなくなったんだからなと、コンラッドが愚痴る。


「で、それがどうした」

「……私にも、姉がいます。今は、別の場所にいますが」

「ほう、初耳だな」

「私のことを、心配しているでしょうか」

「……」


 コンラッドは、何も答えない。答えようのない質問だ。アルフェ自身、自分がどうしてそれをコンラッドに聞いたかは説明できない。


「……師匠が私に教えた技は、師匠が自分で考えたものなのですか?」


 夜の森の空気がそうさせるのだろうか。アルフェはまた、普段聞いたこともないことをコンラッドに尋ねた。


「ああ、そうだ」

「……どうして師匠は、強くなろうと思ったのですか?」

「質問が飛ぶなぁ……。眠いのか?」


 そうかもしれない。再び、しばしの沈黙が場を支配した。コンラッドは、話すかどうかを迷っているようだ。


「笑わないなら、教えてやろう」

「……笑いませんよ」

「俺は……、そもそも俺は、勇者になりたかったのだ」

「……勇者、ですか? おとぎ話の?」


 そんな単語が出てくるとは思わず、虚を突かれたアルフェは、何と反応していいか分からなかった。


「そうだ。……笑うなよ」

「笑ってません」


 そう、アルフェは笑っていない。彼女は真剣に、彼の語る話に耳を傾けていた。


「……小さい頃、家にあった本に、勇者の物語があった。選ばれし勇者が、仲間を集めて魔王を倒すという、お決まりのあれだ。俺はあれに憧れた。だから、強くなりたかったんだ」

「……」

「だが、どうも俺には、剣の才能が無いらしくてな。剣の家に生まれたくせに、そっちの方はさっぱりだった。魔術もな。だから、この技を編み出したんだ」


 剣と魔術が駄目で、どうして素手で戦うことになるのか、アルフェには理解できなかったが、それも彼らしさということなのだろう。


「師匠らしい、ですね」

「皮肉か? お前だって、俺と似たようなもんだろうが」

「……そう言えば、そうですね」


 言われて気が付いた。自分は剣が買えなかったからだけれども、彼と同じことをしている。少し笑ってから、アルフェは話を続ける。


「その服とマントは、もしかして、勇者のおつもりなんですか?」

「……可笑しいか? ……まあ、可笑しいよな」

「いえ、いいと思います。似合っていますよ。――お髭を剃れば、もっと似合っていると思いますが」

「言ってろ」


 ニヤリと笑って、コンラッドは黙った。


「……師匠は、私が何なのか、聞きませんね」

「……興味がないからな。……聞いてほしいのか?」

「大抵の人は、聞きますから」


 どこから来たのか、以前には何をしていたのか。アルフェがそれに答えることは無いが、素性の知れない娘というのは、相当に怪しいのだろう。会う人は、皆が一度はそれを聞く。聞かなかったのは彼だけだ。


「……実は、知ってるからな、俺は。お前が誰か」

「え――?」 

「俺の、弟子だ」


 焚き火を見つめたまま、コンラッドは言った。


「違うか?」

「……はい、そうです。そうですね」


 師の言葉の意味を、噛み締めてアルフェはうなずく。コンラッドは、少しばつが悪そうな顔をしている。照れ隠しのつもりか、ぶっきらぼうに言った。


「もう寝ろ、明日も早いぞ」



「この辺か」


 町を出てから五日目、彼らは魔の森の深部にたどり着いた。二人は森の中の、ひと際巨大な木の前に立っている。見上げても、どこに頂点があるか分からないほど大きな木だ。


「予定通り、ここからは俺一人で行く。荷物も全て、ここに置いていく。何日かかるかわからんが……、この木を目印に戻ってくる。それまでに、お前は自分の仕事をしろ」

「せめて食料くらいは――」

「要らん、お前が使え」

「……わかりました」

「では行くが……、他に確認しておくことはあるか?」


 すこし考えた後、アルフェは答えた。


「……私は師匠に、感謝しています」

「は? また突拍子もないことを……。この仕事の礼なら、全て終わってからにしろ」


 道場の月謝を二倍にするとかなと言い、コンラッドは鼻で笑った。


「違います」

「何が」

「私は、師匠に会えたことを、感謝しているんです」

「……熱でもあるのか?」


 まともにとり合おうとしない彼を見つめて、アルフェは言葉を連ねる。


「本当です。飢えて死ぬところだった私を、師匠は救ってくれました。師匠に会えたおかげで、私は今も、こうして生きていられるんです。……私はあなたに、感謝しているんです。……どうしても、これだけは伝えておきたくて」

「……いつかも言ったが、そういう台詞を、こういう場面で吐くんじゃない。縁起でもない」


 コンラッドは腕を組み、眉をひそめている。


「……だが俺も、この仕事は悪くないと思ってる。か弱い――まあ、あいつはか弱くないかも知れないが、か弱い娘を救うために、伝説の魔物を倒すというのは、なかなか勇者らしい仕事だ」

「……」

「連れてきてくれたのはお前だ。感謝しておこう。……いいな、死ぬなよ。絶対に生き残れ」


 少し微笑んで、ではまたなと言ったコンラッドは、アルフェに背を向けて走り出した。マントを翻しながら、とても人間とは思えない速度で、コンラッドの背中がみるみると遠ざかっていく。


「……お気をつけて」


 その背に向かって、アルフェはつぶやく。


「さて」


 師の背が見えなくなった後、アルフェは軽く身体をほぐし、気合を入れた。


「私も、自分に出来ることをやりましょう」

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