誰かのために戦うということ

第21話

 ――どうして子だけが、こんな所に。この子は……、この子も私の、娘なのに。


 うつむいた女が、途切れ途切れにつぶやく。長い金の髪に隠れて、その横顔は見えない。女の問いかけに、傍らに立つ男が無表情に答えた。


 ――その必要があるからですよ。これが何なのか、あなたは理解していない。


 無表情だが、男の目は何かを語っている。その目にあるのは、侮蔑の色だ。


 ――それにこれは、大公の遺言です。――あなたの夫の。従わなければならないでしょう。


 大公――。喪ったばかりの愛する者の名に触れられ、女のうつむきは深くなった。


 ――不幸ではない。外にはずっと不幸な人間が、いくらでもいる。それに比べれば、ここは何一つ不便がない。


 ――……。


 ――……納得できないようですね。……なら、良い方法がある。


 魔術士風の男は、短く呪文をつぶやいた。周囲のマナが即座に収束し、薄藍色の魔法陣が展開される。

 それは魔術として形を成し、対象の娘へと吸い込まれていった。



「……いらっしゃいませ」


 ドアに付けられたベルが鳴り、どこか気の抜けた顔と元気のない声で、アルフェは入ってきた客を迎えた。いらっしゃいませと言ってからも、その表情は上の空だ。


 ここしばらく、彼女はずっとこうだった。

 原因は決まっている。先日の道場で、コンラッドに帰れと言われたことが、まだ彼女の中でしこりとなって残っているのだ。


 ――謝らないと……。


 お師匠様は怒っていた。それも本気で怒っていた。アルフェは数日悩んだあげくそう結論した。だから、謝らなければならない。


 ――でも、何を? どう言って?


 しかし悩んでも、それが分からなかった。分からない内は、道場に足を踏み入れる事はできない。コンラッドの方から訪ねてくるということも無く、ただ悶々とした日々が過ぎていた。


「お嬢さん、いいかな?」

「――! は、はい!」


 自分の世界に浸っていた彼女を、来客の声が現実に引き戻した。アルフェは慌てて座ったまま姿勢を正すと、その客の方を見た。


「この辺りに、変わった男が住んでいると聞いたことはないかい?」


 カウンター越しにアルフェの前に立っているのは、騎士風の服を着て、腰に長剣を佩いた長身の男性だ。この町では初めて見る顔である。

 その男は、少し浅黒い肌をしていて、髪は短く切りそろえられている。雄々しい顔立ちだが、その口には優しげな微笑を浮かべていた。どこか、誰かを思い出させる顔だ。


「変わった男性……、ですか? 人をお探しでしたら、ここではなく――」


 衛兵の詰め所か、商会所にでも行くと良い。そう教えようとしたアルフェの言葉に、男が割り込んだ。


「今はどう名乗っているか知らないが……。この町で見かけたと言う者があってね。歳は三十前後で、大柄な……、まあ一言で言うと、多分、私によく似た男だ。……不本意ではあるがね」


 男の口調は丁寧だが、質問の仕方にどこか一方的な印象があった。店の中を興味深げに見回しながら、探しているという人間の風体を説明すると、男は、


「君が知っていそうな気がしてね」


 そう言ってアルフェを見た。


 ――この方に良く似た人……? ……あ。


 その言葉に、アルフェはすぐに思い当たった人間がいる。


 ――お師匠様だ。



「ありがとう、まさか案内までしてもらえるとはね。親切なお嬢さんで助かったよ。……お店の方は、良かったのかな?」

「いえ、お気になさらず」


 アルフェは男を道場に案内するため、リアナに店番を任せて外に出た。男が尋ねる人物が、コンラッドのことだと半ば確信したからだ。

 コンラッドの顔から、伸ばし放題にしている無精ひげを取り除けば、まさにこの男と同じ顔になるだろう。それ程に、二人は良く似ていた。そう思って見れば、顔だけでなく、肌の色も、体型も、その声さえもそっくりだった。


 ただ、違うのは表情だ。コンラッドはいつも、眉間に皺を寄せた仏頂面をしているが、この男の表情は柔らかい。その顔にはずっと、柔和な微笑みを浮かべている。しかし、どこか油断できないものを感じるのは気のせいだろうか。


 男の先に立って、アルフェは道場に続く坂を上る。だが、道場に近づくにつれ、アルフェの不安は増していった。


 ――お師匠様の機嫌は、もう直ったでしょうか……。


 彼女がこの見知らぬ男を連れて歩くのは、案内に応じるというよりも、ただアルフェ自身が、道場に行くための口実が欲しかったからだ。


 ――また、帰れって言われたら……。


 その時はどうしよう。その時は、理由が分からなくても、とにかく手をついて謝ろう。動悸を押さえて、アルフェは坂を登り切った。

 道場の扉に手をかける。この扉を開くために、彼女がこれほど勇気を必要としたのは、初めてここを訪れたとき以来かもしれない。


「失礼します。お師匠様、いらっしゃいますか? お客様を――」


 扉を開きながら、アルフェは早口に言った。自分の心配が杞憂なら、お師匠様は何でもないように、久ぶりだなと言って迎えてくれる。むしろ、そうであることを願った。


「お客様を……、お連れ、したのですが……」


 しかしアルフェは、ここに来た自分の判断が、やはり誤りであったと悟った。

 道場の中にいたコンラッドが、もの凄い形相で彼女をにらみつけたからだ。


「あの……、あの……。お師匠様……」


 口の中で消え入るようにつぶやいた呼びかけにも、コンラッドは耳を貸していない。ただただ怒りに満ちた燃える目で、まるで敵に向けるように、彼はこちらを凝視していた。


「ご……」


 ごめんなさい――。そう謝ろう。ひたすら謝ろう。身体を震わせ、涙すらこぼれそうになっているアルフェに対し、コンラッドは――


「……兄上」


 ――あにうえ?


「やあ、コンラッド」


 そこでようやく、アルフェは震えから解放された。コンラッドがにらみつけているのは、アルフェではない。彼の視線はアルフェの少し上、すぐ背後に向かっている。目尻に貯まっていたものを急いで拭き取り、アルフェは自分の後ろを見た。


「どこかで野垂れ死んだと思っていたが……、意外と元気そうじゃないか」


 アルフェが案内してきた男が、柔和な微笑みを浮かべたまま喋っている。


「……兄上も、御健勝のようで何よりです」


 ――兄上。兄弟。お師匠様と、この人が?


 それは本当なら、第一に出てくるべき発想だっただろう。他人にしては、二人は余りにもよく似ているのだ。アルフェがここまでその考えに至らなかったのは、彼女自身の悩みに心を囚われていたからだろうか。


「『兄上』か……。お前に言われると違和感があるね。父上の死に目にも姿を見せなかったのは、誰だったかな?」


 男の辛辣な台詞にコンラッドは苦い顔をしたが、反対に男は楽しんでいるようだった。


「気を悪くしたかい? ふふ、冗談だ。別に気にしなくていい。あんな父の葬式に出ても意味はないさ。お前は賢い」

「……あなたは、相変わらずのようですね。何もお変わりないようだ」


 コンラッドの口調は、普段の彼からは想像がつかないほど丁寧だ。


 ――あ、あれ? 脚が……。


 アルフェはそこで、自分が動けないことに気がついた。

 脚が動かないほどに、空気が重い。


「まあ、でもね、今日はそんなことを話しに来たんじゃあないんだ」

「……次兄は、お元気ですか?」

「知らないよ。まあ、元気なんじゃないかな。お前と同じで、どこに住んでるかも分からない」


 まったく、どうしてうちの弟たちは、こんな出来損ないばかりなのかな。そうつぶやいた時も、男は柔らかい微笑を変えなかった。


「……いやいや、だから私は、こんな話をしに来たんじゃあないんだよ」

「……」

「この町の近くで、偶然お前の話を聞いてね。私も『兄上』として、弟の生活が気にかかったのさ」


 わかるだろう、と芝居がかった身振りを交えて男が言った。二人はアルフェを挟んで、その頭越しに会話をしている。


「今は、何をして暮らしているんだい?」

「……見ての通り、道場を開いています。これで何とか、食うことは出来ていますよ」

「道場だって?」


 そこで男が浮かべた笑いは、今までとは違う、冷笑とはっきり分かるものだった。


「お前に何か、人に教えられるようなものがあったかな? ……もしかして、昔やっていたあれか。まだあんな下らないことをやってたのかい?」


 “下らない”とは、コンラッドとアルフェの使う技のことだろうか。これは彼に対する侮辱だ。思わずアルフェが反論しようとしかけた時――


「もしかしてこの娘も、それに関係があったりするのかな?」


 男が前に立つアルフェの両肩に、ぽん、と軽く手を置いた。


「――っ!」


 その瞬間、刺すような殺気がアルフェを襲った。その場に縫い止められたかのように、彼女の身体が全く動かなくなる。

 背後に、これまで見たことも無いような、恐ろしいものがいる。しかしそれを確かめるために、振り向くことさえアルフェにはできない。肩に触れる手から悪寒が伝わり、震えとなって彼女の全身を走る。


 アルフェには、ひどく長い時間が流れたように思えたが、実際には一瞬のことだったのかもしれない。その場の硬直を断ち切るように、コンラッドが口を開いた。


「やめて下さい」

「……ほう」

「その娘は私の――、私の弟子です。……手を出されるなら、兄上とて」

「兄上とて。……何かな?」

「……兄上とて、容赦はしません」


 さっきの燃える目とは違う。やけに澄んだ瞳、澄んだ声でコンラッドが言った。


「容赦しない……? お前が、私に?」


 アルフェの後ろに立っている男の声色が、不機嫌なものに変わる。


「家を捨てて逃げ出した、出来損ないの男が、私に対して、容赦しないと?」

「……」


 コンラッドは何も答えない。だが、その眼は相変わらず真っ直ぐと、アルフェの背後に向けられている。


「…………ふふふ。冗談だよ、冗談」


 アルフェの肩をぽんぽんと叩き、男が手を放す。

 アルフェの身体に時の流れが戻ってきた。肩に手を置かれていた間、彼女は息さえも止めていたのだ。


「コンラッド、お前が元気そうで安心したよ。……じゃあ、もう会う事も無いかも知れないけど、達者でな」


 一方的にそれだけ言うと、男は意外なほどあっさりと帰っていった。


 男が去った後も、嫌な空気だけが道場に残った。不意に来て、不意に帰った印象だが、コンラッドの兄だというあの男は、本当に弟の様子を見に来ただけだったのだろうか。


「……今の方は」


 しばらく時間が経ち、アルフェが尋ねた。


「……兄だ。一番目のな。……久しぶりに会った」


 コンラッドは、どこか遠くを見る目をしている。


「お兄様……」

「俺の家は、ある騎士の家系だが……、あの人は俺とは違い、剣ができたし、頭も良かった。……そして何より、野心があった。あの様子だと、相変わらずのようだ」

「怖い人です」


 アルフェは素直に感じた事を言った。その肩には、あの男から感じた寒気が、今も残っている。


「……」

「……お強いのですか?」


 その質問に、コンラッドは答えない。


「……お師匠様よりも?」


 哀しそうな顔で、コンラッドが言った。


「……俺より強い奴など、どこにでも居るさ」

「私は、そうは思いません」


 即座にそう答えたアルフェの言葉を聞いて、コンラッドがあっけに取られたように目を丸くする。


「……ふん、まったく」


 つぶやいたコンラッドは苦笑すると、アルフェの頭にぽんと片手を乗せた。


「お、お師匠様? ――うぐ」

 

 コンラッドは、彼を見上げる彼女の銀髪を、ぐしゃぐしゃとかき混ぜて、にこりと笑った。


「久しぶりに顔を見せたな、この馬鹿弟子が。――心配したぞ」


 そうだ。そういえば自分はずっと、彼の前に姿を見せることをためらっていたのだ。いつの間にかそのことを忘れていたアルフェは、頭に乗った大きな掌の上に両手を乗せると、はにかんだように笑みを返した。

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