第六場 すれ違う友情
ここまでで全体の三分の二っていう脚本を一度読み終わると、部長の麻由先輩に指示を託し、先生はそそくさと教室を後にした。
「水月ならできるよ」
優しくとも、厳しくともない、確信に近い声色でそう言い残して。
つまりは、これ以上の反論は受け付けないってことだ。
先生の表情からは、そうとしか読み取れなかった。
今日のところは早めに解散の指示が出た直後、去年の県大会でキャストと演出を兼任してた三年の
今回、主役の弥生に選ばれたのが、未玖先輩。童顔で可愛らしくて、癖のあるロングヘアがよく似合ってて。あまり感情を表に出すことの無い、穏やかで静かな性格。
たぶん先生は、一応希望とか、二人以上立候補がいた場合にオーディション形式を取ってはいるけど、始めから誰が演じるか決めて書いてるんだと思う。
そんな先輩は、
「ほら、演出……役者できな……実質、先生に……だから先生……」
普段は超が付くほどのウィスパーボイスで、聞き取れた情報を元に何を言ったか推測する必要がある。幸い国語の成績はいい私は苦じゃないけど。
今のは、演出をしながら役者をすることはできないから、県大会でキャストでもあった自分は先生に頼りっぱなしだった。だから、先生に相談するのが一番いいってことだろう。
大会規定に、キャスト及びスタッフについては在校生のみとするってあるから、少人数の学校は本当に苦労する。確かに、一年に演出を任せるよりはって苦渋の決断だったのかもしれない。それでも、私にとって一つの望みが消えた。
一見、役者なんてできそうにない未玖先輩。それが、舞台に立つと驚くほど変わる。ハッとするほど観客の目を引いて、耳に心地いい声が空気に乗って届いて来て。
もしかしたら、なんて少し……それこそ三分の二ぐらい私がって期待してたけど、弥生役はやっぱり先輩が一番合ってると思う。
先輩のための役。
「ごめ……フローラ……私も裏方……一緒に頑張ろ……」
気持ちを切り替えなきゃ。
言い聞かせて、帰り支度をしかけた私の手に鋭い痛みが走った。未玖先輩の囁きに反応した瞬間、まだインクの香りを宿す脚本の縁で切れた左小指に、一線の紅が滲む。
未玖先輩は、裏方を希望してたんだ。
私と先輩含めて、三人に同じ台詞を読ませたのに、先生は未玖先輩を選んだ。
最初から、そのつもりでいたから。
「どうして先輩が謝るんですか? 私も先輩が演じる弥生、観てみたいです」
小指より、自分の発した言葉が自分を刺した痛みの方が強くて。
だから、ちゃんと未玖先輩に笑顔で言えたんだって、思いたい。
その日の部活帰り。いつものルートを少し外れた場所にある、スーパー敷地内の小さなクレープ屋さんに寄った。
今日は誰が言い出したのか分からないけど、時々、来られる部員だけで集まってる行きつけの場所。他にもアイスだったり、たい焼きだったり、季節によってメニューが少し変わるようなお店だけど、味は間違いなくて部員には大好評だ。
今日は一、二年だけ、かな。
「水月、それ少しもらっていい?」
「うん……」
ボーっと、お店の外のベンチに千野と並んで座ってた私は、秒で私のタピオカ入りミルクティーをほぼ飲み干されてることに気付かなかった。千野がほんの数分前まで手に持ってたクレープが、紙の持ち手を残し無くなってることにも。
細身のくせに、タピオカなんて関係無しの吸引力も、そもそもの食欲も、ブラックホール並みだってことも忘れて。
「……なぁ、全部飲むぞ」
千野の声に、背もたれに身体を預けたまま顔だけ向けると、千野が私の膝の上にあるプラスチックカップと同じ位置から見上げてた。
夕方のまだ肌寒い春風が、優しく千野の前髪を撫ぜて、露わになった綺麗なパーツを、一つ一つ夕焼け色に染めていく。
長いまつ毛の作る印影が、繊細そうな印象を与えるのに、千野にはそんな、燃えるような色合いがよく似合う。
「新しいの買ってくれるならいいよ」
抑揚の無い声でカップを差し出すと、千野が姿勢を戻しつつ、軽く嘆息した。綺麗過ぎる千野に緊張してた頃もあったけど、今は無いかなぁ。
そこで初めて、お店の中や外で、他のみんなが笑顔ではしゃぐ様子が横目に映った。
「買ってやるから来いよ。二つでも三つでも、腹いっぱいになるまで……」
「ねぇ、千野」
だから、割と何でも言える。若葉と羽美の次くらいに、演劇部では仲の良い存在。
「……何」
「何で私、演出なんだろ……」
立ち上がった千野を見上げて、本音どおりの顔と声でこぼしてしまった。
「嫌だって思ってんの?」
「と言うか、私が下手だからキャストとして選ばれなかったのかなって。別に配役に不満があるわけでも、脚本に文句があるわけでもないけど。私が、どの役にもなれないくらい、やっぱり実力が足りないから演出なのかな。いいなぁ、千野は。キャストだし、準主役だし。本当、羨ましい……」
あ、言ってて泣きそう。
急いで顔を伏せた。
三人しかいない先輩たちは、各学年一人ずつの男子の先輩も含めて、みんな裏方を申し出てくれた。だけど唯一、未玖先輩だけが主役に抜擢されて。直義役を千野、清史郎役は一年女子。それならせめてと思った奉公人役も、二年の別の女子と、一年男子で決まった。
主なキャストは以上。
舞台に立ちたかった。
千野には隠してたけど、朝比奈くんに少しでも近付きたいって思いだけで、懸命に練習してきた。
柔軟や筋トレ、発声の基礎練習から、不自然なのにリアルさを求められる表現の練習まで。
休みの日も、一度だけ他校の練習を見学させてもらったり、プロ、アマ問わず、舞台を一緒に観に行ったこともある。
練習の度、いつもお互い自由に意見を言い合って。理由は分かんなくても、私より遥かに上手いのに、初心者の私なんかに根気よく付き合ってくれてた千野は、なんか勝手に慰めてくれるんじゃないかと思ってた。
でも。
「何だよそれ。じゃあ俺は、他に男がいないから選ばれたんだな」
予想外に冷たい返答が降って来て驚いた。
え?
「え、待って、何でそうなるの?」
「水月が言ってんのは、そういうことだろ」
「えっ、違うよ! 千野はちゃんと……」
「俺、帰るわ」
言うなり、空になったカップを投げるようにごみ箱へ捨て鞄を背負う千野に、私は立ち上がることしかできない。
「千野……っ」
「今の水月とは話したくねー。じゃあな」
何で? 何で千野が怒るの?
「待ってよ、千野!」
いつでも眩しさは変わらないのに、今は柔い赤の夕陽に、立ちこぎの自転車で突っ込んでく千野の背中が遠ざかる。その姿が完全に見えなくなるまで、千野は一度も振り返ることはなかった。
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