第四場 悔し涙とポートレート(2)

 ワークショップ終盤、学校に関係なく組んだ五人グループで、始まりだけが指定された状況の中、ジェスチャーのみで即興劇を完成させるという課題を披露し合った。

 自分のグループが終わって、千野に「さすが水月。西高のコメディ担当」って褒められたのにホクホク顔で元いた床に座り込んだのが、運命の時。


 右隣からクスクス笑う声がして顔を向けると、知らない他校の男子が口元に手を当てながら笑ってた。


 私たちのグループ、そんなに楽しんでもらえたんだ。嬉しい。


 心底可笑しそうに笑う彼が、私の視線に気付いてこっちを見る。


「あ、すみません。すごく面白いなって思ったので」


「ありがとうございます」


 わ、爽やか男子。こんな人いたんだー。


 目立つタイプでは無いけれど、彼の持つ、自然体で清涼感溢れる雰囲気が、とても好印象に映った。それは私が普段、クセのある部員たちと過ごしてるからかもしれない。


「僕には、あなたみたいな表現はできないなって思って。とても新鮮でした」


「え? 私、ですかっ? 高校から演劇始めたばっかりでまだ全然上手くなくて。何か変でしたっ?」


「ああ、いえ。変じゃなくて、すごく良いなって。僕は好きだなって思いました」


 特に最後の言葉と、ふわっと笑った顔を見た瞬間、彼の後ろに世界史の資料集で見た中世ヨーロッパのお城が築き上がった。


 彼が「あ、次、僕たちのグループなので」って立ち上がった後もしばらくフリーズしてしまって、若葉に「りっちゃん、他の人の演技を見るのも勉強だよ」って怪訝な顔で怒られたのを合図に、やっと現代日本に意識が戻って来た。

 そのまま、無言で若葉の手を引き、急いで会場の隅へと連れて行く。


「ちょっと、何っ?」


「……今の王子は、どこの国のお方?」


「は? りっちゃん、大丈夫?」


「ほらっ、あの、今、真ん中で演技してる人。若葉、人の名前とか覚えるの得意でしょ? どこの誰か知ってるっ?」


「ええ? あー、あのジャージ、東高ね。東高は部員多いから、全員は分からないわよ。そもそも名前なんて個人情報、直接本人に聞けばいいじゃない」


 う、ですよねー……。


 諦めて、もう一度フロア中央で演じる彼に目を向けた。舞台なんて無い、多目的室のフラットな床の上。


 とても自由に、生き生きと演技する人だと思った。しなやかな身体使い。豊かな表情。五人の内、誰よりも視線が行く。隣に座ってた時より、存在が大きく見えるような。

 今の私じゃ、きっと彼の隣には立てない。


 トクンと一つ、胸が鳴った。


「でも、あの表現力。一年か二年だと思うけど、さすが東高ね。で、彼がどうかしたの?」


「え……?」


 若葉の問いに即答できなかった。


 どう、したんだろう?

 急に名前知りたいって思った。

 彼の言葉に、新緑の風が吹き抜けたみたいに身体が軽く、心が洗われた気分になって。彼の笑顔に、目の前が明るく色付き出した気がした。


 もっと話してみたい。

 もっと彼の傍に行きたい。

 もっと……。


「えっ、りっちゃん? 顔、真っ赤だよ」



 ——これも、一目惚れっていうのかな。



 帰り際、出席者ほぼ全員に笑顔で「お疲れさまでした」って挨拶してる彼に、居ても立ってもいられず話しかけた。


「あのっ、名前、教えてもらえませんかっ?」


「えっ? えっと、さっきの……」


「私、西高一年の水月立香です。あなたの演技、すごく素敵だと思う。私もあなたみたいに自由で生き生きした演技ができるようになりたい。あなたの演技が、私も好きです!」


 一気に伝えた。緊張よりは、言えたことへの充実感で身体が熱くなった。

 一瞬遅れて、赤くなった彼はすごく可愛くて、


「坂之東高校一年の朝比奈颯人です。一緒に頑張ろう、水月さん」


「はいっ」


 その輝きに満ちた笑顔の、なんと尊かったことか。


 朝比奈くんも、私と同じ一年生。今はまだ無理でも、追い付きたい。認められたい。

 朝比奈くんと同じ舞台に立っても、恥ずかしくない存在でありたい。


 そしたらもっと近くで、その笑顔を見てみたい。


 朝比奈くんは、演技だけじゃなく、私の好きな人になりました。


「あ、それから、演技が好きって言ってくれてありがとう。すごく嬉しいよ。でも、僕もまだまだだから、ちょっと照れるね……?」


 王子様スマイルではにかむ朝比奈くんを見て、とにかくこの日、私はエモいの意味を人生で初めて実感として理解した。


 ***


「……水月のは主観的過ぎて全然伝わって来ねー。つか、王子って発想が水月だよな。朝比奈の演技って、本当にすごいのか?」


 は? 若葉、ワークショップの時の朝比奈くんの演技、見てないの?


 カチンと来て振り向くと、遠慮なくウケる千野がいた。


「って、千野っ? えっ、やだーっ、盗み聞きとかサイッテー!」


「俺が聞いたら自分がペラペラ喋ったんだろ? 一応忠告しとくけど、王子とか言われて喜ぶ男なんていないからな。告るなら気を付けろよ」


「ぎゃーっ、やめて! この話、誰かにバラしたら、千野のあだ名百回書いてラインで送るからね!」


「あれだけ騒いどいてバレてないと思ってるのがすげーよな。ていうか、人の嫌がることする女を好きな男もいないから」


「っ!」


 悔しいけど何も言えない!

 ちょっと顔がいいからって。ちょーっと彼女がいるからって。絶賛リア充謳歌してるかって、千野のやつーっ!


「それより、東のやつが好きだからって、こっちの手を抜くなよ」


「当たり前じゃんっ」


 呆れた後、マジな顔で真っ直ぐに私を見る千野。朝比奈くんより、更に五センチは高い位置から私の頭を掴んできた。ムカつくけど、今この場所に私がいるのは、千野がいたからだったりする。少しだけ、冷静さを取り戻した。


「東と西のやつら、すげー余裕だな」

「まあ、去年も県大行ってるし? 自信あんじゃん?」


 ふと耳に入った他校の人の会話。その言い方は、嫌味よりも事実を述べただけのように感じた。


 私も、そんな風に見えるんだろうか。



 今日現在、大会本番を二週間後に控え、未だ大道具未完、通し稽古だって一回もできていない西高演劇部に、余裕なんてあるわけない。



 だからこそ、だ。



 高校演劇における全国大会は、文化部、運動部合わせたどの大会に比べても、かなり特殊だと思う。


 今年度の坂之町を例に挙げれば、六月下旬に地区大会、十月に県大会、十一月に全国を九ブロックに分けたブロック大会があって、地区大会からは二校、県とブロック大会では一校のみがそれぞれ上位大会への推薦校として選出される。


 そして、最終目標である全国大会が行われるのは、翌年度の夏に開催される『全国高等学校総合文化祭』の演劇部門において。


 必然的に、三年生は二年生の段階で全国大会出場を決めていなければ、全国の舞台を踏むことはできない。

 例え三年の秋、ブロック大会を突破できたとしても同様に。


 高校演劇には、リーグ戦もトーナメント戦も、敗者復活戦も存在しない。


 チャンスは一度きり。


 それも、大会規定の上演時間六十分を超えないことが最低条件。一秒でも超えれば、そこで失格となって、審査対象外となってしまうから。


 まずはこの地区大会で最優秀賞、又は優秀賞を受賞することが、夢の全国の舞台を踏める第一歩。


 去年の西高は、地区大会で優秀賞を受賞し、県大会への出場を果たした。


 それは事実だけど、それが最後の記録でもある。


 元々部員不足だった西高演劇部。受験を理由に引退した三年生の代わりを務めたのは、県の舞台が初めての公式大会となる、私たち一年生部員。


 ただ必死だった。

 悪くないと思った。


 だけど、上演後の偉い人の講評は、悪いところばっかり覚えてる。

 ミスは的確に、いいと思ったことだって指摘されて、みんな自分のせいだって思い込んだ。


 結果は、坂之東高が最優秀賞を受賞して幕を下ろした。


 打ち上げは、みんな笑顔で盛り上げた。個性派ぞろいの演劇部員、楽しくないはず、ない。


 帰り道、真っ暗な歩道で、何の希望も照らし出しはしないヘッドライトの灯りは眩し過ぎて、通り過ぎてく度、途中まで方向が同じだった私と若葉と羽美は泣いた。

「私の演技がもっと上手ければ」「わたしの音響だって」「あたしだって」

 他のみんながどうだったかは知らない。

 また来年頑張ろうよなんて、誰の口からも出て来ない。


 二年生はもう、この時点で全国大会へは行けないんだ。


 その事実だけが重く心にのしかかって、冷たい秋風に、ただ身体ごと熱を奪われてく気がしてた————。





「りっちゃん?」

「水月?」


 若葉たちに呼ばれて今に意識を戻す。


 ふっと小さく息を吐いて、もう一度、今いる坂之町市イベントホールを見渡した。

 今度は、私たちにとって最後のチャンス。


「会議室、早く行こう!」


 千野を促し、若葉と羽美の肩を抱いて、私は明るく歩き出す。


 胸に抱き締めた朝比奈くんの笑顔は、謂わば、私のお守りだから。

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