第三場 悔し涙とポートレート(1)
「朝比奈くんっ、おはよう!」
東高の顧問と、部長らしき男子生徒が指示を終えるのを待って、私はすぐに朝比奈くんの元へ駆け寄った。
本当は何も考えず突進しかけたのを、若葉と羽美にギリギリで取り押さえられたんだけど。その間、朝比奈くんの隣にいるメガネ美人にモヤモヤして、心の中では「誰? どういう関係っ?」が吹き荒れてた。
半年前、朝比奈くんには彼女がいないって人づてに聞いてから今日まで、それ以外の関係なんて考えても無かったってことも。ただの部員同士だって信じたい。でも、彼氏彼女になる前の関係だってあるんだ。
何で、その可能性を忘れてたんだろう。
それでも、やっと半年振りに話せるんだもん。挨拶ぐらいしたっていいよね? それくらい、迷ってる暇なんてないっ!
私の声に、朝比奈くんと、なぜかメガネ美人も同時にこっちを見た。好きな人と、好きな人の傍に寄り添う人。途端に全身が緊張する。ぎゅっと両手でスカートを握り締めた。
わ、間近で見ると本当に美人さんだ。背は、私と朝比奈くんのちょうど中間位。黒髪ロングのポニーテールに、細いフレームの黒縁眼鏡。少しキツめの印象だけど、クリームっぽい色のセーラー服に、東高の象徴、青に近い色のカラーとリボン、スカートが上品さを醸し出す。東高は県内でも一、二を争う超進学校だし、頼りになるお姉様って感じ。
西高だって、三、四が無くて五を争う位の進学校だと思うけど、私、場違いかな? 朝比奈くん、私のこと覚えてない?
窺うように、二十センチ上の朝比奈くんの目を見つめた。
「ああ! えっと、
にっこりと、あくまでも爽やかに微笑む朝比奈くんからマイナスイオンが放出される。
それだけで私、無敵かもしれない。
それは私が朝比奈くんを好きになった日で、今朝、夢の中で逢ってるよ、私たち!
ブロックサインを送った。
「わあっ、覚えててくれたんだ? 嬉しいーっ! あのね、朝比奈くん。私、あれから……っ」
「ん、んんっ」
天にも昇る心地で謎のサインを送りつつ感動する私に、メガネ美人から思いきり咳払いが飛んだ。
そ、そうだった。う、睨まれてる……?
「あっ、えと……、ごめんなさい、迷惑、ですよね……」
あなたは、朝比奈くんを好きな人? 朝比奈くんが、好きな人? 両片想い? もしかして、両想い……。
後ろ髪引かれる思いで一拍置いて。
踵を返した。
本当は聞きたい。でも無理。だって私は、朝比奈くんにどれ一つ聞ける関係にない。
顔を伏せ、胸の前で揺れる制服のタイを握った。
ただこの人と制服が違うだけ。なのに二人と、ものすごく高い壁を感じる。
「あ、水月さん……」
朝比奈くんの声を背に、私が西高の部員たちの元へ踏み出すのと、誰かに肩を抱かれて止められたのが同時だった。
「ごめんなさい、この子、恋愛経験無いから、そういう空気、全っ然読めなくて。ただ、あなたにあれから演技の練習頑張ったって、伝えようとしただけだから」
「ちょ、ちょっと、若葉っ!?」
すぐ横に、私の肩に手を置いて、真顔で朝比奈くんを見る若葉がいた。
さすが隠し事とか一切嫌いな若葉。
もちろん青ざめた!
「ごめんっ、朝比奈くん、何でもないからっ」
急いで若葉を引っ張ってその場を離れる。
「やめてよ、若葉! 一歩間違ったら、私、告白する前に失恋決定だよっ?」って小声で訴えると「いつまでも悩むよりいいじゃない。それに、失恋したらしたで、実体験としていい参考になるでしょ」って返す若葉。超合理主義! 前からさっさと告白しろって言われてたけど、まだ欲しくないよ、そんな実体験!
「えっ? 待って、僕たち全然そんな関係じゃないよっ」
え?
「わたくしこそ迷惑ですわ! だいたいジョニーは、そちらの
「
驚き顔で即否定した朝比奈くんに喜んだのも束の間、メガネ美人がものすごい形相で前に出て来た。
……………………へ?
思考回路が追いつかなくて、とりあえず朝比奈くんのあだ名はジョニーなんだ、私とテレビショッピングごっこできそう、としか処理できない。
ジョニーと千野が、何て?
「水月さん、でしたかしら?」
「は、はい……」
軽くため息を吐いたメガネ美人……もとい、山科さんがメガネを押し上げつつ私を見下ろす。
「千野×朝比奈って、想像するだけで萌えません?」
山科さんの突然の恍惚とした表情。
「へえっ? いや、何の、お話でしょう……」
どうやら未知の世界のお話が始まったらしい。
「水月さん、違うからっ。山科さん、いっつもこういうこと言うんだけど、ただ……」
私の左側で朝比奈くんが必死になって否定してる。
えーっと。
千野は西高演劇部、全二十名中、たった三名しかいない男子部員の内の一人だ。もっと言えば、同じ二年でもたった一人の貴重な男子。
ああ、山科さんて……。
「ほらジョニー、何事も経験よ。わたくしのために、早く千野くんと戯れてらっしゃい!」
「山科さん、本当にやめて。あと、今、そのあだ名で呼ばないでくれるかなっ?」
可哀想なくらい焦ってる朝比奈くん。
「あの。千野って確かに女顔してますけど、彼女もいるし、中身はかなり男っぽいと……」
「ここは敢えての朝比奈×千野もアリかしら。ふふふ……」
ダメだ。山科さん、私の話全然聞いてない。
「山科さん、少しの間、外してもらってもいいかな? ごめんね、水月さん、びっくりしたよね? 初めて山科さんに今の話された時、思わず僕がこんな感じかなってノッてみたら、エスカレートしちゃって……」
聞き捨てならないっ。
じゃなくて。
「あー、そ、そうなんだ。でも、私的には安心したかも……」
「え?」
「あ、ううん、何でも。それより朝比奈くん。いきなりで申し訳ないんだけど……私と一緒に写真撮って下さい!」
「えっ? ほ、本当にいきなりだね……」
山科さんのお陰で時間も無くなって来ちゃったし、前回撮ろうとしたら、隠し撮り及び類似行為は若葉の意に反するって怒られた上に、朝比奈くん先に帰っちゃったからっ。
「無理にとは言わないけど、でもできれば、個人的に楽しむ以外、SNSで晒したり、その他朝比奈くんの名誉を傷付けるような行為は絶対にしないって約束するので、ダメですかっ? 念のため、個人情報に関する誓約書も用意して来ました!」
「誓約書って……。あははっ。水月さんて、普段から面白いんだね。僕となんかで良ければ。いいよ」
ああっ、お腹抱える朝比奈くん! 盗撮したい!
「ホント? 良かったぁっ」
よっしゃあっ!
「小野小町が聞いて呆れる」って若葉の言葉に、どっちが口から出てたか興奮し過ぎてよく分からないけど、私は急いでリュックからデジカメを取り出し、若葉に託した。
「良かったねぇ、りっちゃん? 昨日、王子様になった朝比奈くんの夢を見たんだもんねぇ?」
ぴょこっと、若葉の後ろから羽美が顔を覗かせる。
うんっ、良かっ……え?
「え、僕が王子?」
「うん。りっちゃん、今朝、その夢見て寝坊……もがっ」
「何てこと言ってくれてんだ!」っていうのを羽美の口を塞ぎ、ブロックサインで釘を刺した。昼休みに話すんじゃなかった。
「なっ、何でもないから! 朝比奈くんが王子様で私がお姫様の夢とか絶対に見てないから、気にしないでっ」
まして、キ……とか絶対に内緒ー!
「王子様とお姫様……こんな感じかな?」
言うなり、朝比奈くんの表情がスッと変わった。
「姫、一曲お相手いただけますか?」
まさしく、舞踏会慣れした王子様スマイル。普段の話し声とは全く違う滑舌の良さと、甘めのよく通る声で朝比奈王子が私の手を取った。
手を……。
ええーっ!? 朝比奈くんのノリって、これかーっ!
「はい、喜んでー!」
思わず姫っていうより居酒屋店員風に叫んじゃった私に「あっ、ごめん、僕また……」って朝比奈くんがほんのり頰を染めつつ、慌てて手を離す。
もう演劇部も朝比奈くんも、最っ高っです。
若葉に渋々撮ってもらった朝比奈くんのポートレートと諸々に、感極まってデジカメを抱き締める私。
最後は手を振って、朝比奈くんと別れた。
「……ねぇ、若葉、羽美。朝比奈くんも、実は私のこと好きなんじゃないかな?」
「……なぁ、水月が妙に張り切って部活に来始めたのって、あいつが理由? ていうか、いつあいつのこと好きになったわけ?」
「え、若葉、今更ー? それに、朝比奈くんをあいつ呼ばわりしないで」
「言っとくけど、今の発言、わたしじゃないわよ」「今の若葉ちゃんじゃないよぉ?」
朝比奈くんが見えなくなるまで陶酔してた私は、そのまま、若葉たちのいる後ろを振り返ることなく、今度は半年前に想いを馳せた。
「だからぁ、前も言ったけどー」
***
去年の十二月初め。市内で開かれた高校生を対象とした演劇ワークショップに、部員全員で参加した。プロの劇団で演出経験があるっていう講師の先生の指導に、市内の多くの演劇部員が勉強のために来てた。
私と朝比奈くんも、まだお互いの存在を知らないまま。
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