第二場 朝比奈王子、降臨!

 可憐さをより引き立てる、白をベースに胸元、カラー、袖口に濃紺と白のラインが入ったセーラー服に着替えた私は、全力で自転車をこいで通学の自己ベストを更新! できたはずもなく、あえなく遅刻した。何気に初遅刻。光瑠ひかるめっ。

 自転車置き場から校門まで、地獄の階段、五十二段が立ちはだかるうちの高校。坂の西って言うか、坂の上に改名した方が絶対いい気がする。


 とにかく二年B組の教室に入った時には全身汗だくで「ゼハー、ゼハー」しか発せなかった。入口付近にいた男子が、有名ホラー映画のヒロインを襲う側の名を私に叫ぶ。期待に応えてやろうかっ。悪いけど、朝比奈くん以外の男子の視線なんて気にする余裕、今は無い。ネクタイ型のタイが宙で揺れるくらいの前屈みで、何で長袖着てんのってくらい肩口まで袖を捲り上げて。鏡見なくたってボロボロだよっ。


「おはよ、フローラ」

「遅刻だねぇ、フローラ?」


「教室でそのあだ名はやめてっ」


 這う思いで席に着くなり、前後からかかる同じクラス、同じ演劇部の二人、中尾なかお若葉わかば瀬川せがわ羽美うみの呼びかけに必死に注意を絞り出す。


 そりゃ、すずらんがイメージの私に花の女神フローラはピッタリだとは思う。でもこれは、演劇部入部とともに付けられたあだ名で、決して私が呼ばせてる訳じゃない。毎年、新入部員に三年の先輩が適当に挙げた名前や名称から、あみだくじで強制的に決定するのが伝統だって、入部して初めて知った。

 後世に残したくない伝統って、世の中にはあるんだ。


 ちなみに、次期部長候補の若葉はナイスミドル。衣装にメイク、小道具の三役こなす羽美は標本。

 おちゃめな先輩を持つと、後輩は苦労します。呼ぶ方も恥ずかしくて、二年生の間では全然浸透してない。


「どうせ朝比奈くんの妄想に興奮して、夜更かしで寝坊したんでしょ?」


「妄想じゃなくて夢見ただけだけど、どうして分かったの、若葉っ?」


「昨日、朝比奈くんと付き合ったらって妄想で大騒ぎしてたから」

「それ以外の理由がないからぁ?」


 さすが若葉、鋭い! って関心したのに、二人からは冷静かつ的確なツッコミが入った。


「うっ、何も言えない……」


 昨日の部活帰り、明日は会えるってうなぎ上りのテンションで、唯一私の想いを知ってる二人に朝比奈くんとの妄想デートを語った自分を思い出す。水族館から始まる、めくるめくひと時だった……。


「じゃあ今朝は、思ひつつ寝ればや人の見えつらむ夢と知りせば覚めざらましを、って感じだったんだねぇ?」


「へ? 何それ?」


 いつもの疑問形の語尾はそのままに、特徴的なアニメ声で詠み上げる羽美を振り返ると、羽美は眠るような仕草で両手を重ねて頬に当ててた。下敷きで思いっきり自分を扇ぐ私の風に、羽美の姫カットのロングの髪がサラサラと揺れる。


「小野小町ね。好きな人のことを思いながら寝たらその人が夢に出て来てくれた。分かってたら夢から覚めなかったのに、って。九条くじょう先生の授業で習ったでしょ」


 ショートボブの毛先を耳に掛け、ベテラン教師みたいにびしっと締めた若葉の解説に、授業の記憶は曖昧ながら私は一気に心を掴まれた。今朝見た朝比奈くんとの逢瀬が蘇って、私の胸がぎゅっと甘く疼き始める。


 そうだ。夢から覚めなければ私はあのまま、キ……。


「やだもーっ、世界三大美女ってとこも内容も私にピッタリ過ぎて怖いー! うんうんっ、あのまま覚めなかったら私と朝比奈くんは……。きゃーっ! これ以上言えないっ」


 思わず両頬に手を当て、イヤイヤするように頭を振った。

 さすがにこの妄想は恥ずかしい!


「……りっちゃん? りっちゃーん?」何度か本来のあだ名で私を呼んでくれた様子の羽美に気付いて、私はそのままの体勢で顔を上げた。


「え、次はクレオパトラくるっ?」


 依然、興奮中の私は全然気付いてなかった。


「じゃなくて、先生来てるよぉ?」


 目の前に、鬼のような顔の数学教師がいることに。


「は、早く言ってよっ!」



 そんな普段ではあり得ない失態を見せつつも、午前の授業を上の空で消化した後、昼休みにメイク担当の羽美にしてもらったお団子ハーフアップで見た目も完璧になった私は、午後の授業中、勢いよく席を立った。

 ガタンッと鳴る机と椅子に、教室中の視線が一斉に集まる。


「先生! 水月みづき立香りっか他二名。演劇地区大会の打ち合わせのため、早退しまーっす。若葉っ、羽美っ、秒で行くよ!」


「すみません、ああいう子なんです」「秒じゃ行けないよぉ?」


 若葉と羽美のフォローを背中で聞きつつ、あ然とする日本史の先生にウィンクを残し、私は速攻で教室を後にした。



 やっと来たこの時間。


 六月七日、午後二時四十分。

 年に一度行われる高校演劇における全国大会、『全国高等学校演劇大会』。

 今日は、その第一関門となる地区大会の打ち合わせの日。


 県内を北部・中部・南部の三地区に分けた内、我が西高を含む北部地区で大会に出場する全十校の演劇部が一堂に会する日。


 そして何を隠そう、まだ連絡先さえ知らない朝比奈くんと私が公然と会える、超貴重かつ重要な日!


 今日のメインは来たる二十二、二十三日の土日、二日間に渡って開催される大会当日の上演順を決めるくじ引きと下見だけど、会場となる坂之町さかのまち市イベントホールを前にして、いやが応にも緊張が高まる。


 この大会で、今年は十月に開催される県大会へ出場する二校が最終日に決定する。


 西高の最寄りバス停から部員総勢二十名でバスに乗車して十五分。

「おはようございます!」の声と共にエントランスに入った時にはもう、半分以上の学校が到着してた。


 昭和に建築され、平成後半に大改築された歴史あるこのホールも、私は今の姿しか知らない。だだっ広い白を基調としたエントランスは、大理石調の床から続く白い柱と数段の階段が客席へと自然と誘う明るく開放的な空間。このエントランスだけでも、ちょっとした演劇やコンサートができるらしい。


 蒸し暑かった外の空気も一変、このどこか凛とした雰囲気に、来る度、顧問の九条くじょう柳太郎りゅうたろう先生に言われ続けた「役者は常に、一本の糸で上から吊られてるイメージで立つこと」を思い出して姿勢を直しちゃうのは、私だけかな。


 そんな神聖とも思える場所で、時間までそれぞれに過ごす各校の中には知ってる顔もチラホラいる。


 今年はどの学校が県大会へ? 否。私の目下の最大の関心事は!


「いない……」


 思わずボソリと呟いた。

 まだ朝比奈くんがいない! 打ち合わせ開始まで後十七分なのにっ。


 先に車で来て、この会場で合流した九条先生の「水月、ボクの話聞いてた?」に「余すところなく!」と返しつつ、私の視線はキョロキョロと辺りを彷徨う。


「おはようございまーす」


 不意に響いたよく通る爽やかな挨拶の輪唱に、私は反射的にホールの入り口に注目した。私だけじゃない、たぶんその場に居合わせた全員の視線が一斉に集まる。


 演劇部員の常識、昼夜問わず、希望に満ちた一日の始まりを思わせる「おはようございます」を振りまき、それこそ外の不快な空気も快適、除菌、消臭してくれそうな一団体。自動ドアを抜けて、白シャツに青に近い色のパンツの制服を着た男子生徒を筆頭に現れた高校。その左胸ポケットには、誇り高い校章の刺繍が光ってる。


 来たーっ!!


 去年の地区大会、最優秀賞受賞校にして、今年の全国の舞台へも推薦が確定している、県立坂之東さかのひがし高校、降臨。


 ちなみに、西高男子の制服は白シャツに黒パンツ。左袖に校章の刺繍が入ってるってだけの至って普通。そんなことより、東高! だって、東高には……。


 ——はわぁぁぁ、朝比奈くん、いたーっ!!


「あっ、ちょっと、りっちゃん!」


 東高御一行の半分より後ろ寄り。好きな人ってどうしてすぐ目に映るんだろ。若葉の制止を振り切って身体が勝手に動いてた。


 今日も清潔感溢れる短髪に、拝みたくなるような爽やかな笑顔と柔らかい佇まいで同じ東高のメガネ美人と話してる、本物の朝比奈くん!


 ん? メガネ美人っ!?

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