このカーテンコールは君次第!
仲咲香里
第一幕 〜高校二年・恋と舞台と演出と〜
第一場 ヒロインは私!
開演のブザーが鳴る。
「
ゆっくりと上昇し始めたえんじの幕に、私は深呼吸一回、高まる緊張を落ち着ける。途中、何が起ころうとも流れ出した時間は止まらない。六十分間一本勝負。
一秒でも過ぎれば即失格、全国への道はそこで途絶える。
最後のゲネプロはギリギリだった。
第一幕第一場。
小さく舞踏会の音楽が流れ出す。
中世ヨーロッパ風のお城のバルコニーに潜む二人の影。
——でも、私が演じるべき脚本はもう一つ。
幕が上がり、熱いピンスポットライトを浴びたら、観客の視線は私のもの。台詞なんて無くても、この存在感、一挙一動で客席全部を惹きつけてこそ本物。板付きの舞台中央は私に似合う最高のポジション。
今、この瞬間、主役は私。
『姫、今宵は新月。この闇夜に紛れて、あなたを
普段の優しい眼差しからは想像もできない上目遣いの熱い誘い。甘いけれど力強い声音で初めて私の手を取る王子の指に、離す意思など微塵も感じられない。
でも、触れるのは手だけでいいの?
『
その台詞、いつ聞かせてくれるのか私もずっと待っていた。だからもう待たない。
だって、
この恋も、ヒロインは私————!
「
「姉ちゃん、遅刻するって」
「ええ。姉ちゃんは今すぐ、王子の元へ馳せ参じまーっす!」
うふふっ。なーんて、王子は私のすぐ足元。
私は逃がさないよう、上からガッチリと両手足で王子を捕捉して瞳を閉じる。「ヤバイわ、姉ちゃん」って幻聴は無視して、さあ王子、今すぐ私と熱ーい口づけをっ!
「朝比奈くぅんっ」
「姉ちゃん。今の一連の言動、全て動画に収めたから。起きないとこのままSNSで晒すよ」
「……へ?」
悪魔のような囁きが飛び込んで来ると同時に、舞台もピンスポもドレスも、そして王子も私の前からシャボン玉みたくパチンと弾けて消えた。代わりに、ぼやけた視界の向こう側には見慣れた自室の風景が広がっていく。
トドメに、やっと合った焦点のど真ん中、ヨダレと寝癖とチラリと覗くお腹で掛け布団を羽交い締めにしてキス顔をする黒髪セミロングの乙女が一人。
うん、普通にしてれば普通に可愛いんだろうに。残念な子。
……って、私っ!?
弟の掲げるスマホに、JKにあるまじき姿で映る自分を認識した瞬間、一発で覚醒が完了した。色んな意味で首から上が熱くなって、ふつふつと怒りが沸く。
「ちょっと、
「お母さん、姉ちゃん起きたー。おれもう学校行っていい?」
姉の怒声にも一切動じない生意気な光瑠の後を追ってベッドから飛び起きた私。懐かしい白の半袖シャツとダークグレーのチェックパンツの制服の背中を追って手を伸ばすも、届く前に舌を出しながらドアを閉められた。
昔はもっと従順だったのに、中三になった今、そんな面影なんてこれっぽっちもない!
急いでドアを開けた。
「学校より動画ー! そのスマホを寄越せーっ!」
「姉ちゃん」
玄関へと続く廊下の途中で光瑠が振り返る。
「何よっ?」
「後五分で八時になるけど」
「はあっ? だから何よっ! って、はあああっ!?」
興奮から一転、青ざめる私に「じゃあな」って、意地悪く笑いながら光瑠が去って行く。
「この大事な日に、何っでもっと早く起こしてくれないのよーっ!」
「何度も起こしたってー。姉ちゃんのこの姿、朝比奈王子もドン引きするんじゃね?」
背中越しにスマホを振り靴を履く光瑠に、怒りプラス、恥ずかしさ上乗せで茹でダコもビックリの赤面に変貌していく私の顔。
何で光瑠が朝比奈くんのこと知ってんのっ? そもそもこの想いは誰にも言ってないのに!
って、今はそんなこと言ってる場合じゃなーい!
今日は年に数回の、私の王子様、朝比奈
「後で『落ちる』って百回書いてラインで送ってやるーっ!」
今年受験生の光瑠に恐らく大ダメージを与えるであろう捨て台詞を吐いて、私は部屋にある通学用のリュックを掴んだ。
やばい! マジで遅刻する!
八時四十分までに校門をくぐらないといけないのに、今日現在、どんなに自転車を飛ばしても四十分の通学時間の壁を短縮できたことは一度も、無い!
洗面所で最低限の身だしなみを整えた後、ダイニングへ行き、怒るお母さんと美味しそうな朝食を横目にお弁当だけはゲットして玄関へと向かう。
食パンかじって登校したいけど、花も恥じらう可憐な私には到底無理!
泣く泣く諦めた。
「行って来ます!」もそこそこにマンションのエレベーター前で呼出ボタンを連打する。
光瑠のせいで一階で停止中じゃん!
待てなくて十階から階段を二段飛ばしで駆け下りて共有の自転車置き場から愛車に飛び乗ってこぎ出すと、先を歩く光瑠に追いついた。部活引退に向けて伸ばし始めたツンツンの髪がなんか腹立つ。無性に腹立つっ!
「あの動画、絶対消してよねっ!」
追い越しざまに後ろから一回頭をはたいてやった。
はぁ、ちょっとスッキリ。
「……なぁ、姉ちゃんっ」
「何よっ。言っとくけど、あんたが悪いんだからねっ!」
「高校って、パジャマで登校する日があるんだなっ」
後方確認無しで急ブレーキで自転車を止めた。よりにもよって、時代劇好きなお母さんが買ってきた前面にでかでかと『悪代官』って縦書きされた真っ赤なTシャツにハーフパンツ。背中の『お主も悪よのぅ』は辛うじてリュックの下だけど……。
クスクス笑う声があちこちから聞こえて来る。大注目されてる私は今、間違いなくこの場の主役……。
全速力で回れ右後、全力でマンション方向へペダルを踏み込む。
「あ……、あ……、後で『不合格』って百回書いて送ってやるからーっ!」
県立
テレビで観る俳優さんたちに憧れてっていう単純な理由で高校から入ったこの部活は、毎日が楽しい! 役者として、大会と文化祭でまだ二回だけど舞台に立たせてもらったこともある。新入生への部活紹介の時、五分間だけ演じたのも含めると三回。
演技中の、あの何とも言えない緊張感と、それを超えて今ここで演じる自分とどこか俯瞰して冷静に場を見る自分が同時に存在している感じは、きっと舞台に立った人じゃないと味わえない感覚。
長い時間をかけて作り上げて、それをやり遂げた時の達成感も、観客席に溢れる笑顔と拍手を全身で受けた時の高揚感も、一度知るとクセになる。
現実だって、恋も人生も私が主役。なんて言えたらいいけど、さすがにそれは無理。どっちも全然思い通りになんてならないし、ましてシナリオだって存在しない。実際、まだ主役は演じたことないし。
ト書きの無い毎日で、私みたいな一般人にピンスポが当たることなんて奇跡に近い。
だからこそ、舞台の上は特別な場所。
梅雨入り間近の雨上がり。この晴れ渡る、雨粒散りばめられた景色と同じ、目にするもの全てがキラキラと輝いて、あの虹を渡ってどこへでも行けそうで。この身一つで何にでもなれる、誰にでもなれる。例え限られた時間だとしても、それが唯一叶う憧れの場所。
ずっとそう思ってた。
いつまでも役者として舞台に立っていたかった。
けれど私はもう、表舞台に立つことはできないんだ。
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