第7話 目に見えぬ距離

 一帯の温度が、急遽に下がった感覚。エリックの声が周囲の岩に響き、空気をピリピリと震えさせる。

 だが、相対するマルスは憮然とした顔で、口を閉ざすばかり。彼の剣幕など、物ともしない態度だ。


「お前、自分が何をしたか、分かっているのか。状況判断すらまともに出来ないお前に、騎士である資格は無い」


 鋭さと、侮蔑。この二つがより一層増した目で、マルスを睨み付ける。

 するとここに来て、初めて反応を見せた。真っ向から否定するエリックの言葉に、ギリッと奥歯を噛み締めたのだ。だが何故か、いつものように悪態をつくことをしない。

 苦虫を噛み潰したような、マルスの顔。エリックは最後に、すん、と毒気の抜けた目でそれを眺め、素早く踵を返した。そして、仲間に囲まれているティナに駆け寄る。


「ティナさん、何があったんですか? 拳に炎を纏った、その瞬間に」

「うん……」


 ティナは目を伏せ、ぽつぽつと語り出す。自分でも、何があったか分からない。そう言いたげに。


「魔術の手順は間違ってないはずなのに、炎を出した瞬間、胸が苦しくなったんだ。それで、集中力が切れて……」

「今までに、同じようなことは?」

「無いよ。だって今まで、小さな炎すら出せなかったんだから」


 訴える傍ら、胸に押し付けた手が震える。自分の理解を超えた体の反応に、胸が騒めいた。

 時折、岩の隙間から吹くのだろう。風の甲高い音と冷たさが、言葉を呑み込んだイリアたちの間を擦り抜けていく。

 エクスカリバーの魔力は、魔術が不得手な者ばかりか、魔術が扱えないはずの者でも術の発動が可能となる。戦力の増強は喜ばしいが、仲間の身の危険に繋がることであれば、無理は禁物だ。

 しばらく思案していたイリアが、顔を上げる。


「ティナはこれ以上、魔術には関わらない方がいいわ」

「そうだな。原因が分からない以上、今の俺たちには、どうすることも出来ないからな」


 イリアとルイファスの冷静な言葉に、ティナはすっかり肩を落としてしまった。


「うん……ごめん」

「ティナが悪いわけじゃないもの。しょうがないわ。先に進みましょ!」


 気を取り直し、洞窟の先へと足を進める。


「ほら、マルスも! 行くわよ!」


 アリエスの強引な口調に、マルスは歯軋りを鳴らす。そして、苛立たしげにマントを翻し、後に続いた。何か言いたげに見つめるイリア、そして涼しい顔のエリックを睨み付けて。




 穏やかな光が差し込む窓辺で、男性が一人、ぼんやりと外を眺めていた。指に挟む煙草を口に咥え、ゆっくりと息を吸い込むと、先端が僅かに赤く燃える。煙草を持った手を窓の外にだらりと下ろし、おもむろに息を吐き出すと、白い煙がゆらゆらと昇っていった。

 不意に、風が部屋に吹き込む。すると、皺が刻まれてくたびれた白衣が、簡単に巻き上げられた。


「失礼します」


 真四角な性格を、そのまま現した声。堕落しきった男性の意識が、女性の声によって現実に引き戻される。チラリと後ろを見れば、夕焼け色の髪が目に飛び込んできた。

 彼の視線に迎えられ、彼女は隙の無い動きで部屋に入る。その瞬間、空色の瞳が目敏く捉えたのは、彼の手の中にある煙草。彼女の目が険しく細められる。


「先生、また煙草ですか?」

「ん〜? ああ……これで終わりにするよ」

「今すぐ終わりにしてください。先生にお客様です」

「客? 誰だ、こんな時間に。午後の診察時間まで、まだ少しあるだろう」

「リチャード殿です。お一人で見えたので、居宅の奥の客間に案内しました」


 来客者の名を聞くなり、男性は頬を引き攣らせ、深いため息を吐く。そして名残惜しげに、煙草を灰皿に押し付けた。


「それじゃ、行くとするか」


 気怠そうに部屋を出た彼の後ろを、女性が付いて歩く。部屋に入った時と同様に、隙の無い動きで。

 中庭の渡り廊下を歩きながら、ふと、男性は足を止める。彼の視線の先には、花の間から雑草が生えた花壇。


「ロザンナ」

「はい」

「また、いつものところに頼んでおいてくれないか」

「……分かりました」


 そして再び、男性は足を進める。渡り廊下の先、二階建ての家に入るなり、真っ直ぐに奥へと向かった。

 彼は一階の最も奥に位置する部屋に入るなり、幾つかある本棚の中から、真ん中のものの前へ進む。そして、ちょうど彼の目線の高さにある棚の本をどかすと、壁に埋め込まれた石を押し込んだ。

 次の瞬間、ゆっくりと目の前の本棚や壁が動いたかと思えば、階段が現れた。淡い灯りに照らされた階段は、地下へと続いている。


「ったく、あのクソガキ、また厄介事を持ち込みやがったな」

「先生、口が悪いですよ」


 ため息混じりな男性のぼやきを、ロザンナの声が窘める。ぐうの音も出せない彼は、階段の入口が閉まる音を背に、さらに先へと進んだ。見るからに重苦しい足取りで。

 しばらくして、薄暗い廊下の途中にある扉の前で立ち止まり、ノックをした。


「レオン様、お時間を取っていただき、ありがとうございます」


 扉を押し開けて入って来た男性に、リチャードは素早く立ち上がり、深々と頭を下げる。

 だがレオンは、軽く手を上げるなり、彼の正面のソファに腰掛けた。


「あー……そういうのはいいから、さっさと本題に入ってくれ。今度は何の解析だ?」

「はい。こちらでございます」


 リチャードが差し出したのは、レポート用紙の分厚い束。思わず、レオンの顔が歪む。


「相変わらず、人使いの荒い奴だ」


 ぶつぶつと文句を垂れながらも手を伸ばし、淡い光の下、パラパラと紙を捲る。だが、あるページを開いた瞬間、彼は顔色を変えた。茶色の瞳の中に現れたのは、恐怖と動揺。


「先生、どうされました?」


 急に手が止まったことに不審がるロザンナに、レオンは乱暴に紙束を手渡す。

 渡された紙束の中身に目を通していた彼女もまた、ハッと顔を強張らせた。


「リチャード殿、これは……!」

「……あいつは、何もかも理解した上で、こいつを俺に寄越したのか」

「はい。レオン様が適任だ、と」

「っ、あのクソガキ……!」


 レオンの顔が歪んだ。地を這うような声を震わせ、ここにいない誰かを睨み付ける。

 そんな彼を、リチャードは静かに、ロザンナは痛ましそうに見つめていた。

 不意に、耳が痛くなるような沈黙の中で、リチャードが息を吸った空気が伝わってくる。


「言い訳に聞こえるかもしれませんが、レオン様のことを気に掛けておられるのです。だからこそ、こちらをレオン様に託したのだと、私は思います」


 そのままの顔で俯き、無言を返すレオン。リチャードはさらに続ける。


「レオン様の心中はお察しします。ですが、私たちには時間がありません。無礼を承知の上で、お願いする他ないのです。……過去にこの研究をしていた、レオン様に」


 誰一人として口を開けない時間が流れる。しばらくして、俯いていたレオンの顔から、深く長いため息が漏れた。


「……リチャード」

「はい」

「帰って、あのクソガキに伝えとけ。『仕事はキッチリしてやる。ありがたく思え』ってな」


 ため息混じりで吐き捨てる。気怠そうに立ち上がったレオンは、ロザンナから紙束をひったくった。

 ぶっきらぼうだが、しっかりとした言葉。歓喜したリチャードは再び、深々と頭を下げた。


「ありがとうございます、レオン様! 今すぐ、詳細な資料をお持ちします!」

「では、私が預かっておきますので、先生は先に研究室へ」

「ああ、頼む。……ったく、診察はどうしてくれる。とてもじゃないが、両立出来る内容じゃないぞ」

「その点はご安心を。レオン様の患者様が困らぬよう、既に手は打ってあります」

「……相変わらず、嫌味なくらいに手際の良いことで」


 頬を引き攣らせ、ため息を漏らしながら踵を返す。そして部屋を出たところで、紙束に視線を落とした。

 頭に浮かぶのは、優しく微笑む女性。しかし、彼女の笑顔を思い浮かべる度、鈍い痛みが胸を締め付ける。


「……クソッたれが」


 苦虫を噛み潰したような顔で吐き捨て、レオンは研究室へ向かう。酷く苛立った様子で、明るい茶髪をクシャクシャと掻きながら。




 岩壁に覆われた洞窟を、イリアたちはひたすらに進む。まだ見えぬ出口を目指して。

 だが、全く景色が変わらない中を進むのは、精神的に応える。そうして疲労は着実に蓄積されていき、自然と口数も減っていった。


「ねえ、みんな! ちょっと待ってよ〜」


 後ろから、アリエスの甘えた声が響く。そんな彼女の隣には、息も絶え絶えなカミエルの姿。そして、彼の顔を心配そうに覗き込むティナ。


「っ、あ……ごめんなさい! 魔物が出ないからって、つい考え事をしてて……!」


 慌てて踵を返したイリア。腕輪の魔石から水筒を取り出すなり、まずは見るも哀れな様子の彼に手渡した。


「アリエス様はともかく、カミエルさんがこの状態では……」

「ちょっと、エリック。あたしはともかくって、どういう意味よ!」

「アリエス様は我儘が過ぎる、という意味です」


 キッパリと言い放つエリックに、アリエスは頬を膨らませる。二人のやり取りに苦笑を漏らしながら、イリアは「でも、」と口を開いた。


「アリエスじゃないけど、私も流石に疲れちゃったわ。今日はもう休みましょうか」


 イリアの言葉に異論を唱える者は、誰一人としていなかった。

 ここからでは太陽の位置が分からないため、今が昼なのか夜なのか、それさえも分からない。そんな状況では、疲労を溜めながら距離を稼ぐよりも、体に正直になって休憩を取った方が効率的だ。数時間前のように、ゴーストの魔物に遭遇する可能性もあるのだから。

 そうして時は過ぎ、焚き火を囲んでの仮眠。火の番は交代制とはいえ、ゆらゆらと揺らぐ炎を眺めていると、次第に瞼が重たくなってくる。

 その時だ。ルイファスの視線の先で、毛布がもぞもぞと動いた。


「交代よ。ルイファスは休んで」


 手早く毛布を片付けたイリアが、彼の隣に座る。

 だが彼は、彼女の顔を見つめたまま、動こうとしない。


「どうしたの? ルイファスも休まないと」

「……いや、何でもない」


 そう言って首を振ったルイファスは、ほんの少しだけ、悲しそうな目をしていた。

 彼の感情に気付いたイリアは眉をひそめ、息を呑む。


「あの……ルイファス」

「っ……そういえば、さっきは何を考えていたんだ? 言ってたよな。遅れたカミエルたちに気付いた時」

「あれは……その……今日のマルスのことを、ね」


 視線を逸らし、言い淀む。本当に聞きたいことは、口にしてはいけない気がして。無難な答えを出すしかなかった。

 そんな彼女の心情に、彼が気付かないはずがない。だが、そこには触れずに先を促した。


「マルスが強いのは知ってるわ。でも、ゴーストの魔物は剣では斬れないのに、どうしてエクスカリバーの魔力を使おうとしなかったのかしら。ティナが使えたなら、マルスにだって……」

「そうだな……俺には、『誰の力も借りない』と、意地を張っているように見えた。恐らく、エリックに言い返さなかったのも、それが原因だろうな。自分の力で倒せなかったのは事実だ」

「でも……それって……」

「それなら聞くが、以前のお前ならどうだった? ジュリアちゃんたちと出会う前の、お前なら」


 痛いところを突かれてしまい、イリアは押し黙る。

 騎士養成学校で、ジャッキーやジュリア、エドワードに出会う前。ヘレナやルイファスなど、ごく一部を除いて、他人に心を閉ざしていた頃。あの頃の自分だったら、今のマルスと同じような態度を取っていたはずだ。

 顔を俯かせたイリアに、ルイファスは静かに語り掛けた。


「マルスが何を思って他人を遠ざけるか、それは分からない。だが、確実に言えることは、本人にその気が無ければ、他人がどれだけ働き掛けようが、何も変わらないということだ」

「……そう。そうよね」


 ルイファスの言いたいことは分かる。ジャッキーたちに、心を許してみたい。そう思ったからこそ、真の意味で彼等と打ち解けることが出来たのだ。

 だがそれは同時に、ある残酷な事実を彼女に突き付けていた。「エリシアのことを話せる程、ルイファスは心を許していない」という事実を。


「そんなことより、もう休んで。明日もきっと、こんな調子だろうから」

「ああ、そうだな」

「おやすみなさい、ルイファス」

「おやすみ」


 イリアの声が、僅かに震える。だがルイファスは、それに気付かないふりをして横になった。余程、疲れていたのだろう。すぐに寝息が聞こえてくる。


(待つしか、ないのかしら……。ルイファスの力になりたいのに、十年も一緒にいたのに、私は何も出来ないの?)


 独りで炎を見つめていると、胸が苦しくなってくる。イリアは膝を抱え、顔を埋めた。湧き上がる寂しさを、押し殺すように。




 それから数日を掛け、ようやく、目の前に壁が現れた。洞窟の出口に到達したのだ。一様に、安堵の息を漏らす。


「やっと着いたぁ……!」

「本当よ! あたし、もう歩けない……」

「でもあれ以来、魔物が現れなかったのは、助かったわね。野宿なのにぐっすり眠れるなんて、思ってもみなかったわ」


 イリアたち女性陣が笑顔で輪になる中、エリックが壁の方に歩み寄る。そして、手を出した。


「やはり、内側からだと、簡単に封印が解けそうですね」


 言うなり、手元に魔法陣が浮かび上がる。間もなく壁が消えた時、目と鼻の先に城壁が見えた。アスティリア王国の首都、ノーテルだ。

 だが、辺りは真っ暗。空には満天の星。たった数日で、彼女等の昼夜は逆転していた。


「今日はここで休んで、朝になったら、街に入りましょう」


 夜は街の門が閉ざされているため、中に入ることは出来ない。苦笑を浮かべるイリアの言葉に賛同するように、思い思いに休息を取るのだった。




 翌朝、久しぶりに太陽の光を浴びることが出来た。あまりの眩しさに、朝に弱いはずのルイファスが、夜明けと共に目を覚ましたくらいだ。


「それにしても、魔術って本当に便利だよね。外側からは封印してあるように見えて、内側からは外の景色が見れるようになるなんてさ。アタシも、魔術が使えたら良かったのに」

「エリックが器用なだけよ。こんなこと、普通は出来ないわ。あたしには絶対に無理」

「お誉めに預かり、光栄ですが……きちんと訓練すれば、アリエス様でも出来るようになりますよ」


 疑心に満ちたアリエスの目が、エリックを貫く。

 こうして、古代アスティリア王国の隠し通路を抜けたイリアたちは、ノーテルの街に入って行った。

 街からはすっかり雪が消えており、急勾配な三角屋根の建物が並んでいる。道路の片隅には側溝が掘られ、街中に張り巡らされていた。聞けば、冬には大量の雪が降るため、その対策だそうだ。

 街を奥に進むと、城門の両脇に立つ騎士と目が合った。そうかと思えば、彼等の顔がパッと明るくなる。


「アリエス様ですね! 城の者は皆、貴女様をお待ちしておりました。どうぞ、こちらへ。女王の元へご案内します」


 思ってもみなかった言葉に、アリエスは不思議そうにエリックを見やる。だが彼もまた、眉間にしわを寄せるだけだった。

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