氷の聖獣

第8話 フローストの怒り

「城の者は皆、アリエス様をお待ちしていました」


 騎士の、踊るように弾んだ声。イリアたちは一様に顔を強張らせ、顔を見合わせる。

 以前、似た台詞を投げ掛けられたことがあった。エリュシェリン王国の騎士からだ。その時は、状況が状況だけに、不穏な空気を終始感じていた。ノエルからは歓迎されていたにも関わらず、だ。

 それ故に、今回はつい、警戒心が先行してしまう。


「どうぞ、こちらへ。謁見の間へご案内します」


 テキパキと動く騎士たち。その流れの中、次々と浮かぶ疑問を口にする間も無く、半ば強引に城門の中へと通されたのだった。

 前を歩く騎士はどこか浮き足立っており、擦れ違う者たちも皆、輝く笑顔を向ける。先ほどの騎士の言葉を体現する歓迎ように、警戒心はすっかり薄れていた。

 そうして城内に一歩足を踏み入れるなり、イリアは思わず息を呑む。


(わ……綺麗)


 雪のような白を基調としており、光が反射して煌めいている。女王が国を治めてきた歴史の方が、長いからだろうか。女性的な雰囲気に包まれており、まるでお伽話にある氷の城のようだ。

 不躾だと思いながらも、美しい内装から目が離せない。ティナやアリエスの瞳も、興味深そうに輝いている。

 そうこうしているうちに、謁見の間に通された。真紅の絨毯に足を乗せた瞬間、ふわりと包み込まれる感覚が心地良い。

 すると、彼女等が玉座の前に歩み寄る最中に、座っていた女性が立ち上がった。サイドテールに纏めた雪のような銀の長髪と、スレンダーラインの純白のドレスが、流れ落ちるように揺れる。そして、空色の目を愛しげに細めた。


「皆様を心よりお待ちしていました。ようこそ、アスティリア王国へ」

「ありがとうございます。サモネシア王国の、アリエス=エレメルト=サモネシアと申します」


 アリエスは服の端を少しだけ持ち上げ、頭を下げる。イリアたちもまた、女王に対して敬礼を向けた。


「今回は公式な訪問でないにも関わらず、温かい歓迎を受け、大変嬉しく思いますわ」

「当然のことです。アスティリア王国は常に、お客様を歓迎することを美徳としていますから」


 次の瞬間、言葉や微笑みとは裏腹に、困った顔が見え隠れした。この場にそぐわぬ表情が、やけに目立つ。


「女王陛下、もしや、何かお困り事でもおありなのですか?」

「アリエス様」


 これにはたまらず、エリックが口を挟む。険しい声にハッとしたアリエスは、慌てて振り向いた。


「だ、だって、エリック……!」

「いえ、いいのです。ええ……どう切り出せばよいものかと考えあぐねていましたが、私としたことが、顔に出てしまったようですね」


 おもむろに玉座に腰掛けた女王は、一度、言葉を切る。そしてアリエスたちを見据え、思い切った様子で口を開けた。


「私たちは『フローストの怒り』と呼んでいるのですが、あの季節外れの大吹雪のことです」


 女王は眉を下げ、酷く困惑した様子で言葉を続ける。


「アリエス様であればご存知でしょうが、千年前の古の大戦の折、世界各地で異常気象が発生し、アスティリア王国も季節外れの大吹雪に見舞われました」

「え、ええ……そうですわね」


 ギクリ、とアリエスは頬を強張らせる。そっと振り向けば、意味ありげに微笑むエリックと目が合った。

 アリエスとて、古の大戦時に発生した季節外れの大吹雪は、知識として身に着いている。フローストが関わることであるからだ。だが、他の地域でも異常気象が発生していたなど、聞いたことがない。


(でもあれ、既に勉強済みって顔よね……)


 ソワソワと目を泳がせるアリエスに気付かず、女王はさらに続けた。


「なす術も無く、国の滅亡を待つばかりだった、まさにその時。この国を訪れたアレン様は、フローストと契約を交わし、吹雪を鎮めてくださったのです。その恩を返すため、当時の次期女王が旅に同行した……そう伝わっています」

「今回と似た状況、ということですね」

「はい。ですが、当時と状況は違い、前王は既に病で逝去しており、私の子もまだ幼い。ならばせめて、皆様がこの国にいる間は、出来る限りのサポートをしたい。そう思い、準備を重ねてきたのです」

「女王陛下のご厚意、感謝申し上げます。必ずや、フローストを鎮めて参りますわ」


 謁見を済ませたイリアたちは、早速、街でこれからの準備を進めた。

 聞けば、フローストの住処である山は、大陸の中央部にある。また、そこに向かう途中には、小さな町が点々とあるだけだそうだ。

 必要なものを買い揃え、街の正門まで戻ると、馬車を連れた騎士が立っていた。


「もしかして、乗せてくれるのかしら!?」

「お前のそのお気楽な発想、どこから湧いてくるんだか」

「何よ! あんたってホント、いちいちうるさいわね!」


 いつもの、アリエスとマルスの口喧嘩が始まる。

 その声に気付いた騎士が、イリアたちの方に顔を向けた。本来なら、すぐに喧嘩の仲裁に入るのも、彼等の仕事。だが彼は、困惑するばかり。


「アリエス、落ち着いて。あそこにいる騎士、私たちを待っていたかもしれないわ。城の人間と接する時は、王女らしく……でしょう?」


 イリアの声に、冷静さを取り戻したアリエス。小さく咳払いをし、にこやかに騎士に歩み寄った。

 その姿に、彼もハッと我に返ったようだ。すぐさま姿勢を正し、敬礼をする。


「女王より、皆様をアイシクルピックの麓の町まで送り届けるよう、命を受けています。どうぞ、こちらへ」


 彼のエスコートで全員が乗車したところで、馬車はゆっくりと動き出す。すると、どこからか風に乗ってきたのか。ちらちらと粉雪が舞うのだった。




 一台の馬車が、颯爽と街道を駆けて行く。連日の好天により、雪はすっかり消えていた。強いて言うなら、遠くに見える高い山の頂付近に、白が残っているくらい。

 イリアはそう思っていたが、不意に、窓の外に真っ白な山が現れた。周りの山々とは一線を画しており、離れていても、異様な雰囲気が伝わってくる。


「あの雪山がアイシクルピックです。氷の聖獣であるフローストの影響か、夏でも雪と氷に覆われているんです。冬には、あそこで生まれた雪雲が強い海風に乗って、ユグド大陸まで流れていくとか」

「じゃあ、真冬の王都の大雪は、フローストが原因なんだね」

「そうですか、海から離れている王都まで届くとは……見た目は可愛らしい、と伝わっているんですけど……。聖獣は聖獣、ということですね」


 苦笑を浮かべた騎士の言葉に耳を傾け、針葉樹の森を遠目に、ノーテルを出発して数日後。アイシクルピックと呼ばれる、フローストが棲む山。その麓の町に到着した時には、空は既に茜色に染まっていた。

 女王の手配により、宿はすんなりと取れたが、ここから先は徒歩となる。案内の騎士曰く、召喚師一行でない者は山に近寄ってはならないとされている、とのこと。

 翌朝。万全を期すために一日の休日を取ったイリアたちは、思い思いに時間を過ごしていた。


(それにしても、何故、フローストの力がこんなにも乱れているんだ……?)


 晴れない疑問が気持ち悪い。何か手掛かりはないかと、エリックは町の図書館へと向かう。麓の町ならば、何らかの資料が残されている可能性があるからだ。

 その時だ。視線の先にいた人物に、目を見開く。純白のローブを身に着け、白いフードを目深に被った人物。


「義姉さん……!?」


 彼は思わず駆け寄り、そのまま路地へ。周囲に人の気配が無いことを確かめると、おもむろに口を開いた。


「どうして、義姉さんがここに……? 何かあったんですか?」

「エリックに、渡さなければならないものがあるから」


 そう言って差し出したのは、石が付いた指輪。それは、イリアがいつも身に着けているものと、よく似ていた。


「今回のフローストの暴走は、シュシュリーが原因よ。彼女が操っているの」

「そんな馬鹿な!? 聖獣を操るなんて、そこまでの力、あるはずが……!」

「力の出所は分からないけど、あり得なくは無いわよ。彼女はある意味、彼等に一番近い存在だもの。流石に、操っている間は、無防備になってしまうようだけど。……でも、そこに勝機があるわ」


 彼女は彼に指輪を握らせると、空色の瞳を真っ直ぐに見つめた。


「この魔石には、身に着けた者の魔力を増幅させる効果があるの。……貴方なら、これ以上言わなくても分かるわね?」

「……はい。ですが……!」

「後はお願いね、エリック」


 彼女は有無を言わせず、踵を返す。

 そして彼は、凛と伸びた白い背中を見つめていた。託された指輪を握り締めながら。




 麓の町に来て、二度目の朝日が昇る。ついに、アイシクルピックに足を踏み入れる時がきたのだ。

 重苦しい足取りで部屋を出たエリックは、前方を歩く後ろ姿を目に留める。一呼吸置き、その人物に声を掛けた。


「おはようございます。イリアさん」

「あら、エリック。おはよう」


 にこやかに挨拶を返す彼女の前に、彼は手を差し出した。そこには、昨日の指輪が乗っている。

 その瞬間、彼女は目を見開き、息を呑んだ。


「エリック、これ……どうしたの?」

「これは、私の故郷のお守りです。持ち主の魔力を増幅させる働きがあり、旅に出る魔術師に授けるものです」

「エリックの、故郷……? じゃあ、ヘレナ様から頂いた、これは……」


 イリアはおもむろに、手を上げた。そこには、彼が差し出した指輪と、よく似たものが光っている。


「私の故郷は、魔術の研究が盛んでした。そして光の巫女もまた、高名な魔術師だったと聞きます。ならば、どこかで指輪の話を聞いていたのかもしれません。この魔石はとても純度が高く、知る人ぞ知る代物ものですから。フローストと対峙した時、イリアさんの力になると思いますよ」

「……あり、がとう」


 戸惑いながらも彼女は指輪を受け取り、嵌めた。その瞬間、魔力が体中を駆け巡る。ヘレナから贈られた指輪の時と同じだ。

 さらに詳しいことを聞こうと、彼女は顔を上げる。だが、彼が浮かべた笑みを見て、口を噤んでしまった。これ以上聞いても、はぐらかされるだけ。そう直感したのだ。


「行きましょうか」

「ええ……そうね」


 イリアたちはどこか緊張した面持ちで朝食を済ませ、宿を出る。町の向こうには、霊峰アイシクルピックが聳えていた。




 山に入り、ひたすらに奥へと進む。時折襲い掛かる魔物は、聖獣との肩慣らしにはちょうど良い。

 そうして、改めて感じる変化。隠し通路でのゴースト戦との違いに、イリアは驚きを隠せなかった。

 剣が、いつも以上に軽い。エリックから渡された指輪を嵌めてからというもの、エクスカリバーの魔力の制御が、いつもより容易になったように感じる。辺りのマナが乱れているなど、嘘のようだ。

 イリアが最後の魔物を屠ると、剣に付いた血を払い落とした。


「ところで、フローストは、この山のどこにいるのかしら? だいぶ奥まで入ってきたけど……」

「まだです。これよりもさらに奥、冥府の穴と呼ばれる、巨大洞窟に棲んでいると言われています」

「えー、まだ進むの? あたし、疲れちゃった……」


 力無い声を上げながら、アリエスは、すぐそばの岩に腰を預ける。

 その時だ。


「うわわっ! 何なに!? 地震!?」


 大地が大きく揺れる。地鳴りが響く。木に被った雪が、音を立てて落下する。立っているのがやっとの状態だ。


「ねえ、もし雪が崩れてきたら、あたしたち、埋まっちゃわないかしら!? 早く逃げた方がいいんじゃない?」

「いや、それは無い。この辺りは、今まで通ってきた中でも特に木が密集していて、幹もしっかりしている。雪崩が起きていない証拠だ。木には近付かずに、揺れが収まるまで動かない方がいい」


 ルイファスの言葉に、イリアはぐるりと見回した。足下には水分を多く含んだ雪が積もっており、雪の重みでしなっている枝もある。確かに、下手に動くと危険だ。


「でも、地震って、こんなに長く揺れるものなの?」

「……違う。これ、地震じゃないわ! フローストが暴れてるって! ヨルムンガンドが言ってるわ!」


 次の瞬間、ひらひらと雪が舞い降りる。そうかと思えば、どんどん量が増えてきた。風も強い。前が見えない程の吹雪になるのは、時間の問題だ。


「地の聖獣の言葉であれば、間違いは無いでしょうが……」


 解決すべきは、現状をどのようにして切り抜けるか。エリックは思案に耽る。

 そうしている間に、目の前が白く霞んでいった。足に力を入れていないと、体が風に持っていかれそうだ。


「ちょっと待ってて。寒さはどうにもならないけど、風なら何とかなるから」


 これにはたまらず、イリアは素早く剣を構える。そして、一行を包むまでに、エクスカリバーの魔力を広げた。その空間の中だけは、風と雪が和らぐ。


「イリア、大丈夫か?」

「ええ、大丈夫。いつもより楽なくらいよ」


 エリックは力強く頷くイリアを一瞥し、今度はアリエスに顔を向けた。


「アリエス様、フローストはどの方向にいるか、分かりますか?」

「え?」


 問われ、アリエスは当たりを探る。そして、ある一点を指差した。


「あっち……の気がするわ。あっちから強い魔力を感じる」

「気がするって何だ。適当なこと言ってんじゃねぇよ」

「いや、方向は間違っていない。冥府の穴は、アリエスが指差した方向だ」

「なるほど……そういうことね。というか、今はそれしか方法が無いわね。……いいわ。私はいつでも大丈夫」


 エリックの言わんとすることを、イリアは素早く察する。

 そんな彼女に、彼は小さく笑みを向ける。かと思えば、すぐさま、彼の眼差しは真っ直ぐに、アリエスとルイファス、そしてマルスを見据えた。


「ここから先は、前方にアリエス様とルイファスさん。そのすぐ後ろにマルスを」


 マルスは小さく舌打ちを鳴らし、エリックを睨む。その目は、「俺に指図をするな」と訴えていた。

 だが、自分たちが置かれた状況は、理解しているようだ。彼の全身から、酷く苛々した感情が漏れ出ている。

 それを無視して、エリックは続けた。


「イリアさんとカミエルさんは、中央に。最後に、私とティナさんを後方に配置します。そして念のため、私とカミエルさんで、イリアさんのサポートをします」

「任せてください!」

「よし、急ごう!」


 ティナの声に続き、一斉に走り出す。魔力で守られた空間の外側は、既に、吹雪で真っ白になっていた。




 轟音を立てながら暴れ回る風に煽られ、桃色の髪が舞い上がる。時間が経つごとに、吹雪が猛威を振るう。


「まだよ……まだ足りない」


 狂気を滲ませながら、シュシュリーは笑う。そして、形の良い唇に横笛を添えた。


『グゥオオオオオオアアアアアアアァァァッッ!!!!』


 腹の底から響く、風の唸り声。酷く気が立った獣の咆哮を思わせる声は、ビリビリと空気を震わせる。

 不意に、彼女は辺りを見回す。そして、満足げに笑った。


「さて、と。あたしは高みの見物を決め込むとしましょうか」


 吹雪に紛れてつむじ風が舞うと、彼女の姿が忽然と消える。そして、残された吹雪の中心には、不気味な赤い光が二つ、浮かび上がっていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る