第6話 聖剣たる由縁
開け放たれた窓からそよ風が吹き、ゆらりふわりとカーテンを揺らす。心地良い温もりを感じながら、意識はいつしか夢の中へ。
そんな穏やかな顔を眺めながら、そっと笑みを零した。
「ジュリア、アウルの様子は――」
そうとは知らず、いつもの調子で扉を開け、中を覗き込む。ベッドの上で丸くなっているアウルと、人指し指を口元に当てるジュリアを見て、ジャッキーは慌てて口を噤んだ。
「ごめん……寝てたんだ、アウル」
「うん。さっき寝ちゃったところだよ」
声を潜めた彼は静かに部屋に足を踏み入れ、ベッドの縁へ。そしてアウルの寝顔を見つめ、彼女と同じ表情を向けた。
「こうして見ると、だいぶ俺たちに慣れてきた感じだよな」
「うん。最初の頃は、こうして話してると、すぐに目を覚ましちゃったもんね」
だが、今はどうだ。起きる様子は微塵も無い。それはすなわち、彼の中で二人は、安心して寝てもいい人という認定をされたのだ。
だが、認められたのもここ数日のこと。彼と一緒に行動を共にするようになり、慣れによって感情が落ち着いていったのも束の間。イリアとルイファスとの再会や再度の別れが、彼を一種の興奮状態にさせていた。
「……母親や、獣人の村でのこと、思い出してたんだろうな。イリアとルイファスさんに会った時は、まだ平和な時間を過ごしていたから」
彼の言葉に、彼女は無言を返す。それをさして気にも留めず、彼は続けた。
「でもさ、まさかイリアと会ってたなんて、思ってもみなかったよ」
「……うん、そうだね」
いくらか間を置いて、彼女は頷いた。
イリアやルイファスを目にした時、アウルは感情を爆発させるように泣いていた。そんな様子は、彼の中で二人の思い出が楽しくて大切なものであるという、何よりの証拠だ。
だが、だからこそ、思うこともある。
「……でも、ちょっとだけ、嫉妬しちゃうな」
「ジュリア?」
「だってイリアちゃんは、アウルくんの笑顔を知ってるんだもん。イリアちゃんやルイファスさんの話題は、話が弾むんだもん。……今は私といるのになって思うと、何だか、心の狭い人間だって感じちゃう」
自嘲をする。イリアが何か気に障ることをした訳ではない。タイミングの問題なのだ。そう理解していても、感情は燻ってしまう。
最初こそ目を丸くしていたジャッキー。だが、彼女の心の内を受け入れるなり、ふっと目を細めた。
「……ジュリアでも、そんな風に思うことがあるんだな」
「うん……自分でもちょっと驚いてる。……軽蔑した?」
「いいや? 全然」
はっきりと、彼は言い切る。今度はジュリアが目を丸くした。
「何て言うか、意外ではあるんだけど、ジュリアの場合はそれくらいでちょうどいいって思うんだ」
「ちょうど、いい……?」
「ああ。そういう人間臭いの、嫌いじゃないよ、俺は」
ニッと笑う彼の顔が目を引く。戸惑いの中で生まれた、ほんの僅かな喜び。そんな感情に余計に戸惑っていると、彼は笑みを引き、アウルを見つめた。
「確かに、イリアのことは楽しい思い出だと思うよ。でも、その時の楽しい思い出があったからこそ、少しずつだけど、俺たちに心を開いてくれてるんじゃないかな。……人間を知らないままだったら、きっと、こうはならないよ」
獣人の村を襲った人間への憤りか。この歳で家族や友人を全て失った彼への憐みか。ジャッキーの顔はしかめられ、眉間にしわを寄せていた。言葉を止めた唇は引き締められ、息を呑み込んでいる。
「ジャッキー……」
「それに……ほら。ここまでアウルを落ち着かせられたのはきっと、ジュリアだからこそだと思うよ」
「そう……かな? わたし、ちゃんとアウルくんの力になれてるかな?」
「もちろん。なれてるに決まってるじゃないか! 大丈夫。もっと自信持てよ」
それにしても、と彼女は思う。この幼馴染みの彼は、人を勇気付けるのが本当に上手い、と。
「……ありがとう、ジャッキー」
今、一緒にいるのが彼で良かった。本当に。心からそう思う。
ふんわりと微笑む彼女に、彼もまた、照れ臭そうな笑みを返した。
アルテミスが生み出した光に照らされた天井の高さや、道幅の広さは申し分ない。だが、どれだけ歩いても全く景色は変わらない。前も後ろも、ゴツゴツとした岩肌に覆われるばかり。
(アルテミスの神殿も声が響いたけど、ここも結構響くわね……)
「……アリエス」
この洞窟を形成する山々は、地図で見た限りでは抜けるだけでも数日は掛かるだろう。感覚を失いそうになるが、時折吹き込む風の冷たさに、ここが雪と氷の国、アスティリア王国なのだと実感する。
「……アリエスってば」
「え? なに? ……あ」
声を潜めるティナの方を見て、アリエスは不思議そうに首を傾げる。だが、不意に感じた視線の方を振り向けば、自分が置かれた状況を嫌でも理解してしまった。
「アリエス様、私の話を聞いていましたか?」
「えっと……」
刺々しい口調とは裏腹に、顔には笑みが浮かんでいる。思わず視線を逸らしたアリエスに、エリックは深いため息を吐いた。
堪らず、彼女は頬を膨らませる。
「だって、難しいんだもの。エリックの話」
「フローストとの契約にも関わる、大事なことです。いいですか、もう一度だけ最初から説明しますよ」
その瞬間、心の底からうんざりした顔をするマルスを無視し、エリックは繰り返した。
「先程の封印の魔術は、特定の物体に作用するものです。対象や効果が限定的だからこそ、そこに加わる力も強い。魔術の媒体である魔石の力もあって、強力な封印となっていたのでしょう」
洞窟内に響くエリックの話に、アリエスは早くも根を上げそうになる。だが次は、確実に雷が落ちる。そんな思いだけが、彼女を奮い立たせていた。
「一方のエクスカリバーの魔力は、周囲のマナに作用するもの。言ってみれば、魔力が及ぶ対象は空間そのものであり、個別に対象を限定することは不可能です」
「そういえば、さっきは流しちゃったけど、エクスカリバーの魔力がマナに作用するって、どういうこと?」
ティナが首を捻る。魔術を扱えない彼女は、その違いが分からないでいた。
エリックは「そうですね……」と数秒程考えたところで、彼女の顔を見る。
「分かりやすく言えば、魔力が及ぶ範囲内であれば、武器に魔術的効果を付与することが可能、というところでしょうか。これは魔力がマナに作用した結果の、謂わば副作用の現象でしかない。ですがこれは、発見されている古代魔法でも確認されておらず、エクスカリバー最大の特徴と言えます」
エクスカリバーの魔力が特殊と伝えられる謂れ。一般的には魔力が持ち主を選ぶとされる点だが、魔術師の間では、人の身では不可能とされるマナへの直接的な干渉の方が注目されていた。
通常、魔術を発動するためには、空気と共に漂うマナ、そして自身の魔力を融合させる必要がある。魔術を得意とする者と、不得手とする者。両者の違いは、マナと魔力を融合する時に顕著に現れていた。
この時、周囲のマナの濃度を意図的に増やすことが出来れば。術者の魔力との融合を容易にさせ、魔術が不得手な者でも術の発動が可能となる。そんな机上の空論を、エクスカリバーは容易く実現して見せたのだ。
これは、イリアのように魔術が不得手な者にとっては効果が絶大で、事実、戦術の幅が大きく広がっていた。また、そこまでの敵を相手にしてはいないが、ティナやマルスのように、魔術を全く扱えない者でも同様の効果が期待されている。
だがそれは、見方を変えれば、こちらの弱点にもなり得るのだ。
「ですがそれは、諸刃の剣です。切り札を出したからには、短時間で勝負を決めなければなりません。敵がその原理に気付いた時点で、攻撃は通用しなくなります」
「えっ!? そうなの!?」
「ええ……さっき、エリックが個別に対象を限定することは不可能だと言ったように、敵と味方を区別することは出来ないの。その範囲内にいれば、敵も同様にこちらを攻撃出来てしまうわ」
「ということは、奴等にはもう通用しないと考えた方がいいということか。……あの時に仕留められなかったのは痛いな」
「そっか……あれなら、アタシでも魔術みたいな攻撃でアイツ等を倒せるかもって期待してたのに」
大きく目を見開いていたティナは、イリアの言葉を聞き、がっくりと肩を落とした。
また、ルイファスの顔は険しく、眉間にしわを寄せている。
だが、自身の理解力を大幅に超えているアリエスは、先程から首を捻ってばかりだ。
「えっと……つまり?」
「先程の封印の魔術とエクスカリバーの魔力は、根本的な部分で異なっているのです。つまり、互いに影響は受けにくいと考えられます」
その言葉に、彼女はさらに首を捻る。互いに無関係というのであれば、何故イリアは、扱い慣れたはずのエクスカリバーの魔力制御に手こずったのか。フローストの力が乱れていることと、どんな関係があるのか、と。
「フローストも含めて、聖獣は万物の象徴であり、そのものでもあります。そんな彼等の力はとても強力で、私たちの長年の研究から、周囲のマナにも影響を与えることが分かっています。……あとは、これ等の点を繋ぎ合わせれば、答えは自ずと見えてきます」
「ということは、フローストの力が乱れたことで辺り一帯のマナが乱れ、エクスカリバーの魔力の制御も難しくさせたのね」
イリアの言葉に、エリックはしっかりと頷いた。
そしてそれは、もう一つの事実を突き付ける。
(聖獣の力がどれ程のものか分からないけど、フローストと戦うことになったら、エクスカリバーの魔力を解放しながら戦えるのかしら……)
聖獣から離れているにも関わらず、あの程度の魔力で制御が難しくなるのなら。いつものように、戦いながらエクスカリバーの魔力を解放する、という訳にはいかないかもしれない。自身も前線の戦闘に参加するか、魔力のサポートに徹するか。
不意に、辺りの空気が震える。こちらに敵意を向ける気配。視線を向ければ、黒い靄の中にギラリと光る赤い瞳が、幾つもこちらを見つめていた。次の瞬間、こちらを威嚇するように、黒い靄が大きくなる。
「……ゴーストの魔物、ですね」
緊張感に満ちたカミエルの呟きが響く。
「おい……お前、魔物は出ないはずだっつってたよな」
「ルイファスさんを責めても仕方がないだろう。ゴーストの魔物なら実体が無い上に、この地の人間が残した念によって、長い年月を掛けて自然発生することもある」
ルイファスを睨み付けながら文句を垂れるマルス。そんな彼をひと睨みしたエリックの足元に、魔法陣の光が現れる。だが心なしか、普段よりも光が弱い。
「……やはり、聖獣によるマナの乱れは、住処に近付く程、こちらの魔術にも影響を与えるようですね」
「ちょっと、冷静に分析してる場合!? ゴーストの魔物なら、物理攻撃しか出来ないアタシやマルスは、何も出来ないじゃん!」
「おい、てめぇと一緒にすんじゃねぇ!」
「じゃあ、どうするっていうのさ! 普通に攻撃したって効果無いのに!」
ティナの焦った声が響く中、彼女はハッと息を呑んだ。魔術が扱えない人間でも分かる、辺りの空気の変化。
彼女が振り向いた先ではイリアが剣を構えていた。
「エクスカリバーの魔力を解放しながら戦うわ。聖獣との戦闘の前に、肩慣らしをしなくちゃね」
「それじゃあ、さっき言ってたヤツ、早速アタシも試させてもらおうかな。……お先!」
ニッと挑発的に口元を引き上げたティナが、いの一番に駆け出す。一瞬だけ遅れを取ったマルスが、舌打ちを鳴らして続いた。
「無理はするなよ」
「ええ、分かってる」
正面を見据えたままルイファスに答えたイリアは、意識を集中させるように深呼吸を繰り返す。
(どちらかじゃない……両方やらなくちゃ。ここで立ち止まっている訳にはいかない!)
魔物をも包む程に魔力の範囲を広げた瞬間、彼女は顔をしかめた。暴れ馬にでも乗っているかのような感覚だ。だが、すぐさま気を取り直し、彼女もまた駆け出した。
「魔術発動の手順は……確か……こうっ」
一足先に魔物の群れに突っ込んで行くティナ。最も初歩的な炎の魔術を拳に纏わせて攻撃しようとした、その瞬間。
「っ!?」
拳に炎が揺らめいたと思えば、苦しさを覚える程に心臓が強く脈打った。思わず顔をしかめる。だが、突き出した勢いは止められず、炎が消えた拳は明後日の方向に振り下ろされた。
「離れてください、ティナさん!」
彼女の異変に気付いたエリックが、素早く魔術を放つ。一筋の雷が魔物を襲うと、断末魔のような甲高い音を響かせながら、黒い靄は霧散していった。
彼の声に反応し、紙一重で後ろに飛び退いたティナ。その顔は、目に見えて戸惑っていた。
「どうやら、この戦闘じゃお前は役に立たねぇみてぇだな。……邪魔だ!」
完全に足を止めてしまったティナを擦り抜け、マルスが魔物の前に踊り出る。だが、彼の渾身の一振りは、黒い靄を揺らしただけだった。
次の瞬間、舌打ちを鳴らした彼を擦り抜け、風の刃が魔物を切り刻む。後に続いて飛び込んだイリアは、剣に風を纏わせて魔物を斬り裂いていった。
「マルス!」
「うるせぇ! 俺に指図するな!」
「でも……!」
責め立てるイリアの声を無視し、マルスは攻撃を続ける。誰の力も借りないという意地だけが、彼を突き動かしていた。
「……何をやっているんだ、あいつは」
後方では、怒りを露わにしたエリックの声が地を這う。剣しか攻撃手段が無いマルスは、エクスカリバーの加護を受けなければ太刀打ち出来ないというのに。
アリエスもまた、地団駄を踏むまでの焦ったさを感じていた。
「ああもう! 何やってるのよ! さっきから空振りしてばっかじゃない!」
アリエスが放つ召喚魔法は広範囲で、とにかく派手だ。技術的に細かい調整は可能なのだが、彼女にそこまでの技量は無い。天然の洞窟内で発動させようものなら、あちこちで崩落を起こし、こちらにも被害が及んでしまう。
「俺が終わらせる。……イリア!」
ルイファスは弓に矢を番え、弦を引く。彼女が振り返ったところで、声を上げた。
「上手く避けろよ!」
放たれた矢は、弧を描いて魔物の頭上へ。
刹那。鮮烈な光と、轟音。矢を起点に、幾つもの雷が魔物を貫いた。
「イリア! マルス!」
アリエスの声が響く中、もうもうと立ち込める土埃から二人の影が浮かび上がる。風に乗って霧散したところからは、魔物の姿は消えていた。戦闘は終わったのだ。
安堵するアリエスの隣で、ルイファスの攻撃に呆けていたカミエルはハッとし、駆け出した。
「ティナ、大丈夫? 怪我は無い?」
しばらく呆然としていたティナ。イリアやルイファス、アリエスも駆け寄ったところで、ようやく彼女の意識が戻った。
「ん……平気。ありがと」
苦笑を浮かべるティナの横を通り抜け、エリックはマルスの元へ。そして、鋭く睨み付けた。
「何のつもりだ? お前は」
マルスは顔を背け、無言を貫く。洞窟内には再び、重苦しい緊張感が走るのだった。
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