秘密の通路

第5話 封じられた道

「光の巫女にのみ伝わる禁書が本当に存在するのかもしれないとは、一体どういうことなんだ?」


 半ば諦めていた道がルナティアによって拓かれ、アイラは目を見開かせた。


「ええ、状況からの推測なのですが……。以前、フリージア様がこんなことを仰っていましたの」


 フリージアは光の巫女としての自分を誇りに思い、初代であるジェシカに対して崇拝に近い感情を抱いていた。

 だが、晩年のある日のこと。ルナティアにぽつりと漏らしたことがあった。「光の巫女とは、一体、何なのでしょうね」と。どこか寂しげな顔で。


「その時は珍しいことをと思っただけで、私も何と答えていいか分からなかったのですが、その禁書が存在したと仮定すると腑に落ちますわ。そこに書かれた内容が、フリージア様の心に影を落としたとしたら……あの言葉も頷けますもの。それから数ヶ月後にお亡くなりになって、今はもう、その言葉の真意を聞くことは出来ませんが」

「ふむ……なるほどな」


 険しい顔のアイラは黙り込むなり、フリージアの記憶を呼び覚ます。

 彼女が亡くなったのは、四年程前のこと。イリアが騎士養成学校の選抜試験を受ける頃だ。

 当時はヴォルデスが活動を活発化し始めた頃で、テルティスの各地で略奪を繰り返していた。だが、当時から武闘派組織として名を馳せており、腕の立つ者も多く、神騎士団も手を焼いていたようだ。

 そんな時。本人達ての希望で、被害に遭った町を慰問していたフリージアの一行が、何者かに襲撃を受ける大事件が起こる。

 その後、別の事件で突き止めた略奪犯のアジトを強襲した時、彼女の髪飾りが発見されたことで、そこにいた一味をその場で殲滅して事件は解決された。


「確か、殲滅の指示を出していたのは、ブラック団長だったな」

「ええ。光の巫女殺害の大罪人は、見付け次第その場で斬り捨てよ、と。行政府の中には捕らえた上で処罰するべきだ、という声もあったそうですが……」

「押し切った、という訳か」

「でしょうね」


 例え裁判に掛けたとしても、処刑は免れない。結果的には同じだが、いささか性急にも感じられる。

 だが、答えの出ない疑問が一つ。フリージア慰問の護衛は、ヘレナが団長を務める聖騎士団が同行していた。そして、ガルデラ神殿の中でも最も重要な人物である光の巫女を護衛する任務の性質上、騎士の中でも特に戦闘に長けた者を中心に組織されていたはずである。にも関わらず遅れを取り、奇跡的に一命を取り留めたヘレナを残して命を落としたのだ。そこに違和感を覚えずにはいられない。


「いずれにしても、確かめようがないな。他の切り口を探すしかないか」


 諦めたようにため息を吐く。そうして、重い足取りでその場を後にした。

 心なしか肩を落とすアイラの姿に、ルナティアは一本の細い糸に望みを掛ける。最近になって様子が変わったというエドワードだ。


(何かを隠している……とは思うのですが)


 確信めいた予感はするが、確たる証拠がある訳ではない。そう感じるのは、人は自分一人では抱えきれない何かを胸に秘めた時、行動に何らかの変化が現れるという点。苦楽を共にしたジャッキーやジュリアに対して顕著に現れるということは、彼等に対して隠し事をしているということ。


(ただ単に、喧嘩をして気まずい、というだけならいいのですけど……)


 ジュリアの様子からして、残念ながら、その可能性は低いだろう。結果的にイリアたちの友人を疑うことになるが、手掛かりが限られてきている今、引っ掛かるものがあるならば動かない訳にはいかない。思い過ごしならそれはそれで、結構なことなのだから。


(アイラには……もう少し様子を見てから話すとしましょうか)


 エドワードには気付かれないように、さりげなく。だが、しっかりと意識を向けて。決意を胸に秘め、ルナティアはアイラと別れたのだった。




 果てのない暗闇。一筋の光すら差さない、深淵の闇。地面の感覚は無く、上下左右の感覚も無い。だが、闇の中にあっても自分の体を自分の目で捉えられるのは、何とも不思議な感覚がした。

 暗闇に浮かぶ自分を知覚してから、どれだけ時間が経っただろう。ここには時間の感覚も無いようだ。

 その時。


「何だ?」


 自分以外は何も見えない。何も聞こえない。そのはずなのに、何かの音が聞こえた気がした。無性に気になって耳を澄ませてみるも、状況は変わらない。


「……気のせい、か」


 薄く自嘲し、瞼を閉じる。そして闇に溶け込むように、静かに意識を手放していった。


「ああーーーっ! ちょっとちょっと! ちょっ、待っ! 待ってってばーーー!」


 酷く慌てた、甲高い声が響く。だが、その声も虚しく、暗闇に独り取り残される。がっくりと深いため息を漏らした。


「やっぱり、わたしの力じゃダメだわ……全然届かない。せっかく時間を貰ったのに……このままだと時間切れになっちゃう」


 少女の肌は雪のように白く、頬は林檎のように赤い。俯いて垂れた前髪の向こうには、じんわりと滲む翡翠色。白いフリルのワンピースと、太陽のような金髪が闇に映える。

 その時だ。自分一人だった空間に、何者かの気配を感じる。


「あ……」


 少女が振り返ると、純白の翼と、自分と同じ金の髪が目に飛び込んできた。




 イリアたちが町を出てから数日後。街道を外れ、森を歩き、山を少しだけ登ったところで、拓けた場所に出た。断崖絶壁の岩肌のそばに、一本のもみの木が大地に根を張っている。

 ルイファスは振り返り、口を開いた。


「ここに入口がある」

「え? ここ……?」

「でもルイス様、雪と木と岩肌があるくらいで、何も無いわよ?」


 辺りを見回したティナとアリエスが、次々と疑問を投げる。イリアとマルスも、彼の言葉が理解出来ないという顔をしている。

 だが、カミエルとエリックは違った。


「ここは……微力ながら、魔術の気配がしますね」

「ミック、それ本当!?」

「本当ですよ。魔術で入口を隠している、といったところでしょうか。……しかし、今のこの封印は、少し揺らいでいますね。それなりに力はあるようですが、完全には隠しきれていない。私やカミエルさんであれば、干渉が可能な程に」

「でもそれじゃあ、盗賊や魔物に見付かっていてもおかしくないんじゃ……」

「それは大丈夫ですよ。そこまで弱い力ではありません。必要最低限の働きはしています」


 イリアの不安に、エリックが断言する。そして、岩肌に向かって真っ直ぐに進んで行った。


「この辺りだと思うのですが……ああ、ここですね」


 岩肌に触れながら、何かを確かめるようにゆっくりと足を運んでいたエリックが、ある場所で立ち止まる。彼は振り返るなり、答え合わせをするようにルイファスへと視線を向けた。


「よく分かったな」

「やはりそうでしたか。では、封印を解除しますね」


 エリックは岩肌に向き直り、意識を集中させる。しばらくして、彼が触れたところに魔法陣が浮かび上がった。

 不意に、岩肌がゆらゆらと揺れ始める。そしてぼんやりと、洞窟の入口が浮かび上がってきた。

 あともう少し。誰もがそう思っていた。だが、その光景が続くだけで、いつまで経っても彼は振り返らない。

 そうしてマルスの苛々としている空気が伝わってくる中、魔法陣の光が消える。ようやく振り返った彼は、眉間にしわを寄せていた。


「これは……別の人間による、二重の封印が施されていますね。入口を隠す封印とは明らかに違う。こちらは少し時間が掛かりそうですね……」

「ああ? 何だそれ。普段から偉そうにしてる割には、肝心なところで役に立たねぇな、てめぇは」

「お前に魔術の何が分かる。手も足も出せない癖に、口を挟むな。……カミエルさん」

「あっ、はい!」

「こちらに来て、手伝ってもらえますか? 私一人では骨が折れそうで」

「分かりました」


 カミエルが駆け寄るなり、二人は真剣な表情で話し合っている。イリアたちの中でも特に魔術に秀でた彼等が手こずっているのだ。


「……大丈夫かしら」


 心配そうに眺めながら、ポツリとイリアが呟く。そして、思い出したように、隣に立つルイファスを見上げた。


「ねえ、魔術以外で封印を解く方法は無いのかしら。何か聞いたことない?」

「そこまでのことは知らないな……。俺がこの場所を聞いたのも、魔術師からだったからな」

「……そう」


 この場所のことを聞いたという魔術師。それは誰なのか。彼の過去のこともあり、気になってならない。

 しばらくしてエリックが振り返り、声を上げた。


「イリアさん、少しよろしいですか?」

「えっ? 私?」

「はい。エクスカリバーの力を貸していただきたいんです。お願い出来ますか?」

「ええ、構わないけど……」


 イリアはまさか声が掛かるとは思っておらず、目を丸くする。そうして駆け寄った時に聞かされたのは、封印が彼等の想像以上に強固だったこと。その解決策として、エクスカリバーの魔力で一時的に周囲のマナの濃度を上げ、封印への干渉を容易にしようとしているようだ。

 事情を理解するなり、彼女はエクスカリバーを抜く。そして、流れるような動作で剣を突き立て、魔力を解放した。

 だがエリックは、まだ難しい顔をしている。


「……もう少し魔力量を上げられますか?」

「そうね……出来ないことはないけど、何故かここは、魔力の制御が難しいの。封印の魔術が強力だから、影響されてしまっているのかしら? 私、魔術はあまり得意ではないから」

「封印の魔術が、エクスカリバーの魔力に影響を……?」


 イリアの言葉に、何か引っ掛かることでもあったのか。エリックは怪訝そうな顔をして見せる。だが、今は自分の疑問よりも封印を解除する方が優先されると思い直したのか、彼は頷いた。


「分かりました。それでは、カミエルさんはイリアさんのサポートをお願いします」

「はい」

「それじゃあ、いくわよ」


 先程よりもエクスカリバーからの魔力量が上がったところで、エリックは再び意識を集中させる。浮かび上がった魔法陣の光は、目に見えて強さを増していた。

 すると間もなく、岩肌がゆらゆらと揺れ始め、再び洞窟の入口が浮かび上がる。だが今度は、口を開けたまま、空間の歪みは鎮まっていった。

だが、エリックの顔はまだ険しい。


「これは……」

「まだ何かあるの?」

「カミエルさん、少し中の様子を見て来てもらえますか? 私の考えが正しければ、洞窟の中に封印魔術の媒体があるはずです」

「はい!」


 エリックの言わんとすることを素早く理解したカミエルは、杖の先に付いた魔石に魔力を送る。そして、ぼんやりと灯る光を頼りに、洞窟の中に入って行った。

 その間、時折揺れる空間に、ティナやアリエスがハラハラとした顔で見守っている。


「エリックさん、もう大丈夫です!」


 カミエルの声を聞くなり、エリックは思わず安堵の息を漏らした。あとは空間が安定したのを確認し、魔力を弱めていくだけ。

 そうして魔法陣が消えた代わりに、古代アスティリア王家の隠し通路がその全貌を現した。


「さあ、行きましょうか」


 にっこりと振り返るエリックに続き、イリアたちも洞窟に入って行く。しばらく進んだ先に立っていたのは、淡い光に照らされるカミエルだった。


「カミエルさん、もういいですよ」

「はい。では……」


 カミエルが岩肌から手を離した。と同時に強い風が吹き抜け、彼等の服を靡かせる。それが止んだ時、辺りは静寂に包まれた。

 杖の光が届く場所以外は、前も後ろも、どこまでも続く闇。風が吹く前は入口に灯りが見えていたが、今はそれも無い。どうやら、入口は再び封印されてしまったようだ。


「エリックさんの予想通りです。岩に紛れて魔石が埋め込まれていました」

「やはりそうでしたか」

「ねえ、ちょっと。それって、どういうことなの? っていうか、カミエルの杖だけだと暗いわね……ちょっと待ってて」


 アリエスの声に応えるように、彼女の手に白い宝石が現れる。続けて、アルテミスを喚び出す詠唱をすると、宝石はふわふわと彼女から離れ、つむじ風を生み出した。

 しばらくして、風が消えた中心に浮いていたのは、純白の鎧を身に付けた戦乙女。光の聖獣アルテミスだ。


『我が主よ、何用か……いや、この状況を見れば分かるな』

「うん。お願い、アルテミス」

『承知した』


 彼女はおもむろに剣を掲げると、切っ先から急速に光が広がっていった。闇を切り裂く強烈な光に、イリアたちは思わず目を閉じる。それがゆっくりと開かれたのは、『目を開けてもよいぞ』というアルテミスの声が届いた後だった。

 洞窟の中は道が真っ直ぐに続き、馬車も通れる広さが確保されている。また、カミエルが立っているところの壁には、赤い魔石が埋め込まれていた。


『主たちがここにいる間は、我が光が主の道を照らす。安心して進むがよい』

「ありがとう、アルテミス!」

『……ところで、主よ』


 アルテミスは神妙な面持ちで周囲を見回すなり、じっとアリエスを見据えた。


『この冷涼な空気……フローストの元へ行くのか?』

「ええ、そうよ。どうして?」

『何があったか知らないが、フローストの力が酷く乱れているのだ。今の彼奴に、理性的な会話が出来る余裕があるかどうか……といったところだ。気を付けて行くがよい』


 忠告を残した彼女は、再び白い宝石に姿を変えた。役目を終えた宝石は、光の粒となってアリエスの体に吸収されていく。そして再び、辺りに沈黙が流れた。

 空気が張り詰め、誰一人として声を上げようとしない。困惑を隠せなかったのだ。特にアリエスなど、目に見えて不安げな顔をしている。

 それもそのはず。聖獣と契約を交わす時、戦いを挑まれることが多い。今まで九体の聖獣と契約したが、戦うことなく契約出来たのはアルテミスのみ。また、彼女の言葉を信じるなら、出会った早々に攻撃される可能性もある。そう思うと緊張感が増すというもの。


「まあいい。向かって来るなら、捩じ伏せるまでだ。相手は強い程いいからな」


 マルスはニヤリと口元を引き上げる。だがその直後、深いため息が向けられた。


「だが今回は、聖獣に力を認めさせて契約すればいい、という単純なものではない」

「あ?」

「それはどういうことなの?」


 マルスとエリックが睨み合う。一触即発の空気に割って入ったイリアは、半ば強引に話を進めようとした。二人のいざこざを、あまり長引かせたくないと感じたのだ。


「先程のアルテミスの言葉で、いくつかはっきりしたことがあるんです。歩きながら説明しますね」


 エリックのしっかりとした言葉は、一切の迷いが無い瞳からも、強い確信が窺える。そして彼は、洞窟の奥へと足を進めた。イリアたちもそれに続く。


「さて、状況を説明をする前に……イリアさん」

「え?」

「封印魔術を解除する時、ここではエクスカリバーの魔力を制御するのが難しい、そう言っていましたね?」

「ええ。あの程度の魔力なら、制御するのは容易いはずなんだけど……。それと関係があるの?」

「はい。フローストの力が乱れていること。それで全て説明が付くんです。全ての」

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