第2話 瓜二つの少女

 細やかなレリーフが特徴的な柱が、大聖堂の広い空間を支える。そこに彩りを添えるのは、天地創造を描いたステンドグラスだ。奥の祭壇の向こうには、鷲の翼が生えた獅子の像。

 何度見ても、感嘆の息が漏れる。こんなにも人の心を惹き付けるのに、ここに立つのは自分独り。物悲しさを禁じ得ない。

 だが、ここが夢に現れる時は決まって、彼女に呼ばれている時。


「貴女ですね、天使様」


 引き締まった声を上げると、祭壇の前に光の粒が生まれた。それは次第に一つに集まり、人の形を作っていく。そして光が弾けたかと思えば、そこには美しい女性が立っていた。白いワンピースを身に着けた、純白の翼を持つ天使。その白い中に、長く波打つ金髪と、蒼い瞳が映える。


「ですが天使様、ここで貴女様と最後にお会いしたのは、ほんの数日前のこと。あれから何か問題でも?」

「はい。エレナ、貴女にお伝えしなければならないことがあります。彼女たちに危険が迫っているのです」


 静かな言葉に含む焦り。いつになく緊迫した様子に、エレナは天使の言葉に耳を傾けていた。




 数日ぶりに空は晴れ渡り、朝日が目に飛び込んでくる。一歩外に出てみると、昨日までの吹雪が嘘のように、心地良い風が頬を撫でていった。

 これはチャンス、と手分けをして買い出しに向かったのは、数時間前のこと。きっと、青空の下で気持ち良く買い物が出来るに違いない。そう思っていた。

 だが、そんな期待は早々に打ち砕かれる。市場の店を覗く度に向けられる顔に、イリアはいささかの居心地の悪さを感じていた。

 そうして薫製肉を買おうと店を覗いた、その時。彼女の姿に気付いた店主が声を掛けてきた。


「いらっしゃ……っ!?」


 まただ。彼女の顔を見る度に、示し合せたように店員たちは目を見開き、息を呑む。


「いらっしゃいませ! ……ちょっと、お父さん、どうしたの? お客さんが困ってるじゃない! すみません。父のことは気にしないで、ゆっくり商品を選んでくださいね」


 一方、年若い店員は、彼女を見ても何の反応も示さない。驚いた顔をするのは決まって、この地に長く住んでいるような、中年以降の人間だけなのだ。

 だが、どんな理由があるにせよ、初対面の人間を見た瞬間に驚愕するのは失礼だ。彼もそう思ったのか、「すみません」と頭を下げた。


「お客さんの顔が、あまりにもエリーちゃんに似てたもので」

「エリーちゃん? 初めて聞く名前ね」

「エリーちゃんは、町長さんのとこの娘さんだ。……と言っても、十年くらい前に亡くなってるけどな。あのまま大きくなってたら、きっと、お客さんと瓜二つだっただろうよ」

「そうだったんですか……。どのお店に行っても驚かれてしまうので、不思議に思っていましたが、ようやく納得しました」


 「でしょうね」と苦笑する彼に、イリアは微笑みを返した。

 だがここで、違う意味でさらに気になってしまう。そこまで似ているなら、一度は会ってみたかった、と。

 そして、気になる点はもう一つ。


(エリーって名前、どこかで聞いたことがあるような……?)


 その名前が記憶の片隅に引っ掛かって離れない。いつ、どこで聞いたのか思い出せないにも関わらず、彼女の心にしきりに訴えてくる。

 燻製肉の代金を手渡し、踵を返そうとしたイリアの隣に、新たな客が入ってくる。コートとマフラーに身を包まれた、品の良い女性だ。

 ふと、その女性と目が合った。すると次の瞬間、今までで一番の驚愕を見せられた。


「エリー……!?」

「え?」

「……じゃないわよね。だってあの子は、もう……。でも、ああ……貴女、なんてそっくりなのかしら。まるで、あの子が……エリシアが大きくなって帰ってきたみたい」


 言いながら女性は口元を手で覆い、大粒の涙を流す。どうやら彼女は、『エリーちゃん』の母親のようだ。

 イリアが帰るタイミングを失くしていると、女性はそっと彼女の手を取る。そして、涙で濡れた目でじっと見つめてきた。


「初対面でこんなことを言うのは失礼だけど、これから我が家に遊びに来てくださらないかしら。今日はエリーの命日なの」


 必死に頼み込む女性を前に、イリアは眉を下げた。宿では仲間が待っているだろうし、今後のことを考えると早く先に進みたい。だが、ここで首を振れば、ずっと後味の悪さに苛まれてしまいそうな気がしてならない。

 しばらく考えた末、彼女は静かに頷いた。


「分かりました。私たちは旅で先を急ぐ身ですので、今日だけでしたら」

「ええ、ええ、それで十分。ありがとう……本当にありがとう」


 目尻に涙を浮かべながら、女性は何度も礼を言った。何度も。その心の底からの感謝の言葉が、イリアの胸に染み渡る。


「そういえば、私の名前をお伝えしていなかったわね。私はスーザン。スーザン=アシュフォードよ」

「……アシュフォード?」

「ええ、アシュフォード。貴女のお知り合いにも、同じファミリーネームの方がいるの?」

「え、ええ。よく知る人に、一人」

「それなら、その方はアスティリア王国の出身かしら。この国では馴染みのあるファミリーネームだもの。ところで、貴女のお名前は?」

「イリア=クロムウェルです」

「イリア……いい名前ね。貴女にピッタリだわ」


 スーザンはにっこりと笑い、店員の女性に向き直る。そしてブロック肉を買うと、イリアに微笑み掛けた。


「それじゃあ、行きましょうか。我が家は町の奥にあるのだけど、その前に寄りたいところがあるの」


 イリアと共に店を出たスーザンは、大通りの花屋で花束を買うと、町の郊外へ向かった。一面が雪に覆われた広場は無人で、しんと静まり返っている。

 二人は広場の中を進み、ある場所で立ち止まった。しゃがんだスーザンが静かに雪を払うと、冷え切った墓石が現れる。刻まれた名前は、エリシア=アシュフォード。


「エリー……ありがとう。貴女の命日に、こうしてイリアさんと巡り合わせてくれて」


 そっと花を添え、二人は祈りを捧げる。しばらくしてその場を後にし、町の奥に構える屋敷へと足を向けた。




 簡素なベッドとテーブルだけが置かれた狭い部屋は、あっという間に夕闇に覆われる。木が軋む音に隠れて布が擦れる音が耳に届くと、ランプの光がぼんやりと辺りを照らした。


「……もう行っちゃうの?」


 微睡みが抜けきらない女の声。男が振り返ると、裸体の女がベッドの上で彼を見つめていた。

 再び彼女に背を向け、彼は「ああ」と短く答える。


「寂しいわ……。貴方みたいないい男に、あんな風に激しく抱かれたの、初めてなんだもの。癖になっちゃいそう」

「そうやって客を良い気にさせて抱え込むのが、あんたの商売方法なのか?」

「あら、酷い人。いくら私でも、見境なくそんなこと言わないわ。貴方にだったらまた抱かれたいって、素直な感想よ」

「それはどうも」


 素っ気なく答えた男は、そのままシャツに袖を通す。

 女はムッと顔をしかめると、ベッドを軋ませながら、冷たい床に足を下ろす。そして、音もなく男に歩み寄ると背中に顔を埋め、身を委ねた。


「ねえ……一つだけ、ワガママを言っていいかしら? ここから先の時間は、お金はいらないから」

「……何故、そこまで俺にこだわるんだ」

「貴方の腕の中にいると、その時だけは、嫌なことを全て忘れられる…… 幸せを感じられるの。ずっと探し求めてたものを見付けられたような、そんな気持ちに。……今、この時だけでもいい。貴方が欲しいの」


 女は男の正面に回り込み、凪いだ海のような瞳をじっと見つめる。熱の籠った視線が、激しく波打つ海へと男を誘う。

 時が止まったように見つめ合うこと数秒。女の両手はそっと男の頬を包み、首の後ろに腕を回す。そのまま爪先で立って視線を合わせると、何度も唇を男のそれに押し当てた。

 そうして時は過ぎ、空が夜の帳に覆われた頃。静まり返った部屋の中で、女は自分の体を抱き締めていた。再び激しく絡み合う中で生まれた、刹那の煌きを閉じ込めるように。

 今まで数えきれない程の男に抱かれてきたが、帰ろうとするところを引き止めたのも。金なんて関係無しに体を求めたのも。その上で、情事の最中に涙するまで、心を揺さぶられたのも。あの男が初めてだったのだ。


「だって、似てるんだもの……あの人」


 遠い過去に置いてきたはずの、淡い初恋の気持ち。子供の頃に好きだった男の子の面影が、女を駆り立てたのだ。


「……そういえば、あの子、何て名前だったかしら」


 そう呟き、女は思い出に浸った。

 男の子のファミリーネームは、このアスティリア王国ではよくあるものだったはず。そして女は、記憶の海をさらに深く潜っていく。

 雪のような白銀の髪と、深い海のようなネイビーの瞳。整った顔立ちとクールな性格の彼は、町中の女の子たちから好意を寄せられていた。だがある日を境に、男の子はぱったりと姿を見せなくなった。聞いた話では、彼の両親が立て続けに亡くなり、故郷から遠く離れたこの町の親戚に引き取られたとか。


「……そうよ、思い出した。名前は――」




「ルイファス!」


 宵の口の町を歩いて宿に戻ると、暖炉の柔らかな熱が冷え切った体を優しく包み込む。そして、声の方に視線を向けると、ティーポットを手に食堂から出てきたティナと目が合った。


「どこ行ってたの? 遅かったじゃん。夕飯食べてないの、ルイファスだけだよ」

「ああ、今行く。……ところで、イリアはいないのか?」


 ティナもアリエスもイリアが淹れた紅茶をとても気に入っており、宿の女性部屋でほぼ毎夜開催されるお茶会では、いつも彼女が紅茶を用意していた。だが今は、ティナが淹れている。それはすなわち、イリアがいないということだ。

 するとティナは、あっさりと「うん」と頷いた。


「町長さんの家にいるみたい。買い出し中に奥さんから招待されたんだって」

「……町長の家?」


 耳にした瞬間、ルイファスの顔から表情が消え、声も低く、冷たくなる。態度の変化を訝しむ彼女を「何でもない」と誤魔化し、先を促した。

 そんな彼に、何でもない訳がない、と思ったものの、追求したところではぐらかされるだけだ。「ま、いいや」と声を上げ、ティナは説明を続ける。


「イリアって、十年くらい前に亡くなった娘さんが大きくなって帰ってきたって勘違いしちゃうくらい、そっくりなんだって。だから、命日の今日だけでも……って話になったみたいだよ。夕飯も向こうで食べてくるってさ」


 ティナの言葉を聞くルイファスの顔が、目に見えて不機嫌そうに歪んでいく。どす黒い感情が、ふつふつと湧き上がってくる。止めどなく溢れ出す怒りが暴走し、嵐のような激しい感情が自分の意識を呑み込んでいく。もう、いつもの自分ではいられない。


「大丈夫だよ。夜は使いの人が送ってくれるって言ってたし、心配ないよ」


 単純に、イリアの帰りが遅くなることを心配している。いつものことだと軽く考えたティナは、カラカラと笑いながら階段を上がっていった。

 それを見送ったルイファスは、拳を強く握り締め、勢いよく宿の扉を開ける。そして、再び雪の夜道に戻っていった。脇目も振らずに、真っ直ぐに町の奥を目指して。




 桃色のカーテンやベッドにはフリルがあしらわれ、枕の両側には熊と兎の大きなぬいぐるみが置かれている。女の子らしい可愛らしさが溢れる部屋だ。

 しかし、主人を失ったことで、部屋の時間は長いこと止まったまま。ここに立っていると、彼女が本当に両親から愛され、大切に育てられていたことがひしひしと伝わってきて、胸が締め付けられる。

 ふと、白い壁に目を向けると、夫婦の間でにっこりと笑う女の子の絵が掛けられていた。妻はスーザンであることを考えると、この女の子がエリシアなのだろう。イリアは鏡で自分の顔を確認し、再度、絵に視線を移す。


(……確かに似てるわね。子供の頃の私に)


 これだけ似ていれば、驚かれてもおかしくないと頷いてしまう。それ程までにエリシアに既視感を覚えるのは、子供の頃に一度だけ、自分の絵を描いてもらったことがあるからだ。

 当時の光の巫女の肖像画を描く様が珍しくて、興味深くて。好奇心の赴くままに絵描きの周りをウロチョロとしていたら、ヘレナに叱られてしまって。ショックのあまり部屋の片隅でこっそりと泣いていたら、それを可哀想に思った絵描きに描いてもらったのだ。その経緯は、今思い出しても、顔から火が出る程に恥ずかしい。

 そして今度は、机の上に立て掛けられた本を手に取ってみる。開いてみると、それは日記帳だった。

 故人とはいえ、他人の日記を読むのは気が引ける。だが、彼女のことをもっと知りたい、という気持ちの方が勝ってしまう。ほんの少しの罪悪感に苛まれながら、イリアは日記帳を読み進めた。

 日記はその日の出来事や、自分が感じたことが中心の、何の変哲もない内容。元気で明るかった少女が重い病を患い、悲しみと先が見えない未来への恐怖に満ちている。

 息が詰まり、これ以上は読むのが辛いと感じ始めた、まさにその時。ある日を境に、彼女の様子が一変したことに気付く。


(……お兄ちゃん?)


 突然現れた、ある男性との毎日が綴られていたのだ。

 それは近所の誰かかと思ったが、そのほとんどがこの室内でのやりとりのようで、一緒に流れ星を見たとも書いてある。ならば、屋敷の使用人かと思ったが、日記の内容から、それも違うような気がしてならない。この家には男の子供もいるのかと思って先程の絵を見てみるが、描かれているのは夫婦とエリシアの三人だけ。


(それなら、この『お兄ちゃん』って、誰のことなのかしら?)


 気になって読み進めていくうちに、イリアの顔が綻んでいく。エリシアは、『お兄ちゃん』と呼ぶ男性のことが本当に大好きだったようで、文字からも二人の仲の良さが窺い知れる。彼との時間が、彼女にとっての救いだったに違いない。

 だが非情にも、彼女の容体は日毎に悪くなるばかり。時折、このまま『お兄ちゃん』に会えなくなるのではないか、という恐怖に苛まれていく。

 そして、自分の命があと僅かだと悟ったのか。ここで初めて、『お兄ちゃん』の愛称が出てきた。


「……え?」


 イリアは目を疑う。

 と、その時。階下が急に騒がしくなった。執事たちの声は慌ただしく、必死になって誰かを止めようとしている。だが、その人物に対してあまり強く言えないようで、強制的に追い出すことも出来ず、酷く困惑した声色をしている。

 そうしているうちに、何人かの足音と、執事たちの声が大きくなってきた。この部屋に近付いているようだ。

 しばらくして、一人分の足音が扉の向こうで止まる。


「お、お待ちください! 旦那様や奥様に何とご説明すればよいか……! お待ちください、ルイファス様っ!!」

「え?」


 執事が呼んだ名前に耳を疑った、イリアの声。そして、乱暴に扉が開かれる音が同時に重なる。


「ルイファス……?」


 彼女が見たのは、いつになく怒りの感情を露わにしたルイファスだった。

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