第3話 確執の再燃

「ルイファス? どうして……?」


 呆気に取られたイリアの声が揺れる。突然の乱入で思考が追い付かず、立ち尽くすことしか出来ないでいた。

 ルイファスは怒りの表情はそのままに部屋に入ると、目を白黒させる彼女の手首を強く掴む。そしてそのまま、掻っ攫うように立ち去ろうとした。


「ちょっと! ねえ、ちょっと待って、ルイファス! 痛いわ!」


 顔をしかめ、落ち着いて話をするために振り払おうとするも、引かれるがままにたたらを踏む。その拍子に、手にしていた日記帳が音を立てて床に落ちた。

 それでも彼は、足を止めようとしない。


「お待ちください、ルイファス様! そんなことをされたら困ります……!」

「……黙れ」

「ねえ、ルイファス、どうしたの? 何をそんなに怒ってるの?」

「ルイファス様……!」

「邪魔だ。痛い目に遭いたくなかったら、そこを退け」


 殺気立った酷く冷たい声色に、そこにいる全員が身を縮ませた。ルイファスの正面に対する執事の顔には、恐怖の色がありありと浮かんでいる。

 しばらくして、執事は諦めたように、静かに道を開けた。




 夕食の準備で忙しない厨房。屋敷の主人はもちろん、使用人たちの賄いも用意しているため、食事時間の間近はさながら戦場のようだ。

 そんな中、スーザンは厨房の一角で、料理長と真剣な表情で話し込んでいた。そして彼女はスプーンを鍋に入れ、茶褐色のスープを掬う。とろみのあるそれを口に含み、舌の上で転がすように味を確認したところで、満足げに喉に流した。


「流石は料理長ね。絶品よ。このビーフシチュー」

「ありがとうございます、奥様」

「毎年のエリーの命日には、家族だけであの子が好きだったビーフシチューを食べてたけど……今年はイリアさんと一緒に食べられるのね。嬉しいわぁ」


 そう言って、スーザンは厨房の中を見回す。調理台に皿が並べられ始めたところを見ると、彼等の作業は盛り付けという最終段階に入ったようだ。


「それじゃあ、私はそろそろイリアさんを呼んで来ようかしら」


 スーザンが胸を弾ませながら踵を返そうとした、まさにその時。厨房に隣接する使用人用の食堂が、にわかに騒がしくなった。


「奥様! いらっしゃいますかっ!?」


 若い使用人が、血相を変えて飛び込んできたのだ。その切羽詰まった声に、スーザンも食堂に飛び込む。


「どうしたの? そんなに慌てて、何があったの?」

「そ、それが……私は存じ上げないのですが、執事長が、急いで奥様に知らせるようにと……!」

「落ち着きなさい。だから、何があったの」


 要領が掴めないまま、慌てるあまりに口籠る使用人の焦燥感が伝染する。そして、次に彼が口にした言葉に、彼女は鈍器で頭を殴られたような衝撃を受けた。


「ルイファスという男性が突然現れて、奥様のお客様の元へ……」

「……え」


 頭が真っ白になる。と同時に、嫌な予感が胸を過ぎる。気が付けば、彼女はエリシアの部屋に向かって走り出していた。

 食堂を出たスーザンがエリシアの部屋に向かう途中、既に部屋を出たルイファスと、彼に腕を引かれるイリアが目に入る。


「待ちなさい!」


 二人の前に躍り出るなり、道を塞ぐように立ちはだかる。そして、無言で見下ろすルイファスを睨み返した。


「何の権利があって、彼女を連れて行くと言うの」

「お前には関係ない話だ」

「関係あるわ! だって、今日は……!」

「エリシアの命日を、あいつと瓜二つのイリアと過ごす、か? それこそイリアには関係ない話だ」


 ルイファスの言葉に、スーザンは息を呑む。何故、彼が彼女を知っているのか。彼等はどんな関係なのか。いつから一緒にいるのか。そんなことが頭の中を駆け巡る。

 だが、口から出てきた想いは、たった一つだけだった。


「……また私から、エリシアの時間を奪うつもりなのね」


 重苦しい恨みの籠った声。彼を睨む瞳にも、激しい憎悪の感情がありありと浮かんでいる。

 ルイファスは深くため息を吐くと、軽蔑の瞳を返した。


「本性が出たな」

「何ですって?」

「何年経っても性根の悪さは変わらないな、と言ったんだ。それでも、お前はあいつの母親だ。曲がりなりにもな。だから、お前がエリシアを想うことには何も言わない。だが、お前がイリアにあいつを重ねるのは話が別だ。虫唾が走る」


 わなわなと震えるスーザンを視界から外すと、彼は「行くぞ」と短く声を上げる。俯く彼女の脇を擦り抜け、足は真っ直ぐ玄関へ。

 それに続いてイリアが通り過ぎようとした、その時。耳をついた言葉に、思わず振り返った。


「……人殺し」


 地を這うようなスーザンの声。彼女ははっきりと、ルイファスを「人殺し」と罵ったのだ。

 目を見開いたイリアの足が一瞬だけ止まりかけるも、ルイファスがそれを許さない。それどころか、全く意に介していない様子だ。彼の表情も指先も、何の反応も示さないのだから。

 そんな彼の背中に、彼女は激しい怒りをぶつけてきた。


「あなたのせいよ……そうよ、何もかも全部あなたのせいなのよ。あなたのせいであの子は……エリシアは……! あの子を返して。返しなさいよ! この人殺しっ!!」


 怒りに任せて泣き喚くスーザン。だが、無情にも、屋敷の扉が閉まる冷たい音が響くと、膝から落ちるように泣き崩れるのだった。




 ランプの街灯が照らす大通りに、しんしんと雪が降り積もる。この国では、踝まで覆う程度の積雪は日常茶飯事。それが例え季節外れの雪だとしても、周囲の人々は揃って平気な顔だ。足早に帰路に着いている。

 しかし、雪道に慣れないイリアは、踏み出す度に雪に足を取られている。腕を引かれているからこそ、なんとか歩けているだけだ。だが、歩く速さが根本的に違うことで、それも限界に達しようとしていた。


「ちょ、ちょっと待って、ルイファス……わわっ、きゃあっ!?」


 地面を蹴った拍子に足を滑らせ、悲鳴が上がる。踏み込んだ場所が運悪く凍っていたのだ。そのままの勢いで前のめりに倒れそうになったところで、ルイファスに支えられて事なきを得た。


「大丈夫か?」

「え、ええ……ありがとう」


 頭上から、彼の優しい声が降りてくる。だが、その顔を見上げることは出来なかった。なんとなく、彼の顔を見るのが怖かった。

 俯く彼女に目を伏せるも、腕を強く握り締める感触にハッとすると、慌てて手を離す。


「……悪い」


 彼女は謝罪を受けるも、返す言葉が何も浮かばない。長く掴まれていたことで鈍く痛む手首を、胸に抱くように押さえることしか出来なかった。

 いつもの彼であれば、イリアに対して乱暴な行動に出ることは無い。にも関わらず、こんなにも強引な行動を取ったのには、何か理由があるに違いない。

 だが、あそこまで感情的になった彼を目の当たりにすると、やはり何も言えなくなる。結局、沈黙が流れるだけだった。

 不意に、腹の虫が声を上げる。しばし時が止まったところで、宿主のイリアは赤く頬を染め、目を丸くしていたルイファスは「ククッ」と小さく笑った。


「何だ、お前も夕飯はまだだったのか」

「そうよ。悪い?」

「誰も悪いとは言っていないだろう」


 彼女にとっては、幸か不幸か。いつの間にか、彼はいつもの調子に戻っていた。

 ホッと胸を撫で下ろすも、それで恥ずかしさが消える訳ではない。罰が悪そうに視線を泳がせると、あることに気が付いた。


「あ……よく見たら、私たちの宿の向かいまで来てたのね」

「ああ、そのようだな」

「ルイファス、外は寒いし、早く中に入りましょう。私、温かいスープが欲しいわ」


 今度はイリアがルイファスの腕を引き、大通りを渡る。彼は愛しそうに目を細め、大人しくそれに従っていた。


「……」


 そんな二人の姿を、宿の廊下の窓から眺める影が一人。マルスだ。

 彼はじっと眺めていたのも束の間。何か思案する風な表情を見せると、そのまま踵を返した。




 その日の夜更け。ベッドに入ったイリアはため息を一つ。

 宿に入った二人はそのまま食堂に向かい、少し遅くなった夕食を取った。スーザンの屋敷での殺気立った空気とは打って変わり、いつもと変わらない、穏やかな空気の中で食事が進む。

 しかし、スーザンやエリシアのことは、とても口に出せる雰囲気ではなかった。彼が発する空気は、その話題が出るのを拒絶していると感じたからだ。

 だから、余計に気になってしまう。


(日記にあった「ルイスお兄ちゃん」って、絶対にルイファスのことだわ。でも、日記ではあんなに仲が良さそうだったのに、どうして何も話したがらないのかしら。エリシアさんのことは、確かにショックだったでしょうけど、でも……)


 血は繋がっていないかもしれないが、エリシアとは仲睦まじい兄妹だったのだ。その時のショックが、まだ癒えていないのかもしれない。スーザンのように。しかし、それだけでは、ここまで頑なに言いたがらない理由は薄いと感じられる。

 ならば、スーザンが最後に言っていた『あの言葉』に関係があるのか。だが、エリシアは病死のはず。今までの彼の言動を見ていれば、あの言葉が示すように、彼女の死に直接関わっていたとは考え難い。

 だが、常に他人とは一定の距離を保っていたあの彼が、人前であるにも関わらず、あそこまで憤怒を露わにするなど。何か相当な理由があるに他ならない。


(エリシアさんが私と瓜二つなら、私にも何か出来ることがあるはずだわ。だってルイファス、苦しそうなんだもの。でも、一体どうしたらいいのかしら……)


 最近の彼が酷く神経質になっていた理由は分かった。それだけでも成果は大きいが、まだ足りない。

 何回目かの深いため息を漏らしながら、イリアは静かに目を閉じた。




 それは、草木も眠る夜のこと。白銀の大地に足跡を付けながら、静まり返る町の中を進む人影。

 その者は、ネイビーのマントを揺らしながら、町の郊外へと足を進める。しばらくして進む先で立つ人影を目にするなり、ネイビーのマントを風に靡かせた。


「お待ちしておりました、エリック様」

「リチャード、義姉さんから連絡が入ったというのは本当か!?」

「はい。例の物を無事に手に入れた、とのことです」

「そうか……良かった」


 安堵感から、思わず頬が緩む。彼女が適任者とはいえ、危険な任務であることには変わりない。無事に遂行したのなら、それは何よりも喜ばしいことだ。

 だが、リチャードの表情は曇るばかり。


「どうした、何か問題でも?」

「はい……それが――」


 彼の言葉を聞く傍から、エリックもまた、険しさが増していった。


「奴等に気付かれる可能性は否定出来なかったから、ある程度は想定していたが……面倒なことには変わりないな……。だが、ここは奴の言葉を信じるとしよう。例え口約束でも嘘は言わない、という点においては、敵ながら信用出来る奴だからな」

「かしこまりました。それでは予定通り、レオン様に協力を依頼し、早急に解析と製造を進めます」

「ああ、頼んだぞ」

「はい。エリック様もお気を付けて」


 リチャードは頭を下げるなり、港へと戻って行った。

 そしてエリックは顎に手を添え、険しい表情で思案する。


「こちらも急いだ方が良さそうだな」


 奴は、確かに嘘は言わない。だが、他の人間が自然と気付きそうに立ち回る可能性は、否定出来ない。彼女に対して、不信感を向けられることだけは避けなければならない。

 エリックはマントを翻し、宿へと戻って行った。




 朝日が昇り、光がキラキラと反射する。目が覚めるような冷涼な空気だが、風は無い。今日も気候は穏やかだ。


「……結局、昨日はあまり眠れなかったわ」


 漏れる欠伸を噛み殺しながら、イリアは顔を洗う。そしてエクスカリバーを手に、宿の裏手に向かった。胸に淀んだ感情を振り払うべく、剣の稽古に勤しもうと考えたのだ。

 溶けかけの雪を踏み締めながら歩いていると、宿の裏手から何者かの気配を感じた。誰がいるのだろう、と壁の角から覗き込むと、可能性が高そうだと想像していた人物が、案の定。


(……今日は先を越されたわね)


 そこにいたのは、大剣を軽々と振るうマルスだった。

 主に忠誠を誓う騎士であること。その共通の在り方に共感し、親近感を持っていたイリアだが、肝心の彼からはいつも避けられてばかり。今日のように彼女が後になった日に剣の稽古に誘うも袖にされ、彼が後になった日には、彼女の姿を見るなり、何も言わずに場所を変えられる。

 一時的とはいえ、互いに背中を預けて戦う仲間なのだから、たまには剣を交えて稽古をしてみたい。いつもそう思っているが、それが叶ったことは、ただの一度も無い。


(今日こそは……!)


 拳に力を込め、静かに足を踏み出す。剣を振る最中に、無用な音で集中力を途切れさせたくなかった。もしそれをやられる側だとしたら、あまり良い気はしないからだ。

 だが、慣れない雪道が邪魔をする。うっかりと音を立ててしまったのだ。しまった、と思っても、もう遅い。

 マルスは剣を下ろし、鬱陶しそうに振り返るなり、イリアを睨み付けた。


「さっきから何なんだ。気配がして気が散る上に、音まで立てやがって」

「それは……ごめんなさい。悪気があった訳じゃないのよ? ただ――って、ちょっと、マルス!」


 最後まで聞くことなく、彼は立ち去ろうとする。たまらず、彼女はその背中を引き止めた。

 振り返った彼の顔は、心の底から嫌そうなもの。わざとらしく舌打ちを鳴らし、「だから何だ!」と声を荒げる。

 負けじと彼女も食い下がった。


「たまには稽古に――」

「付き合わねえよ! 雪で滑って転びかけた挙句、男に助けられるような軟弱者のお前なんかに、俺の稽古の相手が務まるとでも思ってんのかよ。自惚れるのもいい加減にしろ」

「な……っ!? 昨日の、見てたの!?」


 顔を赤くして狼狽るイリアを見て、少し気を良くしたマルスは、珍しく饒舌に畳み掛ける。見下すような薄い笑みを浮かべて。


「だいたい、てめえの中の鬱憤を稽古で晴らそうってふざけたことを抜かす奴に付き合ってやる程、俺の剣は安くねえんだよ」

「……え?」


 今度の彼女は、きょとんと目を丸くした。

 雪で滑った失態は、現場を見ていれば誰でも分かる。だが、心の靄を晴らすために稽古に打ち込もうとするなど、ただ見ていただけでは分からないはずだ。

 急に黙り込んだ彼女に、彼は怪訝そうな目を向ける。しばらくして、自分が何を言ったのかを思い出すと、きまりが悪そうな顔で目を逸らす。そして、彼女を振り払うように背を向け、足早に宿に戻って行った。


「どうして……分かったのかしら?」


 独り取り残された彼女の小さな呟きが、空に溶ける。ルイファス以上に露骨に距離を置くマルスから発せられた、予想外の言葉が無性に気になってしまう。これでは稽古どころではない。


「イリア! そろそろ朝ごはんにしましょ。あたし、お腹空いちゃった」


 時間を忘れて呆然と佇んでいた彼女は、アリエスの声を聞いてハッとする。その驚いた表情を見て首を傾げた彼女にイリアは笑みを向けると、「今行くわ」と駆け寄った。

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