第3章 聖剣と聖獣
ルイファスの過去
第1話 雪の大陸
辺り一面が暗闇に覆われる中、ある一点だけに白く眩い光が灯る。辺り一面が静寂に包まれる中、光の元だけは、ジジジ……と何かの駆動音が絶えず小さく響いている。
それらの前で、金髪の女性が立ち尽くしていた。焦ったような顔をしながら。じっと光を見つめていた。
その時だ。遠くからコツコツと足音が響いてきた。彼女の焦りを助長するように、音はどんどん大きくなる。
女性は舌打ちを鳴らし、光を消そうとする。だが、ほんの僅かな隙間からも光が漏れてしまい、完全には消しきれない。音を消すのもまだ無理だ。
彼女は辺りに散らばる紙をかき集め、光に覆い被せる。そして、すぐさま机の下に潜り込み、息を潜めた。
しばらくして足音が止まり、唐突に辺りに光が灯る。光に照らされたのは所狭しと並ぶ机と、その上に散らばる紙束。そして、四角の薄い箱のようなものが、それぞれの机に置かれていた。
次の瞬間、誰かが部屋に入ってきた。何かを探しているのか、紙が擦れる音が続く。だがその時間は、意外にも、長くは続かなかった。ほんの数分で音が消えたかと思えば、今度は男の声が耳をついた。
「誰もいないと思ったら、まさかお客様がいたとは……こんな夜更けに何の用かな?」
身を潜めていた女は、ぴくりと眉を上げる。
「隠れんぼの鬼になったつもりはないけど、まあいいさ。『見付けた』って言うまで出てこないつもりなら、お望み通り、そちらに行ってあげるよ」
そう言うなり、男の足音が近付いてくる。
彼女はそっと瞼を閉じ、小さく息を吐くと、おもむろに目を開く。そして、静かに立ち上がった。
「……何故、気付いたの」
「簡単なことさ。そこの机の持ち主は、意外と几帳面でね。そんな風に紙を乱雑に置かないからだよ」
「そうね。貴方が几帳面だなんて知らなかったわ。セバスチャン」
「と言っても、研究に没頭してると、そこまで気が回らないんだけどね。……ところで、」
わざとらしく言葉を切った、セバスチャンの笑みが深まる。
「クラウン家の令嬢ともあろう者が、こんな夜更けに泥棒を働くなんて、お父上が聞いたら何と言うか……。それとも、そのお父上の指示かな? エレナ=クラウン」
エレナの視線が険しくなる。そして彼女は素早く思考を巡らし、この窮地を脱する道を探る。
不意に、彼は背を向けた。
「……何のつもり?」
「ボクは資料を取りに来ただけだから。それに、そのデータを持ち帰ろうって言うんだろう? ご自由にどうぞ。……ああ、ボクがルーシェルに告げ口するかもって思ってる? 安心しなよ。誰にも言わないでおいてあげるから」
彼はルーシェルの指示を受け、研究を進めていたはず。その研究データを盗もうとしているにも関わらず、見逃そうとしている。
あの男もそうだが、この男も何を考えているのか、全く掴めない。疑惑が疑惑を呼び、ますます混乱する。
「それは確かに、ルーシェルの依頼で研究していたものさ。だけど、それだけでは張り合いが無い。キミたちがボクに対抗してくれるなら、こんなに楽しいことはないからね。まさに願ったり叶ったりだ!」
顔を歪めながら笑うセバスチャンに、エレナは恐怖を覚えた。
「……狂ってるわ」
「そうかもね。ボクも含めてだけど、ここの連中は皆、自分の欲望のためだけに世界に喧嘩を売ってるんだから」
ニヤリ、と笑みを向け、セバスチャンは部屋を後にする。そして、本当に何もせずに去って行った。
間もなく、音が消えた四角の箱から、手のひらに収まる装置を取り出す。それを強く握り締め、エレナは素早く身を翻した。
「……こちら、エレナ=クラウン。計画通り、例の物を手に入れたわ。でも、セバスチャンには気付かれた……彼にそう伝えて」
誰かに呼び掛けるように、呟きながら。
光の聖獣アルテミスの神殿にいたのは、ほんの一瞬前のこと。無事に契約を済ませたのも束の間、イリアたちは瞬きをする間に船上に戻されていた。ご丁寧に、岸に停めた小船も一緒に。これには甲板にいた作業員たちの間にどよめきが走り、その場が騒然となる。
たまたまその場にいたルイファスもまた、いきなり現れた彼女たちに驚いたものの、無事な姿を見て頬を緩めた。自分の意思で船に残ったとはいえ、彼女の身を案じる思考は絶えず頭を過ぎっていたのだから。
「それにしても、一体何がどうなっているんだ? いきなり船の上に現れるなんて」
「アルテミスの力か、エクスカリバーの対の剣の力か分からないけど、神殿から転移させられたの。時間が無いから早く次の聖獣の元に行くように、だそうよ」
「時間が無い、ですか?」
甲板の騒ぎを聞きつけたエリックが話に入ってくる。イリアの言葉に、怪訝そうに眉をひそめながら。
「聖獣は謂わば万物そのものであり、悠久の時を生きるもの。私たちのような時間の概念など無いはずですが……」
エリックが首を捻るも、答えは出ない。だが、アルテミスとの契約という目的を達したため、いつまでもこの島に停泊している訳にもいかない。
こうして彼女たちは一度、ポートピアに戻ることになった。島との往復分しか物資を積んでいなかったためだ。
錨を上げた船は、再び霧の中で波を掻き分ける。その一室からは、話し声が漏れ出ていた。
「でも、助かったわー! これからもこの船を使っていいだなんて」
「ですが、いいんでしょうか……リチャードさんのご迷惑になるのでは……」
「構いませんよ。エリック様への恩返しですから。では、港に着くまで、ごゆっくりお寛ぎください」
不安げなカミエルに対してにこやかに答えたリチャードは、ティーセットを置いて部屋を出て行った。それをルイファスは横目で見送り、「そういえば」と口を開く。
「エクスカリバーの対の剣があるそうだな。どちらかと言えば、俺はそちらの方が気になったんだが」
「ええ、島に向かう途中でアルテミスの声が聞こえたのは、その剣を媒体にしたからだそうよ。転移させられた時、光の中にエクスカリバーと瓜二つの剣が見えて――……」
そこでイリアの言葉が止まる。ルイファスたちの不思議そうな視線が集中する中、彼女は幼い頃を思い出していた。
見覚えのない回廊。石の台座に突き刺さる剣。獅子の体に鷲の翼が生えた獣。そして、その言葉を。
「そうよ、時間が無い……あの時、エクスカリバーを初めて手にした時、グリンフィスも言ってたわ。とても焦ったように」
「グリンフィスも、ですか?」
「でもさ、時間が無いってどういうことなんだろうね? 他に何か言ってなかったの?」
「ごめんなさい……声は聞こえたんだけど、何て言ってたかまでは……」
「何だ、それ。ちゃんと聞いとけよ」
「あんた、ほんっと一言多いわね」
マルスの嫌味に苦笑を漏らしながらも、イリアはグリンフィスの言葉を思い出そうと試みる。しかし、当時は所々が途切れて聞き取ることが出来ていなかったため、思い出そうにも思考が空回ってばかり。
こうなれば、一刻も早く他の聖獣と契約を交わし、グリンフィスに直接聞くしかない。そう結論付けたところで、船の遥か前方にはポートピアの港が見え始めたのだった。
入港後、中継地であるシルビス連邦までの物資を積み込み、翌日の昼、彼女たちを乗せた帆船は再び海に出た。目的地は北の大陸。一年のほぼ半分が雪と氷に覆われるアスティリア王国だ。
そして、数日後の深夜。忍び足で船内を歩いていたルイファスは、ある部屋の前で足を止めた。正面に不気味に浮かび上がる扉は、ギリギリ届くランプの光にぼんやりと照らされている。
彼はノブに手を伸ばし、そっと回してみた。しかし、扉には鍵がかかっていてびくともしない。
(この部屋には近付くな……か)
船内は自由に歩き回って構わない。そう言ったリチャードが唯一、立ち入りを禁じた場所。奥まった場所にあるこの部屋には、何があるというのか。
彼の一連の協力は、自分たちを貶めるための罠ではないかと気になったが、今のところ、そんな気配は全く無い。もし危害を加えるつもりなら、とうの昔にやられていてもおかしくないからだ。ならば、本当にただの恩返しなのか。
(だが、昔に受けた恩とはいえ、様付けまでするものか……?)
その一点だけが強烈に気になって仕方がない。彼は睨むように扉を一瞥し、踵を返した。
引き続き音を立てないように廊下を進み、角を曲がる。そこで鉢合わせたのはエリックだった。
エリックは軽く目を見開いてルイファスが歩いてきた方向を見、静かに口を開く。
「こんな時間に何を……? 確か、この先は立ち入り禁止のはずですが」
「悪いな。そう言われると、余計に気になるタチでね」
彼に現場を見られてしまった以上、下手に誤魔化すのは得策ではない。そう判断し、相手の出方を窺う。
たまらず、エリックは苦笑を漏らした。
「まさか、貴方がここまで疑り深いとは思いませんでしたよ」
「自分の目で確かめないと、何事も信用出来ないんだ。昔からな」
「そうですか……」
二人の間に沈黙が流れる。しばらくしてそれを破ったのは、エリックの方だった。彼はため息交じりに口を開く。
「イリアさんにおかしなことを吹き込まれるのも困りますからね。これだけはお約束しましょう。……グリンフィスとの契約を交わした後、私から全てをお話しますよ」
「今でない理由は? 他人に話せないことを腹の中に隠している奴のことを、信用も信頼も出来ないな」
「今はその時ではない、ということです。それに、人は誰でも、他人に話せないことの一つや二つは、あるものでしょう?」
エリックの言葉に、ルイファスは何も言い返すことが出来なかった。
いつの間にかエリックは立ち去り、ルイファスは一人取り残される。そして、苛立たしげにクシャ、と髪を掻き上げると深くため息を吐いた。
(他人に話せないこと……)
無いと言えば嘘になる。誰にも話したくないこと。その相手がイリアだとしても。
心の中に、じわりじわりと黒いものが忍び寄る。いっそのこと、今すぐにでもこの船を降りてしまいたいが、何があっても彼女を守ると自身に誓いを立てた手前、それも出来ない。板挟みの感情が酷く不快だ。
いつしか顔が歪み、ため息も止まらなくなる。船員の中に女性がいれば、適当に甘い言葉を囁いて一夜を共にすることで、いくらか気を紛らわすことも出来たのに。
舌打ちをしたルイファスは、足早にその場を後にする。辺りに誰もいないのをいいことに、荒ぶる感情を露わにしながら。シャワーの水と共に、心の中の靄を流してしまいたいと願いながら。
シルビス連邦を経由し、イリアたちは北へ船を進ませる。日毎に気候が変わっていく様子は、サモネシア王国に向かっていた頃を思い出す。
こうしてアスティリア王国の首都であり、王国一の港に入港する――はずだった。
「今日も酷い吹雪だったね……」
宿の窓から外を眺めるティナの、気落ちした声が耳をつく。イリアとアリエスもまた、同様の感情を抱いていた。
猛吹雪による視界不良と荒波により、王都の港には入港出来ず、比較的気候が穏やかだった大陸の端の港に入るしかなかったのが、数日前のこと。それでも悪天候による足止めを喰らい、宿での待機を余儀なくされていた。いつ晴れるかも分からない明日を待ちながら。
「それにしても、どうなっているのかしら。今はまだ、こんな吹雪になるような時期じゃないのに……」
イリアもまた、ため息交じりに外を眺める。するとアリエスは、「季節外れの吹雪か……」と呟いた。
「そういえば、千年前にアレン王が聖獣契約の旅をしていた時も、アスティリア王国は季節外れの猛吹雪だったそうよ」
「そうなの? なんか、ここまでくると偶然とは言えない感じがするよね」
「そうよ、これはもう運命なのよ! だからきっと、あたしとルイス様の出会いも……」
アリエスはうっとりと黄色い声を上げるかと思えば、眉を下げて扉を見つめた。そして憂いのため息を一つ。
「……最近のルイス様、ちょっとピリピリしてるわよね」
「うん。何でもないって本人は言ってるけど、どう見ても何かあるよね。いつものルイファスじゃないみたいだよ」
普段は、感情的な様子を一切見せようとしないルイファス。だが最近の彼は、隠しきれない程に心を掻き乱されているようだ。
だが、原因が分からない。きっかけとなる出来事に、心当たりがないのだ。
ただ、いつからかは分かる。
「ルイファスの様子が変わったの、ポートピアを出航してからよね。もしかして、アスティリア王国に来るのが嫌だったのかしら」
「ここに嫌な思い出でもあるってこと?」
「ええ。とは言っても、この十年でルイファスがアスティリア王国に来たことは無いはずなんだけど……」
ならば、それよりも前のことか。イリアはそう思ったが、出会う前の彼のことを全く聞いたことがないことに、今更ながら気付いてしまった。正確に言えば、聞いてもはぐらかされるの連続だったのだけど。
「とりあえず、今日はもう休みましょうか。夜も遅いわ」
ティナとアリエスがベッドに入ったのを見計らい、イリアはランプの火を消す。そして自身もベッドに入ると、ぼんやりと天井を見上げた。
いつもクールな態度を崩さないルイファスが、らしくもなく動揺している。この地の何が彼をそうさせるのか分からないが、出来ることがあれば力になりたい。彼にはいつも助けられてばかりだから。
隣の部屋を遮る壁を見つめ、彼女は静かに目を閉じた。
「ふう……」
一息吐き、辺りを見回した。
視界を覆う吹雪はピタリと止み、星空が顔を出す。月明かりに照らされた白銀の大地は、至る所で雪が削れ、木が薙ぎ倒されていた。
女が雪山から飛び降りる。と同時に、彼女の桃色の髪が風に靡いた。
「試した結果は問題無いけど、流石にちょっと疲れたわ……」
肩を鳴らし、後ろの雪山を見上げる。そして、ニヤリと口元を引き上げた。
「今はあんたも休むといいわ。あいつ等が来たら、殺すつもりで暴れてもらうから」
正面を向き直った女は、雪山から離れていく。しばらくして足を止めた彼女の顔は、一切の感情が消え失せていた。
(もう我慢の限界。はっきり言って、邪魔なのよ……あいつ等)
最終的には自分の利益にも繋がるため、監視という役割に甘んじていた。だが、奴等の好き放題は目に余る。このまま黙って見過ごせば、奴等は着実に力を付けていき、こちらの手を煩わせることになる。その前に片付けてしまった方がいいに決まっているのに。
(いつまで泳がせておくつもり……?)
命令は下っていない。だが、もうこれ以上は待てない。トライアスやレイザーの時のように、ルーシェルから邪魔が入る可能性もあるが、そんなものは関係ない。
(最後は皆、あたしが始末するんだから、同じことよ)
目の前の空間が歪む。女が歪みに足を踏み入れた、次の瞬間。つむじ風が吹き、辺りの雪を舞い上げる。その向こうにあるはずの女の背中は、忽然と消えていた。
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