第25話 奇跡の光

「さあ、あの日の続きといこうぜ。騎士サマ」


 剣を肩に担ぎ、挑発的な笑みを浮かべるのは、闇夜に溶け込む漆黒のローブを纏う襲撃者。目元はフードに覆われ、確認出来るのは歯を剥き出しにした口元のみ。不気味な様相だ。

 痛い程の殺気を押し返すように、イリアの視線が険しくなる。無意識のうちにアリエスを抱えた腕に力を入れながら、彼女は素早く室内を見回した。

 最優先すべきはアリエスの身の安全の確保。敵はロメインを倒した男だ。戦いつつ彼女を守るのは現実的ではない。確実なのは、彼女をこの部屋から逃がした上で対峙することだが、不幸なことに、扉は男の背後にある。


「イリア……」


 上目遣いに見つめるアリエスから、不安げな声が上がる。イリアはにっこりと笑みを浮かべ、そっと体を離した。

 その瞬間、アリエスの顔が歪み、イリアの服の裾をきつく掴む。そして、首を激しく横に振った。


「大丈夫よ。アリエスは私が守るから。……絶対に、そこから動かないでね」

「でも……!」

「私を信じて。ね?」


 幼子を宥めるように、優しい笑みを浮かべる。縋るようにイリアを見上げていたアリエスは、しばらくして、諦めたように静かに手を離した。

 漆黒のローブを纏う男は肩に担ぎ上げた剣を下ろし、切っ先をこちらに向けて挑発している。イリアはゆっくりと歩み出ると、男の前に立ちはだかった。そしておもむろに剣を構える。


「ようやくその気になったか」

「その代わり、彼女には手を出さないで」

「それはどうかね……シケた斬り合いしてるようだったら、発破掛けねぇといけねぇしなぁ」


 言うと同時に、男が床を蹴る。素早く反応したイリアは、軽々と剣を受け流した。

 男の口元に楽しげな笑みが浮かぶ。


「へぇ……なかなかいいじゃねぇか。なら、こいつはどうだ?」


 男は強く踏み込み、体ごと突進してくる。剣を打ち払っても当て身を喰らえばダメージは免れない。

 イリアはひらりと床を蹴って飛び上がり、そのまま男を斬り付けた。しかし体に届く前に払われる。その衝撃を利用し、距離を取った。

 今度はこちらの番と言わんばかりにイリアが仕掛ける。懐に飛び込んで斬り込むも、あっさりと受け流されてしまう。直線的な攻撃を好みそうな見た目に反し、意外と器用なようだ。又は戦士としての勘か。

 息つく隙の無い攻撃を打ち払うイリアに、男は声を荒げた。


「おいおい、シケた攻撃してんじゃねぇよ! てめぇの後ろのお姫サマがどうなってもいいってのか!?」

「っ、貴様……!」


 その言葉にイリアの目の険しさが増す。剣撃の速さも増したことで、男は満足げに笑った。




 アリエスの悲鳴と、室内の不気味な気配に目を覚ましたティナ。次の瞬間、素早くベッドから下りて周囲を探った。

 と同時に、地を這うような、おぞましい呻き声が鼓膜を揺らす。彼女が顔をしかめると、影から複数の生きる屍が忍び寄って来た。


「……最悪」


 吐き捨てるなり、駆け出した。寝覚めの悪さの鬱憤を晴らすように、強烈な蹴りを食らわせる。そして二体、三体と蹴散らしていった。

 それにしても、この手の敵は後味が酷い。攻撃を加えた瞬間の手応えが妙に柔らかく、滑りも相まって気持ち悪い。


「あー、やだやだ! こういう系の敵って大っ嫌いなんだよね」


 胴体が真っ二つに割れた屍を飛び越え、勢いよく廊下に出た。だが、その先の光景を目の当たりにし、軽く目眩を覚える。

 数えきれない生きる屍たちが廊下を埋め尽くしていた。まるで、こちらの足止めをしているかのように。

 近付いて来る屍を反射的に蹴り飛ばすと、向こうにマルスの頭が見えた。振り返りざまに斬り倒す彼の顔は、目に見えて苛立っている。


「マルス! アリエスは!?」

「知るか!」

「知るかってあんた、アリエスの護衛でしょ!? もういいっ、アタシが行く!」


 マルスは口が裂けても言わなかったが、目の前の屍を倒すだけで手一杯なのは明白だった。先程から、なかなか前に進めていない。

 ティナは屍の間を擦り抜け、蹴り倒しながら、アリエスの部屋の前へ。しかし内側から鍵が掛かっているのか、扉はびくともしない。


「ちょっと、なんで!? なんで開かないの!?」


 切羽詰まったティナの声を搔き消すように、光の矢が屍の頭上に降り注ぐ。カミエルが放った下級魔術だ。広範囲の攻撃で一度は視界が晴れたものの、またすぐに影から屍たちが湧いて出てくる。

 それを見たカミエルの悔しそうな声が聞こえてきた。


「エリックさんだったら、もっと強力な魔術で攻撃出来るのに……!」

「それに、イリアはどうした?」


 下級魔術を詠唱するカミエルを守るように、ルイファスがナイフで屍を切り裂く。広さの限られた場所での乱戦で弓は役に立たないからだ。

 屍にすぐに囲まれ、マルスの苛立ちがティナにまで伝染し始めた、まさにその時。遠くで甲高い金属音が響いていることに気付いた。


「これ……剣で斬り合う音……?」


 戦線に戻ったティナの耳に届くのは、激しく切り結ぶ音。それはイリアの部屋から聞こえてくる。

 絶えず響くその音は、戦う相手が彼女でもすぐに決着が付けられない程の手練れだということを示している。加勢に向かいたい気持ちが焦りを生み出し、ティナの蹴りにも威力と速さが増していった。




 イリアと男の攻防は両者共に一歩も譲らず、命を取り合う真剣勝負を続けている。互いの剣は容赦無く急所を狙い、その度に甲高い金属音が室内に響き渡った。

 そんな中、斬り結ぶ最中に鍔迫り合いになるも男の力に押され、イリアは思わず顔を歪める。腕力に任せて押し斬ろうとする男の刃が、徐々に彼女に近付いていく。


「く……っ」


 奥歯を噛み締めて耐えるのも虚しく、次第に腕が痺れ始める。そしてエクスカリバーの震えが増していった、次の瞬間。


「イリアっ!!」


 アリエスが叫ぶ。その声に呼応するように、イリアの体が淡い光に包まれた。その光は彼女がいつも身に付けている指輪から発せられている。

 それに気付くと同時に、イリアは不可思議な感覚を覚えた。羽が生えたように体が軽い。力も無限に湧き上がり、受け止めるだけで精一杯だった男の剣も軽く感じる程だ。何が起きているのか、理解出来ないでいた。


「何っ!?」


 男が驚愕の声を上げる。状況が理解出来ないのは男も同じだった。何故か、自分の剣が押され始めたのだ。だがそれは、彼女の力によるものではない。驚くべきことに、彼女を包む光に押されているのだ。

 光は次第に強さを増し、誰もが目を開けていられないまでに輝きを放つ。そしてそれが部屋中に満ちると、耳をつんざく音を立てて男の体を弾き飛ばした。

 目の前の光景に一瞬だけ呆気に取られるイリア。だが次の瞬間、急いで踵を返し、音に驚いて身を竦ませているアリエスの元へ駆け寄る。そしてすぐさま指輪を外すと、押し付けるように彼女に託した。


「え? イリア!? これって、さっきの光の……!」

「私があいつを引き付けている間に、それを持って部屋を出て。ここよりは安全だわ」

「でも……!」

「私なら大丈夫。それに、その指輪はとても大切な物なの。後で必ず、返してもらうから」


 怯える彼女を安心させるように笑みを残したイリアは、再び駆け出した。剣を構えて男の追撃に備えている。

 大きく揺らぐアリエスの瞳が彼女の背中を見つめた。万が一の時、これでは二度目の奇跡が起きなくなってしまう。不安と心配で押し潰されそうになっていた。

 その時、先程のアリエスの悲痛な叫び声が届いたのか。ルイファスが部屋に雪崩れ込んで来た。


「イリア!」


 珍しく焦ったようなルイファスの声に、イリアは視線だけを彼に向ける。そして剣を構えたまま、彼女は声を張り上げた。


「ルイファス、アリエスを安全な場所へ! こいつは私が捕らえる」

「誰が、誰に捕まるって……? ふざげたこと抜かしてんじゃねぇっ!!」


 激昂した男が斬り掛かろうとした、その瞬間。彼の足は石のように固まり、一歩たりとも踏み出すことが出来なくなっていた。それどころか、男が必死に体を動かそうとするも、腕も頭もびくともしない。


「くっ、そ……おい、てめぇ! 俺の邪魔すんじゃねぇっ!!」


 男は声を荒げる。誰かに向けた台詞だが、肝心の相手の姿が無い。声も聞こえない。目に見えぬ相手からの攻撃に備え、イリアたちは身構える。

 そんな調子がしばらく続くと、男は諦めたように吐き捨てた。


「ったく……わぁったよ。戻りゃいんだろ、戻りゃ!」


 すると、男の足元に青白い光の魔法陣が浮かび上がる。見えない誰かが転移魔法を唱えたのだ。


「よお、命拾いしたな。だが次はてめぇを殺す! 必ずなぁ!」


 光に包まれた男の姿が搔き消える。緊張感から解放され、肩で息をするイリアの元にルイファスとアリエスが駆け寄った。


「イリア、無事か!?」

「よかった……イリアに怪我が無くてよかったぁ!」


 張り詰めた糸が切れたように泣き出したアリエスの頭を、イリアが優しく撫でる。強烈な殺気の中に身を置くことの恐怖に、未だに感情や思考が混乱しているのだ。

 すると、カミエルとティナも部屋に駆け込んで来た。聞けば、廊下を埋め尽くしていた屍たちが突如として消え去り、マルスは死霊使いの気配を追ったという。

 だが、剣士の男が何者かの転移魔法で姿を消したとなると、仲間である死霊使いも例外ではないはず。

 それを聞いたティナは、マルスを追って駆け出した。

 しばらくして、ようやく落ち着いたアリエスは、思い出したように指輪をイリアに差し出した。花のように、にっこりと笑顔を浮かべて。


「これ……ありがとう。あたしを守るために、大事な指輪を貸してくれて。でも、ちゃんと返せて、あたし、すっごく嬉しいわ!」


 彼女につられてイリアも微笑んだ。しっかりと指輪を受け取った彼女は、愛しそうに視線を落とす。そして再び指にはめた。


「それは……確か、ヘレナから貰ったものだよな」

「ええ、騎士になったお祝いにね。この指輪には、身に着けた者を守る魔力が込められているって。今日、この指輪が私を守ってくれたの」


 改めて、イリアは指輪を見つめる。あの時に感じた光はとても優しく、温かいものだった。まるで、ヘレナの腕の中にいるかのような感覚。

 不意に顔を上げたイリアは、周囲を見回す。エリックがいない。


「そういえば、エリックは……?」




 一方的な戦いだった。全力で斬り掛かって来る襲撃者二人を物ともせず、エリックは剣で彼等のナイフを弾き返す。

 何度も繰り返される攻防に、彼は深いため息を吐いた。


「いい加減、諦めたらどうだ。実力差も分からない程に未熟なのか?」

「そうだな。どうやら、実力は貴様の方が上のようだ。……だが!」


 一人がナイフを構え、エリックに向かって走り出す。今までと違い、真っ直ぐに向かって来る攻撃を剣で受け止め、弾き返そうとした、その時。


「……っ!?」


 先程までは無かった臭いに気付いたエリックは、ハッと息を呑む。

 次の瞬間、男の体は爆発した。エリックを道連れにしようとしたのだ。

 だが彼は、すんでのところで防御の魔術を発動させ、擦り傷で事なきを得た。もう一人に視線を移せば、己のナイフで首を掻き切り、既に絶命している。

 不意に、室内に空間の揺らぎが現れた。それと同時に空気が震える。凍える程の冷たい殺気が、エリックに突き刺さる。心臓は一際大きく鼓動し、黒い感情が胸を騒めかせた。

 すると揺らぎは次第に大きくなり、人の大きさにまで成長する。つむじ風と共に姿を見せたのは、黒いローブの男だった。

 艶やかな黒髪を靡かせ、口元に薄い笑みを浮かべる、美しい男。彼の血のような深紅の瞳がエリックを捉える。

 静寂に包まれた室内に、男の声が響いた。


「やはり、この程度の刺客では貴方に敵いませんか」

「ルーシェル……」


 何があっても冷静沈着を崩さなかったエリックが、険しく表情を歪めている。視線だけで相手を射殺す目。剣を持つ手は震え、今にも斬り掛かりそうだ。そこから垣間見えるのは、身を灼き尽くす程の激しい憎悪。

 しかしルーシェルはそれを平然と受けると、彼の感情を逆撫でるように笑みを深めた。


「……なんて、奴等はただの捨て駒に過ぎないんですけどね」

「やはり貴様の仕業か」

「ええ、もちろん。貴方に邪魔されると見越していましたが、今回は貴方が来た時には既に、目的は達成していたんですよ」

「なるほどな……ということは、エリュシェリン王国の城内でアリエスが襲撃された、という事実を作ることが目的か。それだけなら捨て駒で十分だからな」

「相変わらず、腹立たしい程に察しがいいですね、貴方は」


 目的を聞き出したエリックは、すかさずルーシェルに向けて魔術を放つ。感情の荒々しさが魔術にも現れ、強い衝撃がルーシェルを襲う。

 だが彼は薄い笑みを浮かべたまま、その場に立っていた。


「ですが流石の貴方も、そこだけは一向に学習しませんね……。貴方では私を倒すことなど不可能なんですよ」


 そう言うなり、ルーシェルの足元に青白い光の魔法陣が浮かび上がる。次々に生まれる光は彼の体を包んでいった。


「レイザーとトライアスが早まったことをしてくれましたからね……今日のところは大人しく帰ります」


 そう言い残すと、光はより一層強まり、ルーシェルの姿を覆い尽くす。そして光が弾けた後には、彼の姿は忽然と消えていた。


(そう、奴を倒すには俺の力だけでは足りない……。だからこそ、さらなる力を求めてこの地に来たんだ。そのためなら、俺は……)


 エリックはルーシェルの立っていた場所を睨み付け、拳を握り締めた。

 しばらくすると、彼が目の前から消えたことで憎悪が鎮静化していく。しかし完全には昇華されず、胸の奥深くで燻っていた。気持ちを落ち着かせるように、深く息を吐き出す。

 その時、廊下に響く慌ただしい足音が、静寂に包まれた室内にも届いてきた。


「エリック!」


 焦燥に満ちた顔のアリエスが部屋に飛び込み、イリアたちもそれに続く。

 エリックは彼女たちを微笑んで出迎えた。その顔からは、先程までの憎悪の表情は微塵も感じられない。

 カミエルはエリックの怪我に気付くと、顔色を変えてすぐさま神聖魔法を発動させた。治療は不要と苦笑を漏らす彼を一喝して。


「ありがとうございます、カミエルさん。アリエス様や皆さんも、ご無事で良かった」

「エリックが怪我したってところが驚きだけど、大したことなくて良かったわ。ところで……あいつらは何だったの?」

「……分かりません。目的を聞き出そうとしたところで自害されました」


 エリックの視線の先には、首から血を流して横たわる亡骸。思わず、カミエルとアリエスの顔が歪んだ。

 そして部屋の至る所には、魔術による攻撃の跡が残されている。美しかった内装の面影は微塵も残されておらず、こちらも戦闘の激しさを物語っていた。

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