光の聖獣

第26話 黒い影の罠

 訳も分からずに襲われ、身が竦む程の殺気にも晒されたアリエス。室内の重い沈黙と同じく、心の中も重苦しい。

 だがそれでも、確かめなければならないことがある。アリエスは震える足を叱咤し、踏み出そうとする。

 しかしそれよりも早く、イリアとルイファスが動いた。二人は事切れた襲撃者の前で足を止め、素早くローブをめくる。そして、その体をくまなく調べ始めた。

 いつの間にか隣でその様子を見ていたエリックと、顔を合わせる。彼女たちが振り返るとほぼ同時に、廊下から慌ただしい足音が響いてきた。


「皆様、ご無事ですか!?」


 血相を変えて部屋に駆け込んで来たのは、ノエルやブライトたちだった。城が再度、襲撃に遭ったのだ。無理もない。そして無事なアリエスたちの姿を確認し、ノエルは胸を撫で下ろす。


「ええ、私たちは大丈夫ですわ。ですが……」


 アリエスの視線の先には、襲撃者の亡骸。顔をしかめたノエルはすぐさまブライトに捜査の指示を飛ばすと、彼女に向き直り、深く頭を下げた。


「我が城で、お客様である皆様を危険に晒すとは……誠に申し訳ありません。なんとお詫びしたらよいか……」

「ですが、こうなってしまった以上、長居は出来ません。近いうちにこちらを発とうと思います」

「そうですね……敵がアリエス様を狙って来た以上、城に留まるのはリスクが高いですからね。分かりました。皆様には別のお部屋を用意します。今夜から、そちらでお休みください」


 ノエルはメイドを呼び、新たな部屋の用意を指示する。その傍で、ブライトはイリアに声を掛けた。


「あやつの処理は、私たちにお任せを。皆様はどうぞお休みください」

「……ええ、頼みます」


 イリアたち三人と入れ替わるように、騎士たちが襲撃者の亡骸の周りに集まる。すると、早々に彼等は三人に背を向け、亡骸を調べ始めた。


「それでは、お部屋の準備が整うまで、応接室でお過ごしください。温かいお茶もお持ちしましょう」


 メイドの案内で、イリアたちは応接室に通された。そしてすぐさま、人数分のティーセットが用意される。

 しばらくして、二人分の足音が聞こえてきた。足音は応接室の前で止まると、いくらか乱暴に扉が開かれる。そして開口一番、声を荒げた。


「……ねえ、あの騎士たち、ちょっと態度が大き過ぎない!?」


 マルスを連れたティナだった。彼女は大股で歩み寄ると、勢いよくイリアの隣に座った。

 苦笑混じりに事情を聞くと、イリアたちを探してアリエスの部屋に入るなり、一斉に騎士たちの視線が向けられたという。仲間の部屋で何かあったのかと聞いても、関係ないと言わんばかりに軽くあしらわれる始末。

 我関せずと一人掛けのソファでふんぞり返るマルスは、冷めた目でティナを見据えた。


「よそ者に取る態度なんぞ、普通はあんなもんだろ。こいつや、あの国王代理のお坊ちゃんが異常なだけでな」

「ちょっと、誰が異常よ、誰がっ!」

「お前のように敵意が剥き出しでも、それはそれで問題なんだがな。ここに来て俺が言ったこと、もう忘れたのか」

「あ?」


 マルスの眉間にしわが寄り、エリックを睨み付ける。エリックは静かに紅茶を飲んでいるが、その雰囲気は冷ややかで刺々しい。

 このまま口論が始まりそうな空気を追い払うように、イリアが慌てて口を開いた。


「そ、そういえば、今夜の襲撃者のことなんだけど……!」

「ああ、アリエスの部屋のあいつな。サモネシア王国とは無関係だ。おそらく、ディオ王はロバート王殺害とも無関係だろう」

「それ本当!? ルイス様!」


 頷くルイファスを見て、前のめりになっていたアリエスは胸を撫で下ろし、ソファに腰を沈めた。祖国を貶めようとする動きがあるのは憂慮すべきだが、国王殺害が自国の民でなかったことは素直に安堵していい情報だ。

 だが今度は、マルスとティナが身を乗り出してきた。


「おい、その話、詳しく聞かせろ!」

「そうだよ! アタシたち、全く話が読めないんだけど!? あいつがサモネシア王国と無関係って、どうして言い切れるの?」

「簡単なことだ。あいつには、サモネシア王国との繋がりが見られなかったんだからな」


 ルイファスの答えが理解出来ず、ティナは顔をしかめる。

 だがカミエルには心当たりがあるようだ。軽く目を見開き、確信を持った声色で呟いた。


「……紋章」

「え?」

「紋章だよ、ティナ! ほら、ヒースさんが言ってたじゃないか。陛下が亡くなった時、犯人の服にはサモネシア王国の紋章があったって。でも今回は、そんなものは無かった……そういうことですよね?」

「ええ。あの日の夜、たまたまサモネシア王国の服で城内に侵入し、たまたま紋章を見られる失態を犯すなんて、普通では考えられないわ。ということは、おそらく――」

「紋章は奴等の罠ってことか。ハッ、ふざけた真似しやがって……いい度胸だ。陛下を貶めたこと、俺が後悔させてやる……!」

「そうよ、そうよ! 絶対に許さないんだから!」


 マルスの瞳が怒りに燃え、アリエスも意気込んだ。

 エリュシェリン王国側には、国王殺害はサモネシア王国の刺客の犯行だと思わせる。そして、エリュシェリン王国の城内で次期女王が襲撃されたことで、サモネシア王国に彼の国への不信感を覚えさせる。そうして溝を深めた両国の間で暗躍したのは、テルティスのガルデラ神殿を襲撃した者たち。

 幸か不幸か、ここにきてイリアとアリエスに共通の敵が出来たことで、完全に利害が一致した。

 だがエリックの頭には、拭いきれない疑問が残る。


「じゃあ、イリアが戦ってた敵は?」

「おそらく個人的な理由でしょうね。去り際の口ぶりからして、独断で動いていたようだったから」


 イリアとティナの会話を意識の端で聞いていたエリックは、口元に手を当てて思考の海に身を沈めた。


(そう……奴は確かに、『トライアスが早まったことをした』と言っていた。ということは、今、彼女を消されては困るということ。おそらくは『あのこと』の関係だろうが……本当にそれだけなのか……?)


 胸騒ぎがする。ルーシェルの目的が見えない上に、今の状態は、こちらを追い詰める切り札を握られているも同然なのだから。


「お寛ぎのところ、失礼致します。皆様のお部屋の準備が整いました」


 静かだがよく通るメイドの声が、部屋の空気を震わせた。イリアの返事に応えるように扉を開けた彼女は、一行を新たな部屋に案内する。しかしこの日は、誰もが眠れぬ夜を過ごしたのだった。




 翌朝、神騎士団の対策室を訪れたイリアとルイファスによって、昨夜の出来事はロメインの耳にも入ることになる。そして彼は全てを聞き終えると、悔しそうに顔を歪めた。


「そうか……昨夜、あの剣士が……」

「ええ。捕らえることが出来ず、申し訳ありませんでした」

「いや、その様子だと、まだ機会はあるだろう。次こそ奴に引導を渡してやるさ。……それにしても流石だな。あいつとやり合って凌ぐとは」


 ロメインの賞賛を謙遜するイリアを見つめながら、ジャッキーはそっとため息を吐く。


(ロメイン副団長でも勝てなかった敵を、イリアが……)


 胸の鈍い痛みに耐えきれず、視線を落とす。気が付けば、拳を強く握り締めていた。常に実戦の中に身を置いているとはいえ、急激に離れていく力量の差に愕然としたのだ。


(もう、追い付けないのか……? 俺の力じゃ……イリアを……)


 守れない。その言葉が浮かびそうになった瞬間、頭の外に追い出した。一度思ってしまえば、それが現実化してしまうと感じたのだ。

 ジャッキーの想いなど知らないイリアは、どこか苦しそうな彼に心配そうな視線を送る。胸が締め付けられ、目が離せない。

 そんな二人の男女の様子をよそに、ロメインは顔をしかめて唸り声を上げた。


「だが、万が一エリュシェリン王国とサモネシア王国の間で戦争になると、テルティスも他人事ではいられないな……」


 彼の言葉に、ルイファスも険しい顔で頷く。そして続けた。


「ああ、テルティスがエリュシェリン王国の同盟国というだけではない。シルビス連邦は、あくまでも中立を貫くだろう。となると――」

「どちらの国も、ブルシィドを経由する通常の航路で侵攻するとは考えにくい。ということは、海上戦になるにしろ陸上戦になるにしろ、テルティスが最前線になる可能性が高いわね……」


 二人の言葉に触発されて騎士の顔に戻ったイリアは、彼等に続いて最大の懸念事項を口にした。

 シルビス連邦が中立を貫くということは、戦争には一切の関与をしないということだ。それはすなわち、平常時であれば可能な、物資補給のための寄港は許可が下りない。

 となれば、大陸間で魔物の危険性がより少ない航路の中間地点、テルティス近海が主戦場となる。また、中間地点周辺で上陸できる場所も、テルティス領内しかない。長距離に渡って断崖絶壁が続くサモネシア王国側の陸地は、上陸には向かないからだ。


「まあ、ノエル殿下のようなタイプならば、争いを極力避けようとするだろうが……いずれにせよ、これ以上の大事になる前に片を付けたいものだ」


 ロメインは不敵に口元を引き上げる。イリアも異論は無い。悲しい思いをする人をこれ以上増やしたくないことはもちろんだが、打算的に恩を売るような形でアリエスやノエルと接したくないからだ。


「さて、俺たちは近いうちに城を離れるだろうが、お前たちはどうするつもりだ?」

「しばらくはこの城で奴等のことを調べる。気を付けて行けよ」

「はい、ありがとうございます。そちらもお気を付けて」


 イリアたちが踵を返して部屋を出る瞬間、彼女はジャッキーを盗み見た。ロメインの指示を受けて忙しなく動く彼は、すっかりいつもの様子に戻っている。先程の彼の様子を気に掛けながら、彼女は静かに扉を閉めた。




 その日の昼下がり。重苦しい沈黙が続く中、テーブルを挟んで男女が向き合う。顔を強張らせるアリエスと、涼しい眼差しで彼女を見つめ返すエリックだ。


「さて……」


 エリックが口を開くと、アリエスの表情はさらに固くなる。珍しく緊張している彼女の気持ちを解すように、彼はゆっくりと続けた。


「予定ではもう少し滞在出来ると思っていましたが、昨夜の一件で、それも難しくなってしまった。早ければ明日の朝には出発です。ですので、アリエス様、宿題の答えを聞かせていただけますか?」

「ええ……分かったわ」


 正面からエリックを見据え、しっかりと頷いた。

 これで彼を納得させられるのか、不安は残る。だが、仲間たちに助けられながらも得た答えなのだ。どのような結果になろうとも悔いはない。

 唾を飲み込み、深く息を吐き出し、彼女はおもむろに語り始めた。


「良き王とは何か……だったわね。あたしは、民が笑って過ごせる国を作る王が良い王だと思うし、そういう女王になりたい」

「なるほど、アリエス様らしい答えですね。では、そのためにはどうすればいいとお考えですか?」

「そのためには、民の実際の生活を知らなくちゃ。サモネシア王国だけじゃなくて世界中のいろんな国を見て、感じて、知らなくちゃ。そうしないと、しっかりとした国作りが出来ないわ。次期国王が聖獣と契約する旅に出るのは、これが一番の目的だと思うの。だからあたしは、これからも旅を続けたい」


 エリックの眉が、ピクリと動く。口を開こうとしたところで、アリエスの「でも……」という言葉を耳にし、己の言葉を飲み込んだ。


「理想の国を作るには、やっぱり、見て回るだけじゃダメよね。あたしを手伝ってくれる大臣や騎士たち、何より民に認めてもらわなくちゃ、みんな付いて来てくれないわ。『王とは人の上に立つ者ではない。人の前に立って彼等を導く者だ』……エリックの言ってたこと、今なら少し分かる気がする」

「ではアリエス様は、その言葉についてどうお考えで?」

「王は、より良い国を作るためにみんなをまとめる人のことで、必ずしも上に立つ必要はないわ。それに、人の上に立つってことは、その人たちを支配するってことだもの。そんなの窮屈だわ。……でも、たくさんの人を王が一人でまとめることは出来ないわ。目が行き届かないもの。でも、その中心である王がしっかりしてないと、みんなバラバラになっちゃう。それに、王が知らないところで勝手なことをする人も出てくるわ」

「それを防ぐには?」

「……もっと、いろんなことを勉強しなくちゃいけないわ。国のこととか、政治のこと、経済のこと、他の国との関係のこと。……難しくて嫌いだけど。でも……民が笑って過ごせる国を作るためには、世界を見て回るのと同じくらい、本での勉強も必要なことなのよね……難しくて嫌いだけど。これがあたしの答えよ!」


 たどたどしくはあったが、自分の思いを、答えを、言葉にすることが出来た。この宿題を出されてから今まで、陰鬱とした気分で過ごしていたこともあり、何とも言えない清々しさを感じる。

 大きな達成感を得て満足げなアリエスを見て、エリックはそっと笑みを零す。最後の二つの「難しくて嫌いだけど」は減点だが、勉強の必要性は理解出来たようだ。満点は与えられないが、合格点には到達している。


「それでは、アリエス様の理想の国を作るために、これからも勉強に励んでいただきましょうか」

「……はぁい」


 不満げに頬を膨らませるが、それ以上の文句を垂れることはなかった。たったこれだけだが、目を見張る程の進歩だ。エリックもまた満足げに笑みを深める。

 その時、アリエスはあることを思い出す。


「そういえば、エリック。次はアスティリア王国に行くって言ってたわよね? でもその前に、行きたいところがあるの」

「行きたいところ、ですか……?」

「ええ、アルテミスと契約して行きたいの。昨日の夜、夢に見たの。あれは絶対に、あたしを呼んでるのよ!」


 アリエスはそう力説するが、エリックは難しい顔をするだけだった。

 光の聖獣アルテミスは、千年前の古の大戦以降、契約実績が無い聖獣だ。加えて、その居場所も分かっていない。謎に包まれた聖獣の一体なのだ。

 それはアリエスも分かっている。そのため、必死に夢の内容を思い出していた。


「深い霧の中に孤島があって……その島の森の中に神殿があって……その神殿の奥に、アルテミスがいたのを見たの。ねえ、何か知らない?」

「そうですね……霧の中の孤島の噂は以前、ポートピアで聞いた覚えがありますが……。まずは、イリアさんたちにも話してみましょう。ユグド大陸のことなら、私たちよりも詳しいでしょうから」

「そうね、そうしましょう!」


 アリエスは椅子を飛び降り、急いで部屋を後にする。その後ろ姿を見てエリックは一人、眉間にしわを寄せた。深く考え込む彼に彼女から声が掛かると、表情を戻して後に続くのだった。

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