第24話 静かな闘志

 その日の夜のこと。彼女は夢を見ていた。

 波も風も無い、静かな海。だが辺りは、一寸先も見えない程の濃い霧に覆われている。ふらりと立ち入れば最後。たちまち方向感覚を失い、永遠に彷徨い続けてしまうだろう。

 すると、霧の中から小島が現れる。その大きさは、一日で周り尽くしてしまう程しかない。そこは一面を森に覆われ、人の気配も全く無かった。

 その森の中には、神殿が建てられていた。テルティスのガルデラ神殿のような、サラマンダーが祀られたイグニムス神殿のような、荘厳な空気。だが何年も手付かずのようで辺りは草木が生い茂り、純白の石壁はくすんでいた。元が立派な佇まいなだけに、なんとも勿体無い。

 そうして神殿の中へ入り、階段を降りて行く。石壁に圧迫感を覚えるが、通路は意外に広い。魔物に遭遇して戦闘になっても問題は無いだろう。

 迷路のような通路の先にあったのは円形の広間。天井は高く、床には数えきれない程のタイルが敷かれていた。子供の身長はあろうかという正方形のタイルだ。

 広間の奥にある階段から、さらに地下に降りて行く。再び広がる迷路の突き当たりにも同様の広間があった。違うのは祭壇が設けられ、その向こうの台座に一振りの剣が刺さっていること。聖剣エクスカリバーによく似ているが、放つ空気はどこか禍々しい。

 その時、剣の後ろで光が生まれた。光は次第に大きくなり、強さも増していく。そうして目も開けていられない程になると、一瞬にして弾け飛ぶ。光の粒が降り注ぐ中に現れたのは、純白の鎧を纏う戦乙女だった。




 ぼんやりとした灯りが続く通路。そこからは生気が全く感じられず、酷く冷たい雰囲気に包まれている。

 そこに現れたのはシュシュリー。彼女が足を進める度、鮮やかな桃色の髪が揺れる。そしてふと立ち止まり、短く息を吐いた。


(一体、何を考えているのやら……)


 彼女の呆れの矛先はルーシェル。彼と会っていたところを、こともあろうに王宮の人間に見られてしまったのだ。にも関わらず、彼は動こうとしない。問題はそこにある。

 こうして彼女たちの存在を認知する人間が増えていけば、それだけ邪魔が入りやすくなる。それに気付かぬ程、頭の悪い男ではない。逆に、頭が切れるが故に考えが読めないのだ。


「面倒臭いね……」

「何がだい?」


 突然、隣から声が掛かる。セバスチャンだ。それが分かると、シュシュリーの口から鬱陶しげなため息が漏れる。そして彼女は、足早にその場を後にした。

 だが、そんなことで諦めるような彼ではない。すぐに彼女に追い付くと、余裕を持った態度で歩みを合わせる。それどころか、肩を抱ける距離にまで接近した。

 しつこく付き纏う彼に嫌気が差した彼女は、険しい眼差しで一瞥をくれる。そして冷たい口調で突き放した。


「付いて来ないで。本当にウザいんだけど」

「そんな訳にはいかないよ。僕もこっちに用があるんだからね。ところで、何が面倒臭いんだい?」

「アンタもルーシェルも! あたしたち、あっちでは影の存在だってこと自覚してないでしょ。これ以上余計な面倒事増やさないでよね。そのしわ寄せは全部、アイツ等を監視してるあたしに回ってくるんだから。ていうかアンタ、こんなとこでサボってる暇あるの?」

「サボってるなんて酷いな。あの研究だったら問題無いよ。実験も順調に進んでいるしね。それに、さっき君が言った通り、僕等は影なんだ。そう簡単には捕まえられないよ。……まあ、それもあちらの御曹司次第だけど」


 セバスチャンにひらりとかわされ、シュシュリーの眉間に深いしわが寄る。それに合わせ、眼光の鋭さも一層に増した。

 だが、それを受けてもなお、彼の薄ら笑いが引くことはない。自信に満ち溢れる笑みは、感情的になる彼女の様子を楽しんでいるかのよう。


「……アンタと話してると、ホント腹立つわ」

「そうかい? 僕は楽しいけど」


 にっこりと笑みを向けるセバスチャン。シュシュリーは彼を睨み付けると、無言で空間の歪みへ消える。そんな後ろ姿に彼は独り、肩を竦めるのだった。




 ひっそりと静まり返る城内。窓からは柔らかな月の光が差し込み、シャンデリアに反射する。そして広い室内に置かれたクイーンベッドには、二人分の膨らみ。

 その時、一人が掛け布団を跳ね上げ、上半身を起こした。小さな影は己の体を抱き締めるように腕を回している。その体はカタカタと震えていた。


「ん……アウルくん……?」


 突然起き上がったことを不審に思い、隣で寝ていたジュリアも起き上がる。だが、尋常でない様子のアウルを目にした瞬間、その顔色を変えた。彼の肩に手をやり、怯えきったその顔を覗き込む。


「アウルくん、どうしたの? アウルくん」


 彼の茶色の目は大きく見開かれ、体は目に見えて震えていた。また、半開きの口は何か言葉を発しようとしているようだが、肝心の声は喉に詰まっている。呼吸もままならないようだ。

 過度の精神的な不安から、過呼吸を起こし始めている。顔を引き締めたジュリアは、呼吸を落ち着かせようと懸命に対処する。恐怖で苦しむ人が目の前にいる。それを救いたい。その一心だった。

 しかし改善の気配は見られない。そしてついにアウルは頭を抱え込み、蹲ってしまった。彼女の目に涙が滲む。


「アウルくん、アウルくん……!」

「――が……こわい――が――」

「え?」


 アウルがか細い声でうなされている。だが、何を言っているのか聞き取れない。ジュリアは神経を研ぎ澄まし、声を拾おうと耳を傾けた。もしかしたら、彼が何かを望んで発しているかもしれないのだから。

 だが、聞こえてきた言葉は、現状を打破するようなものではなかった。


「こわい……こわいものが来る……こわいよ……助けて……!」

「こわい、もの……?」


 ジュリアは首を捻る。彼は何を怖がっているのか。だが、部屋の中には恐怖の原因となるようなものは見当たらない。周囲の気配を探ってみるが、いつもと何ら変わらない。

 しかし、彼のこの怯えようを見れば、城内に何か異変があったことは確かだ。一体、何が起こっているのだろうか。彼女もまた、底知れぬ不安に陥っていたのだった。




 エリュシェリン王国の小さな田舎町。その宿の一室を取ったアイラは窓を開け放ち、ぼんやりと外を眺めていた。空には満天の星空と、眩しい程に輝く月。澄んだ空気は星空を美しく魅せるというのは本当のようだ。

 ふと、ベッドのサイドテーブルに置かれた指輪を手に取った。手の中で転がしてみたり、月の光にかざしてみたり。何かを確かめるように弄ってみる。

 その時、月の表面に鳥の影が映った。それは次第に大きくなる。よく見てみれば、ホークアイの姿だった。彼は窓際で羽を休め、首を傾げる。


「何してるの? 姐さん」

「いや……何でもない」


 緩やかに首を振ったアイラは、思考の海に意識を沈める。つい先日に感じた、不思議な感覚を思い出していたのだ。

 サムノアに住む考古学者、ネルソン=ミュートル。空間の歪みの原因を探るために彼を訪ねた時、この指輪を託された。彼女が持つべきもののような気がする、という理由で。

 確かにその言葉の通り、この指輪を一目見た時、不思議な感覚に陥った。長い間探し求めていた物に辿り着けたような。見えない何かに引き付けられるような。その感覚は、とても言葉では言い表しきれない。

 だが、今はどうだ。そんなものは全く感じられなかった。


「ん……?」


 指輪に埋め込まれた乳白色の石。それが僅かに光ったように見えたのだ。だが、持っている角度によって、月の光が反射しただけかもしれない。ただの見間違いかもしれない。そう思ってしまう程に一瞬の出来事だった。

 その時、窓から吹き込む風が彼女の頬を撫でた。最初は軽かったそれが、次第に強さを増していく。

 窓を閉めようと手を伸ばした、次の瞬間。彼女は思わず息を呑んだ。


「姐さん?」

「今、声が……」


 風に乗って、声が聞こえた。その優しいテノールは聞き覚えがある。同時に思い出すのは、どこまでも続く緑の絨毯と澄んだ青空。そして、光を受けて輝く白銀の髪の青年。昔からよく見ていた夢の光景だった。

 だが何故、今その声が聞こえるのか。そんなことを思う暇も無く、声は語り続ける。


「あの人が動く? 早くしなければ、手遅れになる……?」

「え?」


 アイラの肩に止まったホークアイは、不思議そうに首を傾げる。彼の視線の先。彼女はぼんやりと窓の外を眺めていた。




 ふと、アリエスは目を覚ます。おもむろに体を起こすと、そっと目を閉じた。

 思い浮かべるのは、先程まで見ていた夢の内容。いつもは朧げにしか覚えていないのに、今回は違う。鮮明に覚えていた。まるで、夢が何かを訴え掛けているかのようだ。

 濃い霧が立ち込める海。浮かび上がる孤島。森の中の神殿。その最奥の祭壇の向こうには一振りの剣。そして、光の中から現れた純白の戦乙女。


「あれは……光の聖獣アルテミス」


 その姿は文献の中でしか見たことがない。だが、自分の心がしきりに訴えている。あれは確かにアルテミスで、自分を呼んでいる、と。

 夢と現実の間で微睡んでいた、その時。嫌でも意識が覚醒させられた。どこからともなく現れた敵意。突き刺さる殺気。

 ベッドを飛び出し、一点の闇を見据える。そして、挑発するように口元を引き上げた。


「あたしに一体何の用? そんなに召喚魔法の的になりたいの?」

「お前一人で何が出来る。召喚魔法は高い集中力が必要なのだろう?」


 闇の中から聞こえた男の声に、言葉を飲み込む。何も言い返せなかった。召喚魔法の詠唱には高い集中力を要するため、どうしても無防備になってしまう。そのため、仲間が敵を引き付けている間でないと発動出来ないのだ。

 その時、ゆらりと影が動く。現れたのは、漆黒のローブを纏った人物。だが、目深いフードのせいで、人相は分からない。

 それを目にした瞬間、彼女のルビーレッドの目が見開かれた。情報屋ヒースの言葉を思い出したのだ。祖国を貶めようとする者たちのことを。

 怒りに震え、黒い影を睨み付ける。


「あんたたち、何者なの? 何が目的!?」

「お前が知る必要はない」


 そう言って、ローブの袖口からナイフを取り出した。鈍い光を発する刃。

 男がゆっくりと構える中、警戒して体を強張らせる。それとほぼ同時に、ハッと後ろを振り返った。

 突如として背後に現れた殺気。目に飛び込んだのは、影から躍り出た人影。片手にナイフを握り、振りかざしている。敵は一人だけではない。二人だったのだ。


「きゃああああああっ!」


 間に合わない。斬られる。悲鳴を上げた、次の瞬間。アリエスの周囲に青白い光が浮かび上がる。足元には転移魔法の魔法陣。その間にも光が強まり、すっぽりと彼女を覆い隠す。そして光が弾けた瞬間、忽然と姿が消えていた。

 予想外の展開に、襲撃者の間に動揺が走る。だが素早く冷静さを取り戻すと、彼等の周りの空間が揺らぎ始める。しかし次の瞬間、それは次第に収まっていった。


「くそっ、どういうことだ……転移出来ない……!?」


 その時、室内に再び青白い光が生まれ、魔法陣が浮かび上がった。光は次第に強くなっていき、その中に男性の姿が現れる。光が弾け、ゆっくりと開いた瞼から覗く空色の瞳は、酷く冷たい光を宿していた。


「悪いが、相殺させてもらった。これで逃げ場はない」

「相殺だと!? 何故貴様が……!」

「何故? ……そうか、お前たちは俺のことを知らないのか」


 凛とした声が響く。魔法陣の光が消えたところに立っていたのはエリックだった。

 彼は襲撃者二人を見つめ、ため息交じりに吐き捨てる。


「それにしても、まさかここでアリエスを襲って来るとは思わなかった。だが、気配の消し方が雑なところを見ると、大した実力も無いようだな。俺も見くびられたものだ」

「っ貴様……!」


 漆黒のローブを纏った男が声を荒げる。

 だがエリックは、それを冷静に一瞥しただけだった。


「お前たちのような下っ端に聞くだけ無駄だと思うが、一応聞いておこうか。今回の目的は何だ?」

「ふん。そう簡単に吐くと思うか」

「もちろん、思っていない。吐き出させるさ」

「貴様、黙って聞いていればぬけぬけと……!」


 唯一見える口元から、歯軋りの音が鳴る。次の瞬間、一人が言葉を発する前に攻撃に転じていた。アリエスに斬り掛かった人影だ。

 それは一瞬にしてエリックの死角に回り込み、ナイフを掲げる。そして振り下ろそうとした、その瞬間。息を呑んだ。完全に背後を取ったにも関わらず、彼に姿を捉えられたのだ。

 エリックは左手に剣を召喚すると、ナイフを打ち払う。そして振り向きざまに魔力の衝撃波を放った。もう一人も飛び掛かって来ていたのだ。二人の攻撃を易々とかわし、ため息交じりに吐き捨てる。


「言っただろう? 気配の消し方が雑だ、とな。それではいくらやっても無駄だ」

「く……っ」

「さて、そろそろ吐いたらどうだ。お前たちでは俺には勝てない」


 静かに剣を向ける。その顔に表情は無い。これは脅しではなく、最終宣告。それを表すように、足元に魔法陣が浮かび上がる。そして光が溢れると共に、彼の周囲が帯電し始めた。彼の魔力が増幅しているのだ。

 じりじりと間合いを取って様子を伺っていた二人が一斉に動き出す。と同時に、彼もまた素早く呪文を詠唱する。すると室内は目を開けていられない程の光に包まれたのだった。




 城内にただならぬ気配を感じ、イリアは飛び起きる。エクスカリバーを手に取り、気配を探っていた、その瞬間。近くの部屋から上がる悲鳴が耳をついた。


「アリエス!?」


 駆け出そうとすると同時に、室内に青白い光の魔法陣が浮かび上がる。そこから生まれた光が集まりながら人型を成すと、アリエスが姿を現した。

 彼女は悲鳴を上げたまま、身を庇うように腕で顔を覆う。だが、いつまでも斬撃が無いことで不審に思ったのか、腕の間から周囲を見回した。そしてすぐに、違う部屋にいることに気付く。


「……え? あれ?」

「アリエス……!」

「イリア? イリアー!!」


 涙を滲ませながら、アリエスはイリアの胸に飛び込む。状況は掴めないが、光を反射するナイフが降り掛かる恐怖から解放され、一気に力が抜けたのだ。

 アリエスに聞きたいことは山程あるが、彼女が無事だったことは喜ばしい。イリアは思わず頰を緩めた。

 不意に、強烈な殺気が部屋を覆う。震え出したアリエスをしっかりと腕に抱き、部屋の中心を見据える。エクスカリバーを持つ手に力が籠り、徐々に心臓の鼓動が速まっていく。

 すると、イリアの視線の先で空間が揺らぎ始めた。そして歪みは、次第に人の大きさまで広がっていく。


「よお、久しぶりだな」


 歪みから歩み出たのは、漆黒のローブを纏う男。目深なフードから唯一見える口元は、狂気の笑みを浮かべている。


「さあ、あの日の続きといこうぜ。騎士サマ」


 男は岩のような腕で剣を肩に担ぎ上げ、挑発的な視線をイリアに向けた。

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