新たな光と闇の急襲

第23話 歴史の裏側

「ここがサムノアか」

 年季の入った木製の門をくぐり、アイラは観察するように辺りを見回した。

 今いる場所から真っ直ぐに進んだ先、街の中心に建つのは、色褪せた古い教会。そこへ繋がる大通りは多くの人が行き交い、その脇には赤茶色のレンガ造りの建物が並んでいた。また、あちらこちらで煙突から煙が上がっている。

「古い感じの街だけど、それなりに人は多いんだね」

「ここは水と土に恵まれているから、昔から陶磁器の生産が盛んなんだ。だが、こんな職人の街に学者がいるとはな」

 それは言い換えれば、色の違う職の人間は見付かりやすいということ。その上、目当ての学者はかなり気さくな男性らしい。住民との接点も多いと予想される。

 まず手始めに、教会で彼に関する情報を集めることにした。このような比較的小さな街では、大抵の情報が教会に集まって来るものだから。

 店先の陶磁器を眺めながら歩いて到着した教会は、規模は小さいながらも隅々まで手入れが行き届いていた。広場のあちこちに設けられた花壇の花も美しく咲いている。その傍らには、ガルデラ神殿の神官服を着た女性。

「作業中に申し訳ない。一つ聞きたいことがあるんだが、お時間よろしいかな?」

「はい、何でしょう?」

 箒を持つ手を止めた女性は、ふと顔を上げる。そうして目が合うと、アイラは彼女に歩み寄りながら口を開いた。

「この街にネルソン=ミュートルという男が住んでいると聞いて来たんだが、どこに行けば会えるか、ご存知ならば教えて欲しい」

「ミュートルさんでしたら、ここから北に行ったところにいると思いますよ。もしかして、遺跡調査の依頼か何かですか?」

「そんなところかな。どうもありがとう」

「どういたしまして」

 女性のにこやかな笑顔に見送られ、アイラは踵を返す。そして、広場から何本も延びる石畳の道を、北の方へと進んで行った。

 彼女も最初はそれを信じて進んでいたが、次第に建物が減り、土を掘り出した跡が目立つようになる。そこでは何人もの作業員が、陶磁器の材料となる土を運び出していた。

 工事現場と考古学者。この二つがどうにも結び付かないと思っていた、ちょうどその時。遥か前方に、しゃがみ込んで作業をしている人影が見えた。

「姐さん、きっとあの人だよ! 他の人とちょっと違うしさ」

 ホークアイの言葉に同意し、アイラは人影に近付いて行く。それは中年手前の男性だった。顎に生える無精髭が、彼女の眉間にしわを作る。作業着も土で汚れ、こまめに洗濯しているかどうかも怪しい。

 彼女がさらに近付くも、彼はその存在に気付く素振りも見せない。

「すまない、貴方にお聞きしたいことがあるんだが!」

 アイラの語気を強めた問い掛けで、男はようやくのそりと頭を上げた。呆気に取られた顔を、隣に立つ彼女に向ける。

 そうして彼等の間に幾らかの沈黙が流れた後、彼は頬を掻きながら、戸惑ったように声を上げた。

「えーと……僕に何か?」

「ネルソン=ミュートルという男性を捜してこの街に来たんだが、もしや貴方がそうなのでは?」

「ああ、確かに僕がネルソンだけど、貴女は?」

「私はアイラ=スティングレイ。テルティス聖騎士団に所属する魔術師です。古の大戦のことについて、貴方が第一人者と聞いています。お話を聞かせてもらえませんか?」

 するとネルソンは、小さく唸りながら頭を掻く。渋るような態度を取っていたかと思えば、意外にもあっさりと頷いた。

「いいよ。そろそろ休憩しようと思ってたし。僕の研究室でいいかな?」

「もちろん。ご協力感謝します」

「そんな堅苦しくしなくていいよ。肩が凝りそうな雰囲気は好きじゃないんだ」

 苦笑を浮かべるネルソンに曖昧な相槌を返しながら、アイラは彼の後に続く。その顔は僅かに強張っていた。彼が何気無く放った台詞で、ある顔が彼女の頭を過る。喧嘩別れした腐れ縁の男だ。

 彼女がそんなことを考えている間に、気が付けば、彼の研究所兼居宅に到着していた。助手を務める男女に迎えられ、ある一室へ通される。そして彼が扉を開けた瞬間、彼女の顔が先程とは別の意味で強張った。

 どこを見ても書籍や紙が散乱しており、足の踏み場も無い。しかも窓辺に放置されたものは、日に焼けて変色している。

「そこへ座りなよ。それで、どんなことを聞きたいんだい?」

 アイラの思考に気付くことなく、ネルソンは彼女の近くにあった椅子を指す。そして、じっと彼女を見つめた。

 一方の彼女は目を丸くし、慌てて意識を現実に引き戻す。それを悟られまいと、勧められるままに腰掛けながら、おもむろに口を開いた。

「戦争当時の様子が知りたいんです。戦況や社会情勢、何でも構いません。今は少しでも情報が欲しいんです。魔力を使わずに空間の歪みを発生させるからくりを解くために」

「空間の歪み、か……。その話を聞く限り、魔術師である貴女の専門のように聞こえるけど?」

「確かに、最初は何らかの魔術であると考え、シルビス連邦の図書館でしらみ潰しに調べました。ですが、それらしい情報は手に入らなかったんです」

「といっても、僕自身は魔術とか、そういう類のものに詳しい訳じゃないからな……結界魔術も聞きかじりだし。君があそこの図書館で調べても分からないなら、僕なんかではとても……いや、見方を変えればだからこそか。もしかしたら、テグラス側の技術なのかもしれない。それなら、いくら調べても情報が出ないのも頷ける」

「そうか……その可能性があったか。それなら辻褄も合うな」

 ネルソンの言葉に、アイラは深く頷いた。

 古の大戦時、人工的に生命を造り出す技術を持っていたとされるテグラス。彼等ならば、魔力を使わずに転移する技術を生み出していてもおかしくない。また、戦前から激しい弾圧を受けていたこと、そして戦争の敗者となったことから、文献が残されていないことも説明がつく。

 ネルソンは小さく唸りながら、記憶の糸を手繰り寄せる。「あ、」と口を開いて顎に手を添えたかと思えば、山積みの書籍の中から一冊を引き抜いた。その拍子に、崩れた山から埃が舞い上がる。だが彼は、それを気に留めることなく、興奮した様子であるページを開いて見せた。

「これは古の大戦で活躍した英雄の一人、アレン=フェルナンディーノの手記なんだけど、終戦頃に書かれた文章でこんな一節があるんだ。ちょっと読んでごらん」

「目の前が歪み、悲しみさえも呑み込んでいく。残されたのは虚しさだけだった……か」

「これは荒廃した大地を前に、戦争の愚かさを嘆いていると思っていた。でも、今になって違和感に気付いたんだ」

 奥歯に物が挟まったような、はっきりしない物言い。彼の言わんとすることが見えず、彼女は怪訝そうに顔をしかめる。

 そんな彼女にネルソンは、得意げに笑みを浮かべる。そして表情を崩すことなく言葉を続けた。

「彼はこの手記の至る所で戦争に対して疑問や憤りを記しているけど、そこ以外で悲しみについて触れているところはどこにも無いんだ。悲しいなんて単語はもちろん、それに通じる言葉もね」

「ということは、これは彼の感情を表したものではなく、客観的事実を記した一節……っ、そうか!」

「そう! 古の大戦の時にも、貴女の言う『空間の歪み』が発生していた可能性があるってこと!」

 彼の笑みが深まる。清々しいまでのそれにつられ、アイラの鼓動も僅かに速まっていった。

 だが、間もなく彼女の興奮も徐々に鎮まっていく。これによって、更なる疑問も浮上してしまったのだから。

「ならば何故、そのような記述が他の文献からは出てこないんだ? これについて、ミュートルさんはどう思われますか?」

「そうだね……その技術を後世に残すことは、ルーニアンにとって都合の悪いことだったのかもしれないね。表の歴史を作るのは、いつだって戦争の勝者だから」

「なるほど……だが困ったな。もしそうなら、現存する文献からの情報収集は絶望的だぞ。彼等の末裔にでも会えれば別なんだが……」

「それも難しいね。謀反の首謀者や幹部を中心に有力者は戦犯として処刑されてるし、残党は散り散りになって歴史から消滅してしまったんだから」

 アイラの眉間にしわが寄る。あと一歩のところまで近付いかと思えば、その分だけ答えが遠退いてしまったのだから。

 それとは反対に、ネルソンは目を輝かせる。まるで子供のように、好奇心に満ち溢れていた。

「でもこれは、歴史的発見だよ! そうだ、貴女は聖騎士団の所属なんだよね? 貴女のつてで、僕も封印の書を読ませてもらえないかな……なんて駄目だよね」

「……封印の書?」

「知らないのかい!? やっぱりそんなものは無いのかな……。実は僕たちの間で、古の大戦について光の巫女にのみ継承される禁書があるって噂があるんだ。一度は拝んでみたいと思ってたんだけど……」

 深いため息を吐きながら、がっくりと肩を落とすネルソン。アイラとホークアイは顔を見合わせ、首を傾げた。

 彼女がテルティスに住むようになって十年近く経ち、その間ずっとヘレナと共にいた。だが、そのような文献があるなど聞いたことがない。

(もしかしたら、ルナティアなら知っているかもな。一度、テルティスに戻るか)

 アイラは立ち上がると、落胆のあまり、いつの間にか頭を抱えていたネルソンを見下ろす。そして声を掛けようと口を開きかけた、まさにその時。視界の端で何かが光っているのが見えた。

 そちらを振り向くと、テーブルの上に古い指輪が無造作に置かれていた。くすんだ銀とは対照的に、乳白色の石は真新しささえ感じられる。それに光が当たり、アイラの顔に反射していたのだ。

 引き寄せられるように踵を返し、そっと持ち上げた、その瞬間。熱が体中を駆け巡る。それは、魔術を発動させる際の感覚によく似ていた。同時に感じるのは、言葉では言い表せない懐かしさ。

「それは昔、ここから少し行った洞穴の奥で見付けた指輪だよ。作られた年代は古過ぎて、僕でも分からない。でも何故か、それを持ってると魔物が寄って来なくてね。遠くの遺跡の調査に出掛ける時は、魔物避けで身に着けてるんだ」

 言いながら、ネルソンは彼女と指輪を交互に見る。しばらくすると彼は、思いきったように声を上げた。

「もしよかったら、それ、あげるよ」

「ですがこれは、貴方の研究用の遺物では?」

「そうなんだけど、何て言うかな……それは貴女が持つべきもののような気がするんだ。なんとなく、ね」

 朗らかに笑うネルソン。その様を見つめていたアイラは、おもむろに指輪に視線を落とす。不思議な力を発するそれは、彼女の意識をしっかりと掴んで放さなかった。




 街中に張り巡らされた水路に沿って、土壁の建物が並ぶ。その街の中央を走る大通りから外れ、曲がりくねった道を進む男の影。しばらくして、影はある扉の前で止まり、押し開けた。

「あれ、カインじゃないか。久しぶりー」

「久しぶり、アベル」

 にっこりと笑うアベルとは対照的に、表情を変えること無く挨拶を返すカイン。元々が表情豊かなタイプではないが、それと比較しても、今日の彼は顔が固い。何か胸につかえがある時の顔だということを、彼の従兄のアベルは瞬時に察する。

「今日はどうしたのさ?」

「うん……実は、気になることがあってね。アベルなら何か知ってるかもしれないって思って」

 カインは顎に手を添え、目を伏せる。先日の出来事を頭の中で巡らせながら、彼は静かに口を開いた。

 その日、カインは朝から倉庫の整理をしており、食堂で遅い昼食を取り終えて戻っていた。

 作業場である倉庫は、王宮の中でも奥まったところにある。加えて周囲には、全く使われていない部屋や、騎士団等が倉庫として使っている部屋が並んでいる。普段から人が通ることは滅多に無い。

 だが、その日は違っていた。廊下から望む中庭に、二人組の男女が立っていたのだ。彼は咄嗟に窓枠の外に身を潜め、彼等の方を窺った。

 男の方は、彼がよく知る顔。国王の右腕であるルーシェル=ゴルドー。一方、女の顔は見たことが無かった。だが、彼女の桃色の髪は珍しく、彼の目を引き付ける。

(何を話しているんだ?)

 彼等からは見えていないと思いつつも、何故か息が詰まる。そして次の瞬間、彼はギクリと肩を揺らした。一瞬だが、身を翻したルーシェルと目が合った気がしたからだ。

 それが引き金となり、苦しい程に心臓が暴れ回る。全身からは一斉に汗が滲み、足も震え出した。

(ヤバい……早くここから離れないと!)

 彼は急いで踵を返し、一目散に駆け出す。早々に息が上がったことに気を留める余裕も無く。ただひたすらに、忍び寄る恐怖から逃げていた。

 彼の話にじっと耳を傾けていたアベル。すると彼は、重い口を開く。

「カインは本当に、そんな色の髪の女を見たんだね?」

「見たよ。あんな色、一度見たら忘れないよ」

「そうか……そうだよね……」

 アベルの飄々とした顔が険しいものへと豹変する。と同時に、彼の周囲に重苦しい空気が漂い始めた。

 そんな彼の様子は、カインに事の重大さを容易に想像させた。彼ならば何か情報を持っているかもしれない。そんな程度の気持ちだったが、それが嬉しい誤算である可能性が出てきたのだ。逸る気持ちを必死で抑え込む。

「もしかして、何か情報を持ってるの?」

「ああ、まあ……ね。ちょっと気になる情報があるんだ」

 彼が発する空気に触発され、言葉と共に唾を飲み込む。そして声が掠れるのを意識の遠くで感じながら、彼に続きを促した。

「実は……テルティスのガルデラ神殿を襲った犯人グループの中に、そいつと同じ色の髪の女がいるらしいんだ」

「え? それって……!」

 目を見開くカインに、アベルは静かに頷く。するとカインは、明らかな動揺を見せた。

 王の右腕が重罪人と関係を持っている可能性がある。それは国の内外を問わず、絶対に知られてはならないことだ。このままでは国の信用は失墜し、再び混乱の時代に突入しかねない。

 それを防ぐためには、どうするべきか。カインは素早く思考を巡らせ、あらゆる道の中から一つを選び出した。

「……ねえ、アベル。この情報はしばらく二人だけの秘密にしておきたい」

「そうだね。ボクもそれがいいと思う。そうと決まれば、こっちでも調べてみるけど……もし彼が黒だったらどうする?」

「犯罪者として捕らえる。決まってるだろ」

 カインとアベルの密談が続けられていた、ちょうどその時。窓から室内を覗く人影があった。日の光をことごとく吸収する漆黒の髪と、同色のローブ。血のような紅の瞳は、二人の姿をしっかりと捉えている。

 しばらくすると人影は、ふわりとローブを翻す。そして音も無く建物の影へと消えた。一陣のつむじ風を残して。

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