第13話 出会いは突然に

 不意に立ち止まり、ぼんやりと窓の外を眺める。参拝者を出迎えるアーチ状の門の向こうには、大通りを挟むように、白を基調とした家屋が波のように建ち並ぶ。


「見送りに行かなくてよかったのですか?」


 突如として聞こえた声に、内心は慌てて振り返る。するとそこには、優しげな笑みを浮かべたルナティアの姿。静かに並んだ彼女は、窓の外へ視線を向けた。


「……気配を消して近付くなんて、随分と悪趣味なことをしますね」


 不機嫌そうな声の主に、彼女は視線を向ける。そして、にっこりと微笑んだ。


「そんなに気を悪くしないでくださいな。ちょっとした悪戯ですわ。でも、エドワードくんにも気付かれないなんて、私もなかなか捨てたものではありませんわね」

「それで? 何のつもりですか?」

「友人の出立だと言うのに、見送りに行かなくてよかったのですか?」


 質問を質問で返され、エドワードは眉間のしわを深める。だがルナティアは、そんな彼に構わず言葉を続けた。


「もしかして、喧嘩でもしたのかしら? お姉さんが仲裁に入って差し上げましょうか」

「余計なお世話です」

「それとも、何か悩みごとでも? ジャッキーくんやジュリアには話せなくても、年上の私なら力になれるかもしれませんわよ」

「貴女もしつこいですね。俺のことは放っておいてください」


 頑ななエドワードに、ルナティアは苦笑を浮かべる。そして彼女は市街地の屋根の波を見下ろし、目を伏せた。


「……ジュリアが最近、ずっと上の空なんですの。いえ、何か酷く思い詰めている、と言った方がいいかしら」


 その瞬間、僅かにエドワードの顔色が変わる。何の感情も映さなかった瞳が揺れる様は、明らかに動揺を示していた。

 それは見逃してもおかしくない、本当に些細な変化。だが、人一倍洞察力に優れたルナティアは、それを見逃さない。揺れ動く彼の心に訴えかけるように彼女は続ける。


「今回、あの子を送り出したのも、それが理由の一つなんですの。外の空気に触れることで、少しでも頭を切り替えられたら……と思いましてね。そして原因は、おそらく貴方」

「……だったら何なんですか?」

「今のままでは、あの子が帰って来ても、同じことの繰り返し。それではいつまで経っても成長出来ない。腕は良いのに勿体無いですわ。だからつい、お節介を焼いてしまいたくなるんですのよ」


 瞬きもせずに見つめてくる視線に、エドワードは居心地の悪さを感じる。まるで、心の中を見透かそうとしているかのよう。しかし彼は、何も言い返すことが出来なかった。

 沈黙が続く中、彼は気まずそうにそっぽを向く。そして逃げるように、その場から立ち去ってしまった。


「……本当に、何を考えているのかしら?」


 不意に、大きなため息が一つ。ルナティアはエドワードが去った後を見つめ、小さく呟いたのだった。




 テルティスを発って数時間。アクオラに到着したロメインたちは、神騎士団の詰め所を借りて乗船の時間まで体を休めていた。


「ジュリア……もう少し早く移動出来んか? これでは、いつ王都に着けるか……」


 出されたお茶を飲み干し、一息つくロメイン。気持ちは既に海の向こう。

 だがジュリアは、首を振るばかり。苦笑を滲ませながら、彼をじっと見つめた。


「ロメイン副団長のお気持ちは分かりますが、退院されたばかりなんですよ? ルナティアさんも言っていたじゃないですか。無理はさせられないって」

「む……だがな……」


 唸るロメインに、周りからも苦笑が上がる。そして空になったコップを下げながら、一人の騎士がぽつりと呟いた。


「それにしても残念です。もし副団長がお元気なら、事件捜査の指揮を取っていただけたかもしれないのに」

「事件……?」

「ここ数日、子供の誘拐事件が横行しているんです。誘拐された子供たちは裏で売買されている、なんて噂も聞きますし、なんとかして犯人を捕まえたいのですが、アジトが特定出来なくて」

「子供たちが? そんな、可哀相……わたしたちも何かお手伝いが出来ればいいのに……」


 ジュリアの目が悲しそうに伏せられる。どこかで震えている子供たちを、何とかして助け出したい。その手伝いがしたい。

 だが、船の出航まであと数時間。協力出来ることは限られる。解決しようなど到底無理な話だ。


「ありがとうございます。そのお気持ちだけ受け取っておきますよ」


 力無く微笑む騎士。そんなやり取りを、隣の部屋で聞いていた男がいた。そして嘲るように、その口元に笑みを浮かべる。


「何て言うか……ここの連中ってプライドが高い奴等ばっかだよなぁ。打つ手はたくさんあるってのに、それを無視して全部自分たちで解決しようってんだから。崇高というか、ご苦労様って感じ」


 久しぶりに顔を合わせたが、この友人は全く変わっていない。思わず苦笑を浮かべるが、彼はこんな性格だ。顔の広さで言えば、アクオラの詰め所で働く騎士の中では一番である。

 すると彼は、思い出したような声を上げ、身を乗り出した。


「そういえば、俺に聞きたいことって何だ?」

「この街の情報屋を紹介して欲しいんだ。ちょっと聞きたいことがあってね」

「ふーん……。まあ、ジャッキーの頼みだし、聞いてやってもいいけど、その代わり……」


 焦らすように、わざと言葉を切る。ニヤリと意地悪く笑う口元が、ジャッキーの背中に嫌な冷や汗を掻かせる。彼がこのような笑い方を見せた時は大抵、何かとんでもないことを考えているからだ。

 ジャッキーが気を紛らわせるようにお茶を喉に流し込んでいると、彼は笑みを携えたまま、一言。


「確かお前、クロムウェル団長と同じ演習チームだったよな。今度、俺に紹介してくれよ」


 いきなり予想外のことを言われ、激しくむせ返る。だが、彼の目は真剣だ。次第に焦りが生じ始める。


「お、お前……本気か……?」


 声がどもり、酷く戸惑うジャッキー。しばらくその様子を見つめていた彼は、唐突に抱腹絶倒し、目尻に薄っすらと涙を浮かべながら「冗談だよ、冗談!」と言い放った。


「お前な……俺をからかうのもいい加減にしろよっ!」

「しょうがねぇじゃん。だってお前、反応がいちいち面白ぇんだから。だがその様子じゃ、まだモノに出来てねぇみてぇだな……。しょうがねぇから、今度呑みながら女の落とし方を教えてやるよ。もちろん、お前の奢りで」

「奢りはいいけど、そっちは大きなお世話だ! そんなことより情報屋のことを……」

「ああ、そうだったな」


 小さく笑う彼の言葉に、真剣に耳を傾けるジャッキー。ロメインに時間までに戻ると告げ、アクオラの街中へ消えて行った。




 潮の香りが漂う、港の片隅の倉庫街。その一角に立ち尽くすのは、一人の青年。


「どう考えても、おかしいよな……」


 困惑したように頬を掻きながら、周囲を見回す。そして一人、苦笑を滲ませると、友人の言葉を思い出した。


『情報屋の名前はニコル=フラン。この街一番の情報屋だ。だが、裏通りの奥の奥にあってな……初めて行くなら迷っちまうかも』


 彼はそう言って軽く笑っていた。

 だが、いくら迷いやすいとはいえ、アクオラはテルティスよりも小さな街だ。迷うと言っても高が知れている。

 そう簡単に思っていたのが、そもそもの間違いだったのかもしれない。


「……確かに、道に迷ったよ」


 がっくりと肩を落とすも、いつまでもここで彷徨っている訳にはいかない。出航時間のこともある。せめて、道を間違えたと思われる場所まで戻らなければ。

 ジャッキーは踵を返し、来た道を戻って行く。その時、誰かの話し声が聞こえてきた。もしかしたら、作業員たちが船荷を取りに来たかもしれない。

 淡い希望を抱きながら、声のする方へ足を進める。しかし希望は、次第に疑惑へと変わっていった。声は港の奥へ、人の少ない方へと進んで行ったのだ。

 声が立ち止まると、ジャッキーは気配と足音を消して忍び寄る。影に身を潜めて辺りを窺うと、四人の男が立っていた。彼等の傍らには、腰の高さ程の木箱が置かれている。


「ここまで来ればいいだろう。早速、取り引きといこうじゃないか」


 男の一人がニヤリと口元を引き上げると、後ろに立つ男に合図をし、鞄を差し出した。取り引き相手と思われる男はそれを受け取り、中身を確認すると、鞄を手に二、三歩後退する。


「確かに金は受け取った。ソイツは好きなようにしてくれ」

「取り引き成立だな。だが、良い商売だよなぁ。ガキはちょっと脅せばすぐ大人しくなる。しかも労働力として申し分無い。笑いが止まらねぇよ」

「まったくだ。だがまぁ、今回はちょっと苦労したがな」

「騎士の連中が俺等のことを嗅ぎ回ってたからな……。ったく、奴等、鬱陶しいったらないぜ!」


 これで決定だ。奴等が子供の誘拐犯で、あの木箱の中身は、どこかで攫って来た子供。彼等の笑い声に、深い怒りが込み上げてくる。

 ジャッキーはポケットから煙玉を取り出すと、発火の魔術を唱えてのろしを上げる。だが、これだけでは足りない。のろしに気付いた騎士たちが駆け付けるまで、奴等を足止めしなければならない。


(さて、どうする……?)


 ここにいるのは自分一人だけ。正面から出て行っても勝つ自信はあるが、子供を人質にされては厄介だ。

 相手の気を引いて注意力を分散させ、畳み掛けるように捕縛する。そんな良い方法は無いものか。


(っ! そうだ……!)


 気配を消したまま、慎重に男たちとの距離を詰める。ギリギリまで詰めたところで、彼等の足元にそっと煙玉を転がした。そして発火の魔術を素早く唱える。


「なっ!? 何だ!?」


 男たちの周囲に煙が充満し、視界が消える。その中で混乱している隙を狙い、ジャッキーは飛び出した。


「ぐあっ!」

「おい、どうした!? 何があった!?」

「てっ、てめぇは……!? うぐっ」


 男たちに反撃の隙を与える暇も無く、次々と気絶させていく。あっという間に彼等全員が地に伏すと、強い潮風が煙を空高く舞い上げていった。


「やっぱり、大したこと無かったな」


 周囲の気配に鈍感な上、奇襲とも言えない罠にまんまと引っ掛かり、自分たちの持つ武器の存在も忘れて混乱する。その様子から、彼等は捨て駒の可能性が高い。

 だがとりあえず、目の前の子供は助けることが出来た。それだけでも成果は大きい。


「もう大丈夫だからな」


 驚かさないように声をかけながら、ゆっくりと木箱の蓋を外す。そして子供を抱き上げようと覗き込んだ、その瞬間。ジャッキーは何度も目を瞬かせた。

 子供は背を向けて蹲り、大きく震えている。だが、驚くべきはそこではない。髪の間から、犬のような獣耳が見えていた。

 恐る恐る手を伸ばし、そっと獣耳に触れる。その瞬間。


「っ!?」


 耳がピクピクと揺れた。

 ジャッキーは大きく肩を揺らし、慌てて手を引っ込める。子供もまた肩を揺らすと、勢いよく振り返った。

 揃って真ん丸く広げられた目が交わり、一瞬だけ時間が止まる。だがすぐに、子供は再び蹲ってしまった。もう触られないように、しっかりと耳を押さえて。


「う、動いた……よな、今。ま、まさか……本物……? え……え? で、でも……まさか、そんな……」


 声を震わせながら、状況を整理する。混乱する思考を必死に働かせる。そうして頭を過るのは、一つの可能性。


「まさか、獣人……? いや、待て待て待て待て。何でこんなところに獣人の子供が? いや、それよりも、獣人の子供なんてどうすればいいんだよ……」


 予想外の展開に、酷く困惑するジャッキー。急速に肩の力が抜けていくのが自分でも分かる。

 しかし何故か、子供から目を逸らすことが出来ないでいた。形容し難い感情が、彼の胸の中を占める。


「おい、大丈夫か!?」 


 顔を上げると、騎士たちが慌ただしく駆け寄って来ていた。その中にはジュリアの姿もある。彼女はジャッキーに怪我が無いことを確認すると、ホッと胸を撫で下ろした。


「良かった、怪我が無くて……」

「大丈夫だって。あんな奴等に後れは取らないさ。ロズウェル隊長、捕えた奴等はあそこです」

「あいつ等か……」


 視線で促すジャッキー。レイ=ロズウェルはそれを確認すると、男たちを詰め所に連行するよう、部下たちに指示を出す。その後、問題の木箱へと視線を移した。


「ところで、これは一体何が入っているんだ? な、何だ、こいつは……っ!?」


 レイが中を覗き込んだ瞬間、驚愕の声を上げる。尋常でない声色に皆の視線が集中する中、ジャッキーは静かに口を開いた。


「見ての通り、獣人の子供です」


 その途端、騎士たちが一斉にざわめき立つ。大方は動揺しているようだが、明らかに侮蔑の視線を送る者もいる。獣人と言えば、昔から『不浄で凶暴な生き物』と呼んで、蔑んでいるのだから。

 騎士の一人がレイに歩み寄ると、そっと耳打ちをした。


「隊長、どうしますか……?」

「そうだな……我々が獣人を保護する訳にはいかないし、このまま森に帰して人間を襲うようになっては困る」


 レイは獣人の子供をじっと見据えると、腰の剣を抜く。これに顔色を変えたのはジュリアだ。縋るように、慌てて飛び付いた。


「ちょっと待ってくださいっ! まだ小さな子供なんですよ!?」

「だが、こいつはあの凶暴な獣人なんだぞ? 我等の使命は、住民を守ることだ。分かるだろう」

「ですが……!」


 ジュリアの悲痛な叫びが響くも、レイを筆頭とした騎士たちの表情は険しい。彼女は助けを求めるようにジャッキーへ視線を移すも、彼は酷く困惑した様子で目を伏せているだけだった。

 ついに彼女の目から大粒の涙が零れ落ちる。どうすれば、この小さな命を守ることが出来るのか。

 だが、現実は厳しい。騎士の一人が彼女の腕を取ると、抵抗も虚しく、レイから引き離される。抑えるものが無くなり、レイは前へ歩み出た。

 もうだめだ。彼女が目を逸らした、次の瞬間。男の子の声が耳をつく。


「……やっぱり、人間は悪い人たちばっかりだ」

「何?」


 先程まで怯えていた獣人の子供が立ち上がり、振り返る。そして続けた。


「ボクたちが何をしたの? 何も悪いことしてないのに、どうして人間はボクたちをいじめるの? ママを……みんなを返してよ! ……人間なんて、みんな死んじゃえばいいんだっ!」


 深い憎しみが籠った瞳。男の子は勢いよく飛び出し、怒りのままレイに向かって行った。


「うわああああぁぁぁっ!」


 鋭く伸びた爪を一心不乱に振り回すが、相手は熟練の騎士。しかも、アクオラの詰め所の隊長でもある。体格差は明らかな上、錯乱した状態で敵うはずがない。

 レイは隙を突いて男の子を蹴り飛ばす。小さな体は軽々と宙に浮き、弧を描いて地面に叩きつけられようとしていた。

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