第12話 王都集結

 おかしなところなど何も無い大聖堂を、ジュリアは不審そうに覗き込んでいた。それが騎士として、どうしても気になってしまう。ジャッキーは頭を捻りながら、隣を歩く彼女を見下ろした。


「そういえば、本当……何を見てたんだ?」

「ええと……そ、そう! 猫、かな」

「は? 猫?」

「うん、そうだよ。きっと、ジャッキーの声に驚いて逃げちゃったんだよ」


 それでも納得がいかず、首を捻るジャッキー。だが彼女は、苦笑を浮かべるばかり。しばらくして諦めたように肩を竦めると、「そういえば」と話題を変えてきた。


「今度のエリュシェリン王国との合同捜査、ルナティアさんの代わりに行くんだってな。大抜擢じゃないか!」

「うん。どうしてわたしがって今でも不思議だけど……ルナティアさんが、わたしなら大丈夫って言ってくれたんだ。それに、イリアちゃんも頑張ってるんだもん。わたしも頑張らないと」

「ああ、そうだな。俺もジュリアなら大丈夫だと思うよ。それにしても、イリアか……今頃どこにいるんだろうな? あんまり無理し過ぎてないといいけど……」


 最後は呟くような小さい声。だが周囲の静けさもあり、しっかりと聞こえてしまった。

 そんな彼は困ったようで、そして優しい眼差しをしている。視線はどこか遠くを見つめており、穏やかそのものだ。

 イリアのことを話す時、決まってこんな表情を浮かべるジャッキー。そんな様子を見ると、思わず笑みが零れてしまう。


「……何笑ってるんだよ?」

「何でもないよ。でも、どうしてジャッキーがそのことを知ってるの?」


 彼女の素朴な疑問。彼は不機嫌そうな表情を影に潜ませると、にんまりと顔を綻ばせる。そして誇らしげに口を開いた。


「実は、俺も一緒に行くことになったんだ」


 嬉々とした彼の声が真っ直ぐ耳に届く。あんなに心細かったにも関わらず、幼馴染も一緒だと聞いた途端、それらがすっきりと流されていくのを、ジュリアは感じていた。




 夜の森は闇に包まれ、時折、何かの鳴き声がどこからともなく聞こえてくる。大人でも震え上がってしまう、不気味な空気だ。

 そんな中で佇む人影が一つ。その人物が身に着けているのは、闇夜に溶け込んでしまう漆黒のローブ。顔は目深いフードに隠され、表情はおろか、性別すらも分からない。

 不意に、草を踏み分ける音が聞こえる。人物は音のした方を振り返ると、恭しく頭を下げた。


「お待ちしておりました、――様」


 上がったのは、男の声。だが肝心の名前の部分は、木が風でざわめく音で掻き消されてしまった。

 と同時に、男に歩み寄る人影。こちらもまた、同様に漆黒のローブを身に着けている。そして、フードから見える形の良い唇が、僅かに動いた。


「計画の準備状況はどうだ」

「全て整っております。後は、貴方様のお声一つだけ……」


 後から現れたのもまた、男だった。従者の言葉を受け、主の唇に小さな笑みが浮かぶ。その時だ。


「おいおい、お前さんたち……オレ等のシマで何やってんだ?」

「これは立派な不法侵入だぜ? 通行料として、金目の物を置いてきな」


 下卑た笑みを浮かべながら二人を取り巻くのは、盗賊風情の男たち。それぞれが武器を片手に、徐々に距離を詰めて来る。

 そんな様子に、鬱陶しそうにため息を吐く従者。瞬く間に盗賊たちの空気が変わる。込み上げる不快感を隠しもせずに発せられる殺気は、今にも斬り掛かって来そうだ。

 だがそれでも、従者の空気は変わらない。それどころか、可笑しそうに喉を鳴らす始末。


「おい、てめぇ……この状況が分かってんのか?」

「それはこちらの台詞ですよ。そちらこそ、自分の力量を知りもせず……貴方たちみたいな人間を見ていると、虫唾が走るんですよ」


 従者の周囲に魔力の風が迸る。と同時に盗賊たちは武器を構えた。


「ナメやがって……! おい、てめぇら、やっちまえ!」


 頭と思われる男の声を合図に、彼等は一斉に武器を構える。だが。


「……か、頭?」


 盗賊たちの間に動揺が走る。頭の男が曲刀を頭上に掲げたまま、時が止まってしまったかのように動きを止めたからだ。

 そこに、やけに大袈裟なため息が響き渡る。


「貴方様が手を出さずとも……」

「お前の魔術は目立つ。場所を考えろ」

「は……申し訳ありません」

「さて、貴様等はどうする? この男と同じ末路を辿りたいか?」


 主は魔力を鎮める男を一瞥し、盗賊たちへと顔を向ける。その手には、月光に煌めく刃。白銀に輝く刀身から滴り落ちるのは、真っ赤な液体。

 主が赤を振り払ったと同時に響く、何かが倒れる鈍い音。その瞬間、盗賊たちに悲鳴が上がった。


「ひ……っ!?」

「お頭っ!?」


 倒れたのは、頭の男の体。彼の胴体と頭部は切り離され、草の上に無惨に転がっている。

 そうして湧き上がってくるのは、底知れぬ恐怖。腰を抜かす者や一目散に逃げて行く者など、取る行動は様々だ。


「た、助けてくれ……! っそうだ、他の奴から奪ったお宝、兄さんにやるから……!」


 腰を抜かし、震える唇で必死に命乞いをしてくる盗賊は、腰の革袋から宝飾品を差し出した。どこで手に入れたか知らないが、とても高価なものばかりだ。

 一方の従者は、気怠そうに主を振り返る。


「……と、言っていますが?」

「そうだな……」


 主は少しだけ考える素振りを見せた後、刃を一閃。命乞いをした盗賊を斬り裂いた。

 そして主は手を止めることなく、刃を煌めかせる。間もなくして、断末魔を上げる暇もなく息絶えた躯が、そこかしこに横たわっていた。

 むせ返るような血の臭いが周囲に立ち込める中、主は冷やかに一瞥する。


「逃げられた挙句、こちらのことを言いふらされては厄介だ」

「では、他の連中の始末は私にお任せください。話を元に戻しましょうか」

「こちらの準備は整っていると言ったな。奴等の方はどうだ?」

「アイラ=スティングレイは相変わらず我等の周りを嗅ぎ回っていますが、こちらは放っておいても問題無いかと。どうせ我等の元へは辿り着けないでしょう。そして、イリア=クロムウェルですが……サモネシア王国のアリエス王女と共に王都へと向かっています」

「なるほど、王都か……。ちょうどいい。奴等が王都へ到着する寸前に計画実行だ」

「畏まりました。セバスチャンたちには、私から伝えておきましょう」


 次の瞬間、従者は突如現れた蜃気楼の中へと、その姿を消した。残された主は従者が消えた後の空間を見つめ、不敵に口元を引き上げる。


「相変わらず、隠し事の上手い奴だ」


 そうは言ったが、従者が何を隠しているかまでは分からない。だがもしも、計画に支障が出るならば、その時はこの剣の錆にしてしまえばいい。

 主は漆黒のローブを翻し、闇の中へと消えて行った。




 また別の森の中。セバスチャンは木の幹に寄り掛かり、その傍らには、頬杖を着いた男の子が座っている。男の子は己の黒髪を弄りながら、真ん丸い黒い瞳をセバスチャンへと向けた。


「ねえ、まだ? ルーシェルってば、自分でボクたちを呼び付けておいてさ……この隙に遊んで来てもいいよね?」

「駄目だよ、レイザー。遊ぶのはルーシェルの話が終わってからだよ。……ほら、その鎌を仕舞うんだ」

「……分かったよ。はぁ……つまんないなぁ。早く来ないかな」


 レイザーが深くため息を吐いた、その時。彼等の目の前の空間が大きく歪み、そこへ一人の男が降り立った。レイザーは待ってましたと立ち上がり、可愛らしく頬を膨らませる。


「ルーシェル、遅い! しかも自分だけ遊んでくるなんて、ズルいじゃないか!」

「おや……流石ですね。返り血は浴びていないつもりですが?」

「ボクを甘く見ないでよね。そんなの、臭いで分かるよ」

「ですが、それだけ不満が溜まっていれば、思う存分遊べるでしょう」


 冷え切ったルーシェルの笑み。その言葉に、不貞腐れてそっぽを向いていたレイザーが、ピクリと反応した。そして勢いよく彼の顔を見上げ、にんまりと口元を引き上げる。


「ってことは……ようやくお許しが出たってことだね?」


 問い掛けに笑みを深め、頷く。そんなルーシェルに、レイザーは飛び上がった。どんなに遊びに行きたくても、じっと我慢をしていたのだ。逸る気持ちを抑えきれず、キラキラと輝く瞳で彼を見上げた。


「で、いつ遊びに行くのさ?」

「そうですね……一週間後、といったところですか」

「一週間後!? 何で!」

「シュシュリーからの報告によると、現在、イリア=クロムウェルたちはアリエス王女と共に、王都へ向かっているんですよ」

「王都へ……? なるほど、そういうことか」


 一人合点がいくセバスチャン。だが、まだ子供のレイザーには、何のことか分かっていない。不思議そうに首を傾げている。


「難しいことはよく分からないけど、遊びに行くのはもう少しお預けってこと?」

「そういうことになりますね」

「そんなぁ……」


 先程までの喜びようはどこへやら。レイザーはがっくりと肩を落とし、とぼとぼと踵を返した。そしてセバスチャンの前を通り過ぎ、先程から一瞥もしないもう一人の人物の隣へ。そして深いため息を吐いた。


「せっかく、遊び場がすぐそこにあるのにさ……ねえ?」


 同意を求めるように、隣の人物へと視線を上げる。だが、黒のローブと目深なフードに覆われた姿は、微動だにしない。

 レイザーは興味を失ったように視線を戻し、ニッと口元を引き上げた。


「ま、いいや。お楽しみは後に取っておいた方がいいに決まってるしね。ふふっ、楽しみだなぁ」


 自分たちが立つのは、切り立った崖の上。そしてその下には、淡いランプの光に灯されて静かに眠る王都の街並みと、それを腕に抱くような重厚な城がどっしりと佇んでいた。




 ゆらゆらと揺れるランプの光に照らされる室内で、机に突っ伏して眠りこける騎士が一人。そこへドアノブが回される音が響き渡ると、彼は大きく肩を揺らして飛び起きた。そして音のした方へ顔を向けると、ゆっくりと開かれたドアの向こうには、金髪の青年が呆れ顔で立ち尽くしていた。


「おお、ジャッキー。お疲れー」

「……お前、寝てただろ」

「寝てない寝てない」

「じゃあ、そのだらしない寝起き顔は何だ? まったく、呑気なもんだな」


 盛大にため息を吐きながら、ジャッキーは彼の前に腰掛ける。ジュリアを寮まで送り届け、詰め所まで戻って来たのだ。

 そして、水差しからコップへ注いだ水を喉に流し込むと、室内を見渡した。


「あれ、団長は? 俺が出る前まではいたのに……」

「ああ、ちょっと出るって言って、ふらっと出てったよ。そのうち戻って来るんじゃね?」

「ふーん……」


 気の抜けたような声を返し、体の筋を伸ばすように両腕を頭上に引き上げる。

 それにしても、暇なくらいに穏やかな夜だ。こうしていると、ついつい眠くなってしまう。ジャッキーが欠伸を掻こうとした、その瞬間。詰め所のドアがノックも無く開かれた。


「たるんでいるぞ、お前たち!」

「だ、団長……!?」


 二人は慌てて立ち上がり、敬礼をする。ベリオスは険しい表情のまま、さらに言葉を続ける。


「それに、お前の休憩時間は既に終わっているだろう!」

「はい! すみません! 巡回に行ってきますっ!」


 転びそうになりながら、詰め所を飛び出す。ベリオスと二人で残されたジャッキーは、胃が痛くなる思いに陥っていた。


「ところで、ジャッキー=アルバス」

「はい!」

「お前はあの日、白いドラゴンを見たそうだな。確かなのか?」


 貫くようなベリオスの視線。つられるように、ジャッキーの視線もみるみるうちに真剣なそれに変わっていく。そして、しっかりと頷いた。


「はい、確かに見ました」

「その時の状況を教えて欲しい。一体、どこで見たんだ?」

「あの日は西の塔で見張り番をしていたのですが、その時に上空に飛んでいるのを目撃しました。その後、魔物が消滅した時には、ドラゴンの姿も消えていました」

「なるほど……。ではお前は、白いドラゴンが今回の事件と何らかの関係がある、と思っているのだな」

「はい、自分の中ではそう確信しています」


 じっとジャッキーを見据えていたベリオスは、ふと視線を外す。そして険しい顔のまま踵を返すと、「少し出る」と言い残し、部屋から出て行ってしまった。


(何だったんだ……? もしかして、団長も動いてる、とか?)


 首を捻り、部屋を出るベリオスの背中を見送ったジャッキー。彼は一体、何がしたかったのか。


「ま、いっか」


 素早く頭を切り替える。自分に出来ることを、精一杯にやればいい、と。今までは通常の任務に加えて復興作業もあり、神殿を離れてドラゴンのことを調べ回る余裕は無かった。だが、外に出て王都へ向かうとなると、幾らか動きやすくなる。


(俺が調べられることなんて、高が知れてるけど……でも、少しでも力になりたい)


 こうなれば、居ても立っても居られなくなる。出発は明後日だが、それまでに少しでも情報を集めておきたい。

 だが、こんな時間に情報収集が出来る場所と言えば、書庫くらいのもの。今までに同じような目撃情報が無いか、ドラゴンの生態も併せて調べてみる必要がある。

 勇み立って詰め所を後にするジャッキー。その後ろ姿をじっと見つめるのはエドワードだ。彼は不意に目を伏せると、踵を返して神殿の奥へと歩き去って行った。

 それから二日後。ロメインたちは大勢の神官や騎士に見送られ、王都へ向けて旅立った。

 その一団の中で一人、どこか悲しげに顔を曇らせる少女がいた。彼女は見送りの中で、知った顔を探す。だが結局見つけられず、ポケットの中のハンカチを握り締めるのだった。




 ロメインたちが王都へ向け、テルティスを発ったのと同じ頃。アイラもまた、エリュシェリン王国に向かう船の中にいた。昔、ニコルから聞いた考古学者に会うためだ。

 甲板に立って潮風に当たりながら、アイラはぼんやりと帆船の進む先を眺めていた。するとそこへ、空の散歩からホークアイが戻って来る。そしてそのまま、定位置である彼女の肩で羽を休めた。


「そういえば姐さん、これから会いに行くのってどんな人? 学者って言うくらいだし、偏屈なオヤジだったら嫌だな……」

「実は私も会ったことが無いんだ。師匠が言うには、変わってはいるが、気さくな男性らしい。それに、古の大戦の知識に関しては、学者の間でも一目置かれているらしい」

「でも、いきなり行って会ってくれるかな……」


 ホークアイの杞憂も当然だ。何故なら、その考古学者と会う約束を取っていないどころか、面識も無いのだから。

 だが、アイラから返ってきたのは、確信に満ちた強い答えだった。


「いや、大丈夫だろう。根拠は無いんだが、そんな気がするんだ」


 勘で物を言う彼女を「珍しい」と思ったが、彼女がそう言うのなら大丈夫なのだろう。真っ直ぐに前を見据えるその瞳を、ホークアイはじっと見つめていた。

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