第14話 暗躍する闇の使者

 獣人の男の子は酷く錯乱した状態で、鋭く伸びた爪を振り回す。レイは隙を突いて蹴り飛ばすと、小さな体は軽々と宙を浮いた。そして誰もが、そのまま地面に叩き付けられると思っていた。

 だが、次の瞬間、驚くべき光景を目の当たりにする。一つの影が落下地点に滑り込み、男の子の小さな体をしっかりと受け止めたのだ。そして、未だに暴れる体を抱き竦める。


「貴様、何のつもりだ?」

「この子供を見た時から、ずっと考えていたんです。本当に獣人は、自分たちが思っているような存在なのか、と。……自分は、違うと思いました」


 気が付けば、体が無意識のうちに動いていた。これが答えだと心に決めたジャッキーの瞳からは、先程までの迷いは感じられない。レイの険しい視線を正面から受け止め、怯むことなく視線を返す。

 ジュリアは呆気に取られている騎士を振り払い、ジャッキーの元へ駆け寄った。その頃には、男の子もいくら暴れても離してもらえないと悟ったのだろう。随分と大人しく抱かれていた。大粒の涙を零しながら。彼女はその涙をそっと拭い、男の子の頭を抱き寄せる。


「ごめんね……怖かったよね……でも、もう大丈夫。わたしたちが守ってあげるからね」

「お前たち、自分が何を言っているのか、分かっているのか? そいつは獣人だ。我々の敵なんだぞ。そこをどけ!」

「それは出来ません! この子供と、自分たちが守るべき人間の子供には、そこまで大きな違いがあるとは思えません。それに、獣人とはいえ、こんな子供を手に掛けるなんて……それを許すなんて……出来ません」


 自分たちの言い分は、レイからしてみれば、駄々をこねる子供も同然だ。それはジャッキーもジュリアも理解している。しかし、二人は引くことが出来なかった。獣人の子供とはいえ、命を奪うことに対して、言葉にし難い嫌悪感を拭えなかったのだ。


「なかなか戻って来ないと思ったら、こんなところで内輪揉めか?」

「ロメイン副団長……」


 ゆっくりとこちらに歩み寄るロメイン。そしてレイとジャッキーたちの間に入ると、彼等の顔を交互に見回した。


「レイ、今回の任務は、犯人グループを一網打尽にすることだ。それなのに、こんなところで揉めている暇はあるのか?」

「……申し訳ありません」

「それに、ジャッキーにジュリア。ここまで人間に憎しみを抱いた獣人を生かすのは、大変危険だということは分かるな? それに、『守る』なんて言葉は、中途半端な気持ちで使うべき言葉ではない。お前たちには、その覚悟はあるのか?」


 気迫の籠ったロメインの瞳。二人の心の内を見透かそうとしているかのように、瞬きすらしていない。

 だが、それに押し潰されてしまうような、生半可な気持ちは持っていない。二人は視線を逸らすこと無く、しっかりと頷く。

 するとロメインは、ため息交じりに苦笑を漏らした。


「……まったく、どいつもこいつも、頑固者ばかりだな。いいだろう。そこまで言うなら、守ってみせろ。だがもしも、その子供がもう一度俺たちに牙を剥いた時には、俺が即座に斬り捨てる。それでいいな?」

「はい! ありがとうございます!」


 ジャッキーとジュリアは、二人揃って頭を下げる。そして顔を見合わせ、満面の笑みを浮かべた。

 ジュリアは男の子と視線を合わせ、諭すように優しく語り掛ける。


「わたしたちは確かに、貴方たちに酷いことをした。でも人間は、悪い人ばかりじゃないよ。ただ、貴方たちのことをよく知らないから、怖がって酷いことをしてしまうだけだと思うの。だからね、もう一度チャンスが欲しいの」

「……チャンス?」

「そう。わたしたちと一緒に旅をして、もう一度人間を見て欲しい。そしてわたしたちに、貴方たちのことを教えて欲しい。お互いを知って仲良くなって、いつか、貴方たちと友達になりたいから」

「でも……また、人間に酷いことされたら……?」

「心配しないで。貴方のことは、わたしとジャッキーが守るから。わたしたちは絶対に、貴方を裏切らない。約束する。だから……お願い」


 真摯なジュリアの瞳は、男の子のそれを捉えて離さない。恐怖で怯えきった心を解すには、こちらの誠意を示すしか手は無いのだから。

 そんな彼女の気持ちが伝わったのだろう。しばしの沈黙の後、男の子は小さく頷いた。その姿に、二人は胸を撫で下ろす。そして彼女は優しく男の子の頭を撫でると、にっこりと笑みを向けた。


「ありがとう……本当にありがとう。じゃあ、自己紹介するね。わたしはジュリア=エドガー。こっちの彼がジャッキー=アルバスよ」

「ジュリアお姉ちゃんと……ジャッキーお兄ちゃん……?」

「ああ、そうだ。ところで名前は?」

「……アウル」


 呟くように、か細い声で名乗る男の子。すっかり涙も枯れ、気持ちも落ち着きを見せている。だが、微笑みすら見せてくれなかったことには、勝手だと思いながらも、胸が締め付けられたのだった。




 アクオラを発ってから、約一ヶ月。ロメインたちは、ようやく王都へ到着した。

 通常ならばもっと早く着けたのだが、テルティスからの使節団の人数がそれなりに多いこと、そしてロメインが病み上がりということの遅延。そのせいだろうか、王都へ足を踏み入れた際には、皆が安堵の息を漏らしたものだ。


「ポートピアで、スティングレイさんから馬を二頭借りられたのは助かりましたね」

「まったくだ。一時は余計な荷物が増えて、どうなることかと思いましたが……」

「そんな言い方……!」

「荷物に荷物と言って、何が悪い」


 騎士の一人がアウルを見下ろしながら、チクリと愚痴を漏らす。泣き出しそうに目を潤ませ、俯いてしまった彼の頭を、ジュリアは「大丈夫だよ」と囁きながら、何度も優しく撫でた。

 このようなやり取りが、どれだけ繰り返されたことだろう。だが、彼と行動を共にするようになってから、まだ一ヶ月程度しか経っていないのだ。長い年月を掛けて積み重なってきた人々の差別感情が、たったこれだけの短期間で消えるはずが無い。

 こんな不毛なやり取りを見かねたロメインは、深いため息を吐き、声を荒げた。


「お前等、いい加減にしろ! 俺たちはテルティスの代表としてここに来たんだぞ。そんなことすら分からんような奴は、誇り高き神騎士団には必要無い! 今すぐ帰れ!」

「……すみません」

「ジャッキー、ジュリア、これが獣人を取り巻く状況だ。まさか、こんなことくらいでその決意が変わった、など言わないだろうな?」

「まさか! むしろ、どんどん強くなっているくらいです」

「ならいい。さて、王城まで行くとするか。ジュリア、手を離すんじゃないぞ」

「はい!」


 頷くジュリアを見届け、ロメインを先頭にエリュシェリン城まで向かう一行。人通りの多さに、流れに呑まれてしまうそうになる度にジャッキーに助けられながら、真っ直ぐに進んで行く。


「大きな街だね……それに、人がいっぱい……」


 怯えるような声で呟くのは、アウル。アクオラで購入したパーカーのフードを被っているため、見た目は人間の子供と変わらない。そんな彼は、きょろきょろと視線を動かしている。

 ジュリアは、わずかに握る力が増したアウルの手をしっかりと握り返し、安心させるように微笑んで見せた。まだ笑顔は見せてくれないが、こうして少しずつでも心を開いてくれるのは嬉しいものだ。

 そして城門まで来たところで、待ってましたと言わんばかりに城内へと案内された。馬を預けた彼等はそのまま応接室に通され、思い思いに過ごす。そしてしばらくすると、部屋にノックが響き渡った。


「失礼する」


 扉が開いた先にいたのは、エリュシェリン王国のロバート王。彼はにこやかにロメインたちを出迎えると、一人ひとりに握手を求めた。


「我々の要請に誠意ある対応をしていただき、感謝している。今度は、わたしたちが奴等を追い詰めようではないか」

「もちろん、そのつもりでこちらへ伺いました。それで早速、今後のことを話し合いたいのですが……」

「ああ、既に会議室に人を集めている。そこで皇太子の紹介もしたい。……ところで、そちらの子供は?」


 ロバートの視線がアウルに向けられる。アウルは思わず肩を揺らし、ジュリアの影へ。


「この子供はアクオラで保護し、訳あって、我々と行動を共にしています」


 ロメインの説明に耳を傾けるロバート。彼にとって、今は会議の進行の方が重要なのだろう。それ以上の言及はなかった。


「我々の話は、子供に聞かせるようなものではないな。そして、そちらのお嬢さんはヒーラーか……二人は先に客室で体を休めるといい。後でメイドに案内させよう」


 ここでジュリアとアウルと別れ、ロバートの案内の元、ロメインたちは会議室へ通される。厳重な警備の中で案内された先、重厚な扉の向こうには、部屋の半分はあろうかという大きな机。そしてそれを囲むように座るのは、騎士や大臣といったエリュシェリン王国の重鎮と学者たち。

 すると、一人の青年が腰を上げた。屈強な印象が強いこの王国の騎士とは正反対の、華奢で麗しい青年だ。彼はロメインたちの前に歩み寄ると、手を差し出した。


「お初にお目に掛かります。エリュシェリン王国第一位王位継承者、ノエル=エスト=ディン=ブレジアと申します。以後、お見知りおきを」

「ガルデラ神殿神騎士団副団長、ロメイン=グレイシスです」


 簡単に挨拶を済ませ、早速本題へ。互いの報告を元に議論は進み、どんどん白熱していく。そして気が付けば、窓の外はどっぷりと日が暮れていた。




 そろそろ日付が変わろうか、という深夜。自室に戻ったロバートは、今日の会議の資料を纏めていた。膨大な量だが、それだけ有意義な議論が展開されたということ。むしろ、喜ばしいことだ。

 次の瞬間、窓を開けていないにも関わらず、ふわりとカーテンが靡く。


「……こんな夜中に、わたしに何の用だ?」


 おもむろに立ち上がり、気配のする方へ体を向ける。するとそこには、漆黒のローブを目深に被った人間がいた。


「お前たちが先日、我が国の騎士を殺害し、テルティスを襲撃したのだろう。ここに来た目的は何だ?」


 ロバートの険しい視線さえも涼しい顔で受け流し、無表情を貫き通している。不気味な奴だ、と背中に嫌な汗を流した、次の瞬間。城の至る所から、悲鳴と戦場を思わせる怒号が響いてきたのだった。


 それとほぼ同じ頃。王城の警備の任務に就いていた騎士に、不気味な空気が忍び寄る。どんよりとした重苦しい空気。そして、そんな雰囲気とは対照的な男の子の声が響き渡った。


「おじさん。ボクと一緒に遊ぼうよ。鬼ごっこがいいな。それじゃ、始めるよ」


 声が止んだ途端、身の毛もよだつおぞましい呻き声が、あちこちから聞こえてきた。咄嗟に剣を抜き、声のする方を睨み付ける。そして現れたその姿に、騎士は驚愕した。

 こちらに向かってゆっくりと忍び寄る、おびただしい数の影。そしてそのどれもが、土色の体の至るところが朽ち果て、どろどろに溶け出している。生ける屍たちだった。


「どう? ボクのコレクション。凄いでしょ! 捕まっちゃったら、おじさんも仲間入りだよ?」

「おい、大丈夫か!?」


 男の子の声と、応援に駆けつけた騎士のそれが重なる。そして駆け寄って来るなり、この惨状を目の当たりにし、舌打ちを鳴らした。


「ここも同じか……」

「どういうことだ?」

「例の襲撃者だ! どこもかしこもあいつ等で埋め尽くされて、テルティスの連中にも加勢してもらってる状態だ。狙いは、おそらく……」


「……そう、私たちの狙いは城を襲撃し、騎士たちの目をこちらに向けさせること。そして」

「そんな、まさか……その声は……っ!」


 ロバートの目が、限界まで見開かれる。目の前に立つ漆黒の侵入者から、聞き覚えのある声が発せられたからだ。

 そして、次の瞬間。


「そして、貴方に死んでもらうことだよ……ロバート国王陛下」


 振り返れば、冷酷な嘲笑。ロバートの背中には、深々と突き刺さったナイフが数本。傷口からは、止めどなく血が流れ落ちている。


「我等の崇高な計画のために……永遠にさようなら」


 嘲笑を浮かべたその口元は、さらに不気味に引き上げられる。そして指を鳴らした、次の瞬間。驚くべきことに、ナイフが跡形も無く消え去っていた。残されたのは、大量の血が噴き出す傷口のみ。


「ゲホッ……ガッハ……!」


 口から血の塊を吐き出し、ロバートは崩れ落ちる。薄れ行く意識の中、荒い呼吸を繰り返しながら、最初に声を上げた漆黒の侵入者を見据えていた。


「……ぁ……う、……な、ぜ」


 息も絶えだえに必死に手を伸ばし、漆黒のローブの裾を掴もうとする。だが、あと僅かというところで、伸ばされた手は地に落ちた。

 ロバートの亡骸の前で立ち尽くす侵入者。その人物は小さく口を開けて何かを語り掛けるも、声を発することは無かった。

 そんな一連の様子を、セバスチャンは白けた様子で眺めていた。


「虚しいくらいに呆気ないね。この世界一の軍事国家の国王って言うから、どんな人間かと思えば……。トライアスじゃないけど、もう少し手応えがあってもいいんじゃないかな?」


 無言の侵入者は、セバスチャンの独り言を聞き流す。城内は騒然としているにも関わらず、この室内だけは、不気味な程に静まり返っていた。


「さて、と。計画の大半は達したことだし、レイザーを引き上げさせようか」


 セバスチャンが右耳に掛かる髪を掻き上げると、白銀のピアスが輝いた。シンプルな棒状の飾りが、ゆらゆらと揺れている。

 すると、その飾りを押し当てるように手で覆い、語り掛けるように声を上げる。そしてロバートの暗殺に成功したことを告げると、手を離して振り返った。


「ところで、いつまでそうしているつもりだい? それとも……懺悔の祈りのつもりかい? 偽善もここまで来ると滑稽だね」


 ここで初めて、無表情だった口元に感情が籠る。深い怒りの感情。唯一見える唇を、きつく噛み締めている。

 それでもセバスチャンは口元に薄い笑みを浮かべ、己に向けられた怒りを涼やかに受け流す。それどころか、怒りを煽っているようにも受け取れる。

 その時、ドアの向こうが騒がしくなる。けたたましい怒号と足音が部屋の前で止まると、セバスチャンはひらりとローブを纏い、ドアに背を向けた。


「陛下! ご無事ですか、陛下っ! ……こ、これはっ!?」


 雪崩れ込むように部屋に入って来た騎士たち。彼等は室内の惨劇に言葉を失った。

 血の海の中に横たわる主君。その瞳は既に光を失っている。傍らには、全身を黒いローブで身を包む人物が二人。目深いそれは、昼間の会議で上がった襲撃犯の特徴と一致している。

 不意に一人が振り返り、その拍子にローブが翻る。そこに一瞬だけ見えたのは、とある紋章。


「っ貴様……!」


 騎士の一人が激昂して斬り掛かろうとした時、侵入者の足元に青白い光の魔法陣が浮かび上がる。


「待てっ!」


 騎士の制止の声も虚しく、次の瞬間には、二人の姿は跡形も無く消え去っていた。

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