第17話 それぞれの出会い
カーテンの隙間から日が差し込み、鳥の鳴き声が夜明けを知らせる。その時から、一体どれだけの時間が過ぎただろう。現在の時刻を確認するのも億劫だった。
視線の先には、死んだように眠り続ける少女。彼女が倒れてから丸一日が経ったが、目を覚ます気配は無い。それを見ていると、嫌な考えばかりが頭を巡る。
それを断ち切るように、室内にノックの音が響いた。ルイファスはふらふらと立ち上がり、握り締めていた手をノブに添える。扉を引くその一瞬、そっと目を閉じた。
「あの……あれから目を覚まされましたか?」
「……いや、まだだ」
それを聞いた途端、来訪者の少年は顔を曇らせる。不意に、彼の目が軽く見開かれた。
「どちらへ行かれるのですか?」
「外の空気を吸って来る。情報収集も兼ねてな」
扉を閉め、歩き出す。彼女のことは気掛かりだが、あそこにいても、自分に出来ることは何もない。ならば、本来の目的に没頭した方が遥かに有益だ。心の乱れを握り潰すかのように、きつく拳を作る。
一方の少年は、その場から動けずにいた。男が擦れ違いざまに見せたのは、深い怒り。これまでの彼は、感情を見せることは決して無かった。見事に隠していた本当の顔が、一瞬だけ姿を見せたのだ。
少年は扉越しに少女を見つめる。そして肩を落としながら、静かに来た道を戻って行った。
「う……ん……」
ほんの僅かに瞼が揺れる。闇の中に光が差し込んでくるかのように、イリアはゆっくりと目を覚ました。そして、おもむろに体を起こし、未だぼんやりする思考のまま、ゆっくりと辺りを見回す。
ここはどこなのか。何故、ベッドの上にいるのか。鈍った思考を回転させ、必死になって思い出そうとした。
(陛下に謁見した後、王都のガルデラ神殿に行ったら、目の前が暗くなって……それで……?)
そこからの記憶が無い。そもそも、あれからどれだけの時間が経ったのだろうか。
ちょうどその時、静かにドアが開かれた。入って来たのは、中年の神官の女性。彼女はイリアの姿を見るなり、顔を輝かせた。
「まあ……まあまあまあっ! カミエル! カミエル!」
すぐさま踵を返し、彼女は駆け出した。思いもよらぬ展開に、イリアは目を瞬かせる。それから間もなく、二人分の慌ただしい足音が聞こえてきた。
「失礼します! ああ……クロムウェル様……!」
今度は神官の少年も一緒だった。記憶を無くす寸前に話し掛けてきた少年だ。彼はイリアの姿を見て目を滲ませている。
扉の前で感激に震えていた二人は、静かにベッドの傍まで足を進める。そして、満面の笑みを浮かべた。
「良かった……本当に良かった。過労で倒れられた後、丸一日眠ったままでしたので、心配したんですよ」
「一日!? そんな……早く出発しないと!」
「いけません! 無理に動いてはお体に障ります!」
立ち上がろうとする肩に、険しい表情を浮かべた女性が手を押し当てる。だが、イリアも引かない。
その攻防はしばらく続いたが、終わりは唐突に訪れた。口元に手を添えたイリアが、膝に顔を埋めたのだ。真っ青な顔で、きつく目を閉じている。加えて、眉間に寄せられた深いしわが、彼女の気分の悪さを如実に表していた。
「そんな状態で旅を再開するなんて、例えクロムウェル様でも許しません。しばらくこちらでお休みください」
「……分かりました。ところで、ここはどこですか?」
「ここは神殿の医務室です。剣は隣のテーブルに立て掛けてあります。もし何かありましたら、何なりと仰ってください。出来る限りの事はさせていただきます」
彼の穏やかな声は、疲れ切った心身にとても心地良い。加えて、慈愛に満ちたその笑みに覚えるのは、安堵の感情。
彼等の説明のおかげで、置かれた状況は理解出来た。だが、分からないことが一つ。彼は一体、何者なのか。王都の若い神官が、何故、名前を知っているのか。以前に会ったことがあるかと思ったが、思い出せない。
「ありがとうございます。ですが、貴方は一体……? 何故、私の名前を?」
「あ……申し訳ありません。名前も名乗らずに、なんて失礼を……! 私の名前はカミエル=ディーンと申します。王都のガルデラ神殿に在籍しています」
カミエルと名乗った神官は、ほんの一瞬、悲しげに顔をしかめる。だが次の瞬間にはそれを隠し、胸に手を当てて深々と頭を下げた。神官が目上の者に挨拶をする時の作法だ。
その時、イリアはあることが気になった。いつも一緒にいるはずの彼の姿が見えない。それに気付いた時、言い知れぬ心細さに襲われる。
「あの、ルイファスはどこに行ったか、ご存知ありませんか? 私と一緒にこちらを訪ねた男性なんですが」
「ルイファスさんですか? それでしたら――」
時を遡ること約一時間。ルイファスは一人、街を歩いていた。ニコルから紹介された情報屋、ヒース=シュルバッツに会うため、サラ=ブルーセルを探しているのだ。
だが、人混みを掻き分けるように歩く彼の顔は険しい。その怒りの矛先は、彼自身に向けられていた。
(あいつは、何があっても俺が守る……そう誓ったはずが、このざまか)
頭に浮かぶのは、森の中で蹲り、泣きじゃくる少女の姿。道に迷い、心細さと恐怖に押し潰されそうになっている。そして、彼女が顔を上げた時の、雷に打たれたかのように息が止まった、あの感覚。
奥歯を噛み締めた彼は、裏通りへとやって来た。他の街に比べれば店も多く、人通りもかなり多い。そんな喧騒を切り裂く声が響いてきたのは、まさにその時だった。
「もう、しつこいわね! あたしは、アンタたちに付き合ってる暇なんて無いの! どっか行ってよ!」
耳に届いたのは、甲高い女の声。視線の先には、二人組の男に絡まれている少女がいた。
パッチリとした二重の大きな目を細める少女の瞳は、深いルビーレッド。ダークブルーの髪は高い位置でツインテールに纏められ、動く度にゆらゆらと揺れている。そんな少女は細い体に布を巻いた、ゆったりとした衣服を纏っていた。その雰囲気は、この大陸では見ないもの。
普段ならば、気にも留めないやり取り。それが今回はどうだ。酷く気が立っているせいか、些細なことにも苛立ちを覚えてしまう。
不意に、少女と目が合ってしまった。彼女はルイファスの顔を見るなり、パッと顔を輝かせる。そんな彼女に怪訝そうに顔をしかめた、次の瞬間。彼女が駆け寄って来たかと思えば、なんと腕を組んできたのだ。突如として巻き込まれ、思わず、僅かに目を見開かせる。
「なん――」
「ごめんね! あたしのこと、探しに来てくれたのよね? さ、行きましょ」
「なんだ、ただの優男か。おい、兄ちゃん。その綺麗な顔に傷付けられたくなかったら、女を置いて消えな」
前に躍り出た男は、余程腕に自信があるのだろうか。不敵な笑みを浮かべ、指を鳴らして凄んでいる。
酷く耳障りな声。冷めた目で男の顔を見上げていたルイファスは、深いため息を吐いて踵を返した。「行くぞ」と、少女を引き連れて。
「おい、てめぇ! 無視してんじゃねぇよっ!」
啖呵を切って突進してくる男。彼はルイファスを無理矢理に振り向かせ、胸倉を掴んだ。怒りのあまり、完全に我を忘れている。
おもむろに、ルイファスは男の腕を掴む。そうかと思えば、次の瞬間には男の視界は反転していた。と同時に、石畳に背中を打ち付けた衝撃に襲われる。男は目を白黒させながら、自分を押さえ付けるルイファスを見上げていた。逆光で表情は見えないが、険しい視線は嫌でも感じる。
「この野郎、調子に乗りやがって!」
わなわなと肩を震わせたもう一人の男が殴り掛かった。ルイファスは流れるように拳をかわすと、そっと足を出す。当てどころのない勢いは、そう簡単には殺せない。足をもつれさせる男の背中に、彼は強く蹴りを入れる。そして男は、そのまま派手に倒れた。先に倒れていた仲間の上に。
伸びている二人の男を眼中から外し、ルイファスは少女の方に足を進める。彼女は少し離れたところから、呆けたように一部始終を見ていたのだ。しばらくして、ハッと焦点が合うと、少女は花のような笑みを浮かべた。
「どうもありがとう! アイツ等、本当にしつこくて困ってたの。貴方のおかげで助かっちゃった」
「いや、俺はただの正当防衛だ。礼を言われるようなことはしていない。君も早くここから離れた方がいい」
「あ、待って!」
少女は立ち去ろうとするルイファスの腕を取り、引き留める。彼女は、怪訝そうに見下ろす彼の顔を、じっと見つめていた。いつの間にか頬も赤く染まっている。
「あの――」
「てめえ等、無事に帰れると思ったら――ぐえっ!?」
「邪魔だ。失せろ」
「どうしてもと仰るので買い物を許したものの、夢中になるあまりにふらふらと迷子になった挙句、こんなところで油を売っているなんて……一体、何を考えておられるのですか?」
先程の男が上げたのは、蛙が潰れたような声。それに被せるように、若い男の声が掛けられる。その口ぶりからして少女の知り合いのようだが、彼女は顔を引き攣らせた。そして声の方を恐る恐る振り返ると、その顔をより一層歪める。
「エリック……マルス……」
立っていたのは、二人組の若い男。
一人は剣士。日に焼けた肌は、異国の雰囲気を発している。短くこざっぱりとした髪は、艶やかな黒。群青の鎧とマントを身に纏う姿は、夕闇の騎士という言葉がよく似合う。周囲の頭より上に目線がある彼は、鋭い眼光もあって、かなりの迫力だ。
もう一人も剣士。その優しい顔には笑みを浮かべているが、空色の目は笑っていない。群青のマントの下に映えるのは、白を基調とした騎士服。そして明るい茶髪と色白な肌は、もう一人とは対照的な色合いだ。また、腰に携える剣の柄に埋め込まれた石の中には、何かの魔法陣が浮かび上がっている。
不意に、ルイファスの中で緊張が走る。アウルが言っていた、黒髪と茶髪の男。偶然にも、この二人と同じなのだ。だが、少女を見てそれを解く。もう一人の女の髪は桃色のはずだから。
そんなルイファスの思考の外で、剣士の男は少女に向かって怒鳴りつけた。
「ったく、何やってんだ、お前は! こんな面倒事起こしやがって! ほんっとに良い御身分だな!」
「僅かでも目を離した我々にも非はありますが、これに懲りて、少しは落ち着いた行動を取っていただきたいものですね」
「う……ごめんなさい」
二人の保護者からこっ酷く叱られ、すっかり反省しているようだ。少女は肩を落とし、小さくなっている。そんな姿を見ていると、この場にいる必要が無いように思えてくる。
「それじゃ、俺はこれで」
「あ、ちょっと待って!」
少女は慌てて声を上げ、再びルイファスの腕を取って引き留める。すると、まるで太陽のような、輝くような笑顔を向けた。
「本当にありがとう! 今は何も出来ないけど、いつかきっとお礼をしたいの。お名前を教えてくださる?」
「何度も言うが、礼が欲しかった訳じゃないんだ。そんな必要は無い」
「でも……」
「ん? 貴方は確か、アクオラの薬草屋のところでお会いしましたね。一体、何があったのですか?」
「ああ、それはね――」
問われた少女は、二人とはぐれた後のことを語り始めた。そして黒髪の剣士が彼女を嘲弄したことで始まった口喧嘩。次第に熱くなっていく彼女等には目もくれず、魔法剣士はルイファスの前に出た。
「本当にありがとうございました。是非、お礼をさせていただきたいのですが……」
「……そこまで言うなら、サラ=ブルーセルという女を知っていたら教えて欲しい。探しているんだ」
「彼女でしたら、向こうの酒場で働いていますよ。ここから五ブロック行った先の角です」
魔法剣士に礼を告げ、ルイファスは再び雑踏の中へ足を踏み入れる。この先で働いているという、サラに会うために。その後ろからは、彼を呼び止めようとする少女の声が響いていた。
三人と別れてからしばらくして。ルイファスは一軒の酒場の前に立ち止まり、立ち尽くしていた。
先程の場所から真っ直ぐに五ブロック進んだ先の、角の店。彼は確かにそう言っていた。そしてここが、例の店のはずなのだが。
「おーい! 酒はまだかー!」
「姉ちゃん、こっちはビール追加だ!」
「てめぇ、今俺等に喧嘩売っただろ!」
「あ? やんのか、コラ!」
「おお! 受けて立とうじゃねぇか!」
「いいぞいいぞ! やれやれ! がははははっ!」
この有様は何だ。陽気に歌い、騒ぎ、昼間から酒を浴びる客たち。想像していたよりも随分と賑やかな場所だ。こんなところに情報屋の女がいるのだろうか。
「いらっしゃい! そんなとこに立ってないで、中へどうぞ」
言うなり、ウエイトレスは慌ただしく店の奥へと引っ込み、料理の盛られた皿をテーブルに運んでいる。ひっきりなしに注文の声が上がる様子は、さながら戦場のようだ。
いろいろと思うところはあるが、ここに立っているだけでは何も始まらない。ルイファスは店内に入ると、カウンターの席に腰を落ち着けた。
「いらっしゃいませ。ご注文は何にします?」
水とおしぼりをテーブルに置きながら、ウエイトレスは注文を聞いてくる。ルイファスは彼女を見上げると、にっこりと笑みを浮かべた。
「お姉さん、サラ=ブルーセルって人、知らないかな?」
その瞬間、ウエイトレスの表情が変わる。しばらく沈黙が続いた後、彼女はおもむろに口を開いた。
「……お客さん、その名前、どこで聞いたの?」
「アクオラの情報屋、ニコル=フランから紹介されたんだ」
「そう、ニコル=フランから……」
彼女は何か考えるような表情を見せたかと思えば、カウンターの中のマスターへと視線を向ける。そして彼とアイコンタクトを取った後、ルイファスへと視線を戻し、不敵な笑みを浮かべた。
「あの男からの紹介ってことは、ただの客じゃないみたいだね」
急に口調が変わる。そして彼女は続けた。
「自己紹介が遅れたね。アタイがヒース=シュルバッツの相棒、サラ=ブルーセルさ」
不敵な笑みを浮かべて見下ろしてくる女性。彼女は自らをサラ=ブルーセルと名乗る。そして笑みを向けたまま、ルイファスの隣に腰を下ろした。
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