第18話 情報屋からの課題

 不敵に口元を引き上げたサラ。彼女はルイファスの隣に腰を下ろすなり、値踏みをするように彼を眺めた。


「にしても、アンタ、イイ男だねえ。その辺の女が放っておかないだろ?」


 言いながら、チラリ、と肩越しに後ろを見やる。その先には、熱い視線を送る女たちの姿。振り向いたルイファスが微笑み掛けると、女たちの瞳はたちまち蕩けるように潤んでいった。

 視線の先が色めき立つ中、彼は再び女たちに笑みを作って向き直る。頬杖をついたその顔は、すっかり冷めたものに変わっていた。


「お陰様で。遊ぶ分には困らないくらいにね」

「女泣かせな台詞だねえ」


 可笑しそうにクスクスと笑う。まるで他人事だ。すると、その時。


「アンジェラさーん! 早く戻って来てくださーい!」

「はーい! すぐ行きます!」


 一人のウエイトレスが慌ただしく声を上げる。答えたのはサラ。アンジェラという偽名で働いているらしい。

 声につられて彼も店内を見回すと、入った時よりもかなり多くの客が座っていた。不意に、傍らよりため息混じりの呟きが聞こえてくる。


「今日はやけに客の入りが良いねぇ。悪いが、話は手短に済まさせてもらうよ」

「ああ、構わない」

「いくらニコルからの紹介とはいえ、アタイはアンタのことをよく知らない。だから情報料を払ってもらうよ」

「分かった。何が望みだ?」

「そうだね……。これを見せてくれたら、今後もそれに見合うだけの情報を約束しようじゃないか」


 含みを持たせた笑みを浮かべたかと思えば、伝票の裏にペンを走らせる。そしてそれを置くと、彼女は仕事に戻っていった。「一度は拝んでみたいんだ。頼んだよ」と言葉を残して。

 そうしてウエイトレスに戻ると、サラは同僚女性に小突かれていた。彼女はそれを苦笑を漏らして受け流す。

 そんなやり取りをぼんやりと眺めていた彼は、おもむろに紙に手を伸ばし、伝票を裏返した。その拍子に飛び込んできた文字。一瞬、目を疑った。


(サラマンダーの瞳……って、召喚師の秘宝かよ)


 深く吐かれたため息は、虚しく空に溶けていく。ニコルからの紹介とはいえ、そう簡単に信用されるわけがないと思っていた。だがそれにしても、随分と難題を吹っ掛けられたものだ。

 万物の力の象徴である聖獣と契約を結んだ魔術師――それが召喚師。召喚師の秘宝とは、各属性の聖獣と契約した者にのみ与えられる。言わば一人前の召喚師の証だ。


(とりあえず、神殿の書庫から調べてみるか)


 小さくため息を吐く。そして、ルイファスは静かに席を立った。




 参道の石畳を軽快に走る少女。明るい茶髪のポニーテールが、駆け足に合わせて揺れている。彼女はスパッツの上からスカートを履き、シャツを身に着けた格好。また、ターコイズブルーの大きな猫目、そして丸みを帯びた輪郭が、勝ち気な顔立ちの中にも幼さを残していた。

 開かれた扉から神殿に足を踏み入れた少女は、真っ直ぐに大聖堂へ向かう。ステンドグラスから差し込む光を受けて輝く獣の像に、静かに祈りを捧げている。

 その時、神官の女性が大聖堂の前を通り掛かった。


「こんにちは、ティナちゃん。今日もお祈りありがとう」


 女性の穏やかな声が耳に届き、少女――ティナは顔を上げる。そして立ち上がり、踵を返すと、照れたような笑みを浮かべた。


「どういたしまして……って言うのも可笑しいかな。神殿に来て、ここでお祈りしない人はいないよ」

「それでもやっぱり、こうしてお祈りしてくれる人がいるのは嬉しいものよ。……あら? まあ……その腕、どうしたの?」


 微笑んでいた女性の顔が、痛ましそうに歪んだ。それに気付いたティナは、くいっと腕を上げる。一部は袖に隠れているが、二の腕に大きな青痣が出来てしまっていた。


「ああ……受け身に失敗しちゃった時、変に打ち付けたのかな。アタシとしたことが……油断したな」

「だったら、医務室へ寄って行くといいわ。今ならまだカミエルもいる――」

「ミックが!?」


 思ってもみなかった言葉に驚愕し、元々大きな目をさらに見開かせる。そしてそのまま女性の隣を擦り抜け、人の間を縫うように神殿の奥へ走って行った。

 彼女の後ろ姿に、女性は思わず苦笑を漏らす。酷く焦った顔は、カミエルが看病されていると思っているに違いない。

 だが、今から行ったところで追い付けないだろう。足の速さは目を見張るものがあるのだから。女性は苦笑を浮かべたまま、揺れるポニーテールを眺めていた。




「ミック! 医務室にいるなんて、どうしたの!?」


 厳かな神殿の中だというのに、バタバタと走る足音が響いてきた。そうかと思えば乱暴に扉が開けられ、けたたましい声が耳をつく。

 突如現れたティナに驚き、カミエルは「ティナ!」と彼女を諌めた。慌てて彼女に駆け寄る。


「駄目だよ、大声出しちゃ! 神殿の中で、しかも医務室なのに」

「ご、ごめん……そんなことより、もう歩いて大丈夫なの!?」

「え? 何を言ってるの?」

「何って……医務室にいるなんて、どっか悪いに決まってるじゃん! だから、アタシ……」


 最初の勢いはどこへやら。声はどんどん小さくなっていき、最後には蚊が鳴く程になっていた。

 ティナの全身から感じられるのは、純粋にカミエルを心配する気持ち。一度走り出したら止まらないところは困りものだが、それを突き動かす仲間想いの性格は好感が持てる。カミエルは目を細め、クスクスと笑った。


「本当に大丈夫だよ。僕はどこも悪くないから」

「そう……なの?」

「うん。ティナの勘違いだよ」

「な、なんだ……アタシ、てっきり……」

「でも、僕のこと心配してくれたんだよね。ありがとう、ティナ」


 真っ直ぐにティナを見つめ、優しい笑みを向けるカミエル。対するティナは、照れ臭そうに顔を背ける。

 そんな二人のやり取りを見ていた女性は、クスクスと笑いながら扉の方へ歩いて行った。


「それなら私は、クロムウェル様にお水でもお持ちしましょうか」

「え?」


 ここで初めて、ティナはベッドの上に人がいることに気が付いた。翡翠色と、ターコイズブルーが交わり合う。おもむろに、彼女はカミエルの方を振り向いた。


「ええと……ミック。この人、誰?」

「聖都テルティスの聖騎士団団長、イリア=クロムウェル様だよ。旅の途中で王都に立ち寄られた時、過労で倒れてしまわれたんだ」

「ふーん……この人が……」


 じっとイリアを見つめる。その瞳に宿るものは、単純な好奇心なのか。それとも、別の感情も含まれているのか。彼女の声の高さが、ほんの僅かに落ちる。

 そこに気付きつつも、それ以上に居心地の悪さを感じていた。穴が開く程見つめられれば、流石のイリアも困惑してしまう。


「あの……私の顔に何か付いてますか?」

「え? ああ、ごめんごめん。何でもないよ」


 パッと笑みを浮かべ、緩やかに首を振る。そのままティナはイリアの前に歩み出ると、手を差し出した。


「アタシはティナ。ティナ=アウローラ。よろしく」

「イリア=クロムウェルです。こちらこそ、よろしくお願いしますね」


 イリアは握手に応じ、にっこりと笑みを返した。

 不意に、カミエルはティナの青痣を目に留めた。彼女の方に小走りで駆け寄り、そっと手を触れる。


「ティナ、この痣どうしたの?」

「たぶん、今日の稽古中に変に打ち付けちゃったんだと思う。師範代に思いっきり投げ飛ばされちゃってさ」

「へぇ、ティナにしては珍しいね。すぐに治すから、動かないで」


 カミエルが精神を集中させると、彼の手から淡い光が発せられた。その白は青痣に吸い込まれていき、みるみるうちに元の肌色に戻していく。

 その様を目の当たりにしたイリアは、彼から視線を外せないでいた。青痣とはいえ、彼はいとも簡単に神聖魔法で治してしまった。しかも、詠唱も無しに。


「ありがと、ミック」

「どういたしまして」


 その時、ノックの音が響き渡った。カミエルが返事をすると、ルイファスが入って来る。


「おかえりなさい、ルイファスさん」

「ああ、カミエルか。ちょうど良かった……ん?」


 笑顔で出迎えたカミエルの方を見た瞬間、しかめられていたルイファスの顔が一転する。その目に映るのは、起き上がってこちらを見つめるイリアの姿。胸が熱くなるのを抑えきれず、真っ直ぐに彼女の元へ向かった。


「目が覚めたんだな。一時はどうなることかと思ったぞ」

「ごめんなさい……迷惑を掛けてしまって」

「まったくだ……と言いたいところだが、俺にも非はある。倒れるまで無理していたのを見抜けなかったんだからな」


 自嘲とも、苦笑とも取れる表情を浮かべる。そして、彼女の額にそっと手を当てた。


「少し熱があるな。顔色もまだ悪い。どちらにせよ、当分はここに滞在だな」

「……ごめんなさい。私のせいで足止めになってしまって」

「そう思うなら、今はゆっくり休むことだ。情報収集は俺がやっておく」

「ありがとう、ルイファス」


 力無く微笑むイリアの頭に軽く手を乗せ、指に髪を絡ませながら、慈しむように撫でる。そんな彼をイリアは不思議そうに見上げた。いつもなら何度か乗せただけですぐに離してしまうか、くしゃくしゃと撫で回すだけだからだ。

 しばらくして、頭を撫でていたルイファスの手は、次第に頬へと下りていった。掌からは、彼女の温もりがじんわりと伝わってくる。それに密かに安堵し、ルイファスはカミエルに視線を向けた。

 すると、彼の隣に立つ少女に目が留まる。ポニーテールが似合う、勝ち気そうな少女。そして、幼い顔立ち。

 その時、一つの考えに行き着いた。彼は少女の前まで足を進め、笑みを深める。


「可愛い妹じゃないか、カミエル。だが、あまり似てないんだな」

「い、妹……っ!? ちょっと、ミック! この人誰!?」

「この方は、テルティス聖騎士団のルイファス=アシュフォードさん……って、落ち着いてよ、ティナ!」


 顔を真っ赤にして憤慨するティナを、カミエルは必死で宥める。そしてルイファスを引き連れて彼女と距離を取ると、そっと耳打ちをした。


「彼女はティナ。私の幼馴染で、私よりも一つ年上なんです。お嬢ちゃんとか妹とか、そういう台詞は禁句なんです!」

「なるほど、童顔がコンプレックスというわけか」


 ひそひそと囁き合う二人。だが、気にしている話題ほど、はっきりと耳に入るもの。


「ちょっと! 今、アタシのこと童顔って言ったでしょ! 人が気にしてることを……!」


 例に漏れず、しっかりと聞こえていたようだ。「なんて地獄耳……」と心の中で毒付き、ルイファスは苦笑を浮かべる。


「悪かった。今度からは気を付けるよ、ティナちゃん」

「……なんか、まだからかわれてるような気がするんだけど。ねぇ、この人いつもこんな感じなの?」


 急に話題を振られるも、思ったことを言えばややこしいことになると思ったイリアは、ただ苦笑を返すだけだった。

 ふと、カミエルはあることを思い出す。ルイファスは自分を見て、「ちょうど良かった」と言っていたことを。


「そういえば、ルイファスさん、私に何かご用ですか?」

「ああ。神殿の書庫に案内してほしいんだ。頼めるか?」

「いいですよ。ご案内します。ほら、ティナ。君はもう帰らないと」

「は? 何で?」

「何でって……」


 チラリ、とカミエルはイリアに目をやる。

 だが、ティナはイリアの肩を抱くと、「いいじゃん、ちょっとくらい」と頬を膨らませた。


「アタシ、イリアに興味あるんだよね。大丈夫だよ。話して辛そうなら、すぐに帰るから」


 そう言って、人払いをするような身振りを見せるティナに、カミエルは深いため息を吐いた。


「……あんまり無理させちゃ駄目だよ?」

「分かってるって! いってらっしゃーい」


 満面の笑みを浮かべ、カミエルを送り出している。彼は後ろ髪を引かれる思いに駆られながら、ルイファスと共に部屋を後にした。

 そうして残されたのは、女性二人。


「さて、と。これでゆっくりと女同士の話ができるね」

「そうですね。でも、お手柔らかにお願いしますね?」

「それはどうかな? さっきも言ったけど、アタシ、イリアに興味津々なんだよね」


 「覚悟しておいてよ?」と軽くウインクをするティナ。そんな彼女に困ったように、だが楽しそうにイリアは微笑んだ。




 誰かが呼ぶ声が聞こえる。何度も、何度も。一体、誰が呼んでいるのだろう。

 ぼんやりと霞んでいた視界が、次第に鮮明になってくる。飛び込んできたのは、心配そうに覗き込む女性。ふんわりと波打つ明るい茶髪と、海のような青い瞳。


「……ルナ……ティア、か?」


 酷く掠れた声で女性の名前を呼ぶ。すると彼女は、みるみるうちに顔を歪めた。滲んだその目は、水面に波が立っているかのようだ。

 だが次の瞬間、彼女は険しい顔で静止の声を上げる。


「待って! 動いてはいけませんわ!」

「ここは……どこだ? 俺は……あいつ等は……?」

「ここは神殿の医務室です。貴方は一ヶ月以上眠ったままでしたのよ、ロメインさん」

「あいつ等は……アーサー、たちは……」

「彼等、は……」


 思わず、ルナティアは口籠る。ロメインの部下は皆、あの戦いで命を落としてしまったのだから。

 だが、彼に真実を告げていいのだろうか。聞けば心に大きな衝撃を受け、体の傷を癒す上で障害になるに違いない。とはいえ、いつまでも隠しておけるものでもない。

 彼女の一瞬の迷い。その空気は皮肉にも、彼に真実を悟らせてしまった。


「……そうか」


 ただ一言、ぽつりと吐き出す。ベッドに身を沈ませたまま、虚ろな瞳で天井を見上げる。その姿を前にして、ルナティアは言葉を失った。


「少し……一人に、して欲しい」

「ですが、」

「頼む……」


 目を滲ませながら懇願されては、彼の願いを聞き入れずにはいられなかった。彼女は頷き、静かに踵を返す。扉の向こうからは、微かに嗚咽が聞こえてくる。胸の痛みを堪えるように目を閉じ、彼女は立ち去った。

 一人残された病室で、ロメインは大粒の涙を流し続ける。体中が、心が、軋むように痛む。

 ひとしきり悲しみに暮れ、不意に、黒い影が脳裏に蘇る。目深のフードと、足元まで覆うローブ。その口元には、薄らと笑みが浮かんでいる。

 おもむろに頭を動かし、窓の外を眺める。そこには、どこまでも続く青空が広がっていた。


(どこかにいるはずだ……どこかに)


 この空は、彼等の元へ繋がっている。それを思うと、居ても立っても居られなくなる。だが、傷付いた身体では起き上がることも叶わない。そのもどかしさは、彼の中に種を植え付ける。


(必ず見付け出してやる……!)


 深い茶色の瞳に宿るのは、激しい怒りの炎。それに心を焦がしながら、拳を固く握り締めた。

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