王都滞在

第16話 王都エリュシェリン

 船がアクオラを発って数日後。茜色に染まるポートピアの港に降り立ったイリアとルイファスは、宿を取るために街へと繰り出した。

 海沿いの道路には煉瓦造りの家屋が建ち並び、漁業用の網がそこかしこに束ねられている。近海に豊かな漁場を持つこの街は、テルティスからの定期船が入港するだけでなく、漁業を生業にしている人も多い。

 だが、街を歩く人の中には、冒険者や学者が多く見られる。その影響か、訪れる宿は全て満室。ほとんどが長期滞在者らしい。

 そうして歩き回った末に二人が訪れたのは、街外れに佇む小さな宿。陽気な女将が営む隠れ家だ。

 客室は階段を上がった先。用意されたのは、一番奥の二部屋。互いに背中合わせで扉を開けると、ルイファスが振り返った。


「じゃ、また後でな」


 軽く手を上げ、機嫌良く部屋に入って行く彼の姿を見送り、イリアも扉を開けた。

 部屋に入るなり浴室で汗を流し、彼と共に食堂で夕食を取る。ライ麦パンに海藻のサラダ、メインディッシュは白身魚の蒸し焼き。地元の食材がふんだんに使われた、女将特製の料理だ。

 それ等に舌鼓を打ったイリアは、真っ直ぐに自分に当てられた部屋に戻る。窓際の椅子に座って剣の手入れをしていると、ドアが閉まる音が聞こえてきた。しばらくすると、夜の闇に染まる道を歩くルイファスの姿が見える。小さく笑みを浮かべ、席を立った。

 部屋を出て、階段を下りる。カウンターの向こうでは、女将が帳簿を書いていた。不意に、女将が顔を上げる。


「おや、どうしたんだい?」

「喉が渇いてしまって。お茶をいただいてもいいですか?」

「ああ、もちろん。自由に飲んでいきな」


 ロビーの片隅に設置されたドリンクコーナー。コーヒーと紅茶の二種類しかないが、宿泊客なら自由に飲むことが出来る。初めてのサービスだが、好きな時にお茶を楽しめるのはありがたい。

 魔法陣が刺繍された鍋敷きの上に、水を淹れたやかんを乗せる。鍋敷きに手を触れながら呪文を呟くと、しばらくして湯気が立ち始めた。そうしてティーポットにお湯を入れ、茶葉をゆっくりと蒸らす。女将が声をかけてきたのは、そんな時だった。


「それにしても、あんたたち、随分とタイプが違うんだねぇ。連れの色男は夜の街に行っちまったよ」

「ええ、知ってます。いつものことですから」

「なるほど、それが息抜きってことか。で、あんたは?」


 思わず、イリアは目を丸くする。その様子を見た女将は、ため息混じりに続けた。


「旅の理由は聞かないけど、ずっと固い顔してるのが気になってね。ここにいる間くらい、肩の力を抜きなよ」

「……ありがとうございます」

「そうそう、その顔。やっぱり女の子は笑顔が一番だね」


 優しい笑顔。温かい言葉。緊張の糸が緩んでいく。照れ臭そうに微笑むイリアに、女将は安堵の笑みを浮かべた。




 夜の街を歩いていると、路地の片隅に小さなバーが見えた。店先から感じるのは、しっとりとした落ち着いた雰囲気。誘われるように、ルイファスは扉に手を伸ばした。

 薄暗い店内はテーブル席が一つと、カウンターがあるだけ。小さい店だが、不思議と狭苦しさは感じない。店の大きさの割には通路が広く、余計なインテリアが置かれていないためだろう。

 ゆったりとした歩調で店内を進み、カウンターの席に腰を下ろす。すると間もなく、シェイカーを手にしたバーテンダーが前に立った。


「いらっしゃいませ。何にいたしましょう?」

「そうだな……マスターのオススメのカクテルがいいかな。軽いヤツで頼むよ」

「では、少々お待ちください」


 シェイカーを振る音の背景では、洒落た音楽が静かに流れている。それはしっかりと存在を主張しているようで、決して会話の邪魔をしない。耳に残る心地良さといい、ここまで好みをくすぐられるとは思わなかった。

 しばらくして、目の前に静かにカクテルグラスが置かれた。透明度の高い青色は海を思わせる。喉に流し込むと、仄かに柑橘類の香りが広がる。喉越しはさっぱりとしており、口の中で後を引かない。これならいくらでも飲めそうだ。

 そう思ってしまったが最後、満足よりも物足りなさに襲われる。結局は欲求に抗えず、同じカクテルで少し濃いものを注文した。

 それにしても良い店だ。酒を飲めて、考え事も出来る。頬杖をつき、そっと目を閉じて思考の海に身を沈めた。


「浮かない顔をしていますね」


 不意に、マスターの声が聞こえてきた。それと共に差し出されたのは、待望の青色。彼は一口だけ喉に流し込むと、ため息混じりに苦笑を浮かべた。


「捜しものがなかなか見付からなくてね」

「ああ、貴方も伝説の島を求めてこの街に?」

「伝説の島?」

「千年前の古の大戦の後、忽然と姿を消したと言われている島のことですよ。ご存知ありませんか?」

「名前だけは聞いたことがある。確か……オリンプ島だったか」

「ええ。最近になって、それらしい島がこの近海で発見されたんですよ。街の長期滞在者はそれが目当てという訳です」


 千年前、この世界のどこかに存在したとされる島。古の大戦が終結したのを境に、この世界から消えた伝説の島。

 ルイファスは小さく笑うと、残っていたカクテルを飲み干す。そして、やけに冷めた声で呟いた。


「なるほど……この街に来た連中の大半は、その島に乗り込んで一攫千金を狙おうって魂胆か」

「もっとも、島の周囲は濃い霧に覆われていて、誰も近付くことすら出来ないそうですがね。貴方は、そういったものに興味は無いんですか?」

「ああ、お伽話はとっくに卒業している。それに、目に見えるものしか信じていないからな」


 軽く笑い飛ばし、再びカクテルを頼む。そして幾らか雑談を交わした後、静かに席を立った。


「ごちそうさま。美味かったよ」


 硬貨をカウンターに置き、ルイファスはバーを後にした。




 翌朝。簡単に朝食を済ませて宿を出たイリアとルイファスは、真っ直ぐ王都へと向かっていた。

 ユグド大陸北部に広がるエリュシェリン王国。その中心地である王都は、テルティス領と国境を分かつルビオラ山脈の麓に位置している。また、街道沿いには大小様々な街が点在しており、それらを中継しながらの旅路。足はもちろん、ペーターから譲り受けた二頭の馬だ。


「この子たちがいて、本当に助かったわね。移動のこともそうだけど、動物がいると心が和むもの」


 イリアは笑顔でたてがみの辺りを撫でる。山脈に沿うように西に進む旅路は、魔物に襲われながらも順調だった。

 だがルイファスには、一つだけ気掛かりなことがあった。少しずつ現れ始めた異変。それがはっきりと姿を見せたのは、ポートピアを発って一週間が過ぎた時だった。

 この日は魔物との戦闘が続き、満足に休憩を取る暇も無かった。そうしている内に昼になり、川沿いの木陰で昼食を取り終えたのも束の間。彼女はてきぱきと片付けを始めたのだ。


「もう出発するのか?」

「ええ、そうよ。早く次の街まで行かなきゃ。予定よりだいぶ遅れてるもの」

「それはそうだが……」


 ルイファスは声を渋らせながら、二頭の馬を見やる。今はのんびりと水を飲んでいるが、移動に戦闘に、疲れていないはずがない。もう少し休ませてやりたいと思ってしまう。

 それでも、彼女の手は止まらない。すくっと立ち上がると、木の幹に繋いである馬の元まで颯爽と足を進めた。


「……イリア?」


 てっきり、手綱を解くものだと思っていた。だが彼女は、馬に寄り添ったまま。微動だにしない。

 不審に思い、彼が立ち上がろうとした、まさにその時。振り返った彼女は笑顔を見せた。


「ほら、先を急ぎましょう」


 顔は笑っているが、どこかぎこちない。それを見て、彼は眉をひそめた。


「ちょっと待て。今日はここで休もう」

「どうして? 次の街に行った方が、ゆっくり休めるわ」

「……分かった。それならこうしよう。今後は休憩を増やして、今日の目的地も変更する。少し行けば町があるから、そこで宿を取ろう」


 一刻も早く進みたい気持ちは分かるが、こればかりは彼も譲れない。顔を強張らせる彼女を、今度は彼の方が促しながら再び足を進めた。




 そうして二人は、王都エリュシェリンへ足を踏み入れた。

 城壁に囲まれた街はポートピアと同じく、煉瓦造りの建物が並んでいる。それ等がひしめき合う中央通りは人の往来が激しく、見ているだけで酔ってしまいそうだ。

 だが市民に混じって、騎士も数多く巡回しているのが目についた。同じ大陸のテルティスが襲撃を受けたのだ。これくらいの警戒は当然だろう。


「さて、これからどうする?」

「まずは陛下に挨拶をしなきゃ。有事とはいえ、他国で勝手に動き回る訳にはいかないわ」

「お前は本当に律義だな」


 思わず苦笑を漏らすが、反対はしない。意見が一致した二人は、街の奥へと進んで行った。

 中央通りを進んだ先、突き当たりに構えるのが王城である。力強く重厚な雰囲気はまさに、質実剛健の言葉そのもの。圧倒的な存在感に、すっかり目を奪われていた。

 ふと視線を下げると、門番の若い騎士と目が合った。彼は不審人物でも見ているかのような目をしている。それを怪訝に思いながらも、門をくぐろうとした、次の瞬間。


「ちょっと待て! お前たち、そこで止まれ!」


 騎士が声を張り上げて阻んできたのだ。不快感を露わにするルイファスに、騎士も険しい表情を返す。そんな中で先に口を開いたのは騎士の方だった。


「許可証はどうした? 早く出してもらおうか」

「許可証? そんな物が必要なんて初耳だぞ」

「テルティスの事件以降、事前に許可を得た者しか通せないことになっている。持っていないなら発行の手続きを取って、改めて来るんだな」

「それは、どれくらい掛かるんですか?」

「そうだな……今なら一週間は掛かるだろうな」

「一週間!? そんなに待っていられるか! 俺たちは――」

「おい、何の騒ぎだ!」


 食い下がるルイファスの言葉を遮るように、もう一人の声が響く。奥から出て来たのは、壮年の騎士。だが、イリアとルイファスを見た途端、彼の顔色が変わった。


「クロムウェル様! アシュフォード様!」

「……は?」

「おい、お前。何をボサッと突っ立ってる! テルティス聖騎士団のクロムウェル団長がお見えになったと、陛下に報告して来んか!」

「は、はいっ!」


 上擦った声を上げ、崖から転げ落ちるように駆け出した。気持ちが急ぐあまりに足がもつれ、人にぶつかりそうになりながらも全力疾走を続けている。そんな後ろ姿に盛大にため息を漏らし、騎士は二人の方を向き直った。


「まったく……テルティスからの使者に通行証は不要と通達が出ていたというのに。部下の非礼、私が代わってお詫び申し上げます」

「いいえ、彼は自分の任務に忠実に従っただけですよ」


 深々と頭を下げる騎士に対し、イリアはゆるゆると首を振った。失態を咎めようとしない態度に、顔を上げた彼は密かに安堵の息を吐く。そして、小さく笑みを浮かべて礼を告げた。

 しばらくして、若い騎士が戻ってきた。彼は息つく暇なく敬礼をし、矢継ぎ早に声を上げる。


「お待たせ致しました! 陛下がお待ちです。どうぞこちらへ」

「それでは謁見の間、馬はこちらでお預かりしましょうか」

「そうですね。よろしくお願いします」


 手綱を預け、若い騎士に先導されて謁見の間へ向かう。その途中、失礼にあたらない程度にひっそりと周囲を見回した。

 内装は外観と同様、シンプルで飾り気が無い。しかし、眩しい程の力強さがある。擦れ違う騎士が皆、精悍な顔付きをしていることも一因であろう。その鍛えられた肉体は、鎧の上からでも容易に想像出来る。

 そんな彼女を余所に、騎士は真っ直ぐに進んで行く。中央の階段を上がった先に鎮座するのは、厳かな空気を放つ重厚な扉。真っ先に目に飛び込んできたのは、獅子を象った紋章。世界一の軍事国家、エリュシェリン王国の紋章だ。

 三人が扉の前で立ち止まると、両側に控えていた騎士がゆっくりと押し開ける。その向こうに広がるのは謁見の間。彼女等の足元から伸びる赤い絨毯の先には玉座が設けられている。そこに座す初老の男が、エリュシェリン王国の現王、ロバート=エスト=ベル=ブレジアだ。

 イリアとルイファスは静かに室内に足を踏み入れ、頭を下げる。それを見るなり、ロバートはおもむろに立ち上がった。そして、歩み寄る彼女等に手を差し出す。


「お久しぶりです、陛下」

「うむ。テルティスが襲われたと聞いて、こちらからも救援部隊を送らせた。一日も早い復興を祈っておるよ」

「ありがとうございます。陛下のご厚意、感謝申し上げます」

「いやいや、同盟を結ぶ国の主として、当然のことをしたまでだ」


 笑顔で握手を交わして簡単に挨拶を済ませると、ロバートは玉座に戻る。そして、和やかに談笑が続けられた。




「では、失礼します」


 謁見を済ませた二人は、静かに部屋を後にする。襲撃者たちの情報は得られなかったが、国内を自由に行き来する許可は得ることが出来た。

 そして馬を引き取り、城の外へ。今度は敬礼をして見送る騎士の前を横切ると、街の中へと戻って行った。


「さて、次はガルデラ神殿に行くか」


 王都のガルデラ神殿は、王城の隣に建っている。情報屋を探すのは、それからでも遅くない。

 踵を返したルイファスに続けてイリアが足を踏み出した、まさにその時。目の前がぐらりと揺れた。彼女は深く息を吐き、心配そうに覗き込む馬に微笑み掛ける。そして、振り返って立ち止まる彼の元へ歩いて行った。

 それから間もなく、二人は神殿の前に立った。多くの参拝者が行き交い、大聖堂の扉も彼等を歓迎するように開かれている。その様子は在りし日のテルティスを彷彿とさせ、彼女の胸を締めつけた。

 その時、背後から声が掛かる。聞き心地の良い、優しいテノール。


「あの……もしかして、聖騎士団団長のクロムウェル様ではありませんか?」


 振り返ると、神官の少年が立っていた。腰まで伸びる濃い茶色の髪と、中性的な顔立ち。そして線の細さは、一見すると少女のよう。そんな彼が、目を輝かせてイリアを見つめている。

 だが不意に、その表情が曇った。


「大丈夫ですか? 随分、顔色が悪いですが……」

「……え?」


 今、彼は何と言ったのか。イリアには理解出来なかった。音が耳に届いただけで、それを言葉として処理出来なかったのだ。

 よく見ると、ルイファスも険しい顔で何かを訴え続けている。だが、何と言っているか分からない。それどころか、急速に意識が遠退いていき、目の前が暗くなる。


「おい、イリア! イリアっ!」


 糸が切れたようにその場に倒れ込む。周囲がざわめき立つのを気にも留めず、ルイファスは名前を叫び続けた。腕の中で意識を失っている彼女の肩を、きつく抱き締めながら。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る