第15話 王都への道

 闇夜を切り裂く稲光。それが幾度となく室内を照らす。そして、とめどなく轟く雷鳴が、見つめ合う両者の間の空気を震わせた。張り詰めた緊張感は切れることなく、そこに横たわり続ける。重苦しい沈黙と共に。


「おい、何とか言ったらどうなんだ?」


 痺れを切らしたアイラが先に問い掛ける。だがペーターは、いつまで経っても口を開こうとしない。それどころか、彼女の言葉が聞こえているかどうかも怪しいところだ。一切の反応を示さず、生気の抜けた瞳で見つめ返すばかりなのだから。

 ただただ時間だけが過ぎていく。しかし、状況が変わる気配は無い。だからこそ不審に思う。彼女は視線だけを動かし、目の前の『人形』を観察し始めた。

 微かだが、息遣いはある。無いのは表情や感情といった、人間らしさだけ。じっと佇む姿はまるで、魂を抜かれた状態で体を操られているかのようだ。


(操る……?)


 不意に頭を過った思考。その瞬間、ドアの外側にもう一人の気配を感じた。こちらに向けられているのは、明らかな敵意。

 咄嗟にベッドを飛び出し、ペーターの隣を擦り抜ける。同時に、何もない空間からナイフを数本取り出し、気配に向かって投げ付けた。勢いよく放たれたそれは、真っ直ぐドアに突き刺さる。そしていつでも次の攻撃に移れるよう、ナイフを手に警戒を向けていた。

 その時、緊迫した状況を楽しむかのような、クスクスと笑う声が降り掛かる。体を強張らせる彼女に、笑い声の主はさらに続けた。


「何なの? そのヌルい攻撃。そんなんじゃ、あたしは倒せないわよ」


 女の声が響く。程なくして開かれたドアから姿を現した人影を見て、アイラは息を呑んだ。先日の魔術師と同様、黒いローブを身に纏っていた。忘れもしない、狂気に満ちたあの空気。

 荒々しく渦巻く感情を少しでも鎮めるように、そっと息を吐き出す。そして、おもむろに口を開いた。


「貴様、何者だ? 神殿を襲ったのも、ヴォルデスを壊滅させたのも、貴様等の仕業なのか?」

「だったらどうする?」


 悪びれることなく言ってのける。まるで日常風景の一部を話すかのように。そんな口調に、一瞬にして全身の血が沸き上がる。

 すると女は、掌を突き出す。そして素早く何かを呟くと、床に赤黒い光の魔法陣が現れた。光は魔法陣の幾何学模様をなぞるように走り、空中に舞い上がっていく。

 次の瞬間、一際強い光が部屋を包んだ。そうして次第に光の奔走が収まっていった、その時。光の中から、ある影が現れた。


「コイツは……!」


 天井に頭が付くほどの巨体。大木かと見間違う太い足。棍棒を持つ手をだらりと下ろし、とぼけた表情で辺りを見回している。魔物の中でも屈指の怪力を誇るトロルだ。

 突然現れた魔物に、アイラは平静を装いながらも焦っていた。トロルは召喚の影響で混乱しているが、それもいずれ覚める。その時、こんな魔物が村の中で暴れれば、甚大な被害がもたらされるに違いない。

 だが、どうする。知能は低いが、それを補う怪力と頑丈さは厄介だ。中途半端な魔術では歯が立たない。確実に倒すには、トロルが隙だらけの今、威力の高い魔術で一気に叩くしかない。

 アイラが詠唱を始めようとした、まさにその時。女は横笛を取り出すと、静かに音色を奏でた。そうかと思えば、徐々にトロルの目付きが変わり始める。狂気に満ちた目。


「っ、くそ……!」


 舌打ちと共にペーターの腕を掴み、ベッドの影に飛び込む。次の瞬間、振り下ろされた棍棒がベッドを真っ二つに割った。そしてそのまま振り上げ、腕をぶんぶんと振り回す。その衝撃で壁や屋根が崩れ、激しい雨が降り込んできた。それでも暴れ続けるトロル。これではいつ屋外へ出て行くか分からない。


「さあ、どうする? 早くしないと小屋ごと潰れるよ?」


 この部屋が戦場と化しても平然としているどころか、楽しんでいる風にも見える。そして彼女に操られ、気が狂ったように暴れ回るトロル。両者を睨み付ける間にも、この状況を打破する方法を必死に探していた。

 その時、やや離れたところで雷鳴が轟いた。それからいくらもしないうちに、今度は近くに雷が落ちる。空気が震え、昼間のような眩い光が辺りを覆った。


「……ホークアイ」

「何? 姐さん」

「ほんの少しでいい。あいつの気を引いて、外におびき出して欲しい。……頼めるか?」

「もちろん!」


 力強く答えるなり、トロルに向かって飛び出した。羽で目を叩いたことで鬱陶しそうに払われるも、ホークアイはそれをひらりとかわす。

 そんな攻防を繰り返すうちに、トロルは激昂して彼を追い回し始めた。

 これはチャンスと、ホークアイは窓の外に飛んで行く。すると案の定、トロルは彼を追い掛ける。それを確認すると、アイラはペーターに向き直り、素早く呪文を唱えた。


「スリープ!」


 発動させたのは睡眠の魔術。意識を飛ばした彼をその場に横たえさせ、自身はベッドの影を飛び出す。そして、激しく雨が降る中でもなお暴れ続けるトロルを見つめ、精神を集中させた。すると、彼女の足元に黄色い光を放つ魔法陣が浮かび上がる。


「断罪の意思 滅びの光よ 破壊を齎す裁きの鐘を打ち鳴らし 我を阻む者たちに鉄槌を下せ サンダーストーム!」


 呪文の詠唱に応えるかのように、上空にバチバチと静電気が走り始める。咄嗟にホークアイはトロルの脇を擦り抜けて彼女の元へ。そして静電気は瞬く間に一つに集まっていき、次の瞬間、一気に放出された。

 幾つもの稲妻が雨のようにトロルを襲い、目を開けていられない程の強い光が周囲を照らす。と同時に、雷鳴と共に断末魔が響き渡る。それらが消えた時には、黒焦げの巨体から煙が上がっていた。

 次は魔物使いの女の番。意気込んで振り返るが、女の姿はどこにも無い。


「ふーん……なるほどね。これなら及第点をあげてもいいかな」


 ハッと目を見開き、振り返る。するとそこには、何食わぬ顔でトロルの死骸を観察する女がいた。

 その時、女が振り返った拍子に、彼女の桃色の髪が一房、ふわりと靡く。その口元には、不敵な笑みが浮かんでいた。


「まさか、お前は……村長の――」


 次の瞬間、彼女の周囲の空気がぐにゃりと歪み始めた。その歪みは時間が経つにつれて大きくなり、すっぽりと彼女を包むまでになる。


「今日はただの様子見。でも、これ以上邪魔すると容赦しないわよ」


 言い終えると共に、彼女の姿は掻き消えた。混乱の傷跡だけを残して。




 ウェスティン村を発ち、獣人の少年、アウルと別れてから約半月。森の間を通る街道を進んでいたイリアは、隣のルイファスの方を振り向いた。


「戻ってきたわね、この街に」

「ああ。長かったような、早かったような……」


 遠くに確認できるのは白壁の街並み。太陽の光が反射して、全体が輝いているように見える。活気溢れる港街、アクオラだ。

 思えば、この街を発ってから今まで、本当に様々なことがあった。落ち着く暇も無く過ぎていく日々。一方で神殿にいた時は、いつも穏やかな時が流れていた。その影響か、ここ最近は時間の流れがとても速く感じられた。

 そうこうしている間に、二人は街中に入って行った。多くの人が行き交う道を、馬を引いて歩く。そうして向かった先は、神騎士団の詰め所。ニコルの元へ行っている間、馬を預かってもらうためだ。

 隊長、レイ=ロズウェルの了承を得て馬を引き渡すと、今までの働きを労うように体を撫でる。すると、二頭の馬は安堵の息を吐くように鳴き、裏の馬小屋へ向かう騎士に大人しく付いて行った。


「これであの子たちもゆっくり休めるわね。ここまで長旅だったもの」

「それもあるが、馬を連れて行こうにも、あのボロ屋には入らないからな」

「家の中に入れないなら、外に繋いでおけばいいんじゃないの?」

「お前な……盗まれると分かっていて、そんなこと出来る訳がないだろう」


 きょとんと目を瞬かせるイリアに呆れ返り、ルイファスは苦笑を漏らす。そして二人は路地裏へと入って行った。

 相変わらずガラの悪い連中が往来する道を通り抜け、さらに奥へと進んで行く。この雰囲気は、そう簡単に慣れるものではない。そんなことをイリアが思っていると、正面にニコルの家が見えてきた。

 遠くからでも年季が入っていることが分かる建物。その印象は近くに来ると、より一層に強調される。まるで廃屋だ。そこにテルティス領一の情報屋が住んでいるなど、誰が思うだろうか。

 迷いなく真っ直ぐに進んでいたルイファスが扉の前に立ち止まり、押し開ける。と同時に上部から鐘の音が鳴り響き、家主に来客を知らせた。


「おお、おめぇらか。そろそろ来る頃だと思ってたぜ」


 戸口に立つ二人を目にした途端、ニコルはニヤリと口元を引き上げた。それに応えるように、ルイファスも笑みを浮かべて室内に足を踏み入れた。イリアは会釈を返し、それに続く。


「聞いたぜ。ヴォルデスが壊滅したらしいな」

「ああ、アイラから聞いたよ」

「そうか……」


 気の弱い人間なら見ただけで怯むニコルの強面が、一瞬だけ緩む。感慨深い、その優しげな眼差しに、イリアは目が離せなかった。

 だが、次の瞬間にはいつもの顔に戻っていた。彼の心の内が気になりつつも、イリアは思考を別の方向へと進ませる。

 しかし、そんな彼女の思いを他所に、彼は肩を竦めて首を振る。そしてため息交じりに口を開いた。


「だが今回は、おめぇらの期待しているような情報はねぇよ。それに関しては、逆にそっちのが詳しいだろうからな」

「そうか……。それなら、黒髪と茶髪の男、ピンクの髪の女の三人組の情報はあるか?」

「黒髪と茶髪ね……そんなヤツ、この世界にはゴロゴロいるからな……。逆にピンクの髪は珍しい……が、そんなヤツを見たって情報はねぇな」

「そうなんですか……」


 イリアが肩を落とす。新しい情報を期待していただけに、落胆は隠せない。

 だがニコルは、明るく笑い飛ばすように「心配すんなって!」と声を上げた。


「王都の情報屋が巫女さんの失踪と関係があると思しき情報を得たって話だ。それに、王都のガルデラ神殿でも独自に情報収集してるらしい。そっちを頼るのも手だぜ」

「ヘレナ失踪と関係がある、だと? 一体どんな情報なんだ?」

「失踪と同じ時期に、ある異変が起こったらしい。とんでもねぇもんだって話だが、こっちはまだ何も把握してねぇ。なんせ違う国のことだからな。王都一の情報屋を紹介してやるから、詳しいことはそっちに聞いてくれ」

「王都一……それはどんな人なんですか?」

「名前はヒース=シュルバッツ。王都に着いたらまず、サラ=ブルーセルって女を捜せ。で、その女に俺からの紹介だって言えばいい」

「サラ=ブルーセルさんですね。分かりました。ありがとうございます」


 王都にどんな情報があるかは分からない。だが、ヘレナと関係があると言っているのなら、確かめる価値はある。


「いいってことよ。テルティスで欲しい情報があれば、いつでも来いよ」


 ニッと笑みを浮かべ、軽く彼女の肩を叩く。そんな彼の瞳は優しく、まるで彼女を通して別の誰かを見ているような。親が我が子を見つめているような。そんな感覚を覚える。不思議と目が離せない。

 その時、ニコルは思い出したように「そういえば」と口を開いた。そして、ルイファスの方を振り返る。


「アイツは元気にやってるか?」

「ああ、相変わらずだ」

「そうか……ならいいんだ」

「次に会った時は、たまには顔を見せろと言っていたと伝えておくよ」

「馬鹿、おめぇ、余計なこと言うんじゃねぇよ!」


 軽く笑うルイファスと、照れ臭そうなニコル。彼等が言う『アイツ』とは誰のことか、イリアには分からない。だがきっと、ニコルの大切な人であろう。顔は不機嫌そうだが、目は先程と同様、優しい輝きを帯びていたのだから。

 何はともあれ、これで次の目的地は決まった。エリュシェリン王国の首都、王都エリュシェリンだ。アクオラからポートピア行きの定期船に乗り、そこからは陸路で王都へ向かう旅。ポートピアはエリュシェリン王国の南東部に位置する港街だ。商人はもちろん、テルティスへの巡礼者も多く利用している。

 早速、船のチケットを買おうと二人が踵を返した、その時。


「顔見せろとは言わなくてもいいが、無茶すんなとは伝えとけ」


 わざと顔を背け、呟くように吐き出した言葉。それを受け、じっと彼を見つめていたルイファスは、「ああ、分かった」と静かに頷いた。




 詰め所に預けていた馬を引き取り、定期船に乗り込んだ。それから間もなく、船はゆっくりと動き出す。作業員たちの威勢のいい声や、出航を知らせる笛の音と共に。波を掻き分け、静かに桟橋を離れて行った。

 多くの客で賑わう甲板に立ち、イリアは徐々に遠くなるアクオラの街を眺めていた。次にこの街に戻って来るのは、一体いつになるのか。果たしてその時、隣にヘレナはいるのだろうか。


「イリア」


 突如として聞こえてきたルイファスの声に、勢いよく振り返る。そこには、呆れたように歩み寄る彼の姿があった。その手に持っているのは、白いストール。


「いつまで経っても部屋に戻らないようだから、どこで何をしているかと思えば……。いつまでボーッとしているつもりだ? 風邪を引いても知らないぞ」


 苦笑を漏らしながら、ストールを手渡す。小さく礼を告げながら受け取り、周りを見回してみる。あんなにいた人はいつしか、甲板にまばらにいるだけとなっていた。そして太陽は西に傾き、空が茜色に染まっている。

 それに気付いたイリアの顔は、瞬く間に赤く染まっていく。その様子に、彼は小さく笑みを浮かべた。そうかと思えば、ゆったりとした歩調で隣に並び、縁に手を掛ける。頬杖をつくと、覗き込むように見つめてきた。ネイビーの瞳が彼女を捕らえて離さない。優しげな眼差し。

 暗く沈んだ気持ちが癒されるのを感じながら、イリアは思い出したように口を開けた。


「そういえば、ニコルさんが言ってた『アイツ』ってどんな人なの?」

「え?」

「だって、大切な人を思い出しているような顔をしてたから」


 普段は泣く子も黙る強面なニコル。そんな彼は、『アイツ』の話題が出てくると、とても優しい顔をする。それが印象的だった。


「娘……いや、違うな。娘みたいな弟子だな。自分の後継者として育てていたが、そいつはそれを断ったんだ」

「どうして?」

「さあな。聞こうとも思わないが、聞いたところで話さないからな。……もういいだろう。部屋に戻るぞ」


 軽く彼女の背を叩き、船室へ向けて踵を返す。しばらくして、おもむろにイリアも足を踏み出した。

 彼等の頭上には、幾つもの星が輝いている。海を進む船を、道を歩み続ける人を、導くように。

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