第12話 闇の胎動

 薄暗い通路で向き合う二人。限界まで張り詰められた緊張感が、重い沈黙で淀んだ空気をピリピリと震わせている。不意に、男は口元をニヤリと引き上げた。


「さて……一体、何のことやら? 私には皆目、見当が付きませんね」

「あくまでもとぼける気ね……まあいいわ。貴方に聞きたいことがあるの」

「聞きたいこと? 何でしょう」


 先に沈黙を破ったのは男の声。わざと感情を煽っているような響きを含んでいる。

 それに答えたのは女だ。彼女は努めて感情を抑えている。だが、すぐに感情を露にし、詰め寄った。


「何故、村を燃やしたの。計画には関係無い場所のはずよ。彼等を始末するだけで良かったのに……!」

「見せしめと警告ですよ。計画の邪魔をするな、とね。でもそれは、貴女のことでもあるんですよ。ねえ? エレナ=クラウンさん」


 ゆったりとした動作で女の脇を通り抜けた、その時。男は女の名前を囁いた。一瞬で女の空気が変わる。言葉を呑み込むその様子は、明らかに動揺していた。

 男は冷たい笑みを残し、闇へと消えて行った。残された女は奥歯を噛み締め、拳をきつく握り締める。そして、力任せに壁を殴った。鈍い音が通路に虚しく響き渡る。それでも鎮まる気配は無い。しばし佇み、荒れ狂う感情に身を委ねていた。




 ウェスティン村が炎に呑まれて数日。イリアたちは村の復興に手を貸していた。焼けた廃材の片付けをする一方、比較的被害の少なかった家屋から補修する。アイラが目を覚ましたと知らせを受けるまで、体感した時間はあっという間だった。

 そうして彼女等が向かったのは、村の郊外にある木造の建物。奇跡的に火の手を免れたここを、診療所として使用しているのだ。アイラはその一室で体を休めている。

 木に包まれた廊下を進み、一番奥の部屋の前で立ち止まった。軽くノックすると、入室を促す声が返ってくる。扉を開けて目に入ったのは、上半身を起こしている彼女の姿。そして、開かれた窓枠に留まっているホークアイ。そんな二人の顔が、揃って入室者を見つめていた。


「イリアにルイファスか。すまないな、こんな状態で」


 申し訳なさそうに目を伏せるアイラ。イリアはベッドの脇まで歩み寄ると、しゃがんで彼女の手を取った。優しく包み込み、ゆるりと首を振る。


「気にしないで。まだ安静にしてなくちゃいけないんだから」

「ありがとう」


 柔らかく微笑むアイラ。顔色も大分良くなっている。イリアは胸を撫で下ろし、静かに立ち上がった。

 不意に、アイラの顔が強張る。彼女はベッドに入ったまま手を伸ばすと、サイドテーブルに置かれたナイフを持ち上げる。それを自分の膝の上に乗せ、じっとイリアとルイファスの顔を見つめた。


「お前たちに聞いてもらいたいことがあるんだ。あの時、屋敷で何があったのか」


 手元にあるのは、柄に飾り紐が巻かれたナイフ。その紐の端には小さな石がくくり付けられている。

 彼女が石を握り締めると、淡く光り出した。そしてゆっくりと点滅を繰り返す。それに呼応するかのように、辺りに男の声が響き渡った。




 ガルデラ神殿の通路を、とぼとぼと歩く。時折漏れるため息。晴れ渡る空とは対照的に、心には厚い雲が広がっている。

 原因は、つい先程のこと。休憩室に入ろうとした時、少女たちの雑談が耳に入ってきた。話題に上がっていたのは、かけがえのない大切な人のこと。少女たちはその人物とトラブルがあったらしく、怒りを隠す事なく愚痴を吐き合っていた。

 だがその人物は、人付き合いに不器用なだけで、心根は優しい人なのだ。それを周囲の人は知らず、見た目や雰囲気で誤解している。

 しかし今回もそれを訴えることが出来ず、そのまま立ち去ってしまう。太陽のように明るい声と出会ったのは、酷い自己嫌悪に陥っている時のことだった。


「おっ、ジュリアじゃねぇか! ちょうどいい。聞きたいことがあるんだ」


 顔を上げると、ニッと笑みを浮かべた男が彼女の方へ歩み寄ってきた。白いタオルを首から下げ、タンクトップから伸びる太く逞しい腕には汗が滲んでいる。また、膝下にかけてゆったりと広がるズボンは、踝の辺りで絞られている。どこから見ても大工職人だ。

 その様に、彼女はクスクスと笑う。彼もれっきとした騎士である。それにも関わらず、周りを歩く、きっちりと制服を着こなした騎士とは大違いだ。だが、それがやけに板についているのも事実。

 そんなことを頭の片隅で思いながら、目の前に立った彼の顔を見上げる。そして、「お疲れ様です」と声を掛けた。


「聞きたいことって何でしょうか、フェルディールさん」

「ロメインの容態はどうだ? 目は覚めたか?」


 フェルディールの問い掛けに、ジュリアは静かに首を横に振る。そして顔を伏せてしまった。

 それで全てを察した彼は、何も言うことは出来なかった。だが、沈黙が流れたのはほんの少しだけ。再び声を上げた時には、悪戯っぽい顔をしていた。


「ったく、しょうがねぇ奴だな。早く起きろって引っ叩いてやれ。ルイファスもいねぇし、酒飲み仲間が減ってつまらん」

「目が覚めても、お酒はしばらく駄目ですよ。一度飲み始めたら、かなりの量を飲まれるそうじゃありませんか。ルナティアさんに見付かりでもしたら大変ですよ?」

「そりゃあ確かに厄介だ。あいつはそういう鼻がよく利くからな」


 そう吐き出した苦々しい顔からは、過去に一悶着あったことは想像に容易い。


「そういや、何かあったのか? 辛気臭ぇ顔して歩いてたが」

「え? あ、いえっ、あの、何でもないんです!」

「ならいいんだけどよ。何なら、俺からルナに言っといてやろうか。てめぇは休まなくても、部下はちったぁ休ませろってな」


 フェルディールの言葉に、とんでもない、といった風に首を振る。そんな彼女を意に介さず、それどころか軽く笑い飛ばしながら、彼は足を進めた。何でもない、という言葉を疑いたくなる程に沈んだ表情を気に留めながら。




 全ての音声を聞き終え、室内が静寂に包まれる。その場にいた誰もが顔を強張らせる中、石から発せられる光が徐々に消えていく。しかし、どの口も固く閉ざされたまま。ただ一人、現場にいたアイラが先陣を切った。


「これが、私が聞いた全てだ。その後間もなく、屋敷が崩れ落ちた」

「お前以外で脱出した奴は?」

「残念ながら、見ていないな」


 彼女の声が部屋を通り抜け、イリアの胸を深く突き刺した。言い様の無い悔しさが込み上げ、眉間にしわを作る。ぐっと拳を握り締め、奥歯に力を入れた。

 ここまで来たのは、ヴォルデスを捕らえるため。そうすればヘレナの居場所を聞き出すことができる。神殿での平和な日常が戻ってくる。そう信じていた。


「だが、手掛かりが途切れた訳じゃない」

「そうね。その魔術師を追えば……」


 ルイファスの言葉に、皆がしっかりと頷く。ここで彼女等は、得られた情報を一つずつ整理することにした。

 確実なことは、不気味な実験の噂が魔物を操るためのものであったこと。その技術はヴォルデスではない、第三者である魔術師が提供していたこと。


「そのことだけど、魔物や家畜が凶暴化したのは、その実験で発せられる音のせいみたいなんだ。村に近くなる程、強い影響を受けてたみたいだし」

「なるほどな。あれ以来、家畜が大人しいのはそのためか」


 ホークアイの言葉に、アイラが頷いた。屋敷が崩れ落ちたことで実験が中断され、効果を失ったのだ。ここ数日の穏やかな様子を見ていると、今までがいかに異常だったかすぐ分かる。


「でも何故、魔術師たちはヴォルデスを利用したのかしら」


 眉をひそめ、真剣に考え込んでいたイリアが発した疑問。魔術師の話ぶりからその実験は、彼等の計画の中でも重要な意味を持つことが推測できる。そんな実験を何故、外部の人間にやらせたのか。


「現状では見当も付かないが、何か大きな理由があると考えていいだろう。それも含めて、もっと詳しく調べる必要があるな」

「姐さん……」


 ホークアイの心配そうな声。敵の拠点に潜入した結果、瀕死の重傷を負わされたのだ。イリアも複雑な表情でアイラを見つめている。そんな二人に、彼女は小さく笑みを浮かべた。


「大丈夫だ。次は上手くやる。それよりも、お前たちはどうするんだ?」

「アクオラに戻る。もしかしたら、新しい情報が入っているかもしれないからな」

「そうか。気を付けて行けよ」

「ああ、お前もな」


 ルイファスは軽くアイラの肩に手を乗せ、部屋を出て行った。だがイリアは、その場に立ち尽くしたまま。


「ほら、お前も早く行かないか。ルイファスが待ってるぞ」

「分かってるわ。でも……」


 語尾を濁らせるイリア。その彼女を前に、アイラは困ったように眉を下げた。


「私を心配してくれるのは嬉しい。だが、お前にはお前の、私には私のやるべきことがある。それを忘れたのか?」

「大丈夫だって! なんたって、この俺が付いてるんだからさ!」


 力強いホークアイの言葉と、早く行くように促すアイラの瞳。そんな二人の顔を、イリアは交互に見つめていた。

 しばらくすると彼女は目を伏せ、「そうね」と小さく頷く。後ろ髪を引かれながら、黙って扉の方へ向かって行った。だが、部屋を出る前に一度だけ振り返る。そして一言を残し、扉を閉めた。

 彼女が出て行ったことで、再び静寂が戻ってくる。と同時に、最後に見せた表情を思い出し、アイラは苦笑を漏らした。


「無理しないでね……か。それはこちらの台詞だというのに」

「でも俺、イリアちゃんの気持ち分かるな。あんなに酷い怪我をしたんだから」


 悲痛に満ちた声。もしも彼が人間だったら。胸の痛みを堪え切れず、今にも泣きそうな顔をしていることだろう。

 倒れている彼女を見た時。あの時ほど、生きた心地がしなかった時はなかった。心臓を鷲掴みされたような、鈍い痛み。全身の血の気が引き、不気味な寒気に震えたこと。


「また一人ぼっちになるんじゃないかって思ったら、凄く恐かった。だって、姐さんが初めてなんだ。誰かと一緒にいるのが、こんなに楽しいものなんだって思えたのは」


 様々な感情が籠った金の瞳。そこに渦巻く色は、とても一言では言い表せない。それがじっと、アイラを見つめていた。




 イリアが建物の外に出ると、扉の脇にルイファスが立っていた。彼は背中を壁に預け、腕を組んだままじっと一点を見つめている。自分の思考に耽っているようだ。

 不意に、彼と目が合った。彼は僅かに目を丸くしたかと思えば、スッと細める。そうして開かれた口から出された言葉は、案の定、なかなか来ない彼女を責めるものだった。


「何をやっていたんだ。遅いぞ」

「……ごめんなさい。でも、アイラが心配で」


 目を伏せ、肩を落とす。そうして吐き出された言葉は、とても騎士団の長とは思えない。仲間の身を案じる少女そのものだった。

 それを聞いたルイファスは呆れ顔。そして、深く長いため息を吐き出した。


「ヘレナも心配で、アイラも心配か。基本的に一つのことしか出来ないお前に、そんな余裕があるのか?」

「それじゃあ、何? アイラの心配をしちゃいけないって言うの?」


 刺々しい声を上げ、食って掛かった。険しい目つきで彼を睨んでいる。そんな彼女に再度ため息を吐き、今度は宥めるように語り掛けた。


「そうじゃない。しちゃいけないんじゃなくて、する必要はないということだ」

「同じじゃない。何が違うって言うのよ」

「仲間なら信じろ。アイラに別行動を指示したのはお前だろう。だったらアイラに任せて、お前はお前の進む道だけを見ていればいい。……なんて言ったところで割り切れる程、お前が大人じゃないのも分かっているがな」


 言いながら苦笑を浮かべ、彼女の頭に軽く手を乗せる。すると、しかめられていた彼女の顔が次第に変わっていった。俯き、きつく唇を引き締めている。眉間には苦しげなしわ。伏せられた目の奥にある翡翠色の瞳は、風に吹かれたように揺れていた。

 彼女とて、彼の言いたいことは分かっていた。頭の中では。

 だが実際は、彼女の魔術をもってしても、敵には遠く及ばなかった。その事実が雷に打たれたような衝撃を与え、心を揺るがしたのだ。体の横に垂らした拳に力が入る。

 その時、小刻みに震える彼女の肩に手が乗せられた。不意に訪れた温もりに顔を上げる。その先にあったのは、優しい笑みを浮かべた彼の顔だった。


「安心しろ。お前は間違っていない。お前は最善の判断をした。俺はそう思う」

「ルイファス……」

「それに、お前のそういうところ、俺は嫌いじゃないしな。さ、行くぞ」


 軽く肩を叩き、彼は踵を返す。彼女はその背中を見送り、静かに目を閉じた。一呼吸を置いて再び目を開き、小走りで後を追う。真っ直ぐに前を見据える瞳には、先程のような色濃い迷いは無い。

 そうして彼女が横に並んだのを横目で確認すると、彼は若干速さを増した。

 すると、向こうから壮年の男性が歩いて来た。ウェスティン村の村長、ペーター=イオニス。にっこりと笑みを向けて挨拶をするイリアに対し、彼も笑顔を返した。


「スティングレイ様の意識が戻られたそうですね」

「ええ。村長も一度、自宅で休まれては? あれから帰っていないでしょう」

「気付いておられましたか。いえ、村のことが気になって、自宅にいても落ち着かないもので」


 ルイファスの指摘に苦笑を浮かべる。その目の下には、うっすらと隈が浮かび上がっていた。そして彼は、思い出したように口を開く。


「お二人が村を発たれる前に、是非お連れしたいところがあるのです。少し、お時間はよろしいでしょうか?」


 イリアとルイファスが不思議そうに顔を見合わせる。ウェスティン村は、一日もあれば周り尽くしてしまうような小さな村だ。それを今さら、どこへ案内しようというのか。

 だが、無下に断るのも憚られる。この村に滞在する間は家に泊まらせてもらうなど、随分と世話になったのだから。

 正面を向いたイリアは、困った顔をしながらも頷いた。


「それは構いませんが、私たちを連れて行きたいところとは?」

「到着してからのお楽しみです」


 胸を撫で下ろしたペーターは踵を返した。そして村の奥、先代村長の屋敷跡地の方へと進んで行く。心なしか、足取りも軽く見える。

 イリアとルイファスは、どちらからともなく顔を見合わせた。肝心の答えは聞けずじまい。すっきりしない気分を味わいながらも、二人は彼の後を追った。




 三人の背中が小さくなった頃、木の陰から一人の女性が姿を見せた。つむじ風に弄ばれる、桃色の髪。彼女はそれを、口を尖らせながら押さえている。空色の目を、さらに細めながら。

 ふと、彼女は診療所へと視線を移した。その後、ペーターたちが去った方を眺める。そして彼女は、再び木の陰に身を隠す。周囲に再びつむじ風が吹いたのは、それから間もなくのことだった。

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