第11話 悪夢、再び

 太陽の光をことごとく吸収する漆黒のローブ。表情は目深なフードで隠され、窺い知ることは出来ない。地下室で見た魔術師が、ゆっくりと歩いて来る。

 時間にすれば、数分にも満たない。だが、何時間も過ぎたような感覚に陥りながら、次第に大きくなる人影を凝視する。と同時に、表情の険しさも増していった。

 しばらくして、ついに目の前で足が止まる。眼光も鋭さを増す。そんな彼女を涼しい様子で受け流し、魔術師は口を開いた。


「貴女だったんですね。我々の周りを嗅ぎ回っていたのは」

「だったらどうする。私は奴等のようにはいかんぞ」


 言葉だけは強気に返す。そして、いつ戦闘が始まってもいいように、密かに詠唱を完了させておいた。素早く反応出来るように体の力を抜き、相手の動きを注視しながら。

 そんな彼女とは対照的に、魔術師は余裕の笑みを口元に浮かべた。


「涼やかで、凛とした魔力……なるほど。貴女、よく見れば素晴らしい魔力を持っていますね。どうです? それを私のために使ってみませんか?」

「断る。私は、ヘレナのためにこの力を使う。そう誓ったのだからな」

「ヘレナ? ああ、なるほど。彼女のために……そうですか。無駄だと思いますけどねぇ」


 魔術師は何度も小さく頷く。そして鼻で笑った。

 その笑いに、一瞬で全身の血が沸き上がる。しかし、すぐに冷静さを取り戻した。この態度を見れば、ヘレナについて何か知っていることは確実だ。


「いずれにせよ、貴様は襲撃実行犯の仲間なのだろう。ならば、ここで捕らえるまで!」


 先手必勝、と言わんばかりに手を前に突き出す。そこに現れたのは赤い光の魔法陣。そして、そのまま手を頭上に振り上げた。詠唱を完成させておいた、炎の魔術を発動させたのだ。

 瞬く間に溶岩が湧き上がり、空高く上がった火柱が魔術師を囲い込む。気持ちが乱れていたのか、炎の勢いも荒々しい。轟々と声を上げている。


「炎の中級魔術ですか。素晴らしい威力ですが、まだまだですね」


 その瞬間、アイラの目が見開かれる。炎の中から魔術師の涼しい声が聞こえてきたのだ。

 すると、怒り狂うように燃えていた炎が霧散していった。そこに立っていたのは、炎に飲み込まれる前と何ら変わらない魔術師の姿。


「今は貴女と戦うつもりはありません。ですが、そんなに戦いたいのなら、少し相手になりましょうか」


 屋敷の地下で見せたように、魔術師の周囲で魔力のつむじ風が起こった。あまりに強い風力に周囲の木々が悲鳴を上げ、幾つもの瓦礫が宙を舞う。

 不意に、魔術師が軽く手を払う。次の瞬間、風の刃がアイラに襲い掛かった。それを魔力の防護壁で跳ね返そうとするも、力の差は大きい。壁はいとも簡単に破られてしまった。刃は彼女の体に傷を与え、体ごと吹き飛ばす。咄嗟に、自分の周囲に防護壁を張った。


「がっは……!」


 木に衝突し、そのまま倒れ込む。術の効果も虚しく、背中には激痛が走り、上手く息が吸い込めない。目眩にも襲われ、起き上がることすらままならなかった。

 すると突然、髪を掴まれて顔を上げさせられる。目の前が霞みながらも焦点を合わせると、そこには魔術師の顔があった。精一杯の気力を掻き集め、その顔を睨み付ける。そんな彼女を、満足そうな笑みを浮かべて見つめていた。


「まだそんな顔が出来るんですか……面白い」


 彼女の髪を掴んでいた手を勢いよく振り払い、立ち上がる。そして倒れたままの彼女を見下ろし、冷たく言い放った。


「今日はこれで帰ります。ですが、これ以上邪魔をすると、命はありませんよ」


 殺気を込めた警告。先程まで浮かべていた薄い笑みは、影も形もない。

 すると魔術師は、屋敷だった瓦礫の山を見つめる。そして指を差した、次の瞬間、指先に炎が現れた。振り払われた炎は勢いよく飛んでいき、瓦礫の山が激しく燃え上がる。

 今度は集落の方へ視線を移すと、同様に幾つもの炎を飛ばした。家屋が、家畜小屋が、次々に炎に呑まれていく。

 魔術師は踵を返し、立ち止まる。足元に現れたのは、青白い光の魔法陣。光は次第に強さを増し、弾け飛んだ次の瞬間、一陣の風が吹き抜ける。と同時に、魔術師の姿もまた、忽然と消えていた。




 ウェスティン村まであと僅か。旅路は順調で、イリアの足取りも軽い。ようやくヴォルデスの拠点の情報を掴み、近付いているのだ。否が応にも気持ちが逸る。

 その時、どこからともなく彼女を呼ぶ少年の声が聞こえてくる。と同時に、ルイファスは面倒臭そうに眉をひそめた。

 そんな彼に、イリアは苦笑を滲ませる。そうして頭上を見れば、一羽の鷹が旋回していた。すると間もなく、「イリアちゃーん!」と嬉々とした声を上げながら、彼女の肩へ飛び乗って来る。甘えるように擦り寄る彼に、彼女は微笑みながら体を撫でた。


「久しぶりね、ホークアイ。調査の方は順調?」

「もちろん! 今だって、集めた情報を姐さんに伝えに、ウェスティン村まで行くところだしね」

「偶然ね。私たちもウェスティン村に向かってるの」

「そうなの? だったら一緒に行こうよ!」


 猫撫で声を上げ、頬擦りしながら同行をねだるホークアイ。こうして慕ってくる姿は可愛らしく、思わず笑みが溢れる。

 そんな彼にイリアは、目を細めて了承した。すると、飛び上がらんばかりに喜びを表現する。しかし、ある一点を見つめ、不満そうな声を上げた。


「でも、ここにお邪魔虫がいるんだよなぁ。本当はイリアちゃんと二人きりがいいんだけど、しょうがない。我慢してやるか」


 彼の視線の先にはルイファス。その顔からは、苛立ちを堪えている胸の内が手に取るように分かる。イリアは、ため息が漏れるのを抑えられない。


「我慢するのは俺の方だ……」

「おい、コラ。ちょっと待て! 何だよ! その、俺が悪いみたいな言い方!」

「紛れもない事実だろうが」

「何だとー!?」

「もう、二人共! 仲良くして、なんて言わないから、せめて喧嘩だけはしないでちょうだい」

「違うんだよ、イリアちゃん。コイツの存在そのものが、俺に喧嘩を売ってるんだよ!」

「喧嘩を売っているのはお前の方だろうが」


 端正な顔が引き攣り、わなわなと声を震わせる。


「まったく、毎回毎回鬱陶しい奴だな。いい加減にしないと焼き鳥に――」

「ぎゃー! イリアちゃん聞いた!? 酷くない!? もう、あったまきた! こんな鬼畜野郎のことなんて放っといて、二人で行こ! ……イリアちゃん?」


 彼女の肩に乗ったまま、ホークアイは不思議そうに顔を覗き込む。しかし彼女は、ある一点を凝視し、体を硬直させていた。よく見れば、ルイファスも同じ方を向いている。彼は不思議に思いながら、同様に振り向いた。

 目に飛び込んできたのは、黒い煙。空を覆い尽くさんばかりの煙が、もうもうと上がっている。

 ハッとしたホークアイは素早くイリアの肩を離れ、再び上空へ。その先に広がる光景を目にし、酷く慌てた声を上げた。


「た、大変だ! 村が……ウェスティン村が燃えてる!」


 その瞬間、イリアの息が詰まる。胸が苦しい程に締め付けられ、固く握り締めた手を押し当てた。神殿での穏やかな日常に突如として降りかかった災厄。あの光景が頭を過ぎったのだ。

 気が付けば、彼女等は全力で駆け出していた。




 イリアたちがウェスティン村に着いた時には、既に広範囲に渡って火の手が回っていた。子供や老人は逃げ惑い、大人たちは避難の誘導や消火を試みている。だが、炎の勢いには追い付けず、被害を広げないようにするだけで手一杯のようだ。

 惨状を目の当たりにし、思わず絶句する。その時、一人の壮年の男がイリアたちの存在に気付いた。彼は隣にいた男に何か言葉を掛けると、こちらに走り寄る。


「貴女方は神殿の方ですか?」

「はい。イリア=クロムウェルです」

「同じく、ルイファス=アシュフォードだ」

「クロムウェル様とアシュフォード様ですね。私はこの村の村長のペーター=イオニスと申します」


 互いに簡単な挨拶を済ませる。そしてイリアは張り詰めた顔を向け、手伝いを申し出た。

 ペーターとしても、今は猫の手も借りたい状態である。神殿の騎士に指示を出すのは抵抗があるが、正直に言ってありがたい。

 時間にして数秒。不意に、彼はあることに気付いた。指示を待つ彼女を見据え、再び声を上げる。その語調はかなりの早口だった。


「それでは、向こうに高台があるのですが、その様子を見て来ていただけませんか?」


 言いながら、村の奥を指差した。

 そんな場所に、一体何があるというのか。この非常時に、そこに向かう必要はあるのか。疑問ばかりが浮かんでくる。

 そして、ペーターは続けた。


「あそこには先代の村長の屋敷がありました。ですが、今は崩れ落ちているようなのです。それに、スティングレイ様のことも気になります」


 アイラの名前が出た瞬間、ホークアイの空気が変わった。心配そうにそわそわしている。その様子を覗いながら、イリアは問い掛けた。


「彼女がどうかしたんですか?」

「実は今朝、あの屋敷へ行かれたまま、まだ戻っていないのです。もしも屋敷の崩壊に巻き込まれていたら……」

「分かりました。任せてください」

「ありがとうございます。私はここを離れられないもので、助かりました。よろしくお願いします」


 深々と頭を下げ、戻って行く。その後ろ姿は人混みに紛れ、あっという間に見えなくなってしまった。

 イリアたちもまた、先を急ぐ。事情を聞けば、一分一秒でも惜しい。押し寄せる人の波を掻き分け、燃え盛る家屋の脇を駆け抜けた。




 温かい風が頬を撫でる。春の日差しの下にいるような心地良さ。体中が柔らかな何かに包まれている。

 不思議に思いながら、アイラはおもむろに目を開けた。優しい光が彼女を包み込んでいる。誰かが神聖魔法を掛けているのだ。

 光が収まると、彼女は目線を上げる。そこにいたのは、白いローブを纏う魔術師だった。

 その時、再び意識が遠退いていく。睡眠の魔術だ。必死に抗おうにも、残った体力は雀の涙しかない。視界が暗転するのは時間の問題だった。

 しばらくして、白いローブの魔術師は静かに立ち上がり、フードを取る。炎が広がる集落に顔を向け、口を真一文字に引いた。擦り合わせた歯から音が鳴る。

 荒ぶる感情を鎮めるように、魔術師は深く息を吐き出した。意識を集中させ、素早く詠唱する。最後の言葉を紡ぐと、両手を広げて天を仰いだ。その姿はまるで、天に祈りを捧げるかのようだった。




 村の中心を抜け、郊外の高台を登る。屋敷跡地へ近付くにつれ、瓦礫の山が大きくなっていく。

 その時、辺りが急速に暗くなり、思わず足を止める。抜けるような青空が厚い雲に覆われたかと思えば、頬に冷たい物が落ちてきた。すると瞬く間に、雨は激しさを増していく。

 突然の天候の変化に呆気に取られるも、イリアたちは再び走り出す。びしょ濡れになりながら、真っ直ぐに丘の上を目指した。

 それから間もなく、彼女等は屋敷跡地に到着した。所々で黒い煙が細く立ち上り、木の焼けた臭いが燻っている。その頃には既に雨は止み、気持ちの良い青空が広がっていた。

 だが、一ヶ所だけ雨に見舞われている場所があった。ウェスティン村だ。何故か村一帯だけが、黒く厚い雲に覆われている。水が滴り落ちるロングコートを絞りながら、イリアは不思議そうに辺りを見回した。


「姐さん、大丈夫かな」


 酷く気落ちした声が彼女の耳をつく。そちらを見てみれば、己の肩に留まりながら瓦礫を見つめるホークアイがいた。いつもの陽気な声が嘘のようだ。


「大丈夫よ。アイラは強いもの。無事に決まってるわ」

「イリアちゃん……」


 ホークアイはじっとイリアを見つめ、大きく頷いた。金の瞳に力強い輝きが戻る。そしてしっかりと前を向き、アイラを探しに行った。


「さて、俺たちも行くか」


 ルイファスに肩を叩かれ、振り返った。その顔を見て、彼は一瞬だけ目を見張る。ふっと優しく笑い、彼女の頭に手を乗せた。


「大丈夫だと言った本人が泣きそうな顔をしてどうする。すぐに見付かるさ。心配するな」


 彼の温かな言葉に、彼女の胸が、目頭が、熱くなっていく。

 その時、悲鳴にも似たけたたましい声が届いた。「姐さんっ!」と叫ぶように呼びかけるホークアイ。二人は急いで駆け出した。


「アイラっ!」


 彼女の元に駆け寄る二人の声が重なった。見付かったことに安堵した反面、ぐったりと横たわる姿には言い様の無い不安が募る。


「姐さん! しっかりしてよ、姐さんっ!」


 パニックを起こし、彼女の周囲を飛び回るホークアイ。その脇にイリアは膝を着き、素早く容態を確認していった。

 呼び掛けても、軽く頬を叩いても、何の反応も無い。体へ視線を移せばあちこちで服が破れ、血が付いている。しかし、傷はきちんと塞がっていた。息は細いが、目立った乱れは無い。脈もある。

 イリアはルイファスとホークアイを仰ぎ見ると、にっこりと微笑んだ。


「ホークアイ、落ち着いて。アイラなら大丈夫。気を失ってるだけみたい」

「本当っ!?」

「ええ。でも体が弱ってるのは事実だから、どこかで休ませないと」

「それなら村へ戻るか。あの雨で火が消えたようだしな」


 それを聞いたイリアは、ウェスティン村を見下ろす。村を呑み込んでいた炎はすっかり消えており、豪雨も止んでいた。

 彼の提案に賛同し、喜びを爆発させて飛び回っているホークアイを見つめる。その様子に彼女は心から安堵し、笑みを深めた。彼も優しく目を細めている。そんな彼女等の間を、爽やかな風が吹き抜けていった。




 真っ直ぐに、何処までも続く無機質な通路。ぼんやりとした灯りが等間隔に点々と続いている。光の当たらない場所は深遠の闇に覆われ、不気味に静まり返っていた。

 その通路を人が歩いている。周囲に溶け込む漆黒のローブに身を包む男。艶のある黒髪に、深紅の瞳。口元には薄く笑みを浮かべている。

 しばらくすると、前方に何者かが立っているのが見えた。ローブの足元が光に照らされて浮かび上がるが、上半身は周囲の闇と同化している。

 男は迷いなく歩を進め、向き合うように立ち止まった。すると、その人物が灯りの下に姿を現す。


「珍しいですね。貴女がここにいるなんて。誰かお待ちですか?」

「とぼけないで。私が何故、ここで貴方を待っていたか。分かっているでしょう?」


 姿を見せたのは女だった。女の声は鈴の音のような清らかな声であるが、深い怒りが満ち溢れている。ほんの少し刺激を与えただけで爆発しそうだ。

 一方、男は笑みを深める。それはまるで、彼女の怒りを煽っているかのようだった。

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