敵との接触

第10話 災いの魔術師

 カーテンの隙間から太陽の光が差し込んできた。それが顔に当たり、眩しそうに眉をひそめたルイファスが目を覚ます。気怠そうに起き上がった彼がベッドを見ると、そこは既にもぬけの殻。

 不意に、パンの香ばしい匂いが漂っていることに気付いた。


「おはよう、ルイファス」


 台所から出て来たのは、湯気の立つカップを両手に持ったイリア。にっこりと笑うその顔を、寝ぼけ眼が見つめている。

 そんな彼の視線が注がれる中、彼女はてきぱきと朝食の準備を進めていった。豆のスープが入ったカップをテーブルの上に置き、サラダと焼いたパンを並べていく。そして彼女は再び台所へ入り、程無くして戻って来た手には、コーヒーカップが握られていた。


「これでも飲んで目を覚ましたら?」

「ああ……悪いな」


 差し出されたコーヒーを飲んでいると、ようやく意識がはっきりしてきた。

 飲み終えたコーヒーカップを取り上げ、彼女は再び台所へ。彼はソファを降りて追い掛けると、壁に凭れるように中を覗き込む。するとそこには、ぼんやりとカップを洗う彼女の横顔があった。


「イリア、あれからよく眠れたか?」

「もちろん。ルイファスったら、まだ気にしてたの?」


 振り返り、苦笑を浮かべるイリア。その表情には、明らかに影が差していた。思わず、彼の眉間にしわが寄る。


「イリア、あまり無理は――」

「そんなことより、朝食を済ませちゃいましょ」

「だが――」

「ほら、早くしないと冷めちゃうわよ?」


 ルイファスの言葉がことごとく遮られる。強く背中を押されたことで、彼は仕方なく身支度を始めた。

 朝食の片付けを済ませ、部屋を出る。そして彼は静かに、扉に掛かる板を青に裏返すのだった。




 木で造られた家屋と、茅葺き屋根の家畜小屋が立ち並ぶ。農業と畜産を生業とするウェスティン村。ゆったりとした時間が流れる、静かな場所。

 しかし、人々の顔は暗く沈んでいる。

 原因は、村周辺の魔物や家畜の凶暴化。村の外の田畑は魔物に荒らされ、家畜も暴れて手が付けられない。

 もう一つの原因は、村の郊外に建つ屋敷。そこは前村長の自宅だったが、妻子の無かった彼が病死して以来、廃墟となっている。その後いつからか、ならず者たちが出入りするようになってしまった。村の周辺に異変が起きたのは、ちょうどその頃。時を同じくして、屋敷の地下で怪しげな実験をしている、という噂も流れ始める。


(こんな廃墟に何があるんだ……?)


 木の葉の影に身を潜め、アイラは例の屋敷を見下ろしていた。村長や村人たちの協力を得て、村長の屋敷を拠点に情報収集に奔走していたのだ。

 その結果、屋敷に出入りしている人間がヴォルデスの幹部であることを突き止めた。だが同時に、気になることも増えてしまった。彼等と共に、時々姿を現す謎の人物の存在。

 この人物は漆黒のローブを纏い、顔もフードで隠しているために人相が確認出来ない。また、恐ろしい程に隙が無く、発せられる雰囲気も人間離れしていた。

 こうした内偵の末、屋敷の外からの調査はあらかた終了した。次は内部に潜入し、探りを入れる。

 注意深く辺りを見回し、木から降りる。そして素早く屋敷に近付いた。慎重に窓を開け、屋敷の中に忍び込む。

 そこは外観同様に荒れ果て、カーテンやソファの皮は申し訳程度に付いているだけ。木を削って飾り立てた趣のある扉も壊れ、風が吹く度に音を立てている。


(ここは書斎か?)


 窓のすぐ脇には木製の机が置いてあり、部屋を取り囲むように背の高い本棚が置かれている。そこには、ガラス戸の中に丁寧に収められている本があった。この地の風土や風習、歴史などが記された資料集だ。そして、この屋敷を建築する際の書類一式。

 すかさず明かりを灯す魔術を唱え、なんとか文字が読める程度まで弱く調整した光を、目の前で浮遊させる。そして、本棚から図面を取り出して素早く目を通し、構造を頭に叩き込んでいった。

 しばらくして部屋から灯りが消えたのも束の間、静かに扉が開かれる。隙間から周囲を窺い、滑るように廊下に躍り出た。目的地は、怪しげな実験が行われていると噂の地下室。図面によると、ホールの隅に隠し階段があるとされている。

 辺りを警戒しながら先を急いでいると、数人の男の声が耳を突く。気配を消してそちらを窺うと、柄の悪い男たちがたむろしているのが見えた。数は三。


(あそこは、確か――)


 ちょうど隠し階段がある辺り。ただの偶然か、それとも見張りか。

 後者であれば、ますます疑惑が深まる。だが、正面突破はできない。騒ぎを聞き付けた仲間が集まって来る可能性がある。それだけならまだしも、拠点が特定されたと気付かれ、逃げられるかもしれない。

 気配を消したまま、そっと踵を返す。そして適当な部屋に入り、あるものを探して頭上を仰ぐ。それは天井裏への入り口。屋敷中に張り巡らされた通り道は、地下にも繋がっている。

 間もなく、それは見付かった。家具を足場に天井近くまで登り、静かに蓋を開ける。そうして体を滑り込ませ、さらに奥へ進んで行った。

 



 周囲の気配に細心の注意を払いながら、真っ直ぐ地下を目指す。それから間もなく、問題の地下まで下りて来た。さらに神経を研ぎ澄まし、室内の様子を窺いながら一部屋ずつ回って行く。

 しばらくして、ある部屋に差し掛かった時、奇妙な音が聞こえてきた。断続的に低い音が続いている。だが人の気配は無い。不審に思い、足下の蓋を僅かにずらす。そこに広がっていた光景に、思わず目を疑った。


(何だ、あれは……!)


 見たことも無い物体が所狭しと置かれていた。またそれ等は、不気味な低音を重々しく響かせている。

 不意に、男たちの声が聞こえてきた。その中の一人は忘れるはずもない。ヴォルデスのリーダー、アントニー=ベルゼブス。

 彼女はすぐさま、腰に装備しているナイフの柄に巻かれた飾り紐を手繰り寄せる。そこに括り付けられた小さな石に魔力を送り込んだ瞬間、それは淡い光を発しながら、ゆっくりと点滅を始めた。そっと息を潜め、会話に意識を集中させる。




 部屋に入ったアントニーは、ゆっくりとした足取りで中央へ進む。目の前には、獣の唸り声の如く低い音を響かせる物体が並んでいる。それを眺めながら、ニヤリと口元を引き上げた。


「高位の魔術師が何十人も集まったような大規模な術が、こんな部屋一つあれば発動できる。なんと素晴らしい!」


 部屋中に彼の笑い声が高らかに響き渡った。抑えきれない破壊衝動が滲み出ており、狂気に染まった瞳はうすら寒ささえ覚える。

 すると彼は、おもむろに振り返る。視線の先にいたのは、漆黒のローブを纏う人物。目深にフードを被った下には、陶器のような白い肌。薄く笑みを浮かべた口元を開き、仰々しく声を上げた。


「お気に召していただいたようで、光栄にございます」

「だが、千年も前にこんなものが存在していたとはな。魔術師殿に出会わなければ、知ることはなかっただろう」

「それはそうでしょうね。古の大戦の終結に伴い、その技術は歴史の闇に葬り去られてしまったのですから」


 魔術師の物言いは丁寧だが、発する雰囲気は突き刺すように冷たい。

 アントニーは満足そうに笑う。そして謎の物体まで足を進め、手を触れた。


「魔物を狂わせる力……これさえあれば、最強の軍隊を作ることが出来る」

「ですがアントニー様、光の巫女の行方が未だに掴めておりません。奴を殺して混乱を起こし、世界を手中に収めるという我等の計画にも支障が……」

「問題無い。魔術師殿がいれば、女一人見付けるくらい造作も無い。そうだろう?」


 アントニーは魔術師の方を振り返る。自信に満ちた表情。そんな彼に、魔術師は小さく頷いた。


「ええ、何の問題もありません。後は始末するだけですよ。貴方たちを、ね」


 その瞬間、空気が一変した。酷く冷たい殺気が肌を刺す。それを放っているのは魔術師だ。

 同時に、アントニーたちも表情を変えた。視線を合わせるだけで人を震撼させる目は、迫り来る殺気を押し返すかのよう。そして彼は、怒りで震える唇から声を絞り出した。


「貴様、それは一体どういう意味だ」

「そのままの意味ですよ。利用されているとも知らず、よく働いてくださいました。お陰様で先日、我々の計画を実行することが出来ましてね。その敬意を表して、私自ら始末して差し上げようかと」


 魔力が渦となり、魔術師の周囲につむじ風を起こす。それはあまりに強力で、アントニーたちは立っているだけで精一杯だ。また、荒れ狂う風に混じり、電光が奔っているのも見えた。


(くそっ、ここまでか……!)


 魔術師の魔力は、屋根裏に潜んでいたアイラにも容赦なく牙を剥く。できるだけ足音を立てないよう、急いで引き返した。

 不意に、魔術師は天井へ意識を向ける。誰かが立ち去る足音が微かに聞こえてきたのだ。おもむろに口元を引き上げる。

 一方のアントニーたちは、足音には微塵も気が付かない。我を忘れ、激情に駆られている。魔術師が笑みを浮かべたことで怒りを露にし、そのまま掴みかかる勢いで吼えた。


「貴様っ、何が可笑しい!」

「嬉しいんですよ。貴方たちの断末魔が聞けるんですからね」

「っざけんな!」


 殺気立ったアントニーの部下たちが、一斉に武器を取る。そして、魔術師目かけて突進した。密閉された地下の空間に、彼等の怒号が響き渡る。

 だが、魔術師は動じない。笑みを浮かべたまま、掌を前に突き出した。次の瞬間、何人もの男たちが吹き飛ばされる。まともに壁にぶつかって倒れた彼等は、指一本動かさない。魔術師はさらに挑発を続けた。


「たかが魔術師一人を相手に足元にも及ばない。このざまで、よくもあのような大口が叩けましたね」

「うるせぇっ!」


 今度はアントニーが自ら斬り掛かった。だが、彼が繰り出す渾身の斬撃は、余裕の表情で躱される。そして大きく剣を振り下ろした、その瞬間。彼の顔が驚愕の様相を呈した。

 一瞬にして、地下室の空気が凍りつく。魔術師の細腕が、アントニーの首を掴んで宙吊りにしているのだ。彼は拘束から逃れようと、必死に腕を掻きむしる。だが魔術師は、己の腕がいくら傷付こうと意に介さない。それどころか、酷く残忍な笑みを浮かべた。


「呆気ないですねぇ。ああ、そうだ。冥土の土産に見せて差し上げましょうか。私の姿を」


 もう一方の手でフードを取る。目を引いたのは、深い闇を映したような艶やかな黒髪と、血のような深紅の瞳。整った顔立ちは、とてもこの世のものとは思えない。筋骨隆々なアントニーを軽々と持ち上げていなければ、見る者全てを魅了してしまう。それ程までに美しい男だった。

 不意に、魔術師の顔が狂喜に歪む。じわじわと弱っていく様を楽しんでいるかのように。そして、ゆっくりと口を開いた。


「さようなら、愚かな人間よ」

「や、止め……っ!」


 アントニーの顔が恐怖に引き攣る。魔術師が手に魔力を込めた、その瞬間。目を開けていられない程の眩い光が地下室を覆い、幾重もの熱線が彼の体を貫いた。断末魔の叫びが、返り血と共に魔術師に降り掛かる。光が収まると、手にしている死体を放り投げた。

 アントニーの体が床を滑り、部下たちの足下で止まる。徐々に広がっていく赤で靴底が染まり、光を失った目が彼等の方を向いている。

 次の瞬間、止まっていた時間が動き出した。弾けるように肩を揺らし、横たわる体から距離を取る。恐る恐る視線を上げ、じっと佇む魔術師を見つめた。


「う、うわあああっ!」

「逃げろっ! コイツ、ヤバイぞ!」


 自分たちが束になっても到底敵わない、圧倒的な力。それをまざまざと見せ付けられ、彼等は一斉に踵を返した。しかし、部屋の扉は一つだけ。各々が我先にと殺到する。

 だが、扉は押しても引いてもびくともしない。何度も激しくノブを回すが、ガチャガチャと音を立てるばかり。じわじわと浸蝕する恐怖。部屋中が混乱に包まれ、発狂した者による怒号や奇声が飛び交った。

 そんな彼等を魔術師は嘲笑う。


「逃げようとしても無駄ですよ。この地下室を外界から遮断しました」

「た、助けてくれ! 何でもするから! だから……!」

「それは出来ません。だって、見てしまったでしょう? 私の姿」


 魔術師は頭上に腕を伸ばし、指を鳴らした。すると、彼の周囲で幾つもの爆発が起こる。その威力は屋敷全体を揺るがす程。それにも関わらず、その中心にいた彼は涼しい顔をし、魔力の風でなびく髪を押さえているだけだった。


「何だ!? 今の爆発は!」

「地下からだ、急げ!」


 地上階から数人の男たちが駆け下りて来た。彼等は扉を壊さんばかりに蹴破り、部屋の中に雪崩れ込む。そこで見たのは、笑みを浮かべる魔術師と仲間たちの死体。凄惨な現場を前に、瞬時に状況を判断する。そして険しい視線で魔術師を貫いた。


「これはてめぇの仕業か!?」

「ええ、そうですよ。それにしても、馬鹿な人たちだ。ここから逃げていれば死なずに済んだものを……」


 魔術師は鼻で笑う。先程と同様に指を鳴らすと、再び爆発音が響き渡った。それを合図に、屋敷が崩壊を始める。天井や壁が剥がれ、轟音を上げて次々と落ちてきた。

 だが魔術師は、じっとその場に佇んでいた。そこに浮かぶのは侮蔑の眼差し。視線を落とすと、爪先の辺りに転がる死体を足蹴にした。

 一瞬にして散っていく命。それに加え、実力差を見極める目も無い。人間とはなんと脆く、愚かなことか。

 しかしその愚かさは、こちらにとって好都合である。容易に利用することが出来るのだから。


「これからもしっかりと働いてもらいますよ。私の計画のために、ね」


 冷酷な笑みを浮かべた魔術師は死体を蹴り飛ばすと、フードを被る。足元には青白い光の魔法陣。瞬く間に光が強まると、彼の体はその場から掻き消える。そして光が消えた時、立っていた場所には大きな瓦礫が落ちてきたのだった。




 もうもうと土煙が立ち込める。その中からアイラが姿を現した。よろよろとその場を離れ、石門に背中を預けて座り込む。そしてゆっくりと顔を上げた。

 肩で呼吸を繰り返しながら、瓦礫と化した屋敷を見つめる。あの爆発で、全て押し潰されてしまった。アントニーを始めとしたヴォルデスの幹部と、地下で見た謎の物体が。

 彼女は大きく息を吐き、己の手を見下ろす。先程から震えが止まらない。壁が大きく崩れ落ちたのは、すぐ背後だった。

ほんの少し脱出が遅れていたら。そう考えると背筋が凍る。


(それにしても、あの魔術師……何者なんだ?)


 肌で感じた魔力は凄まじいものだった。近くにいるだけで全ての神経が警鐘を鳴らし、全身から汗が噴き出してくる。あのような力を持つ魔術師など、今まで見たことが無い。

 その時、何者かの気配を感じた。背中に嫌な汗が一筋、流れ落ちる。彼女は勢いよく立ち上がり、ある一点を凝視する。瓦礫の裏から近付いて来る人影。それを捉えた彼女の目は、みるみるうちに見開かれていった。

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