第9話 西へ向かって

 薬屋を出たイリアとルイファスが向かうのは食料品店。昔の言葉で「腹が減っては戦が出来ぬ」とあるが、的を射ていると感心してしまう。食事による栄養補給は、言わば命綱なのだ。

 だが、テルティス領の主な街は、東西の主要港を結ぶ街道沿いに集中している。今回の行程はそこから大きく外れるため、自炊の機会も多くなる。即ち、旅の荷物も増えるということだ。

 その時、目の片隅に人だかりが見えた。その中心には、台に乗っているのか、頭一つ分も飛び抜けている男性がいる。彼は大口を開け、威勢のいい声を辺りに響かせていた。


「沿道の皆様、ご注目! 最新の魔具が本日入荷だよ! 魔法技術の最先端、シルビス連邦の最新技術で作られた逸品だ! これは買わなきゃ損だよ!」


 呼び込みをしているのは道具屋だった。人々の間からは、長机に様々な輸入雑貨を並べているのが見える。そして店主は、腕輪を持った手を高々と挙げていた。


「気になるか?」

「えっ?」

「行ってこいよ。後の用意は俺がしておく」


 ルイファスの言葉を受け、イリアは再び人だかりの方を向く。興味深そうな目。だが今は先を急ぐ身。そんな心の中の葛藤が手に取るように分かる。

 その時、店主の目が二人の方を向いた。彼は彼女の顔を一目見て、商品に興味を持っていると察したのだろう。にこにこと大手を振っている。


「お嬢さん、気になるかい? 女性向の雑貨もあるから、隣の彼氏に買ってもらいな」

「悪いが、俺たちは遊びに来ている訳じゃないんだ。旅に不要な物は買わない」

「お二人は旅人かい? だったら気に入ること間違いなしだ!」


 そう言うと店主は、適当な雑貨を空いた片手に取る。それを腕輪に近付けると、雑貨は跡形も無く消えていた。どよめきが上がる中、次の瞬間、彼の手の中に先程の雑貨が突然戻ってくる。今度は歓声が上がった。


「凄いな。一体、どうなっているんだ?」

「それを今からご説明します! ささっ、どうぞこちらへ」


 得意気な顔で胸を張る店主。調子の良い態度で二人を手招いている。

 不意に、イリアの肩に手が触れた。ルイファスだ。先程まで眉間にしわが寄っていたと思えば、小さく笑みを浮かべている。大っぴらな客引きを好まない彼が興味を持つなど珍しい。彼女は顔を綻ばせ、彼と共に輪の中へ入って行った。

 その後ろを、一組の男女が通り掛かる。黒髪の男性とダークブルーの髪の少女。この人だかりに好奇心を刺激された少女は、瞳を輝かせながら男性を見上げた。


「面白そう! あたしたちも行きましょうよ!」

「誰が行くか」

「えええ!? 行きたいー! ……って、ちょっと! 待ちなさいよ!」


 さっさと立ち去る男性を、少女が慌てて追い掛ける。だが、名残惜しそうに後ろを振り向いた。

 しばらくして、前を歩く男性と距離が空いたことに気付くと、今度は振り返ることなく駆けて行った。


「だから、待ちなさいって言ってるでしょ!? エリックに言い付けるわよ!」

「うるせぇ! いちいち喚くな、あいつの名は出すな! 本当に鬱陶しいな、てめぇは! ……これだからガキの子守りは嫌なんだ」

「何ですってー!?」


 周囲の目も気にすることなく、二人は大通りから離れて行く。子供じみた言葉の応酬を繰り広げながら。




 太陽が頭上と地面の真ん中辺りに到達した頃。アクオラを出発したイリアとルイファスは、真っ直ぐに街道を進んでいた。向かう先は、ここから遥か西のウェスティン村。だが二人は、その手に何の荷物も持っていなかった。


「それにしても、我ながら良い買い物をしたと思うよ」

「店のご主人は涙目になってたけどね」


 快活に笑うルイファスと、苦笑を滲ませるイリア。二人の腕には、アクオラへ入った時には無かった腕輪を身に付けていた。先程の道具屋で購入した『シルビス連邦製の最新の魔具』である。

 空間を操る技術が数年前に開発され、それを応用して商品化されたという。その鍵は、腕輪に埋め込まれた特殊な石。内部に造られた空間に様々な物を収納できる上に、出し入れも自由自在。容積に限度があるが、画期的な商品であることは間違いない。

 確かに旅人にはうってつけだが、普及する上で一つだけ大きな障害がある。かなり高額であることだ。ルイファスの交渉の結果、一つ五万を二つで五万にまで値下げさせたが、懐が痛いことに変わりない。それでも、泣く泣く商品を手渡した店主を見ていると、同情せずにはいられなかった。


「一時の不利益が、後の利益に繋がることもある。真の商売人なら分かるはずだ」

「もう、調子の良いこと言って……。でも、本当に便利よね。神殿でいくつか買っておくと助かるでしょうね」


 「ほらな」と、ルイファスは悪戯っぽい笑みを浮かべる。

 その時、遠くから悲鳴が聞こえてきた。次の瞬間、和やかに笑っていた二人の顔が騎士のそれに変わる。そして、その方角に意識を集中させた。


「まったく、これで何度目だ? 魔物か盗賊か知らないが、迷惑な話だ」

「文句があるなら、相手に直接言うことね。行くわよ!」


 イリアの後に続き、ルイファスも走り出す。しばらくして二人の目に入ったのは、ファイアリザードと斧を持ったゴブリンの群れ。そして馬車を引いた商人と、魔物と交戦する剣士の姿だった。

 馬はパニックを起こして前足を跳ね上げ、商人は真っ青な顔で必死に宥めている。数的不利に立たされた剣士の顔には、焦りの色が滲んでいた。

 次の瞬間、一頭のファイアリザードに弓矢が命中すると、断末魔を上げて絶命した。そして、複数のゴブリンに襲い掛かる稲妻。それ等の攻撃が止んだ時には、三分の一程度の魔物が倒れていた。

 それを合図に、気が立った残りの魔物が猛攻を仕掛けてくる。と同時にイリアも飛び込み、次々と魔物を斬り捨てていった。

 突然の援軍に剣士はしばし呆然としていたが、我に返って魔物の中へと突進していった。その二人を援護するように、ルイファスが後方から弓を射る。

 魔物の勢いを上回る怒涛の攻撃により、勝負はあっという間に決着した。辺りの空気が落ち着きを取り戻すと、剣を鞘に収めた剣士が二人に握手を求める。


「どこのどなたか分からぬが、助太刀感謝する。あの数で私一人では正直、危なかった」

「いいえ、困った時はお互い様です」


 ルイファスの腕輪の石が光を帯びたかと思えば、弓が吸い込まれていった。そして、剣を鞘に収めたイリアと共に、剣士の握手に応じる。そこへ、ようやく馬を落ち着かせた商人が会話に入って来た。


「本当にありがとうございました。それにしても、最近の魔物の凶暴さは異常ですな。剣士様にアクオラまで護衛をお願いしなかったら今頃、私は魔物の腹の中ですよ!」

「確かにな。ここからアクオラなら夕方には着けると思うが、気を付けて行けよ」


 商人と剣士を見送り、先を急ぐ。凶暴な魔物が多く出る中での野宿は危険だ。それ故、主要街道沿いには、各所に魔物除けの結界が施された休憩小屋が設けられている。今日の宿もその一つを予定しているのだ。




 さらに先へ進むこと数時間。辺りが夕闇に覆われ始めた頃、最初の休憩小屋が見えてきた。木で出来たログハウス風の建物。ここで一夜を過ごすため、二人は中へ入って行った。

 すぐに目に入ったのは、ソファが幾つも置かれた広間。そこでは旅人たちが休憩を取っている。その向こうには二階へと続く階段。

 二人は受付で代金を払うと広間を抜け、階段を上がって行く。途中で聞こえた会話に、彼女は一人、顔を歪ませた。

 廊下には部屋が並び、全ての扉には裏と表を赤と青で塗り分けられた板が掛かっている。ルイファスは一つだけ残っていた青い板の扉を開けた。当然、板を赤に裏返すのも忘れない。


「ところで、本当に俺と同じ部屋でいいのか?」

「構わないわよ。ルイファスが変な気を起こさなければ、ね」

「起こす訳がないだろう。何だったら背中を流してやろうか。ベッドで腕枕してやってもいいぞ」

「……随分と大きく出たわね」


 軽く笑われ、かわされる。異性として意識されても困るが、されないのもそれはそれで面白くない。へそを曲げたイリアは、苦笑を漏らすルイファスのエスコートで部屋に入った。

 室内はトイレと浴室、そして簡単な台所が備え付けられており、ベッドとソファも一つずつ置かれている。旅人向の宿屋では一般的な内装だ。

 彼が鍵を閉めると、二人は思い思いに寛ぎ始めた。簡単に食事を取り、交代して浴室で汗を流す。その後は明日のこともあり、早々に床に就いた。だが、なかなか眠れない。ベッドの上で寝返りを打ち、イリアは小さくため息を吐いた。


「まだ起きていたのか?」


 ソファに横になったルイファスから声が上がる。もう眠っていると思っただけに、少し驚いてしまった。


「ルイファスこそ」

「俺はいいんだよ。だが、お前はもう寝ろ。そんなことじゃ、いつか倒れるぞ」

「大丈夫よ。そこまで無理はしないわ。……もう寝るわね。おやすみなさい」


 短く会話を済ませ、彼女は口を閉ざす。だが、いつまで経っても眠気はやってこない。後悔と恐怖ばかりが襲い掛かる。知らなかった。知りたくもなかった。ヘレナのいない夜が、こんなにも心細いものだったとは。

 ふと、広間を通った時に聞こえた会話を思い出す。彼等はただの世間話にしか思っていないだろう。だが彼女には、それが深く心に突き刺さった。


『おい、知ってるか? 今朝、テルティスの神殿が魔物に襲われたらしいぞ』

『マジかよ。どんな魔物か知らんが、騎士の連中は何やってんだか』

『もしかして平和ボケか? だがこうなると、混乱に乗じて神殿を潰して権力を握ってやろう、なんて奴が現れるかもな』

『確かに。だが上が変わっても、俺たちの生活は大して変わらないよな』

『何たって根なし草だしな』


 見ず知らずの人間に好き勝手に言われ、何とも思わないはずがない。とはいえ、平和に慣れ過ぎた部分があることも否定出来ない。敵を取り逃がしたことも含め、結局は己の実力不足が招いた惨事なのだ。悶える程の悔しさが込み上げ、奥歯を噛み締める。

 一方のルイファスは、静かになったイリアを見つめていた。しばらくして、自分も寝ようと欠伸を噛み殺す。ベッドから微かな嗚咽が聞こえてきたのは、ちょうどその時だった。

 その拍子に、眠ろうとしていた意識が一気に醒める。彼は密かに深く息を吐くと、静かに目を閉じた。




 ランプの光が灯る、夜のガルデラ神殿。夜勤の騎士を除き、そこには誰もいない。はずだった。

 周囲を注意深く観察する、一人の女性。彼女は純白のローブの肩にストールを掛けている。ふわふわと波を打つ明るい茶色は、大きく空いた穴から吹く風に靡いていた。


「あの、ミルハーツさん。もう遅いですし、休まれてはいかがですか?」


 外に立っていた若い騎士が、遠慮がちに顔を覗かせる。そんな彼に、ルナティアはにっこりと笑みを返した。


「どうもありがとう。ですが、まだ少し気になることがありましてね。それが解決しないと、寝るに寝られませんわ」

「魔力の痕跡ですか。しかし、まだ残っているものなんですか?」

「場所にもよりますわ。周囲のマナの濃度が濃いと、それだけ魔力との同化速度も速まりますからね。明後日には跡形も無く消えているでしょう」


 答えながら、ルナティアは周囲を探る。魔力の痕跡から術者を特定するために。それが敵の正体を掴むことに繋がるのだから。


「時間が無いのは分かりました。ですが、昼に神騎士団の魔術師が何人も来て同じことをしていましたけど、何も分からなかったんですよ? 今さら――」

「そこですわ」

「はい?」

「ここは戦闘が最も激しかった場所なんですのよ? なのに、こんなに朧げにしか魔力が残っていないなんて、不自然ですわ」


 この場所は広範囲に渡って壁が焼け焦げ、焼死体が折り重なっていた。それを見れば、敵が強力な炎の魔術を唱えたことは明らかである。それにも関わらず、魔力の痕跡は微かしか残っていない。その上、魔術師の特定を阻むかのように、酷く不安定に揺らいでいる。


(内部犯の隠蔽のため? それとも、撹乱が目的?)


 自然とルナティアの顔が険しくなる。現段階では、どちらとも判断が付かない。敵の把握を急ぐあまりに早合点をするのは危険だ。

 さらに意識を集中しようと目を閉じるが、感じるものは何も変わらない。あと少し。あと少しで、何か掴めそうな気がするのだ。

 しばらくの後にゆっくりと目を開き、深く息を吐いた。その途端、僅かな目眩に襲われる。時間の感覚を忘れる程、大勢の怪我人を治療したのだから無理はない。


「ほら、体は疲れているみたいですよ。今日は休んでください」

「そうですわね。これ以上は効率が悪いですし。何より、人のことを言えなくなっては困りますからね」


 笑みを残し、「おやすみなさい」と踵を返す。だが、すぐに部屋に戻る気にはなれない。思考を巡らせながら、足は自然と遠回りとなる通路を選んでいた。

 巡回の騎士と擦れ違いながら、大聖堂に差しかかる。扉は開け放たれ、月とステンドグラスが織り成す淡い光が差し込んでいた。儚げで、見惚れる程に美しい。

 その時、祭壇の前に人が立っていることに気付いた。白いローブと紫がかった銀髪が煌めく後ろ姿は、とても幻想的だ。と同時に、手を差し伸べたくなるような、酷く頼りない印象も受ける。無性に気に掛かり、目が離せない。しばし立ち止まっていたルナティアは、引き寄せられるように中へ入って行った。


「こんばんは、エドワードくん」


 静寂に包まれた大聖堂に、彼女の靴音が響き渡る。だが、彼は振り向かない。佇み、ステンドグラスを見上げているだけだ。ようやく顔を落としたのは、彼女が後ろで立ち止まった時だった。


「意外と信心深いのですね。てっきり、神なんて信じていないと思っていましたわ」

「それは神騎士団の騎士に言う台詞ですか」


 ため息交じりに返すが、肯定も否定もしない。淡々と受け答えただけ。

 ここで初めて、気怠そうに振り返った。黒い瞳が彼女をじっと見つめる。


「こんな時間に何をしているんですか」

「探しものですわ。そういう貴方は何を?」

「……別に。眠れないから、気晴らしに」


 どこか虚ろな瞳。その姿は、ここに来た時に感じた印象をより一層に強めた。

 だが、それきり何の言葉も生まれず、沈黙が流れる。それでも二人は動かない。しばらくして口を開いたのは、意外にも彼の方だった。


「ところで、探しものは見付かったんですか?」

「いいえ。困ったことに、なかなか見付からないんですの」

「そうですか。……見付かるといいですね」


 それだけ告げると、エドワードは大聖堂を出て行った。どことなく覚束ない足取りで。ルナティアは、その後ろ姿をじっと見つめていた。

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