第8話 不思議な出会い

 詰め所を出たイリアとルイファスは中央通りを歩いていた。情報収集のため、彼の知人に会いに行くのだ。

 その人物とは、情報屋ニコル=フラン。テルティス領では情報の質と量、共に右に出る者はいない。そんな彼の店は、裏通りのさらに奥にある。

 二人は人を避けるように中央通りを離れ、奥へ奥へと進んで行く。それにつれて変わる周囲の景色を、イリアは不安そうに見回していた。

 輝くような白壁はくすんだ白に変わり、亀裂や落書きが目立つようになってきた。建物が密集した路地は迷路のようで、辺りは薄暗い。漂う空気も重苦しく、人々の顔は刺々しい。


「イリア、あまり周りを見るな」

「え、ええ……分かったわ」


 言われて、イリアは正面を向いた。だが思わず、擦れ違った男を目で追ってしまう。下卑た笑みを浮かべ、口笛を吹かす男。顔を強張らせた彼女は、慌ててルイファスに身を寄せた。

 そんな様子に、彼は小さくため息を吐いた。危なっかしい程に隙だらけの彼女は、格好の餌食として彼等の目に映っていることだろう。だが、それも仕方のないことかもしれない。彼は幼き日の彼女に思いを馳せた。

 両親はおらず、姉のヘレナも聖騎士団に所属していたため、彼女は物心ついた時から神殿の中で育ってきた。その影響か、こうした陰の部分に触れる機会は全く無かった。

 そんな箱入り娘も流石に、騎士養成学校に入学したことで随分と変わったと思う。だがそれでも、彼から見れば、まだまだ世間知らずのお嬢様なのだ。


(他の街に行ったらこんなところ、絶対にこいつ一人で歩かせられないな)


 ふと、隣を歩くイリアを盗み見る。やはりこういうところは慣れないようで、忙しなく視線が動いている。思わず、再びため息を漏らしたのだった。




 二人が裏通りに入ってしばらくして、曲がりくねった道が閉ざされた。突き当たりには古びた廃屋。イリアが戸惑ったようにルイファスの横顔を見上げるも、彼は躊躇せずに真っ直ぐに進んで行く。彼女は一瞬だけ立ち止まると、小走りで後を追った。

 そうして廃屋の目の前に来たが、こうして近くで見ると、その古さが一層際立っていた。こんな場所にテルティス一の情報屋がいるのだろうか。彼女はますます不安になる。


「道を間違えたんじゃないか、と思っているだろう?」

「っ……え?」


 突然聞こえた声に反応できず、ポカン、と彼を見る。それがあまりに面白いものだったのか、彼は喉を鳴らして笑い出した。


「ここは間違いなくニコルの家だ。なにせこのおんぼろは、全く変わっていないからな」


 ルイファスは小さく笑みを向け、扉を開けた。すると、上部に取り付けられた鐘が鳴り響く。それを聞きながら、彼は懐かしむような表情で足を踏み入れた。

 対照的に戸口に立ったままのイリアは、少し意外そうな顔で室内を見回す。情報屋というくらいだから、雑然とした様子を想像していたのだ。だが実際は、殺風景という言葉の通り、無駄な物が何一つ置かれていない。壁に貼られた手配書も、その存在を強く主張している。

 それとほぼ同時に、カウンターの奥に座る男が顔を上げた。鋭い目付きに、頬には大きな傷。筋骨隆々な体は、窮屈そうにその場に収まっている。

 男はルイファスの姿を目に留めた途端、紙を持っていた手を机に叩き付け、勢いよく立ち上がった。その拍子に椅子が倒れ、大きな音が室内に響く。それを気にも留めずに彼は目を見開き、カウンターのすぐ向こうに立ったルイファスを凝視する。大きな驚きの中に、喜びや懐かしさを覗かせながら。そしてそこを飛び越えんばかりに身を乗り出し、みるみるうちに口角を上げていった。


「ルイスじゃねえか! 久しぶりだな」

「ああ、ニコルの親父も元気そうで何よりだ」

「馬鹿言うな。おめぇに心配される程落ちぶれちゃいねえよ」


 親しげに笑い合う二人。だが、驚くべきはルイファスだ。子供のように無邪気な顔で笑っている。彼のそのような顔は、十年近く一緒にいるイリアでさえあまり見たことが無かった。物珍しさから、目が離せない。

 しばらくして、彼女の方を向いたニコルがニッと顔を緩める。そして、からかうようにルイファスへ視線を向けた。


「おめぇ、女の趣味が変わったか? 随分と可愛らしいのを連れてるじゃねえか」

「何を馬鹿なことを……。イリアの顔ぐらい知っているだろう?」

「……チッ、つまらんヤツめ」

「お前もそんなところで突っ立っていないで、入って来いよ」

「そうね、ごめんなさい。なんだか、入るタイミングを無くしてしまって……。だって、あんな風に無邪気に笑うルイファスが見られるなんて、思ってもみなかったんだもの」


 二人のやり取りを思い返し、クスクスと笑う。そして照れ隠しか、ルイファスは少し不機嫌そうに眉をひそめた。彼女はその隣に立ち、彼の反応を見て大笑いしているニコルに向かって手を差し出した。彼が見せた笑顔に負けない顔で。


「はじめまして。イリア=クロムウェルです」

「ニコル=フランだ。昔、コイツの面倒を見てたことがある」

「そうだったんですか。では、彼の父親代わりのようなものなんですね」

「まあ、そんなもんだ。にしても、あのクソガキが今や神殿で巫女さんの護衛とは……人生どうなるか分からんな」


 ニヤリと笑うニコル。その一方で、ルイファスは些か居心地が悪そうな顔をしている。昔の話を出されると、たちまち頭が上がらなくなってしまうようだ。そんなところも珍しい。

 するとルイファスは話を逸らすように、「そういえば」と声を上げた。


「何を見ていたんだ? やけに機嫌が良さそうだったが、趣味で集めた手配書か?」

「おめぇは相変わらず目聡いな……まあいい。古い友人からの手紙だ」

「驚いたな。そんな相手がいたのか」

「馬鹿にすんじゃねぇよ。もう十年も二十年も前になるか。遺跡調査でアクオラに来た考古学者がいてな。酒場で会って意気投合した。と言っても、あれから会っちゃいねぇがな」


 当時を思い出しているのか、ニコルは目尻を下げて優しげに微笑んでいる。

 だが、そんな時間は長くは続かなかった。再び椅子に腰掛けると、カウンターに腕を置いて身を乗り出す。彼が仕事の顔になったことで、和やかな空気は風に吹かれたように消えていった。


「ところで、おめぇがこのタイミングで俺んとこに来たってことは、アレか。今朝の事件に関する情報か?」

「ああ、そうだ。話が早くて助かるよ」

「やっぱりな。本当なら情報料を取るところだが、昔のよしみだ。特別にタダで教えてやるよ」


 ニコルの顔に不敵な笑みが浮かぶ。真剣な瞳はまるで、切れ味の鋭いナイフのよう。そして彼はおもむろに語り出した。




 しばらくして、ニコルの家を出た二人は、再び中央通りへ向かう。その道中、重苦しい沈黙が漂っていた。

 不意に、イリアの低く呟く声がルイファスの耳を突いた。


「ヴォルデス……」


 反光の巫女を主張する過激派集団。だが、定期的にアジトを変えており、彼等を捕らえようにも後手に回ってばかりだった。

 そんな中、ニコルから有益な情報を得ることが出来た。それによると、彼等の背後に謎の魔術師がおり、ここ数ヶ月で武装強化を図っているという。そして時を同じくして、テルティス領の西部にあるウェスティン村の近くにアジトを構えたようだ。それからというもの、村の周囲では家畜や魔物の凶暴化が深刻な問題となっている。


「領内に来ているのは好都合ね。上手くいけば一網打尽に出来るもの」

「だが、捕らえるのは情報収集の後だ。今はまだ攻め入る時じゃない」

「でも、今朝の襲撃者が彼等だったら……!」

「だから、その証拠を集めるんだ。ああいう奴等は、徒に刺激すると、形振り構わず噛み付いてくる。そうなってからでは遅いんだ」


 諭すようにルイファスが語り掛ける。今朝の事件やヘレナのこともあり、このままでは一人で突っ走るような無茶をしかねない。

 イリアも頭では理解しているようで、静かに目を閉じ、深く息を吐いている。しばらくして、目を開けた彼女の瞳が落ち着きを取り戻したのを見て、ルイファスは口元に安堵の笑みを溢すのだった。




 中央通りに戻ってきた二人は、手始めに薬屋へ向かった。煉瓦造りの店の周囲には、プランターに植えられた様々な薬草が並んでいる。その間を通って扉を開けると、店内に充満していた匂いが風に乗って鼻を抜けた。見れば、店内にも幾つかプランターが置かれている。

 そして棚やテーブルの上には、様々な商品が所狭しと並べられていた。乾燥させた薬草を袋詰めにしたものや、液体が入った小瓶など。豊富な品揃えに、流石は領内有数の商業都市だと感心する。

 だが、おかしいところが一点。


「誰もいないわね」

「奥に入っているのか? 何にせよ、不用心な店主だな」


 イリアは苦笑し、ルイファスは肩を竦める。席を外すのは、ほんの少しだけ。店主がそう思っていたのであれば、店が開いていたのも頷ける。それならば、と店主が戻るまでの間、二人は品定めを始めた。

 ぼんやりと店内を歩き回るルイファスは、ふと、カウンターの陰に目をやる。そこには液体の入った小瓶が幾つかと、道具類や薬草が置かれていた。


「俺は詳しくないんだが、調合の途中で席を外しても大丈夫なのか?」

「……駄目だと思うわ」


 彼の隣で覗き込むイリアの顔が曇る。ジュリアもエドワードも、薬を調合する時はいつも専用の部屋に籠っていた。二人が言うには調合とは、ほんの少し目を離しただけでも失敗してしまう、とても繊細なものだそうだ。それを聞いていただけに、店主の腕に不安を覚えてならない。


「はーい、ただいま! すぐに戻ります!」


 店内に客の気配を感じたのか、奥から女性の慌てた声が響いてきた。それから間もなく、バタバタと足音が聞こえてくる。そうかと思えば、壁の向こうから女性が顔を出した。


「シューベルト様、申し訳ありません! もう少し――……あら?」


 彼女は余程慌てていたのだろうか。頬はほんのりと赤く染まっている。だがそこにいたのは、彼女の予想外の人物であるイリアたち。目を丸くし、呆然と立ち尽くしていた。

 イリアとルイファスに困惑した空気が流れ始めると、ようやく彼女は息を吹き返す。最初に聞こえた声と同様に、酷く慌てた様子で頭を下げた。


「も、申し訳ありません! 全然気付かなくて……! ああ、女将さんに知れたら怒られちゃう!」


 今は不在の女主人に震えながら、申し訳なさそうに謝罪する彼女。聞けば、調合で必要な薬品を店の奥まで取りに行っていたため、来店に気付かなかったらしい。

 女性は商品を受け取ると、慌てて会計に取り掛かる。その様子は意外にも、二人が舌を巻く程に手際が良いものだった。


「それにしても、鍵を閉めないなんて不用心だぞ。強盗を呼んでいるようなものだ」

「はい……これからは気を付けます。お待たせしたお詫びと言ってはなんですが、少しおまけさせてもらいますね。薬の詰め合わせです」

「ありがとうございます。助かります」


 笑みを向けながら、イリアはカウンターに代金を置く。そして踵を返した、まさにその時。後ろから彼女の酷く慌てた声が聞こえてきた。


「ああっ、いけない! もうこんな時間!」


 思わず振り返ると、彼女は調合に取り掛かろうとしていた。今まで見せていた人懐こい笑みは、真剣な眼差しに隠れている。

 残されたイリアとルイファスは、店を後にしようと静かに足を踏み出す。いつまでもここに留まっていれば、彼女の気を散らしてしまうことになるからだ。

 ルイファスが左手に商品の紙袋を持ち、右手で扉を開けようとした瞬間。誰かが外から扉を開けた。驚いた彼は思わず手を引く。そして来客もまた、軽く目を見開いていた。

 そこに立っていたのは、整った顔立ちの若い男性。襟足がやや長く、明るい茶髪はサラサラと流れている。膝辺りまでの群青のマントの下には白い騎士服。その身なりは、すらりとした長身によく似合い、爽やかに輝いている。そして腰に携えた剣の鍔には、魔法陣が浮かび上がる石が埋め込まれていた。

 不意に、男性の空色の目が優しげに細められる。すると彼は、何も言わずに体を引いた。


「お先にどうぞ」


 外で扉を押さえたまま、二人を先に通そうとする。その洗練された様子は、あまりに自然なものだった。

 男性の顔を見てぼんやりしていたイリアだが、彼の声が届いた瞬間に我に返る。そして、ばつが悪そうに視線を下げた。初対面の彼に対して、不躾な態度を取ってしまった、と後ろめたさに苛まれたのだ。

 そうとは知らないルイファスは男性と同様に体を引き、彼女を先に通そうと顔を向ける。すると一目で異変に気付き、顔を強張らせた。


「イリア、行くぞ」

「え? あ……そうよね、もう行かなきゃ。あの、すみません。ありがとうございます」

「悪いな」

「いいえ、どういたしまして」


 そそくさと通り抜けるイリアとは対照的に、ルイファスはさりげなく、探るように男性を見据える。そんな二人に向けて、男性は笑みを深める。そうして彼女等が店から出たのを確認し、自らも入ろうとした、その時。店員の女性が「あっ!」と声を上げた。


「エリック=シューベルト様ですね。ご依頼の薬ですが、もう少しお時間をいただけませんか?」

「……分かりました。どこかで時間を潰してきます」

「申し訳ありません。すぐに仕上げますから……!」


 エリック=シューベルト、と呼ばれた男性は、ため息混じりに扉を閉める。そして踵を返すと、未だに店の前で佇んでいるイリアと目が合った。すると彼は、彼女が照れてしまいそうな優しげな笑みをそっと浮かべる。案の定、彼女は恥ずかしそうに目を伏せてしまった。


「では、お先に」


 最後にもう一度イリアに微笑み掛け、エリックは人ごみの中に紛れて行った。一方の彼女は、地面に足を縫い付けたまま、じっと彼の後ろ姿を見送っている。

 そんな二人の様子を、怪訝そうに眺めていたルイファス。しばらくして、不快そうな声を上げた。


「あの男、やけにお前を気にしていたな」

「そ、そうかしら?」

「ああ、俺にはそう見えた」

「気にし過ぎよ。ほら、私たちも行きましょう」


 イリアは首を振ると、ぎこちない笑みを浮かべる。胸は熱く、鼓動も速い。こんな感情は初めてだ。

 下手に誤魔化されたルイファスは当然、眉間のしわをさらに深める。そしていつしか、エリックに対して警戒感や不信感を抱くようになっていた。

 こうして互いに違った思いを抱いたまま、二人もアクオラの人ごみの中に紛れて行った。

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