行動開始

第7話 港街 アクオラ

 徐々に小さくなるイリアとルイファスの背中。その後、ルナティアは怪我人の看護へ。フェルディールは瓦礫撤去作業へ。それぞれの現場に戻って行った。


「姐さん、俺たちはどうする?」


 アイラの肩に乗ったホークアイが、彼女の顔を覗き込む。すると彼女は口元に手を添え、強張った表情で深く考え込んでいた。それを見た彼は、邪魔をしないようにじっとしている。しばらくして、彼女の瞳が彼を捉えた。


「アルバスに話を聞きに行こう。まずは当時の状況を整理する」


 踵を返したアイラは神殿の中へ戻って行った。瓦礫を撤去する者、被害状況の情報収集に奔走する者、怪我人を介抱する者。多くの人間でごった返す中、ジャッキーを捜して歩き回る。

 しばらくして、若手の騎士やドワーフの大工たちと撤去作業に汗を流す彼を見付けることが出来た。彼女は彼を連れ出し、西の塔へと向かう。

 だが頂上に着いた途端、彼女は探るように周囲の様子を窺い始めた。その集中力は、彼の存在を忘れてしまったのではないかと疑う程だ。

 この沈黙が妙に居心地が悪く、彼は困惑した様子で口を開けた。


「あの……アイラ、さん?」

「ん? ああ、すまない。私から連れ出したというのに……。聞きたいことというのは、君が見た白いドラゴンのことなんだ」


 振り返ったアイラはここに来て初めてジャッキーの顔を見、慌てて謝罪する。そして彼女の口から「白いドラゴン」の単語が出た瞬間、辺りの空気が張り詰めた。

 それに触発され、ジャッキーの表情も彼女と同様に真剣なものとなる。そして彼は、彼女の問いに事細かく答えていった。

 ドラゴンが空に現れたこと。魔物の群れが神殿に向かって来たこと。一斉に鳥が羽ばたいて行った後、市街地に魔物が侵入し始めたこと。と同時に、ドラゴンの姿が忽然と消えていたこと。


「ところで、魔物はどの方角から来たんだ?」

「見たのは西から北西の辺りですが、実際はさらに広範囲に渡っていたように思います」

「見ていた割には随分と曖昧な記憶だな」

「すみません……。魔物に気付いた直後にブラッディ・イーグルに襲われて、それどころではなくなってしまって……」


 言いながら、申し訳なさそうに目を伏せる。目の前の敵を倒すことで精一杯だったのだ。己の未熟さを痛感し、がっくりと肩を落とす。

 一方、彼女は再び口を閉ざす。彼の言葉の中に気掛かりな点があったのだ。

 ブラッディ・イーグル。この大型の鷲の魔物は沿岸地域に生息するが、餌を求めて森に入ることも多い。そしてテルティスは、海の玄関口であるアクオラから徒歩で数時間という距離にある。それ故、街の周辺では度々見掛けられ、被害の報告も上がっていた。

 だが、海岸線は街の東側。魔物の群れやドラゴンが見えたのは主に西側。


「その時、ドラゴンは何頭いた? それと魔物以外で、いつもと違っていた点は?」

「見たのは一頭だけですし、それ以外に異変はありませんでした。ですが今思えば、あの時の魔物の目は異常でした。何て言うか……狂っていたような。すみません、上手く言えなくて」


 その答えに、彼女は再び口元に手を添える。まだ情報が足りない。彼以外にも話を聞く必要がある。

 彼女は彼を見つめ、柔らかく微笑んだ。


「いや、そんなことはない。君のおかげで随分と助かったよ。ありがとう。こちらこそ、忙しい中ですまなかった」

「気にしないでください。お役に立てて嬉しいです」


 つられて、彼の顔に安堵と喜びの笑みが浮かぶ。彼女と話す時はいつもそうだ。笑みを浮かべたのを見ると、ようやく緊張が解れるのだから。

 そして昨夜はルーカスと組んでいたこと、東の塔で監視していた人物の名を告げると、彼は塔を降りて行った。




 その後アイラは、ルーカス等三名にも話を聞く。そして彼等は、口を揃えて言っていた。彼方から侵攻してくる魔物に気付いた次の瞬間、テルティス周辺でよく見掛ける魔物に襲われた、と。また、ジャッキーとルーカスが見ていた西の方角よりは小規模だが、残りの二人は北にも魔物の群れを見たと言う。

 更なる情報を得るため、彼女は商業者ギルドへ向かった。商店街のメイン通りに構える、一際大きなレンガ造りの建物だ。

 甲高い鐘の音と共に扉を開けると、ホールに多くの人が集まっているのが見えた。彼等は忙しなく動き回り、壁に貼り出された紙を見ている者や、カウンター越しに係員と話し込んでいる者もいる。

 その時、扉正面のカウンターの中に座る中年男性が顔を上げた。


「おや、スティングレイさんじゃないですか。お久し振りです」


 恰幅が良く、白髪混じりの風貌だが、身なりはきちんとしている。笑った拍子に頬の肉で隠れた目をアイラに向けると、彼女は小さく浮かべた笑みを返した。


「ああ、久し振りだな」

「今日はどういったご用件で?」

「ここ数ヶ月のうち、テルティス領の西から北にかけて魔物の情報が入ってないかと思ってね。それと、その方面に向かう馬車で護衛を探している者がいたら、紹介して欲しい」


 すると男は、後ろの壁に貼り出された紙を手に取り、一枚ずつ確認していく。しばらくして、小さく唸り声を上げながら振り返ると、おもむろに席に戻った。


「魔物の情報は掃いて捨てるくらいありますが、特に気になるのはウェスティン村周辺の街道ですね。ここ数ヶ月で、魔物の目撃情報と被害報告が急増しているんですよ。おかげで、魔物の討伐依頼に神騎士団の方が追い付かないようで」


 不意に男は身を乗り出し、カウンターに肘を乗せる。そして声を潜め、囁き掛けてきた。


「それと同時期に、賊が村の屋敷を根城にし始めたらしいんですよ。最近は出入りも激しいようで」

「なるほどな。だが、ウェスティン村か……ここからだとかなり遠いな」


 大陸西部のウェスティン村は、テルティスから見れば北西の位置。大陸を横断するまではいかないが、半分は優に超える距離を移動することになる。出来るならば徒歩は避けたい。


「そういえば、足も探していましたね。それでしたら、あそこにいる親子に話を付けましょうか。彼等、ウェスティン村の手前の街へ商品を運ぶのに、護衛を探していると言っていましたから」

「そうか、それは好都合だ。よろしく頼む」


 早速、男は壁に貼り出された紙を見ていた二人組を呼び、手招きをする。やって来たのは中年の男性と若い女性。彼等は護衛の話を聞くと、深々と頭を下げる。そして一時間後に街の正門で落ち合うことを決め、二人はギルドを後にした。

 それを見届けたアイラは再び男に顔を向け、微笑んだ。


「ありがとう。本当に助かった」

「いつもお世話になっていますからね。お互い様ですよ」


 カラカラと男が笑う。そして彼は、踵を返す彼女を送り出すのだった。

 ギルドを出た彼女はひとまず、街の正門まで足を運んだ。辺りを見回し、肩に乗るホークアイを呼ぶ。すると彼は、胸の前に差し出された彼女の腕に飛び移った。


「仕事だね、姐さん」

「ああ。ウェスティン村を中心に広く情報を集めてくれ。あれだけ大掛かりな術だ。必ず何かある」

「分かった! 姐さんもウェスティン村に行くんだよね? ある程度情報が集まったら、俺もそっちに行くよ」


 ホークアイは翼を羽ばたかせ、西を目指して飛んで行く。そして彼女は出発のギリギリまで情報を集めるべく、再び市街地へと戻って行った。




 テルティスを出たイリアとルイファスは、街道を沿ってアクオラへ向かっていた。歩いて数時間程にある港街は、主にガルデラ神殿への参拝者で賑わっている。物流の盛んな商業都市だ。

 通常ならば、この街道にも参拝者や商人が絶えることはない。祭日ともなれば露店を出す者も現れる。だが今は、今朝の事件の影響もあり、胸に苦しみを覚える程に閑散としていた。

 そうして二人は、アクオラへ足を踏み入れた。真っ白な壁に太陽の光が当たり、街全体が輝いている。街の入り口から真っ直ぐに伸びる中央通りには様々な商店や露店が立ち並び、多くの人々が行き来している。その向こうには港に停泊している船も見えた。

 人通りの激しさに圧倒されたイリアは、感心したように周囲に視線を巡らせた。


「ここはいつ来ても賑やかね。テルティスも人は多いけど、また違った雰囲気だわ」

「それはそうだろう。宗教都市と商業都市だからな。それにしても残念だな……こんな状況でなければ、適当に声を掛けた女と飲みに行くんだが」

「ルイファス」


 落胆しているルイファスの声を、イリアの低い声が遮る。今回は遊びに来ている訳ではない。ヘレナを捜し出す旅の途中なのだ。


「冗談だ、冗談。そんなに怖い顔をするな。ほら、さっさと用事を済ませるぞ」


 苦笑を滲ませるルイファスと、彼に白い目を向けるイリア。逃げるように人混みに向かう彼に、彼女は深いため息を吐きながら後に続いた。




 中央通り沿いに構える神騎士団の詰め所。近付くにつれ、イリアの心に厚い雲が垂れ込める。大司教に状況を報告するということは同時に、己の無力さも突き付けられるのだから。


「クロムウェル団長! お待ちしておりました」


 扉付近で立番をしていた騎士が、イリアたちの存在に気付いた。彼女はしっかりとした足取りで彼の元へ向かうと、「お疲れ様です」と声を掛ける。そして扉を押し開けた。

 蝶番の動く音が響き渡り、執務中の騎士たちが顔を上げる。彼等はイリアの姿を見ると、慌てて席を立った。するとその中の一人が駆け寄って来る。


「どうぞこちらへ。大司教様は応接室にいらっしゃいます」


 彼の案内で詰め所の奥へ通される。扉が開かれるとそこには、十数人の騎士に囲まれて老人がソファに座っていた。

 彼こそが神殿を取り仕切り、テルティスを治める大司教、フィリップ=ランディだ。無意識のうちに背筋が伸びたイリアを、彼はゆっくりと立ち上がって出迎えた。


「聖騎士団団長イリア=クロムウェル、只今参りました」

「待っておったぞ。早速だが、テルティスの状況を詳しく聞かせてくれんか?」

「はい」


 少し掠れているが、穏やかな声が応接室を通り抜ける。彼女はおもむろに足を踏み出すと、彼の前に立った。

 見下ろす程に背が低い老人は、白髪と白髭、そして白いローブを身に纏っている。顔には深いしわが刻まれ、それなりの年齢に達していることは想像に容易い。その割には、彼の背筋はしゃんとしている。

 彼女は片膝を着いて跪くと、深々と頭を下げる。そして、腰掛けた彼の青い瞳をじっと見つめ、口を開いた。


「早朝に何者かが神殿に侵入し、結界石を破壊。その後、彼等の仲間に操られたと思われる魔物によって、壊滅的な被害を受けました。その結果、巫女様は行方不明。死傷者も多数出ております」

「巫女様が!? なんということだ……では、敵の規模は?」

「私が交戦した敵は三名。漆黒のローブを纏い、フードで顔半分を覆っていたため、人相は不明。ですが、声からして三名とも男性と思われ、子供も含まれています」

「ということは、敵はかなりの手練れか」

「悔しいですが、それは認めざるを得ません。最前線の戦闘で疲弊していたとはいえ、瀕死の重傷を負って治療中のグレイシス副団長を残し、全滅してしまったのですから。また、白いドラゴンの目撃情報も挙がっており、こちらは我々が調査を進めています」


 敵の実力、そして予想だにしない魔物の名前が出たことで、室内にどよめきが上がった。騎士たちは戸惑ったように顔を見合わせ、フィリップは顔を強張らせる。

 だが一人だけ、空気を切り裂くように声を発する者がいた。低く険しいそれが、彼女の鼓膜を震わせる。


「まったく、敵に侵入を許すとは情けない。クロムウェル、お前もお前だ。ドラゴンなどという情報を本当に信じているのか? こちらを撹乱するために嘘の情報を流し、踊らされているとしか思えんな」


 声を上げたのは、フィリップの後ろに控える男。神殿と街の警備、そして要人の警護を担う神騎士団の団長、ベリオス=ブラック。常に険しい表情を浮かべ、目力の強い漆黒の瞳と相まって、見る者の記憶に謹厳な印象を焼き付ける。その雰囲気と全身を覆う白い鎧が、神殿のどの騎士をも圧倒する存在感を放っていた。

 イリアは不快に顔をしかめ、立ち上がる。そして、睨むように彼を見返した。


「そんなことはあり得ません! 情報提供者は、私が最も信頼している人間の一人です。彼が悪意のある嘘をついたことは、一度だってありません。情報も信頼出来るものと思っています。ただでさえ敵に繋がる情報が少ない今、調べもせずに切り捨てるべきではありません」

「イリア、心を鎮めよ。ベリオスも少し黙っておれ」


 彼女は怒りの感情を剥き出しにし、早口に捲し立てる。しかしフィリップの一喝で我に返ると、恥ずかしそうな謝罪と共に慌てて片膝を着いた。ベリオスも頭を下げる。

 そんな二人を交互に見やり、彼は再び質問を投げ掛けた。


「市街地に被害は出ていないと聞いたが、それは真か?」

「いいえ。術の効果が切れたのか、一時、魔物が市街地にも侵入しました。倒壊した建物も多く、被害状況については神騎士団が情報収集を進めているものと思います。魔物ですが、突如として街全体を包んだ光により、全て消滅しています。何らかの魔術だと思われますが、詳細は不明です」

「では、そなたが交戦したという敵は?」

「……申し訳ありません。傷を負わせることは出来たのですが、転移魔法で逃げられました」


 こうして言葉にすることで、あの惨状が彼女の心の中で具体的な形を帯びていく。同時に、犯した過ちも心に重くのし掛かる。声の節々が震え、悔しさを隠しきれない。


「巫女様は行方不明、しかも敵には逃げられる。とんだ失態だな」


 追い打ち、とばかりにベリオスから投げ捨てられた言葉に、唇をきつく噛み締める。だが、何も言い返すことが出来なかった。彼女も同様のことを思っているのだから。

 不意に、彼女は視線を上げる。その瞳に宿るのは決意の光。


「大司教様、お話があります」

「分かっておる。このまま巫女様の捜索に向かうのだろう? 道中、気を付けてな」

「ありがとうございます。必ず巫女様を無事に救出して参ります」


 フィリップに対し、揺ぎ無い決意を誓う。静かに立ち上がった彼女は、一礼をして踵を返す。続いて、ルイファスも同様に応接室を後にした。

 彼女等の気配が消えると、室内は再び困惑した空気に包まれる。彼女の話は衝撃しかなかったのだ。


「白いドラゴン、か……」


 不意に声が聞こえ、フィリップはそっと後ろを振り向く。ベリオスの、蚊の鳴くような声が聞こえた気がしたからだ。だが肝心の彼は、何でもない顔をしている。それが僅かに気に掛かりながらも、彼は扉に視線を移すのだった。

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